個人データ銀行

今度は大手広告代理店の電通が「個人データ銀行」ですか。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34811280Q8A830C1TJ1000/

→8/31日経。電通が「個人データ銀行」

 

日本でも急速に個人情報という“宝の山”を巡って誰が何を受け持つ、という役割分担が決まっていこうとしていますね。この流れのまま落ち着くのか、新たな流れがいろいろ出てくるのかはわかりません。

 

例の総務省・経産省の検討会

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01tsushin01_02000247.html

には電通の名前はないですから、別の動きなのかもしれませんし、おぜん立てされた主役として動いているのか、それはわかりません。

一個人にとっては個人データがどう保守されかつ有効活用されるか、ということが重要なので、IT系のイメージがない電通でいいのか?と思われないかが心配なところです。あくまで、人がそう思うだろう、ということで、自分が懸念しているというわけでもないですが(本音を言うといろいろあるのだが)。

その代わり、管理体制を確実に整え、もし漏洩などの際は重い責任を負うことになることでしょう。ただし、そんなことのために余計なコンプライチェック要員を増やさないでね、とは言っておきたいです。

 

前回、三菱UFJ信託の際(10/3にリンク先修正:http://www.lifeisentertainment.jp/2018/07/18/%E9%A0%93%E7%8F%8D%E6%BC%A2%E3%81%AA%E8%A9%B1%E3%81%AA%E3%82%89%E3%80%81%E6%81%90%E7%B8%AE%E3%81%A7%E3%81%99/)にも書きましたが、「個人情報を一元的に管理できるスマートフォンアプリを提供します」とありますが、こういう“おためごかし”な説明は何とかならないもんでしょうか?

いずれ、どういったシステムで、どういった許諾をし、その認証履歴がどう管理され、実際に企業に個人情報をどう交付するか、等々、内実をわかりやすく説明していただくよう期待します。

 

個人情報については、一元管理の「情報銀行」的な管理を求める声と、個人一人一人がサーバーを持って「VRM(企業関係管理)」を行うのが望ましい、する流れもあります。

(前回の記事以降、追っかけて勉強しました(笑))

また、個人情報といってもピンキリで、一度認証を与えたらすべての情報が筒抜けになる、というのも、一般的には拒否反応が大きいでしょう。そのあたりの調整も今後の課題でしょうね。

 

懸念するのは、個人情報利用を許諾した対価の割り当てについてです。個人的には、この辺りは次世代の大きな変革の種になりうると思っています。もし、電通のような大手企業が独占的にそれを差配する立ち位置になると、社会的に大きな(ネガティブな意味です)影響を与えかねないと懸念します。

 

大企業というのは非常に優秀なメンバーがいて優秀なチームがあるため、本来はイノベーションを起こしうる立場なのですが、一方で無言の組織の圧力(一定の同調圧力)があるため、自社有利に“囲い込もう”と、結果的にイノベーションを阻害しがちです。

 

むしろ、「個人データ銀行」を名乗る電通には、それこそ信託銀行が担うような、個人情報(あるいはその許諾情報の)のカストディアンとしての立ち位置に専念してもらい、資本提携先だけでなく幅広く産業を振興する方向を確立していただきたいと思います。

 

なお、上記はあくまでも同社のこの記事のビジネスがデファクトとして認められた場合は、ということです。実際には、さらに紆余曲折があるよう思います。

 

いずれにせよ、興味をもって見守りたいニュースです。

VISION

現在、ある案件の資料を作っていて、何度もその直しをしている。「櫻井さん。この“VISION”の部分に書いてること、わかりづらいから書き直してくれません?」「はい、わかりました!」

え~と、「これから、世の中は大きく変わっていきます。変わらないものもあります。それは・・・」。さて、どう書き直そうか、など色々考えながら、なぜかとある過去を思い出していた。

新人の頃、「マンデー櫻井」なる“なんちゃって”刊行物を、毎週月曜に様々な見込み顧客あてに送り続けた。
http://www.lifeisentertainment.jp/2018/06/11/%E9%81%A0%E3%81%84%E6%98%94%E3%81%AE%E6%9C%88%E6%9B%9C%E6%97%A5/

