お悔やみと、ささやかな思い出話

●原正人氏が死去 映画プロデューサー(日本経済新聞 2021年3月29日 21:49)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG299IW0Z20C21A3000000/

『戦場のメリークリスマス』などのプロデュースで知られる原正人さんが先日お亡くなりになったことを、今知った。
謹んで、お悔やみを申し上げます。

原先生とは、本当にわずかなご縁ではあったが、何度かお目にかかったことがある。
いやむしろ、(直接の接点はほとんどないが)自分が『金融』業界から『映画』業界の片隅に居場所を得ることになる遠因を作ってくださった方、という側面もあるのかもしれない。

原先生は日本のインディペンデント系映画製作(プロデュース)の第一人者であるだけでなく、インディペンデント映画業界を下支えできるよう、フィルムファイナンスや人材育成に取り組んでこられた方だ。自分が所属していた東京国際映画祭がらみの団体にも強い影響を持ってきた。

自分が映画業界に入るきっかけとなったのは、映画専門大学院大学という専門職大学院で学んでいた際に脚本を書いたオリジナル企画『跳べ!サトルッツ』が角川のエンジェル大賞を受賞したからなのだが、原先生はこの大学院の特別講師で、かつ、エンジェル大賞の実質的な創設者だった。

専門職大学院の授業ではお目にかかる機会がなく、原先生と初めてお会いしたのはエンジェル大賞の「二次面接」の時だった。2007年の初夏のころだったと思う。

『跳べ!サトルッツ』は自分が初めて書いたオリジナル脚本(小学校の時のクラス劇や高校のクラスメイト達と作った映画の脚本を除いては)だった。これを専門職大学院の「映画企画」というK先生の授業でプレゼンしたものの、なんとABCの「C評価」を食らってしまった(それどころか、ABCしかないはずが「D」と書いてあった気がする)。
この授業ではクラス全員の企画をエンジェル大賞に応募することになっていたのだが、K先生の低評価ですっかり自信を無くしてしまった。
なので、オリジナル作品の応募は諦め、とある有名小説家のある短編小説にしようと(先方の許諾も得ていないのに)新たな企画書を提出した。
ただ、K先生がエンジェル大賞の応募期日前日の授業で「映画祭や企画コンペなどで映画や企画が受けるかどうかは、結局は審査員の好み次第。だから、悪い評価を得た企画でもダメもとで応募すればいい」とおっしゃるのを聞き、それで応募最終日ギリギリに提出した。
(すでに郵便では間に合わなかったので、自分の足で応募先のビルの郵便受けに投函した)

結果、そんな『跳べ!サトルッツ』ともう一人の企画だけが、なぜだか書類審査を通過して、一次面接に進むことになった。
一次面接では、映画プロデューサーで映画教育者のMさん、原先生のお身内で映画プロデューサーのYさんを始め、今では新進映画プロデューサーになったTさんなど、5、6名ほどの選考者の方々が集まっていた。
自分は彼らに、「どうしてまた、『跳べ!サトルッツ』を選んだんですか?」という素朴な疑問をぶつけてみた。もしかすると、話の内容とかではなく、潰れた山一證券のOBが脚本を書いて応募してきたのが面白がられたのではないか、と思ったからだ(もしそうだったとしても、有難いことだ)。

すると、皆さんが口をそろえて、「いや、あなたが書いた脚本が面白かったんです!」と言ってくださったのだ。本当に、すごく嬉しかった。
この面接では、選考者が面白いと思う企画に各々の選考者が自分の考えで入る、というスタイルだったようで、もう一人のクラスメイトの企画では2、3名程度しか同席しなかったらしいから、決して彼らの“おべんちゃら”ではなかったと思う。
実際、クラスメイトの中で次の二次面接に進んだ企画は自分の企画以外なかった。

そして、二次面接で初めて原先生と対面した。
開口一番、「面白い企画だと思った・・・でも、脚本は面白くないね」と言われた。
それを聞いて・・・実は、つい笑ってしまい、あわてて下を向いた。
(「いやいや、映画業界の皆さん、あんたがた俺を落としたり持ち上げたり、どないやねん」と可笑しくなってしまったのだ)

