ロケーション・インセンティブと企画開発費への私見

さて、前回の記事に続き、矢継ぎ早に。
参加した映画の国際共同製作のシンポジウムで、今年度、日本政府が海外映画のロケ誘致でインセンティブを出す“試行”を行おうとしており、その作品選定にかかっている、という話を聞いた。自分は初耳だったが、すでに公表、報道されているようだ。

ロケーション・インセンティブは、実際にロケで使用されたスタッフの人件費など、多分に経済効果を鑑みて映画製作者に金銭が支払われるという政策的支援で、今、全世界で様々な非常に大きな金額のインセンティブが助成金や基金等の方式で供出されている。
前の記事で、自分は助成金には反対の立場だ、と書いたが、それはそれ。これまで金額の少なかった映画関連の日本における政策的支援が世界から注目され、新たな経済効果、あるいは文化的にも波及効果を生むのは、単純にいいことだと思う。ロケインセ(そんな略称はないが)の場合、選定の物差しは芸術性など恣意的なものでなく、あくまで経済的なものだと思われるし。

このインセンティブ支出の“試行”は、内閣府を中心とした動きだそうだ。そう聞いてインターネットを検索したら、内閣府のHPで今年3月の「我が国のロケ撮影の改善に向けた取組の現状について」という資料が見当たった。
なかなか面白い内容で、平成29年度からずっと議論されてきたものが具現化されているらしい。実は、30年度の海外作品誘致・支援の中間とりまとめ資料には、「仮に我が国に諸外国類似のインセンティブを導入する際には、国内映像産業の現状を踏まえつつ、我が国として期待する効果を明確にし、その効果を担保するための支援基準の設定を行う必要がある」とまとめられている。

手前みそだが、これは前述記事で書いた『コンテンツファンド革命』の中で自分が提案した政策的支援への考え方そのままであり、自身の考察力の確かさを強く再認識できた。ある意味、自信になる。
もちろん、自分はこの検討会のメンバーではないし、メンバーのお偉方には直接的な知り合いは(ほぼ)いないので、こういった“見解の一致”は全くの偶然だろう。
(彼らのうち、どなたかが『コンテンツファンド革命』や政策的支援研究会の資料をお読みいただいた可能性はゼロではないが)
この偶然の一致は、自信になる一方で、そこはかとない寂しさも感じてしまう・・・結局、自分は全くかかわれてないんだよな~。残念。

昔、以前いた組織で、国際映画祭に絡め、まだ製作資金が集まっていない映画企画を集め、プロデューサーや配給会社など協業者候補とマッチングさせる国も絡んだ事業の担当者をさせていただいていたことがある。
昨年、ここでも書いたが、このマッチング事業の将来への提言として、「国際共同製作のハブ」「ロケ支援やプリセールへの金融資金供給を金融機関と行うプラットフォーム」なども盛り込んだ資料を上司に提出したりもした。
結局、この会社自体がなくなったし、その跡を継いだ公益財団からも自分は離れたので、こういった動きには全く影響を果たしていないが、一方で、自分が書いたようなビジネスが、他で着々と実現に向けて動いているようだ。これも寂しいっちゃ寂しいが、仕方がないと思うし、昨年の記事でも書いたように、実現すればいいことだと思う。
(ただし、前の記事にて紹介した「フランズ・アフマン・プロジェクト」のように、ただ資料を作っただけでなく、自分が主体となっていろんな人を巻き込んで動き回ったことが、全く外で事業化されたとすれば、それは多少ならず“へこむ”し、感情的にはどうも、、、という気がするが)

数か月前だったと思うが、とある学校の先生から、「とある省の若手が、各国の政策的支援について勉強し、今後の政策に生かしたいと思っている。サクライさんが昔まとめた資料って残ってる?」と聞かれたので、自分が公益財団の時分にまとめたものや、その後の政策的支援研究会で作成したもの、あるいはフランズ・アフマン・プロジェクトで作った一部資料も、その先生を通じて、「このままでは宝の持ち腐れなので、ぜひ、活用してほしい」とお願いしてお送りした。政策的支援については、どっちにしても役所の人しか実現させることができないので、自分が資料を持ち続けていたところで何の意味もない、と思ったからだ。
なので、この件については、自分が全く携われなくても、書いたことがなにがしかの政策に寄与していくことを期待している。送った先の役人の方が資料をご覧いただいたかもわからないので、これはあくまでも自分個人の思いとして書いた次第。

さて、話を上記内閣府資料に戻す。
29年の資料で、「官民ファンドの活用などにより、特に資金需要の高い企画開発や製作段階においてリスクマネーを供給する方策を検討」という一文が見受けられる。これはどういう話だろう。気になる。