ある超大手年金管理団体のトップの人もその対象に入っていた。
送り続けておそらく50回以上になる頃だったと思う。突然、支店の店頭にその方から電話が来た。ラッキーテレホンだ。
「一度、会社を訪ねて来なさい、中国ファンド(チューコクファンド)くらい買ってあげるよ」
喜んで上司に報告した。

上司、と言っても、当時「IPセクション」と言って、入社数年目の主任クラスの方々が就いていたIPマネージャーという職位にあった、今にして思えば単なる若者だ。黙って聞いていた上司は、
「そうかぁ、よかったな! 実は、今、売出し株の入札の割り当てがあって、それが埋まらないんだが、それ、入札してもらってこい」
と言う。特に何も考えず「そうっすか、わかりましたっ!」と答え、客先に向かった。

「へたくそな字で毎週送ってくるから、ずっと気になってたんだよ」
Oさんというその方は、経済も株式相場も何も知らないであろう自分が日経新聞丸パクリ(?)の相場観を語るその読み物を微笑ましく読んでいてくださったのだろう。表情には優しさがあった。
「ありがとうございます! ところで、今日、中国ファンドを、とおっしゃっていただきましたが、実は、〇〇という株の入札が有るんです。ぜひそちらをお願いしたいのですが」
「入札? いいけど、中国ファンドとどっちもってわけにはいかないよ」
「そうですか・・・でしたら、ぜひ入札をお願いします」
「本当に? 中国ファンドじゃなくて?」
「はい。実はうちの支店の割り当て、困ってまして」
「そう・・・わかった」

中国ファンドを買うとなると、口開けといって、支店に口座開設してもらう必要がある。入札の方は口座開設までは必要なく、氏名を書き買いたい金額で申し込み、約定できるか成果を待つ。当然、外れれば口座開設できない。

相手は運用資産んー千憶円(もっとか?)の年金団体のトップという超大手見込み客だ。いくら個人の口座とはいえ、そこでコネクションができ頻繁にお伺いできれば、将来は法人側の担当に食い込ませてもらえるかもしれない。そもそもOさんに薫陶を受けることで(インサイダー情報という意味ではなく)日経新聞レベルではない豊富な知識を得られるかもしれない。ネットワークが広がって自身の可能性が大きく広がるかもしれない・・・つまり当然、このケースの“正解”は、まるで人気のない売出し株の入札ではなく「中国ファンド」なのだ。
今ならそういう冷静な判断ができるのだが、当時の自分は全くそんな計算ができない。仕方ない。たかだか現場の一兵卒だったし、その立場に甘んじることに何の疑問も抱いていなかった。とにかく、上からやれ!と言われることをやるべし、としか思っていなかった。
というより、そろそろその現場がつらくなっていた頃だ。正直、外回り中、喫茶店などで時間を費やしでさぼり始めていたころでもある。

結局、入札は外れ、口開けはできなかった。その後、Oさんにこれといったアプローチもできないまま数か月が流れた。そして、隣の支店の同期がOさんの口開けに成功したというニュースが社内中を駆け巡った。

こういうことを書くと、やれ「あいつは過去にこだわっている」、とか、「過去を頻繁に振り返る人間って、結局、何でもかんでもネガティブ志向なのよね」などと決めつけられるから怖い(だから、本来、この手の話は自分の胸にしまっておけ、となる)。Oさんを口開けした同期がその後、法人部門に転属し某大手メディア企業の上場に係わり外資でも大出世したから、特にそんな流れになりかねない。
違いますよ! あくまでも、静かな自省というやつですから。

単純に、人生というのは面白いな、という観念と、さりながら、運を掴もうとする者は、決して成り行き任せではない何かを持たねばならない(準備、覚悟、想い、情熱、等々)という教訓は、この件で得られると思う。
喫茶店でネガティブ気分でサボりながら成功を獲得できるほど人生は甘くはないのだ。そもそも、自分に「大手法人の運用担当になりたい」「IPOにかかわりたい」「大口M&Aを成功させたい」等々、働く中でVISIONがあれば、それぞれの局面で、自分が最善と思える判断が可能だったはずだ。そのときはうまくいかなくても、あのころ居た会社で、あるいはその後の会社で、その目標を達成することはできたはずだ。

