イーロン・マスクとコンプライアンス

SECと和解したはずのテスラのCEOがまた、twitterでSECを“ディスって”物議をかもしているらしい。曰くSECのことを「投機筋を裕福にするための委員会」とこき下ろしている。

イーロン・マスクが感情的になるのもわからないではないが、彼がテスラの非上場化を検討するツイートをしたことで株式市場が大きく反応したことを鑑みれば、SECが一定の制裁をテスラおよびマスク氏に課すのはやむを得ない。

今や、世界一の権力者のトランプ大統領がツイートで政策を振りかざし周りを振り回す世の中だ。その無邪気さと横暴さに比べるとマスク氏のツイートなど可愛いものかもしれないが、上場し公的な位置づけにある経営者は、その言動の波及効果を念頭に置くのを、“たしなみ”として備えておくべき時代なのだと思う。これは、あくまでも直接的な波及効果についてであり、細かい間接的な部分まであげつらっては“言論封殺”と言われかねないが。

 

一方で、世の中にはそういった間接的な部分への配慮を重ね、「それはコンプライアンス上問題です」などと言ってしまう層がいる。SNSで自由に放言できる世の中であるのと同時並行的に、そんな“言論封殺”的風潮が広まっている懸念がある。いわゆる“コンプライアンス至上主義”的考えだ。

中には、完全な個人のブログやSNSの内容にまでその影響が及ぼせる、と真剣に信じている人たちが、企業のコンプライアンス部門や公的機関の中に、かなりたくさんいる。

 

例えば(これはあくまでも“例え”だが)、

「この人は私の知り合いでお世話になっている人です。どうやら、インタビュー記事に取り上げられたみたいですよ。→ https://mbp-japan.com/okinawa/yamaichi/interview/

こんなことすら「問題だ!」などという人がいるようだ。不正な広告広報活動につながる(?)懸念からだろうか・・・これが?

なお、この例は何度も書くように、あくまでも話のたとえです。最近偶然、この人のこの記事が出ていることを知ったため、リファーしたに過ぎません(もっと適切な“例”があればよかったのだが、手近になかったので)。

 

言論表現の自由が認められている日本。我々はつい、水や空気のようにそれが存在するものだ、と信じ込んでいる。しかし、それが実は危ういものなのは歴史が物語っているし、近隣諸国を含め世界を眺めれば、我々が得ている“権利”がいかに大切なものかはわかるだろう。

 

コンプライアンスは重要だ。そして、その範疇は労務面から広報面、その他もろもろ非常に広い。

以前、外資系金融機関に勤めていたが、そこのコンプライアンス・オフィサーが、「細かいルール化をしてそれを遵守するのがコンプライアンスなのではない。『よき人』として行動して社会に貢献するために必要なのがコンプライアンスだ」「企業がコンプライアンスで役員や従業員を縛るのではない。企業が持つ社会的責任を担う者一人一人が当然持つべきものがコンプライアンスだ」といった趣旨のことを言っておられた・・・記憶違いでなければ。

 

“ふわふわした”理由を口実に言動を自ら縛り、言論の自由を他者に差し出すのは決してコンプライアンスではない、自分はそう強く思っている。

『コンテンツファンド革命』~二人のKさんに思う

前の記事を書きながら、少しほろ苦い気分を思い出した。以前書いた『コンテンツファンド革命』にまつわる話だ。

 

この本は、もともとは、自分がE社という会社にいたときに、E社の名前で出版するつもりで書いていたものだ。E社は当時、第二種金融商品取引業(二種金)の登録を目指しており、それが叶い“いざ、勝負!”と世に出るタイミングで出版し、販売促進用に利用しようとしていた。自分は結局、E社が二種金を取る(プロジェクトスタートから4年近くかかってようやく取得できたと聞く。本当に大変でしたね、お疲れさまでした!)前に離れることになり、その「販促本」を出版するのが無理、となったので、自分で電子書籍として世に出すことにした。同社の社長が書かれた部分などを割愛し、その上で大幅に文章追加及び再構成した内容になっている。

 

この本には顔写真入りのインタビューページが2か所ある。世界的映画プロデューサーの井関さんと、映画館ビジネスも手掛けるT社に所属し、若手クリエイター支援をずっと続けておられる沢村さんだ。元々、E社の販促本として出すよ、ということでインタビューに応じていただいたのだが、自分という個人の、しかも広範に読み手を得る可能性が全くない電子書籍での自主出版にもかかわらず、そのままの掲載を許諾していただいたお二人には、本当に本当に・・・本当に、言葉がないほど感謝している。

 

販促本を作ろうとしていた際、実はもっと多くの方々に、寄稿やインタビューなどでご参加いただきたい、とお願いしていた。

例えば、今はなきA社というクールジャパンの大型企画をハリウッド映画に展開することを目的とした、半官半民のような会社の方々。理由についてはつまびらかでないが、丁重にお断りされた。後の経緯を見ると、いろいろごたごたもあったので、あまり積極的に発信をしたくなかったのかな? と推察する。

 

そのほか、二人のKさんという既知の方々にもお声掛けした。

 

