イーロン・マスクとコンプライアンス

SECと和解したはずのテスラのCEOがまた、twitterでSECを“ディスって”物議をかもしているらしい。曰くSECのことを「投機筋を裕福にするための委員会」とこき下ろしている。

イーロン・マスクが感情的になるのもわからないではないが、彼がテスラの非上場化を検討するツイートをしたことで株式市場が大きく反応したことを鑑みれば、SECが一定の制裁をテスラおよびマスク氏に課すのはやむを得ない。

今や、世界一の権力者のトランプ大統領がツイートで政策を振りかざし周りを振り回す世の中だ。その無邪気さと横暴さに比べるとマスク氏のツイートなど可愛いものかもしれないが、上場し公的な位置づけにある経営者は、その言動の波及効果を念頭に置くのを、“たしなみ”として備えておくべき時代なのだと思う。これは、あくまでも直接的な波及効果についてであり、細かい間接的な部分まであげつらっては“言論封殺”と言われかねないが。

 

一方で、世の中にはそういった間接的な部分への配慮を重ね、「それはコンプライアンス上問題です」などと言ってしまう層がいる。SNSで自由に放言できる世の中であるのと同時並行的に、そんな“言論封殺”的風潮が広まっている懸念がある。いわゆる“コンプライアンス至上主義”的考えだ。

中には、完全な個人のブログやSNSの内容にまでその影響が及ぼせる、と真剣に信じている人たちが、企業のコンプライアンス部門や公的機関の中に、かなりたくさんいる。

 

例えば(これはあくまでも“例え”だが)、

「この人は私の知り合いでお世話になっている人です。どうやら、インタビュー記事に取り上げられたみたいですよ。→ https://mbp-japan.com/okinawa/yamaichi/interview/

こんなことすら「問題だ!」などという人がいるようだ。不正な広告広報活動につながる(?)懸念からだろうか・・・これが?

なお、この例は何度も書くように、あくまでも話のたとえです。最近偶然、この人のこの記事が出ていることを知ったため、リファーしたに過ぎません(もっと適切な“例”があればよかったのだが、手近になかったので)。

 

言論表現の自由が認められている日本。我々はつい、水や空気のようにそれが存在するものだ、と信じ込んでいる。しかし、それが実は危ういものなのは歴史が物語っているし、近隣諸国を含め世界を眺めれば、我々が得ている“権利”がいかに大切なものかはわかるだろう。

 

コンプライアンスは重要だ。そして、その範疇は労務面から広報面、その他もろもろ非常に広い。

以前、外資系金融機関に勤めていたが、そこのコンプライアンス・オフィサーが、「細かいルール化をしてそれを遵守するのがコンプライアンスなのではない。『よき人』として行動して社会に貢献するために必要なのがコンプライアンスだ」「企業がコンプライアンスで役員や従業員を縛るのではない。企業が持つ社会的責任を担う者一人一人が当然持つべきものがコンプライアンスだ」といった趣旨のことを言っておられた・・・記憶違いでなければ。

 

“ふわふわした”理由を口実に言動を自ら縛り、言論の自由を他者に差し出すのは決してコンプライアンスではない、自分はそう強く思っている。

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