VISIONを掲げる。目標を持って日々邁進する。その大切さをこの教訓は教えてくれる。
そして、この10数年それを続けてきたつもりの自分としては、“日々邁進する”のツラさもよく理解する。毎日毎日ポジティブに生きられるほど、人間は強くはないからだ。
それでも、自分など所詮は弱い存在なのだとタカをくくりながら、VISIONを捨てずに、肩ひじを張らずに歩み続けられたら、その先には“何か”があるのだろう。そう思う。

自分が目指してきたことは、当初は単に誰かが昔描いた構想を焼き直した程度のものだったが、それが、現在進行形で大きく変化・進化している世界の非常に大きな流れの中で、革新的存在になるのかもしれない、などと大仰に考え始めている。
とはいえ変に妄信・猛進・盲進せず、高いVISIONと広い視野を持ちながら、気楽に、地道に、歩みを進めていきたい。

ノモンハン⑤

あえてノモンハンの番組と比較して語れば、Kさんの視座は、例えば自陣を離れた部隊長を糾弾する上官や、捕虜になった部隊長に暗に自決を迫る人々とは全く異なっていたな、と思う。

もちろん、いち証券会社の小さな小さな仕事での失敗と、多くの人命を預かる軍隊での失敗を同列に比較するのは論外なわけだが。

それでも、個々の人物ではなく俯瞰的に物事を見つめ、合理的に判断し前向きな解決策を求めようとするKさんの考え方に、当時非常に感銘を受けたし、その後の自分は、そういった考えに改めて過ごすことになった。

現在の自分がどうこうではなく、場合によっては大風呂敷に聞こえかねないことも大局をとらえて語るようにする。

そんな自分の粗忽な(?)性格は、Kさんに後押しされたのかもしれない・・・などというと、「人のせいにするなよ」とKさんに怒られてしまうかもしれないな。

 

一時期、わが身を顧みずに図に乗っていたな、と思うこともある。“社内官僚”として相応に評価されていたころだ。

山一を卒業し某外資系企業で同じ商品を担当したのだが、年期だけは長い自分はその商品の“担い手”ぐらいに大いに勘違いして(?)、よく酒の席で、

「いいか! この商品は個人金融資産1400兆円(当時)を直接金融市場に取り込むためのメイン商品なんだ」

「株式持ち合いとメインバンク制度に縛られて変革の余地がない日本経済に活力を与えるのは、個人のリスクマネーの供給・資本市場への参加であり、我々はその担い手なんだ」

などと、ご大層なことを言っていた。

 

「鼻くそがわが身を顧みず偉そうなことを。声を潜めたまえ」と、当時の自分に言いたいが、「ふん、今のお前なんか、たかだか目くそじゃねえか」と言い返されてしまうかもしれないな。

 

ちなみに、そのように尊敬するKさんなのだが、彼とはすごく親しく交流した、というほどでもない(一度、後輩と一緒に小旅行に行ったが)。なので、これまでどうされてきたか、現在どうされているかも知らない。

以前、人伝えで、銀行系の(官僚チックな)組織で閑職に追いやられ、必ずしも組織人としては幸せではない、と聞いたことがある。

 

そのKさんからつい最近、某SNSでお友達申請が来た。なので、お友達にはなったが、特に何か会話をするでもない。どうしたものか、と思う。

正直に言うと、SNSでのやり取りって苦手なのだ。。今の時代、そんなことを言っていたら化石扱いされるし、自分自身が「SNSも積極活用して、コミュニティーに深く刺さるPRを」などとほざいているのだが。。何となく、ね。

 

いずれ時期が来れば、お互い元気に再会できることだろう。そう信じることにしよう。

ノモンハン④

その本部には山一が自主廃業するまで5年いた。おかげさまで切り貼りのルーティンワーク以外にも幅広く仕事ができた。そのうち、「試算」電話への非理性的な対応はいつの日か改めることになり、理性的に受話器を外すことになっていった。そしてそのうち、「試算」などというバカげた仕事自体がなくなった。