一人目のKさんは、自分がコンテンツ側の業界に入る契機になった「日本映画エンジェル大賞」に企画を応募するきっかけになった方だ。その後、海外映画祭の企画マーケット担当者になるきっかけも与えてくださった。自分にとっては恩人でもあり恩師でもある。

そんな恩師に、「閉塞した日本の今の環境に新たなムーブメント(の復活)を!」と勢い込んで行動していた我々の販促本の巻頭文をお願いした。好意的にお聞きくださり、我々はご快諾いただいたものだと思い込んでいた。しかし、ある日、「悪いが、巻頭文を書くことはできない」と連絡が入った。

詳細な理由はわからない。だが、Kさんは当時(今もだが)お役所をはじめ、業界内に広範なネットワークをお持ちで、どうやら、我々の動きに“乗る”のは、そういった先に対して差しさわりがあり“得策ではない”と考えたらしい。

自分は控えめに言うと、「非常にがっかりした」。純粋な気持ちでいろいろな人に声をかけ、巻き込み、とはいえなかなか理解が得られなかった頃だ。二種金も、取れると思っていた時期をずっと通り越し、生活面でも精神的にもとても苦しかった頃だったからなおさらだ。そんなときに、(先方はさほど大きなことと考えておられなかったのだろうが)信頼を寄せていた恩師に切り捨てられたようなものだったからだ。

とはいえ、それ以降、Kさんと疎遠になってしまったのは残念だ。それまでご挨拶を欠かさずしていたのだが、この精神的な打撃でこちらから出向くことがなくなり、その後、なんとなくお会いすることがなくなっていった。

Kさんの存在があって自分がチャレンジを進められたことは事実なので、いずれまた、お目にかかれる機会があればいいな、と思っている。

 

もう一人は、この分野で実績を持つKさんで、先述のKさん同様、自分にとって恩師に当たる。Kさんは大手広告代理店に勤めており、以前、転籍して自ら起業し、日本におけるコンテンツファイナンスの礎を築かれた一人といえる方だ。Kさんはその後、大手広告代理店に戻り、会社員として働いておられる。

(10/8追記→)実は、Kさんがすでにこの会社を辞めておられることをつい最近知った。今、Kさんならでわの”自分に合った”仕事をなさっておられるらしい。結果、一流アスリートに感謝されたり。。素敵な話だ。

販促本にKさんの著書を引用させていただいたこともあり、少しコメント的なことをお願いしようとした。

「以前ならともかく、今は勤め人なので、こういうことは自分だけで決められないんだよ」

Kさんはすまなそうに、会社のコンプライアンス部門が、コメントを書くかどうか決裁するためには、我々がこれまで書いた内容を読ませてもらう必要がある、と言っている、と連絡してこられた。

社内では「そんな干渉されるなら、今回は断ってしまおうか?」という声もあったが、自分は恩師でもあるKさんにコメントしていただきたかったので、某大手広告代理店のコンプライアンス部門に当時の原稿を渡し、決裁を待つことにした。

確か・・・2か月とか3か月とか、そんな無駄に長い時間を経て、「コメントを掲載させるのは無理だ」となった。曰く、時代が変わりコンテンツファイナンスの新たなマーケットを広げてゆくために、既存の業界も変わらなければならない、という論調が、どうやらコンプライアンス的に問題だったらしい。

言論の自由が確保されているはずのこの国で、前向きな提言を行うことに何の問題があったのか今でもわからないが、おそらく、既存のビジネス世界に属する人たちの観点からは「変わる必要? そんなもの無いね! ふざけるなよ、小僧」とでもいうことだったのだろう・・・しかし、それって“コンプライアンス”チェックなのだろうか?

当然、憤懣やるかたなしだったし、さらに自分には、その会社がKさんのコンテンツファイナンス分野の実績を過小評価しているように映った。Kさんともそれ以来お話ししていないが、この経緯はKさんにとっても悔しいことだったのではないか、と勝手に思っている。

 

ちなみに、ダメ出しされた“時代が変わる”“変化の必要がある”というのは、『コンテンツファンド革命』で書いている内容とほぼ同じだ。

「デジタル化で外部環境が大きく変わる」「海外、特にアジアマーケットの拡大で外部環境は大きく変わる」「ファイナンスが村社会から外側に広がる」(3つ目は、“こんなに変わるのだから、変わるべし”、といった期待)。HuluやNetflixの台頭やそこでのビジネスチャンス、中国の国力増強に伴う文化振興(侵攻?)・・・何だよ、実際にその通りに“変わった”じゃないか! 株式会社●●のコンプライアンスの方々、「一体、何がコンプライアンス的に問題だったんですか?」

 

実は、以前、ここ(『真央ちゃんになりたい』という企画を立ち上げるきっかけの一つになった件)に書いた古い友人は、このKさんの同僚だ。2007年当時、同じ部署でKさんの机の後ろに彼が座っている、という状況だったらしい。今はお二人とも別の部署で別の仕事をされている。

