久々のブログになる。それどころか、今年の初記事だ。
仕方がない。あくまでマイペース。書ける時に書く姿勢だ。
たまに閉塞感にさいなまれることがある。
仕方がない。可能な限り心を前方姿勢に維持するだけだ。
実はホリエモンを尊敬している。
妄信はしないが、彼の知性・先見性・行動力は素直にすごいと思う。
これまで彼の類の人材を活かしてこなかった守旧的日本社会への諦観と自分を包む閉塞感は無縁ではない。
いや。自分とホリエモンではステージが違いすぎる。
自分の悩みはもっと低次元で、「積極的に守旧的社会に挑んできた」という自画像と、「ただ流されているに過ぎない」という周囲(≒守旧的日本社会)からの描写(レッテル)とのギャップに心が悶えているに過ぎないのかもしれない。
2006年にそれまでの金融系の仕事を辞め、“エンタメとファイナンスを近づける”領域へのチャレンジを始めた際、仕事だけでなく「Vividな視座を持つ」「自分自身がクリエイティビティを発揮する」ことを自身の目標とした。
下手な作曲をしたり脚本や物語を綴ったりし、それがエンジェル大賞 受賞につながりその後の様々なチャレンジの礎となった。
ビジネス面では「エンタメとファイナンスをグローバルにつなぐクリエイティブ人材」を目標像に様々な切り口で様々な先に働きかけ“巻き込む”ことを目指した。
クリエイティブ面では脚本を何本も書き“巻き込み”と映画化を目指した。
あれから15年を超える年月が経ち、ほぼ何も結実しないまま時が経ち、今ここに至っている。
たどり着いた先は当初の座標軸から外れた生業。
食べていけることに感謝しつつ、多少ネガティブな感情を抱いているのは・・・仕方がない。
にんげんだもの。
それでも自分が目指してきた方向性は間違っていない、という思いを持ち続けている。
このブログでは一貫して「これから」を綴っている。
昨年のブログ記事(2022年2月9日)『このブログのテーマにある一貫性』に書いた通り、目指してきたエンタメ+ファイナンスは企業PRやデータビジネスという衣を纏い「デジタル証券」はその一つの解になりそうだ。
かたや生きるための生業を維持しながら、その領域を目指し今なおできる範囲で“巻き込み”を続けている。
微々たる動きしかできていないが(相も変わらぬ自分の推進力のなさに絶望的になる)。
クリエイティブはずっと“お休み”してしまっていたが、昨年末のとある出来事を契機に、周りはどうあれ自分自身「Vividな視座を持つ」(=楽しんで生きる)ことを取り戻さねば、と思い、なんちゃって作曲の趣味を復活させた。
(『とるじいやの芸術発展ゼミナール』)
ボカロ技術など新しいことを学びながら、牛歩でも、できる範囲で続けていくつもりだ。
さりながら自分もシニア領域に差し掛かりつつあるので、心身ともにパワーMAXというわけにはいかない。
身体のところどころに不調を感じ、この先、そうそう長くない人生を鑑みたりもする。
同世代の知人らも同じだろう。
そんな彼らの一部から、「最近、同年代の友人・知人の死が相次いでおり、生物としての死の接近の実感や、否応なき世代交代の宿命を認識せざるを得ない」現状についての思い、よもやま話を伝聞する。
さもありなん。
自分も相通ずる気持ちを持つ。
でも一方で、どうしても相容れない思いがある。
数年前に、亡くなった同期のことをブログ記事(2019年6月15日)『ご無礼ながら、甘えるな!』の中で以下のように書いた。
(以下、一部を表記)
「先日、山一時代の同期が突然亡くなった。
株式相場の指南役として新たなビジネスを立ち上げ、Youtubeで若手芸人も出演する番組を立ち上げ、PRを始めた矢先だったようだ。
聞くと彼は、この取り組みを始めようとする一方で、必ずしも経済的に潤っていなかったことから、(施設警備や介護など)ダブルワーク・トリプルワークの状態だったらしい。彼はメタボ体質だったので、恐らくそういう日々の無理がたたったのだろう、ということだ。
悔しいだろうな、と思う。それでも、今いる場所でも、どうか生前同様、朗らかな彼のままでいてほしい。」
その後、ここに書いている“若手芸人”がブレイクし、そのことを故人の共通の友人たち(自分より故人との関係が近しかった方々)が「すごいね」と誉めそやす会話を、共感しながらも、なんとなく違和感をもって聞いた。
たしかに「すごい」し、素敵な話題だったと思う。
でも、自分がなんとなく感じたのは、彼が亡くなった際にブログ記事で書いた「悔しいだろうな、と思う」という感情を、彼らが抱いているように思えなかったことだ。
彼の“悔しさ”への共感でなければ、いったい彼らは何を感じていたのだろうか。
・・・自分とは関係ない世界で、とある物語が存在した(残念だったね)
・・・でも、自分自身の物語は最初から結末が決まっている(安心、安心)
チャレンジをしてきた彼は、本当はまだまだ生きたかったと思うし、チャレンジを成功に終わらせたかったはずだ。
自分はただの同期で、友人と言えるほどの距離感ではなかった関係性なので、故人から否定されるかもしれないが、
「おいおい。俺のことを美しく思い出してくれるのは有り難いけど、お前らはどうなんだよ」
「俺の死をだしに、自分たちが安全地帯から離れようとしないことへの言い訳にするなよ」
と彼から言われているんじゃないか、という気がした。
確かに我々はもう「シニア世代」に差し掛かっている。
これまでの世の中なら、「生物としての死の近接」を容認し「世代交代」して、美空ひばりの『川の流れのように』よろしく、穏やかに老いるに身を任せていてよかったかもしれない。
しかし、今や時代は大きく変わったはずだ。
人生100年時代において、50歳を超えても先はまだまだ長い。
流れつき、もう再会がかなわない友人・知人たちには敬意と共感を抱けばいい。
生きている人間は、穏やかに流れに身を任すもよし、流れに抗ってみるのもよし。
自分は、もう少し抗っていたい。
自分が15年以上前、変化に挑もうとした際に心に灯した、
●Vividな視座を持つ≒楽しんで生きる
●クリエイティビティを発揮する
という目標。
そして、これまで何度もこのブログでも書き綴り、ビジネスへの対峙姿勢として心掛けてきたような、
●世の中がどう変わるか仮説を持ち、その方向に挑み、適宜軌道修正していく
という姿勢は、これからの世の中で必要であるに違いない。
そう強く信じたい。
なお、最後にエクスキューズを。
現状、生業や日々の生活に疲労困憊していること、これまでことを成し遂げられなかった要因に自分の弱さや怠惰さがあること、こうして前向きなことを書いても根っこではどうしてもネガティブな思いを拭い去れないこと、などなど、自分の中にある問題点を棚に上げるわけにはいかない。
文章を読み返し、少し(かなり?)偉そうに感じたので、そこはきちんと言及しておこう。