 

いつからそのような理性的対応を甘受しだしたのかは忘れてしまった。だが、自分がしでかしたある「失敗」は、もしかしたらその転機になったかもしれない。

とにかく古い話なので詳細を忘れてしまったのだが(おいおい(笑))、確か、こういうことだったと思う。

 

短期公社債を中心に運用するとある毎週分配型の商品は、価格を出すだけではなく、年率換算など利回り表記も必要だった。自分はその利回り計算を担当していた。

ある日、その利回り計算を間違え、そのまま支店はおろか顧客にも通知してしまった。すぐに間違いは指摘され、部内は大騒ぎになった。

(ということは、当時Excelすら使っていなかったのだろうか? そんなことはないと思うのだが。。そのへんの記憶が曖昧だ)

 

いろんな部署に頭を下げて回った。その時に初めて知ったが、山一には「書道の先生」が嘱託で働いていた。お詫びの文章を作成し、それを何度も推敲し、先生が筆でそれを文字に起こした。見る者に深々と首を垂れているような印象を、あるいは単なる読みにくさを与えるその手紙は、数日後、全国各地の何千(何万?)人の顧客のもとに届くことになった。

 

腹がしくしく痛いというか息苦しいというか。とにかくこういう失態をしでかすと、何となく居づらく感じるものだ。以前、支店で後輩と一緒に課長たちに詰められた時と同様、ずっと靴の先ばかり眺めていた。

 

「櫻井君、ちょっと」

課のK先輩に会議室に呼び出された。ただ黙って従い席に着いた。

「で、どうしよう?」Kさんがそう言ったので、うつむきながら「本当に・・・スイマセンでした」と答えた。するとKさんは笑顔になって、

「櫻井君、誤解しないで。僕は責任論を言いたいんじゃなくて、どう改善するかについて相談したいんだ」

「こういうミスを犯すということは、業務プロセスのどこかになにがしかの要因があるものなんだ」

「それを見出して回避するためにどういう措置をとるべきか、それを話し合いたいんだ」

と説明した。

結局、その後、“第三者チェック”や“声合わせ確認”など、(それまでの自分はある種バカにしていた)回避手段がとられることになった。もしかすると、支店からの電話が多い時間帯なので、その時間帯は受話器を外す、ということになったのだったかもしれない。

 

そして、さすがに当然といえば当然だが、同種のミスは無くなった。

ノモンハン③

その後、運命のいたずらで本社(本部)のとある商品部門に行くことになった。自分の人生にとっては、これがその後に有利な条件を獲得できる基盤となった。

本当に有難いことだと思うし、人間(個人)が自分の判断だけで思うような人生を切り開く、などというのは不遜な思い上がりなのかもしれないな、と思ったりもする(「人生万事塞翁が馬」)。

 

その本部ではオペレーション部門だった自分だが、毎月の新商品を決める商品企画会議などには参加した。とはいえ、ほとんど黙って座っているような立場でもあった。

確か、最初のころの会議で本部長から、「最近まで支店にいた櫻井の意見も聞こうか」と言われパニクったことがある。

 

「え~と・・・。自分は結構割り当てに苦労した方でして(笑)。結構、支店はそんな感じだと思うので、来月は新商品は無しで、中国ファンド獲得月間とかにしたらどうでしょう?」

 

小声でそんなのんきな(?)ことを言った。一瞬、座の空気がし~ん、として、「まあ、いろいろな意見があるが・・・じゃ、〇〇君はどう思う?」とスルーされた。

なるほど。ここではこういうことは言っちゃいけないのね、瞬時にそう忖度した。

 

その本部では、最初、関連会社に商品の注文を発注したり、価格を支店に連絡するために全店FAX(!)を出す仕事を、事務職の女性たちと一緒に行っていた。

「試算」を連絡する、という今にして思えば、なんだかなあ、という仕事があった。

その商品の正規価格は、関連会社から注文日の夕方遅くに発表される。しかし、株式相場の前場引け値を使った(あくまでも後場の値動きによっては大幅に変動する)仮計算値を出し、それを各支店に案内する、という仕事だった。