本当に・・・いろんな“変わる”ためのチャンスがあったはずだと思う。Kさんもその友人も非常に優秀な方々だし、おそらく個人で深く語りあえれれば、相乗効果でいろんなことが実現できたのではないかと思う。もしかすると黒船Netflixなどの出現より前に、グローバルなコンテンツビジネスとファイナンス環境づくりも・・・言い過ぎか(笑)。さすがに、自分をそこまで過大評価はしていませんので、これは筆(カーソル)が滑った、ということでご勘弁願いたし。

 

いずれにせよ、過ぎたことは過ぎたこと。これからがらっと世の中は変わる。要は、その前に我々はどう動くか、だ。

しかし、大企業などの“中のオジサンたち”が、そうやすやすと“変わってくれる”とも思えない。彼らの“周りの(近い)”人たちだって、大きなパワーに忖度して生きていくしか選択肢はないのかもしれない。

しかし、もしそんな “現状をなるべく維持しよう”という無言の圧力が変化の芽を潰す方向性に動いてしまっては、それは「日本がだめになる」ことにつながってしまうのだと思う。そのタイムリミットだって、そんなに先ではないのかもしれない。

だから、自分が「官民一体となって」的な大企業優先主義をにおわせるキャッチフレーズが苦手なのはどうかご理解いただきたい。別にその方向性に対しネガティブなわけではないのだ。自身も大企業出身者なので、中の人々のメンタリティーにも大いにシンパシーがある。むしろ自分など、まさに“変われない”族の代表格だった男だ。

 

なので・・・偉そうに書いてスイマセン(笑)

前の記事へのエクスキューズ

この間、以下の記事を書いた。その中で、“官民一体となって”という言葉に対し、ややアレルギー的ともいうべき反応をしてしまったかもしれない。

『データ覇権争いと日本』からの雑感

 

経団連の提言『デジタルエコノミー推進に向けた統合的な国際戦略の確立を』には、以下のような文章がある。「デジタルエコノミーは、世界の経済成長を牽引する一方、既存産業を破壊するデジタル・ディスラプションを起こしている」「すべての既存企業は、自らも変革に対応・先導しなければ(中略)、一気に市場を奪われることになる」「我が国としても、次代を担うベンチャー企業の創出・育成に国を挙げて取り組みつつ、既存のあらゆる企業が破壊に対応し、デジタル革新を遂げなければならない」

その通りで、視点は正しいと思う。ただ、だからと言って、“前向きに変わろうとしている人たち(主にベンチャー)”を虐げ、“変わりたくないと言ってる人たち(主に大企業のオジサンたち)”をことさら優遇しないでね、ということを言いたかったに過ぎない。なにせ、「経団連」だもの。

あと、“次代を担うベンチャー企業の創出・育成に国を挙げて取り組み”の中に、上から目線の恣意的な選別が含まれるようではよくないんじゃない? という気もしたので、それも記録しておく。

自分がオジサンだからわかるが、今、オジサンたちが一番、時代の変化に戸惑っている。でも、現状にしがみつくのでなく、また、ことさら若いパワーに蹂躙されるのでなく、真摯に変化に向き合う姿勢が必要なのだと思う。偉そうに書いてしまい、やや気恥ずかしいが。

『データ覇権争いと日本』からの雑感

昨日の日経に、『データ覇権争いと日本』という記事というか社説があった。トランプ大統領が仕掛けた貿易戦争の陰で、米・欧・中の「個人・企業のデータを誰がどう扱うか」に関する覇権争いが始まっており、取り残されつつある日本も周回遅れでその競争に参加しようとしている、というものだ。

GDPRで欧州とFANG(10/15修正:FAANGあるいはGAFA。以下同様)がいがみ合う一方で、中国はデータを国家管理する方向で世界を制していきかねない。なので、日本がいがみ合う米と欧をとりまとめ、ルールメーカーとなって主導せよ、というわけだ。

 

なるほどなるほど。そうでしたか。

まあ、政治のことはよくわかりませんので、軍事・外交上の戦略としてはそれもアリかと思う反面、「日本政府がこの分野でいったい何ができるというのじゃろ?」と思わなくもない。で、具体的には、経団連がデジタル省の設立を上奏していたり、相変わらずの“「官民一体で」の大号令”を期待している様子だ。

それが間違いだ、などというつもりはないんですよ。でも・・・それでは肝心のグローバル競争に勝てないのではないですか? とは言いたい。

 

正直、自分は現在、日経平均が20数年ぶりに最高値を更新している現状がよく理解できていない。たとえば、アメリカはこの10年程度で、時価総額上位銘柄がGEや金融勢からFANG系にガラッと入れ替わった。日本は“レガシー”大企業が常に上位だ。では、日本の大企業が(現在、米系の上位企業がそうであるような)グローバルに影響力を持つプラットフォーマーになっているかといえば全くそうではないし、最近、世界を変えるような画期的な商品・・・古い話で恐縮だが、昔のSONYウォークマンのような、を生み出して世界中に広めているか、といえばそうでもない。

日本のIT企業大手の多くは、ゼネコンと同じように“看板”で大企業や公的な仕事を取ってきては、下請け・孫請けに出すようなビジネスモデルのところだし、ソフトバンクなんか(10/15修正:なんか→あたり)が評価されているのは、自社技術でというよりはM&Aで買い漁ってきた主に海外のイノベーティブな企業が持つ技術への潜在評価だ。