そして、何となくだが、原先生はそんな自分の反応に少し興味を持たれたのだと思う。
それまでは、選考者たちの顔を立ててくれたのであろうが、企画自体をそんなにたいして面白がっていなかったのではないだろうか。ご本人に聞いたわけではないので、これは完全に自分の想像なのだが。
ただ、自分は、原先生の二次面接を通ってエンジェル大賞を受賞できたのは、あそこで自分を客観視して「このシチュエーション、おもしれー」と状況を楽しんだからだ、と勝手に思っている。

次にお目にかかったのはエンジェル大賞の授賞式。その次が、確か、専門職大学院の特別授業みたいな時だったと思う。
そこで、原先生はとある古いご友人の脚本家を引き合いに出し、「クリエイターとはエゴイスティックなものだ」というご説明をされた(ようにうっすら記憶している)。
その友人の脚本家が自分が実現させたい企画、物語について、いくら先生が合理的に修正を求めようが、感情的になって頑なにそれを拒んだり、一方で反省して自己嫌悪したりしていた様子を話され、でも「とても人間臭い。それが素晴らしい」というポジティブな認識を持っていたという話だった。
クリエイションに携わる者には、そういう、どこかエゴイスティックで人間臭い部分がないといけない、ということだ。

自分は「プロデューサー(映画の大枠を作る+金集め+ビジネス)」を志向する者である一方、自身のオリジナル企画については「クリエイター(自分が“面白い”と思う物語の書き手)」でその実現を願う者、という、ある種の二面性を抱えている。ここにはある種の自己矛盾がある。
自分は、ビジネスにおいては、できるだけ論理的でありたいと思っている。(リアクションが感情的になることはあっても)思考はプラクティカルであるべきだと思っている。
しかし、原先生のこの授業もあって、自分は企画を立ち上げたら、まずはクリエイターとしてエゴを出すべきだ、という認識を持っているし、自身、まさにそういう性質を持ち合わせている。

もちろん、これは、頭から人の話に聞く耳を持たない、ということでは全くない。
そうではなく、例えばクリエイターとして伝えたい内容が相手に伝わっていないようなときにも、良かれと思っていろいろアドバイスをしてくれる人はいる。
でも、人の意見に右往左往する必要はなく、まずは自身のエゴのもと、じっくり自身のクリエイションの像、クリエイティビティの軸を探るべきだ、ということだ。

数日前、とある有名な脚本家の先生と大手メディアのプロデューサーに自身のまだ未成熟なドラマ企画(『天下の秤』)をお披露目し、ご意見を伺う機会があった。
このとき、自分は少し、エゴイスティックに振舞ってしまって、多少反省もしているのだが、そこにはクリエイターとして、企画を世に出したい気持ちの部分が表出してしまったのかもしれない。
(それを、原先生の言葉にかこつけてエクスキューズがしたいだけかもしれないが・・・)

さて、自分が最後に原先生とお目にかかったのは、(映画企画云々ではなく)富裕層向けの映画投資&コミュニティ形成のビジネスを実現させたい、ということで、ビジネスプランを持って、自分が所属する山一ウェルス・エンゲージメントの石田社長を連れてご挨拶に行ったときで、もう5年ほど前のことになる。

結局のところ、エンジェル大賞受賞企画も実現できていないし、その後自分が書いた何本かの映画企画も形になっていない。富裕層向けエンタメ金融ビジネスの方も、現時点では何ら芳しい成果を残せていない。

こういううっすらとしか接点しか持たない者なので、亡くなった原先生を偲ぶ文章をこんなふうにブログに書くのは、もしかしたら不遜なことかもしれない。

ただ、なんとなく自分の人生の中で、遠い位置ではあるけれど大きな指針として存在された方なので、ある種の寂しさを感じている。
(そういえば、専門職大学院に入って映画プロデューサーを目指した際、原先生の本を数冊買った。そんなところからも影響を受けているわけで)

まとまらない文章になってしまったが・・・改めて、謹んでお悔やみを申し上げます。

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