支店ではその価格を見て、「よし。銘柄Aを今日売ったら〇〇円になるのでこれを売って、今月割り当ての商品Bを、今日、××口注文しよう」となる。つまり“回転売買”をしやすくするための必要不可欠な「必殺兵器」の補給だ。

数値自体は汎用コンピューターで自動的に計算されたが、出力された紙を切り貼りして台紙に張り付け、それをFAXしなければならない。

その間、支店の営業マンからジャンジャン電話が鳴ってくる。電話を取ると、決まって「悪いけど、銘柄△△の試算教えてくんない? いくら?」「銘柄●●の試算、教えてよ」という質問ばかり。

「ほんの数分間待てば、皆さんに私が貼り付けたFAXが届きますよ(その数分は、この電話のせいで後ずれしてるんっすけど)」、と言うわけにもいかず。「はい。いくらいくらになります」と答えて電話を置く。そして、また電話が鳴る。電話を取る・・・。

 

「こういう時は、こうすればいいのよ」

見かねた事務職の先輩が、机の受話器を一つ一つ外した。それは完全に親切心からだったのに、自分は無言でその受話器を再び置きなおし、かかってきた電話に出た。「はい。その銘柄は〇〇円です」。

 

完全に理性的ではない判断だった。

ノモンハン②

前年のNHK特集「インパール」でも全く同じ構図を見た。陸軍だけじゃなく、海軍だってガダルカナルなどで不条理な上の決断で多くの犠牲が出た(結果論でものを語るべきではないのかもしれないが)。そこに対しても大きな責任追及はされていない。

 

こういう番組を見ると、自身同様、つい「駒」側の目線で見てしまう。おそらく、大半の国民もそうだろう。

一方で、現在、大企業のトップや高級官僚の地位にある方々は、どういう立ち位置や思い出で見るのだろうか。少なくとも、勧善懲悪な「あの若手参謀こそ大悪人」「上層部が悪い。現場はいつも被害者」という単純図式では見ないだろう。そうであってほしいとも思う。

実際、物事を単純視しないその視点こそ正しい。判断がもたらす結果というのはそもそも紙一重だし、虫眼鏡で見れば、当時の現場には被害者面した加害者も多かったことだろう。

 

歴史から学ぶべきは、抗い得ない大きなうねりの中で、その時々に様々な立場にいた人々が個々でどう決断し行動したかであって、結果論で“犯人捜し”のみをすることではないからだ。

(それこそ、結果論と言われそうだが)先の戦争では、軍部から国民に至るまで、個々の判断が常に「右へ倣え」で、個人の意見や意思というものが発揮されなかった。むしろ発揮できる環境ではなかった、というべきかもしれないが。

とはいえ、すべて「空気」のせいにして個人の選択(=積極的に“前例を改めよう”という行動を起こさない、という選択)についての責任を述べないのはフェアではない気がする。

 

昔の人のことを言えた義理ではない。

社会に出ると、集団の中で自分の意見を通す、とか、人と違った行動をする、といったことが、いかに大変かわかる。

大いに成果を上げており、かつ、周知から信頼されている優秀な人間ですら、自ら前例を改め、新しい考えを持ち込んで皆を率いることは難しいことだ。

優秀でも何でもない人間の「今や我々は変わるべき時です!」などという諫言は、「鼻くそが何を言っている」程度の扱いしか受けないものだ。

(そして、当人はせいぜい、「けっ。てめえだって、ただの目くそじゃねえか」と世をすねるくらいしかできないのが世の常だ)

 