 

日本にも生きのいいベンチャー企業が存在するが、中国の深圳のそれとは比べ物にならないほど層が薄いと聞く。これはもちろん、国の規模・人数の差が大きいが、それ以上に、「よくわからないけど、それ面白そうだから出資するわ!」というベンチャー投資家の存在やベンチャー周りの投資環境が中国に比べあまりにも薄いからだ。

「官民一体で」の大号令の先に、どの程度ベンチャー市場に向けた眼差しがあるのだろうか? これまで通り、ほぼほぼ無い(有ったとしても、これまでどおり公的にオーソライズされた“肩書き”のある方々のお墨付きを得た案件しか投資対象にならない)のだろうか?

もちろん、日本の大企業にも(あるいは大企業“こそ”)優れた技術力や優秀な人材が集まっているのは百も承知だ。しかし、これまでもそうだったが、“「官民一体で」の大号令”は、いろんな理由でうまく機能してこなかった。

どういうわけだか、大企業にいらっしゃる優秀な方々は、細かい技能向上やわずかでもより良い成果をもたらすための“すり合わせ”や“合意形成”に時間をかけすぎるきらいがあり、今のグローバルビジネスで最も要求される“スピード”についてはおろそかになる傾向がある・・・などと言われ続けてん~十年だが、これが一向に改善される様子がない。

 

だから、“「官民一体で」の大号令”などという昭和の遺物的な方法論(永野健二さんの『バブル』でいうところの「渋沢資本主義」)では、日本はもう勝てっこない。散々それを経験してきてまだやるか? という気がする。

 

むしろ、ピーター・ティール(くらいしか知らないが)が日本に現れるような政策を打ち出してくれ! 海外逃避した富裕層が国内還元してベンチャー企業に投資したら、ノーペナで一定割合は課税対象外にする、とか。

 

本当は、キャッシュリッチな(内部留保を貯めに貯めた)大企業がベンチャー投資するのもアリなはずで、実際、M&Aや大企業が組成する投資ファンドの数は増えている。しかし、正直、これは色々と問題ありだ。

実際、買収されたベンチャー企業では、“天下り”役員など親会社からの変なプレッシャーでごたごたするケースも少なくないと聞く。これは、サラリーマン経営者やサラリーマン(が責任者になる)的ファンドでは“肝力”のある権限移譲ができず、ついつい介入ししまいがちになるからではないか? こういう、人間の、関わる立場におけるメンタリティの違い、というのはおろそかにしてはならないのではないだろうか。

 

大企業やお役所というものは、なぜかことさらディテール優先で物事を進めたがる。まあ、一言でいえば「細かい」。また、様々な人が集うプロジェクトにおいては人事面や人のポジション・肩書き云々を問題にすることもままある。

上記の「デジタル省」開設云々で、「この件でA社の〇〇さんとB社の××さんとX省の△△さんに根回しをして・・・」「手土産に将来Y省の方がお働きになれるような座席を用意して・・・」などなどしている間に、周りの国々はすっかり先に進んでしまっているような気がする。

 

だから、日本にも少しは存在する功成り名遂げた成功者たちを海外に逃げさせてしまうくらいなら、渋沢翁とは言わないが、「未来の日本の産業発展に資するため、ぜひご尽力ください」などと、お上も経団連も彼らを持ち上げてあげて、何なら政策立案への関与もさせてあげては、と思うのだが、それは難しいのだろうか?

 

・・・なんとなく、これまで書いていて、「個人情報管理への“官民一体の大号令”」という入り口と、「ベンチャー投資環境を充実させよ」という出口は、自分で書いていてもちょっと趣旨違いな気もするし、むしろ、この前に書いた“「情報銀行」か「VRM(企業関係管理)」か?”といった流れのほうが“筋”だったかもしれないが、、、これらは大きな目で見ると“つながっている”課題なのだと思う。

 

(まったく別?の話)

先日も情報流出リスクの件でディスられまくりのFacebook。同社はプライバシー管理のためにブロックチェーン(分散型管理台帳)を利用する可能性も打ち出しているようだ。

もし実現すれば、一気にブロックチェーンにおける管理対象者や利用事例が増え、定着化が見込まれる。そんな時、日本のこの分野での世界におけるポジショニングはどうなっているのだろうか?

ブロックチェーン=仮想通貨、と連想するのは短絡的すぎるが、数々の仮想通貨取引所の不祥事とICO案件の停滞で、今現在、この辺りがネガティブ視されすぎていないだろうか? 杞憂であればいいが。

個人データ銀行

今度は大手広告代理店の電通が「個人データ銀行」ですか。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34811280Q8A830C1TJ1000/

→8/31日経。電通が「個人データ銀行」

 

日本でも急速に個人情報という“宝の山”を巡って誰が何を受け持つ、という役割分担が決まっていこうとしていますね。この流れのまま落ち着くのか、新たな流れがいろいろ出てくるのかはわかりません。

 

例の総務省・経産省の検討会

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01tsushin01_02000247.html

には電通の名前はないですから、別の動きなのかもしれませんし、おぜん立てされた主役として動いているのか、それはわかりません。

一個人にとっては個人データがどう保守されかつ有効活用されるか、ということが重要なので、IT系のイメージがない電通でいいのか?と思われないかが心配なところです。あくまで、人がそう思うだろう、ということで、自分が懸念しているというわけでもないですが(本音を言うといろいろあるのだが)。

その代わり、管理体制を確実に整え、もし漏洩などの際は重い責任を負うことになることでしょう。ただし、そんなことのために余計なコンプライチェック要員を増やさないでね、とは言っておきたいです。

 

前回、三菱UFJ信託の際(10/3にリンク先修正:http://www.lifeisentertainment.jp/2018/07/18/%E9%A0%93%E7%8F%8D%E6%BC%A2%E3%81%AA%E8%A9%B1%E3%81%AA%E3%82%89%E3%80%81%E6%81%90%E7%B8%AE%E3%81%A7%E3%81%99/)にも書きましたが、「個人情報を一元的に管理できるスマートフォンアプリを提供します」とありますが、こういう“おためごかし”な説明は何とかならないもんでしょうか?

いずれ、どういったシステムで、どういった許諾をし、その認証履歴がどう管理され、実際に企業に個人情報をどう交付するか、等々、内実をわかりやすく説明していただくよう期待します。

 

個人情報については、一元管理の「情報銀行」的な管理を求める声と、個人一人一人がサーバーを持って「VRM(企業関係管理)」を行うのが望ましい、する流れもあります。

(前回の記事以降、追っかけて勉強しました(笑))

また、個人情報といってもピンキリで、一度認証を与えたらすべての情報が筒抜けになる、というのも、一般的には拒否反応が大きいでしょう。そのあたりの調整も今後の課題でしょうね。

 

懸念するのは、個人情報利用を許諾した対価の割り当てについてです。個人的には、この辺りは次世代の大きな変革の種になりうると思っています。もし、電通のような大手企業が独占的にそれを差配する立ち位置になると、社会的に大きな(ネガティブな意味です)影響を与えかねないと懸念します。

 

大企業というのは非常に優秀なメンバーがいて優秀なチームがあるため、本来はイノベーションを起こしうる立場なのですが、一方で無言の組織の圧力(一定の同調圧力)があるため、自社有利に“囲い込もう”と、結果的にイノベーションを阻害しがちです。

 

むしろ、「個人データ銀行」を名乗る電通には、それこそ信託銀行が担うような、個人情報(あるいはその許諾情報の)のカストディアンとしての立ち位置に専念してもらい、資本提携先だけでなく幅広く産業を振興する方向を確立していただきたいと思います。

 

なお、上記はあくまでも同社のこの記事のビジネスがデファクトとして認められた場合は、ということです。実際には、さらに紆余曲折があるよう思います。

 

いずれにせよ、興味をもって見守りたいニュースです。

VISION

現在、ある案件の資料を作っていて、何度もその直しをしている。「櫻井さん。この“VISION”の部分に書いてること、わかりづらいから書き直してくれません?」「はい、わかりました!」

え~と、「これから、世の中は大きく変わっていきます。変わらないものもあります。それは・・・」。さて、どう書き直そうか、など色々考えながら、なぜかとある過去を思い出していた。

新人の頃、「マンデー櫻井」なる“なんちゃって”刊行物を、毎週月曜に様々な見込み顧客あてに送り続けた。
http://www.lifeisentertainment.jp/2018/06/11/%E9%81%A0%E3%81%84%E6%98%94%E3%81%AE%E6%9C%88%E6%9B%9C%E6%97%A5/

ある超大手年金管理団体のトップの人もその対象に入っていた。
送り続けておそらく50回以上になる頃だったと思う。突然、支店の店頭にその方から電話が来た。ラッキーテレホンだ。
「一度、会社を訪ねて来なさい、中国ファンド(チューコクファンド)くらい買ってあげるよ」
喜んで上司に報告した。

上司、と言っても、当時「IPセクション」と言って、入社数年目の主任クラスの方々が就いていたIPマネージャーという職位にあった、今にして思えば単なる若者だ。黙って聞いていた上司は、
「そうかぁ、よかったな! 実は、今、売出し株の入札の割り当てがあって、それが埋まらないんだが、それ、入札してもらってこい」
と言う。特に何も考えず「そうっすか、わかりましたっ!」と答え、客先に向かった。

「へたくそな字で毎週送ってくるから、ずっと気になってたんだよ」
Oさんというその方は、経済も株式相場も何も知らないであろう自分が日経新聞丸パクリ(?)の相場観を語るその読み物を微笑ましく読んでいてくださったのだろう。表情には優しさがあった。
「ありがとうございます! ところで、今日、中国ファンドを、とおっしゃっていただきましたが、実は、〇〇という株の入札が有るんです。ぜひそちらをお願いしたいのですが」
「入札? いいけど、中国ファンドとどっちもってわけにはいかないよ」
「そうですか・・・でしたら、ぜひ入札をお願いします」
「本当に? 中国ファンドじゃなくて?」
「はい。実はうちの支店の割り当て、困ってまして」
「そう・・・わかった」