昔、山一證券という会社にいた。最初の数年間は支店営業だった。自慢じゃないが、最初の数か月間を除き、あまりできない営業マンだった。本当に自慢じゃないが。

毎日、「・・・マルです」とささやくように上司に告げる胸の辛さや、これ如何に。

世間一般では素敵なイメージがある「マル」という言葉は、どういうわけだか証券マンにとっては悪夢の言葉になる。

実際、自分と1年下の後輩が個室に呼び出され、隣の課の課長様お二人から「おめぇらが(割り当ての)数字上げないから、お前んとこの課長がわざわざやらなくてもいい数字作って、店の数字埋めてくれてんだぞっ!」「ほんと、頼むから辞めてくんねえかなぁ・・・」などと詰め寄られ、靴の先だけ見つめ続けたこともある。ホント、野村だったら間違いなく辞めていただろうな。うちの課長は優しい良い方だったので本当に感謝している(お元気だろうか、Yさん)。

ノモンハン①

終戦の日、NHKスペシャルで「ノモンハン」の特集を見た。曰く、あの紛争の総括ができていれば、その後、太平洋戦争に突入したとて、歴史は大きく変わっていたのではないか、ということ。

実際に、見ていて本当に怒り、呆れ、そして、そして胸が苦しくなった。

 

ソ連で実際に戦車輸送を目にして、ソ連が大部隊を準備していると諫言した人の情報を無視したどころか、「それを本部に報告したら、キミ、夜歩けなくなるよ」と脅かす。

多勢に無勢の激戦の中、多くの犠牲を出し、「このまま玉砕するよりは主流部隊に戻って体勢を立て直そう」と決断し戻った部隊長を、その後、軍法会議にかけるでもなく「うむ、その、それ・・・わかるな」と自決させる。当事者たちは戦後も遺族にも誰にも報告していない。

機能不全で不時着して捕虜になった航空部隊の部隊長も、やはり、絶妙な空気感の中で自決に追い込まれたが、その当事者も「あれは本人が勝手にやったことでありまして」。

現場で命を賭して戦った、そして亡くなった人たちはただの「駒」扱い。それ以下。現場にはとことん過剰な責任を背負わせる。

 

現地本部といえばイケイケどんどんの若手参謀の楽天的な戦術に乗せられ、こだわり、本部の意向を無視した越権行為(国境を越えた航空部隊の派兵)の挙句の果てに大惨事を招いたにもかかわらず、当人も上司も責任を取らない。

また、本部も「まあ、あの戦闘は無かったことでいいじゃないか」と言わんばかりの管理能力のなさ。挙句の果てに恩情人事。大元帥である天皇というトップの意向まで無視して。

それもこれも、「あいつはあの先輩が可愛がった後輩で」「あの人はあの人とつながっていて」「いや、やっぱり彼を罰するのはまずいでしょ(だったらあの人まで追求しなきゃいけなくなる)」・・・嗚呼、官僚主義。大事なのは忖度忖度忖度。

 

部隊の8割も失って、2万人以上の戦死者を出しているのに、単なる地域の小競り合いという扱いにしているのもおかしい。とことん“理性的”でない。

その後といえば、捕虜の心構えとして、戦陣訓に「生きて虜囚の辱めを受けず」と明記され、そのポリシーが国民全体に波及。そのある種、理性的でない空気を背に、「一億層玉砕」と太平洋戦争に突入。

 

さて、今は戦争までどのあたりのタイミングにいるんだろう。

紙の新聞

最近、ニュースはほぼネットで知る。

Yahooニュースにせよ日経新聞のトピックを束ねたメールにせよ、表題で何となく大雑把に把握して、気になった情報だけを深堀りする。

俄然、知識そのものも浅くなる。広くなっているかはわからない。おそらく得た情報は海馬に残らず流れてしまい、知識の広さも確保できていないだろう。

 

今日は久々に紙で日経新聞を読んだ。

偶然なのかどうなのか、面白い!と思える記事が多いのが不思議だ。

 