中国ファンドを買うとなると、口開けといって、支店に口座開設してもらう必要がある。入札の方は口座開設までは必要なく、氏名を書き買いたい金額で申し込み、約定できるか成果を待つ。当然、外れれば口座開設できない。

相手は運用資産んー千憶円(もっとか?)の年金団体のトップという超大手見込み客だ。いくら個人の口座とはいえ、そこでコネクションができ頻繁にお伺いできれば、将来は法人側の担当に食い込ませてもらえるかもしれない。そもそもOさんに薫陶を受けることで(インサイダー情報という意味ではなく)日経新聞レベルではない豊富な知識を得られるかもしれない。ネットワークが広がって自身の可能性が大きく広がるかもしれない・・・つまり当然、このケースの“正解”は、まるで人気のない売出し株の入札ではなく「中国ファンド」なのだ。
今ならそういう冷静な判断ができるのだが、当時の自分は全くそんな計算ができない。仕方ない。たかだか現場の一兵卒だったし、その立場に甘んじることに何の疑問も抱いていなかった。とにかく、上からやれ!と言われることをやるべし、としか思っていなかった。
というより、そろそろその現場がつらくなっていた頃だ。正直、外回り中、喫茶店などで時間を費やしでさぼり始めていたころでもある。

結局、入札は外れ、口開けはできなかった。その後、Oさんにこれといったアプローチもできないまま数か月が流れた。そして、隣の支店の同期がOさんの口開けに成功したというニュースが社内中を駆け巡った。

こういうことを書くと、やれ「あいつは過去にこだわっている」、とか、「過去を頻繁に振り返る人間って、結局、何でもかんでもネガティブ志向なのよね」などと決めつけられるから怖い(だから、本来、この手の話は自分の胸にしまっておけ、となる)。Oさんを口開けした同期がその後、法人部門に転属し某大手メディア企業の上場に係わり外資でも大出世したから、特にそんな流れになりかねない。
違いますよ! あくまでも、静かな自省というやつですから。

単純に、人生というのは面白いな、という観念と、さりながら、運を掴もうとする者は、決して成り行き任せではない何かを持たねばならない(準備、覚悟、想い、情熱、等々)という教訓は、この件で得られると思う。
喫茶店でネガティブ気分でサボりながら成功を獲得できるほど人生は甘くはないのだ。そもそも、自分に「大手法人の運用担当になりたい」「IPOにかかわりたい」「大口M&Aを成功させたい」等々、働く中でVISIONがあれば、それぞれの局面で、自分が最善と思える判断が可能だったはずだ。そのときはうまくいかなくても、あのころ居た会社で、あるいはその後の会社で、その目標を達成することはできたはずだ。

VISIONを掲げる。目標を持って日々邁進する。その大切さをこの教訓は教えてくれる。
そして、この10数年それを続けてきたつもりの自分としては、“日々邁進する”のツラさもよく理解する。毎日毎日ポジティブに生きられるほど、人間は強くはないからだ。
それでも、自分など所詮は弱い存在なのだとタカをくくりながら、VISIONを捨てずに、肩ひじを張らずに歩み続けられたら、その先には“何か”があるのだろう。そう思う。

自分が目指してきたことは、当初は単に誰かが昔描いた構想を焼き直した程度のものだったが、それが、現在進行形で大きく変化・進化している世界の非常に大きな流れの中で、革新的存在になるのかもしれない、などと大仰に考え始めている。
とはいえ変に妄信・猛進・盲進せず、高いVISIONと広い視野を持ちながら、気楽に、地道に、歩みを進めていきたい。

ノモンハン⑤

あえてノモンハンの番組と比較して語れば、Kさんの視座は、例えば自陣を離れた部隊長を糾弾する上官や、捕虜になった部隊長に暗に自決を迫る人々とは全く異なっていたな、と思う。

もちろん、いち証券会社の小さな小さな仕事での失敗と、多くの人命を預かる軍隊での失敗を同列に比較するのは論外なわけだが。

それでも、個々の人物ではなく俯瞰的に物事を見つめ、合理的に判断し前向きな解決策を求めようとするKさんの考え方に、当時非常に感銘を受けたし、その後の自分は、そういった考えに改めて過ごすことになった。

現在の自分がどうこうではなく、場合によっては大風呂敷に聞こえかねないことも大局をとらえて語るようにする。

そんな自分の粗忽な(?)性格は、Kさんに後押しされたのかもしれない・・・などというと、「人のせいにするなよ」とKさんに怒られてしまうかもしれないな。

 

一時期、わが身を顧みずに図に乗っていたな、と思うこともある。“社内官僚”として相応に評価されていたころだ。

山一を卒業し某外資系企業で同じ商品を担当したのだが、年期だけは長い自分はその商品の“担い手”ぐらいに大いに勘違いして(?)、よく酒の席で、

「いいか! この商品は個人金融資産1400兆円(当時)を直接金融市場に取り込むためのメイン商品なんだ」

「株式持ち合いとメインバンク制度に縛られて変革の余地がない日本経済に活力を与えるのは、個人のリスクマネーの供給・資本市場への参加であり、我々はその担い手なんだ」

などと、ご大層なことを言っていた。

 