  • 三菱UFJ信託、融資業務から完全撤退

・今後は資産管理、運用に特化。「米国型の信託銀行へ」

  • 日本が米国と米国陣営国(第三国)へのインフラ投資に金を出す

・財投債を発行しJBICなどに新基金設立

  • 米ハイテク(Google、Facebook、テスラなど)、中国拠点拡大。狙いは巨大市場での「AI」

・予測記事も含まれるが、中国で積極的に個人情報を収集してAI開発を進展させたい、ということ

・テスラは「超高速輸送システム」で協力

  • NTT、電通がNetflixなど国際的動画配信プラットフォーマー経由のコンテンツ流通促進のために100億円ファンドを組成

・ファンド運営会社「ジャパンコンテンツファクトリー」を新設

・運営会社?ファンド?への出資比率:NTTぷらら=4、CJ機構=3、YDクリエイション(吉本、電通)=2、その他、文春、イオンエンタが少額出資

・映画、アニメ、ドラマ作品を完成させるための資金を制作会社に融資する

 

大きくは米中の覇権争い、AI開発競争におけるグローバル・ハイテク企業&中国の協力進化(その結果の国力増大?)、情報銀行への布石(読みすぎ?)。

身近なところでは“コンテンツ・イズ・キング”実現に向けての国際的プラットフォーマーへのWIN-WIN提供の開始(とはいえ、まだまだ金額は少ないと思うが)、等々。

 

いやあ、時代は大きく動いているなあと、ポジティブに思う反面、結局、時代に取り残されているような寂しさも感じたり。。

 

一方で東京医大のスキャンダルだったり、JDI支援だったり、「えっ! 一体いつの話をしているのですか?」と思うくらいに前近代的な話があったり・・・。

世の中は新旧のグラデーションをまといながら、これからも大きく動いてゆくのでしょう。

弱り目にたたり目なFacebook

フェイスブックがある株主から提訴されているそうな。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180728-00000030-reut-bus_all

→(7/30追記)フェイスブックが株主から訴訟を起こされているという記事

 

このニュースだけ単純に読むと、その株主の身勝手と一蹴される内容に思う。

 

コメント欄を見ると、「Facebookは10年後には残ってないよ」的な内容の“そんなの、昔からわかってたよ”的な愚にもつかない自己主張や、よくある陰謀論的な話も見受けられる(例:CIAがらみのストーリー/中国絡みのストーリー)。

 

また、「GoogleやamazonとFacebookは一緒にすべきでない」等々、Facebookのみ“ディスる”論調も多いようだ。しかし、その見解は果たして正しいのか?

Googleこそ、「欲しいのはデータだけ。それを取得するためのプログラムは積極的に解放するからみんなで活用してね」なデータ至上主義企業だし、Facebookみたいにわかりやすく個人属性情報を集めてる感がないだけで、今やネット上に出回っているバラバラの情報を紐づければ簡単に個人を特定できると思うので、Facebook一社を悪者にするのはどうなのかな、と思わないでもない。

 

今回の件もGDPRなどの大きな流れで読み解くべきことのように思われる。

 

あえて上記の陰謀論を続けると、米-EU-中-露の駆け引きの中で起こっているのかな、と邪推してみたり、もっと大きな存在をイメージしてみたり。

とはいえ、さすがに荒唐無稽な陰謀論からは離れた立場で自分なりの感想を言うと、前回、少し書いたように、我々は無料サービスを享受するなら一方である程度の“具合の悪さ”を引受けざるを得ないのかもしれない。そのレベル感こそ問題で、個人的には完全にガラス張りでかつ個人攻撃の可能性もある支配者による独占というのはご勘弁願いたい、と思っている。お友達になれれば別ですが(いや、それも怖いか。笑)。

 

https://www.excite.co.jp/News/odd/Karapaia_52218908.html

 

話は変わるが、こちらの記事を読んで、映画『マトリックス』を想起した。我々は脳内活動のデータを取るためだけに生かされるモルモットのような存在になるのだ、AI様(たち?)のために・・・そんな極端なイメージをし、その発想の貧弱さにすこし自己嫌悪した。

世の中が便利になるのは大歓迎だ。イノベーティブな社会変化に対応できない不勉強な既得権益者が取り残されるのも、ある種やむなし、と思う。だからこそ、いくつになっても不断の自己改革が必要だと思う。

ただ、誰のための変化、革新なのか、ということを自問自答しながら、変化の時代を前向きにとられて生きていきたい。Life is entertainment! クリエイティビティこそが人間を形成する。そう思う、そう願う。