「鼻くそがわが身を顧みず偉そうなことを。声を潜めたまえ」と、当時の自分に言いたいが、「ふん、今のお前なんか、たかだか目くそじゃねえか」と言い返されてしまうかもしれないな。

 

ちなみに、そのように尊敬するKさんなのだが、彼とはすごく親しく交流した、というほどでもない(一度、後輩と一緒に小旅行に行ったが)。なので、これまでどうされてきたか、現在どうされているかも知らない。

以前、人伝えで、銀行系の(官僚チックな)組織で閑職に追いやられ、必ずしも組織人としては幸せではない、と聞いたことがある。

 

そのKさんからつい最近、某SNSでお友達申請が来た。なので、お友達にはなったが、特に何か会話をするでもない。どうしたものか、と思う。

正直に言うと、SNSでのやり取りって苦手なのだ。。今の時代、そんなことを言っていたら化石扱いされるし、自分自身が「SNSも積極活用して、コミュニティーに深く刺さるPRを」などとほざいているのだが。。何となく、ね。

 

いずれ時期が来れば、お互い元気に再会できることだろう。そう信じることにしよう。

ノモンハン④

その本部には山一が自主廃業するまで5年いた。おかげさまで切り貼りのルーティンワーク以外にも幅広く仕事ができた。そのうち、「試算」電話への非理性的な対応はいつの日か改めることになり、理性的に受話器を外すことになっていった。そしてそのうち、「試算」などというバカげた仕事自体がなくなった。

 

いつからそのような理性的対応を甘受しだしたのかは忘れてしまった。だが、自分がしでかしたある「失敗」は、もしかしたらその転機になったかもしれない。

とにかく古い話なので詳細を忘れてしまったのだが(おいおい(笑))、確か、こういうことだったと思う。

 

短期公社債を中心に運用するとある毎週分配型の商品は、価格を出すだけではなく、年率換算など利回り表記も必要だった。自分はその利回り計算を担当していた。

ある日、その利回り計算を間違え、そのまま支店はおろか顧客にも通知してしまった。すぐに間違いは指摘され、部内は大騒ぎになった。

(ということは、当時Excelすら使っていなかったのだろうか? そんなことはないと思うのだが。。そのへんの記憶が曖昧だ)

 

いろんな部署に頭を下げて回った。その時に初めて知ったが、山一には「書道の先生」が嘱託で働いていた。お詫びの文章を作成し、それを何度も推敲し、先生が筆でそれを文字に起こした。見る者に深々と首を垂れているような印象を、あるいは単なる読みにくさを与えるその手紙は、数日後、全国各地の何千(何万?)人の顧客のもとに届くことになった。

 

腹がしくしく痛いというか息苦しいというか。とにかくこういう失態をしでかすと、何となく居づらく感じるものだ。以前、支店で後輩と一緒に課長たちに詰められた時と同様、ずっと靴の先ばかり眺めていた。

 

「櫻井君、ちょっと」

課のK先輩に会議室に呼び出された。ただ黙って従い席に着いた。

「で、どうしよう?」Kさんがそう言ったので、うつむきながら「本当に・・・スイマセンでした」と答えた。するとKさんは笑顔になって、

「櫻井君、誤解しないで。僕は責任論を言いたいんじゃなくて、どう改善するかについて相談したいんだ」

「こういうミスを犯すということは、業務プロセスのどこかになにがしかの要因があるものなんだ」

「それを見出して回避するためにどういう措置をとるべきか、それを話し合いたいんだ」

と説明した。

結局、その後、“第三者チェック”や“声合わせ確認”など、(それまでの自分はある種バカにしていた)回避手段がとられることになった。もしかすると、支店からの電話が多い時間帯なので、その時間帯は受話器を外す、ということになったのだったかもしれない。

 

そして、さすがに当然といえば当然だが、同種のミスは無くなった。

ノモンハン③

その後、運命のいたずらで本社(本部)のとある商品部門に行くことになった。自分の人生にとっては、これがその後に有利な条件を獲得できる基盤となった。

本当に有難いことだと思うし、人間(個人)が自分の判断だけで思うような人生を切り開く、などというのは不遜な思い上がりなのかもしれないな、と思ったりもする(「人生万事塞翁が馬」)。

 

その本部ではオペレーション部門だった自分だが、毎月の新商品を決める商品企画会議などには参加した。とはいえ、ほとんど黙って座っているような立場でもあった。

確か、最初のころの会議で本部長から、「最近まで支店にいた櫻井の意見も聞こうか」と言われパニクったことがある。

 

「え~と・・・。自分は結構割り当てに苦労した方でして(笑)。結構、支店はそんな感じだと思うので、来月は新商品は無しで、中国ファンド獲得月間とかにしたらどうでしょう?」

 

小声でそんなのんきな(?)ことを言った。一瞬、座の空気がし~ん、として、「まあ、いろいろな意見があるが・・・じゃ、〇〇君はどう思う?」とスルーされた。

なるほど。ここではこういうことは言っちゃいけないのね、瞬時にそう忖度した。

 

その本部では、最初、関連会社に商品の注文を発注したり、価格を支店に連絡するために全店FAX(!)を出す仕事を、事務職の女性たちと一緒に行っていた。

「試算」を連絡する、という今にして思えば、なんだかなあ、という仕事があった。

その商品の正規価格は、関連会社から注文日の夕方遅くに発表される。しかし、株式相場の前場引け値を使った(あくまでも後場の値動きによっては大幅に変動する)仮計算値を出し、それを各支店に案内する、という仕事だった。

支店ではその価格を見て、「よし。銘柄Aを今日売ったら〇〇円になるのでこれを売って、今月割り当ての商品Bを、今日、××口注文しよう」となる。つまり“回転売買”をしやすくするための必要不可欠な「必殺兵器」の補給だ。

数値自体は汎用コンピューターで自動的に計算されたが、出力された紙を切り貼りして台紙に張り付け、それをFAXしなければならない。

その間、支店の営業マンからジャンジャン電話が鳴ってくる。電話を取ると、決まって「悪いけど、銘柄△△の試算教えてくんない? いくら?」「銘柄●●の試算、教えてよ」という質問ばかり。

「ほんの数分間待てば、皆さんに私が貼り付けたFAXが届きますよ(その数分は、この電話のせいで後ずれしてるんっすけど)」、と言うわけにもいかず。「はい。いくらいくらになります」と答えて電話を置く。そして、また電話が鳴る。電話を取る・・・。

 

「こういう時は、こうすればいいのよ」

見かねた事務職の先輩が、机の受話器を一つ一つ外した。それは完全に親切心からだったのに、自分は無言でその受話器を再び置きなおし、かかってきた電話に出た。「はい。その銘柄は〇〇円です」。

 

完全に理性的ではない判断だった。

ノモンハン②

前年のNHK特集「インパール」でも全く同じ構図を見た。陸軍だけじゃなく、海軍だってガダルカナルなどで不条理な上の決断で多くの犠牲が出た(結果論でものを語るべきではないのかもしれないが)。そこに対しても大きな責任追及はされていない。

 

こういう番組を見ると、自身同様、つい「駒」側の目線で見てしまう。おそらく、大半の国民もそうだろう。

一方で、現在、大企業のトップや高級官僚の地位にある方々は、どういう立ち位置や思い出で見るのだろうか。少なくとも、勧善懲悪な「あの若手参謀こそ大悪人」「上層部が悪い。現場はいつも被害者」という単純図式では見ないだろう。そうであってほしいとも思う。

実際、物事を単純視しないその視点こそ正しい。判断がもたらす結果というのはそもそも紙一重だし、虫眼鏡で見れば、当時の現場には被害者面した加害者も多かったことだろう。

 

歴史から学ぶべきは、抗い得ない大きなうねりの中で、その時々に様々な立場にいた人々が個々でどう決断し行動したかであって、結果論で“犯人捜し”のみをすることではないからだ。

(それこそ、結果論と言われそうだが)先の戦争では、軍部から国民に至るまで、個々の判断が常に「右へ倣え」で、個人の意見や意思というものが発揮されなかった。むしろ発揮できる環境ではなかった、というべきかもしれないが。

とはいえ、すべて「空気」のせいにして個人の選択(=積極的に“前例を改めよう”という行動を起こさない、という選択)についての責任を述べないのはフェアではない気がする。

 

昔の人のことを言えた義理ではない。

社会に出ると、集団の中で自分の意見を通す、とか、人と違った行動をする、といったことが、いかに大変かわかる。

大いに成果を上げており、かつ、周知から信頼されている優秀な人間ですら、自ら前例を改め、新しい考えを持ち込んで皆を率いることは難しいことだ。

優秀でも何でもない人間の「今や我々は変わるべき時です!」などという諫言は、「鼻くそが何を言っている」程度の扱いしか受けないものだ。

(そして、当人はせいぜい、「けっ。てめえだって、ただの目くそじゃねえか」と世をすねるくらいしかできないのが世の常だ)

 

昔、山一證券という会社にいた。最初の数年間は支店営業だった。自慢じゃないが、最初の数か月間を除き、あまりできない営業マンだった。本当に自慢じゃないが。

毎日、「・・・マルです」とささやくように上司に告げる胸の辛さや、これ如何に。

世間一般では素敵なイメージがある「マル」という言葉は、どういうわけだか証券マンにとっては悪夢の言葉になる。

実際、自分と1年下の後輩が個室に呼び出され、隣の課の課長様お二人から「おめぇらが(割り当ての)数字上げないから、お前んとこの課長がわざわざやらなくてもいい数字作って、店の数字埋めてくれてんだぞっ!」「ほんと、頼むから辞めてくんねえかなぁ・・・」などと詰め寄られ、靴の先だけ見つめ続けたこともある。ホント、野村だったら間違いなく辞めていただろうな。うちの課長は優しい良い方だったので本当に感謝している(お元気だろうか、Yさん)。