GDPRですか

先日、情報銀行についての記述(※)をしたが、これからの世の中を考えた時、どうしてもインターネットを介して収集される行動履歴などの広い意味での個人情報を「誰が」握って「何に」活用するのか、情報を提供する個人は「何を」対価として得るのか、ということが避けて通れない。

http://www.lifeisentertainment.jp/2018/07/18/%E9%A0%93%E7%8F%8D%E6%BC%A2%E3%81%AA%E8%A9%B1%E3%81%AA%E3%82%89%E3%80%81%E6%81%90%E7%B8%AE%E3%81%A7%E3%81%99/

 

構図でいうと、(主に)アメリカのグローバルIT企業 vs EU、という構図なのだろう。勿論、映画『スノーデン』で垣間見る国側の横暴や、様々な陰謀論なんかを含めて色々と穿って考えれば、そんなに事は単純ではないのかもしれないが(国際金融資本、グローバリスト・ナショナリスト、コミンテルン、ユダヤ、CIA云云かんぬん・・・ついついハマってしまう)。

 

https://wired.jp/series/gdpr/07_data-wars/

 

この記事はEU寄りのようだ。5月29日に全面施行されたGDPRを歴史的出来事として説明している。100年前の(上記陰謀論を想起させる)ロシア革命に起因するその後の東西冷戦と照らしてこの新たな対立構図を説明している。

 

自分は新たなチャレンジとして、これまで「PR」を入口に様々なウェブマーケティングの技術について後追いで学んできてた(専門的なレベルではなく、あくまで概論だが)。そして、古い頭ではこれから生きていけないかもな、と思い知らされた。

 

すでにGoogleやFacebookなどがこれまで築いてきたデータ経済圏では、彼ら「巨大プラットフォーマー」が顧客(個人)に“free”で様々なサービスを提供する代わりに、彼らは独占的な富(=個人情報)を一手に得ている。そして、そのデータを活用した各種サービスを提供する(主に)マーケティング系の会社などが企業などに新たなソリューションや価値を提供し、そこに全く新しい広大な市場が開けている。IoTなんかも実際、この文脈だし、AIの活用という相乗効果で世の中はさらに爆発的に変わっていくことが予測される。

 

なので、実際にほとんど認識の無いままに情報を吸い上げられてきた哀れな子羊である一個人としては、「正直、嬉しくはないけど、便利だからしょうがない」くらいに諦めかけて(?)いたのだが。。

 

もし、GDPRが世界の基準になるのであれば、それは「インターネット=free」の経済圏を破壊することになるのかもしれない。勿論、理想を言うと個別に許諾して提供した情報が利用されるごとに提供者である個人が利益を享受する余地がある、ということかもしれないが。しかし、情報銀行などといっても、営利を目的にせざるを得ない以上、提供者の個人に支払うべき対価は別で得なければならないはずだ。

 

正直、GDPRについては不勉強のためつまびらかではない。この記事だけ読むと、ルール(法律)は決まったが、オペレーションは決まっていないような。オペレーションを遂行するための技術的問題点も多くが解決されていない、ということらしい。

それでも、「いや、うちはきちんと対応してますよ」と示すべく、各国の多くの企業が認証を得るための準備を整えるだろう。日本では個人情報保護法の改訂が見込まれているようだ。

とりあえず、各国の弁護士の先生方は今後、この分野での食い扶持が大幅に増えることは間違いない。

 

一方、提供者と間で何らかの問題があったら、最終的には一時データ取得者である巨大プラットフォーマーにその咎を押し付けることになるのだろうか。

 

EU、対応国:「個人データ取得のルール化しましたよね? どうしてきちんと取り扱えないんですかっ?」

Googleなど:「いや、そりゃ、その・・・チキショー! ふざけんなっ! お前らが勝手に決めただけじゃんよ。俺だって努力してるし、でも、無理だし。いいのか? 俺らのサービス使えなくて、いいのか?」

○国、非対応国:「だから、個人の権利なんて認めさせずに、強権的に奪っちゃえばいいんですよ。ほっほっほっ」

個人:「・・・」

 

いったいどうなりますことやら。