“商品”としての映画を考えた場合、上映など流通市場での商業展開が見えない段階では、その映画(企画)は無価値に等しい。残念ながら。特に企画開発段階は「海のものとも、山のものともわからない」状況で、映画を作ろうとするプロデューサーたちは、みな、四苦八苦している。
自分も“なんちゃって映画プロデューサー”の立場であり、これまで自身の映画企画を売り込んできた立場から、企画開発段階に資金が集められないのは(数々の立派な映画プロデューサー同様)非常に大きな課題として実感している。
これは、独創的ではあるがアイディアと事業プラン以外に主たるリソースを持たないシード期のベンチャー企業にお金が集まらないのと似ている(現在の自分がまさにそれに近い立場だが)。
一方で、追加出資(調達)時にバリュエーションが変わってその分、最初にリスクをとったシード期の投資家が利得を得る可能性があるベンチャー企業に比べ、映画の場合はリスクテイクした企画段階の投資家がその後の投資家と比べて得をすることがない。

フランズ・アフマン・プロジェクトでは、企画開発期の投資家は映画への投資リスク構造を十分に理解している投資家に限定すべき、と提言していたし、一定時期にそれまでのコスト“とんとん”で新しい投資家にテイクオーバーするオプションを付けた(それ以降、継続保有も可)映画企画ファンドを提言していた。

現在、世界の映画祭などで開催される各種の映画企画マーケットには企画開発費を出すアワードが提供されているケースがある。そんなアワードなら別だが、基本的には「企画開発段階は、プロデューサーが頑張ってお金を集める」のが王道で、投資家層から集めるのは容易ではない。残念ながら。
だから上記の“官民ファンド活用”も、アワード提供ぐらいなら(人材育成などの名目で)全く問題ないが、官の資金を企画開発段階につぎ込むのは、なかなかハードルが高い、と個人的には想像する。

・・・角川のエンジェル大賞という「アワード」をいただいて自身の映画の企画開発をし、自身も人様の映画企画に協業者候補をマッチングさせる事業を担当し、金融業界を巻き込んだ映画製作の資金集めスキーム構築の努力を続けながら、方や自身の映画企画を実現させようと動いてきた自分がこういう”至極まっとうな意見”を書くと、「アンタにはどうしても映画を作りたい、っていうパッションがないよね。だから、いつまでたっても映画がが作れないんだよ」などと評されてしまうかもしれない。
そうかもしれないが、本当にパッションがない人間なら、これまでのようなチャレンジはずっと続けてないぜ、と言いたくもなる。
自分は、映画は作品であり商品だとずっと思っているので。例えば、インベスターに不義理になる資金集めなどはすべきでないと考えている。とにかく、ずっと一番欲しかったのは「企画開発費」なんですけどね。

国際共同製作とファイナンスの思い、そして新ビジネス

1か月以上ぶりの投稿になる。
さて、先日、仕事の関係で、東京国際映画祭の一環で文化庁が主催し自分が昔所属していた公益財団が共催するシンポジウムに参加した。仕事、といっても長らくチャレンジしてきた映画やコンテンツファイナンスのビジネスではなく、仕事仲間から回してもらったライター的な仕事だ。
おかげさまで、会場では(もちろん、自身の仕事を終えた後に)数名の古い知人に会い、近況報告等々をさせていただき、ありがたかった。

このシンポジウムのテーマが「国際共同製作」。つまり、日本の映画を海外の国と一緒に製作(合作)することと、それに伴う資金集めについての話だった。
実は、くだんの公益財団法人で働いていたころ担当していた仕事の一つがまさに「国際共同製作に伴う各国の政策的支援の仕組みの研究」で、自分が英文図書やインターネット情報などをもとに各国の事例を調査し、それを上司やオブザーバー参加の弁護士の先生方、有志でご参加いただいた業界の映画プロデューサーの方々にお伝えし、情報を共有し、そのメンバー内で様々な議論を交わした。

今回のシンポジウムは、その公益財団のトップが語る「国際共同製作に対する現在の国の取り組み」だったり、長年、中国で国際共同製作の窓口をしてきた方の「日中での国際共同製作」、フランスとの国際共同製作の指南者による助成金などを活用した「日仏共同製作」などが講演された。また、ご自身の国際共同製作作品ほかで世界的注目を集める映画監督で、インディペンデント映画人が集うNPO法人の中心的存在でもあり、積極的に映画の政策提言をしてこられた方や、これまで数多くの国際共同製作作品のプロデュースをしてこられた映画プロデューサーを交えたパネルディスカッションが開かれた。

今、自分はコンテンツファイナンスや国際共同製作といった領域からは離れてしまい(機会があれば携わりたいが、残念ながらそんな話が舞い込まない)、一方で新たなビジネスの立ち上げを志しているのだが、シンポジウム登壇者の話を聞きながら、ムネアツというか、熱く感じるものがあった。
(盛んに語られるフランスの国際共同製作の助成金制度の説明を聞いて「そうそう、そんなシステムですよね。いや、懐かしいなあ」などと思ったり)

さて、登壇監督はじめ国際共同製作に関する日本インディペンデント製作陣の論調はおおむね以下にまとめられる。
【現状】日本の映画産業は大手が独占し、映画の多様性を阻害している
【問題】そのため制作現場は疲弊しているが、中堅、小規模映画製作陣の灯を消すべきではない
【解決策】これを解決するために、海外に倣って政策的支援が必要だ。特に、文化助成に立脚した「助成金」を充実させるべきだ

これは長年訴えられていることで、現状分析、問題意識について、自分もその内容や思いにシンパシーを大いに感じている。しかし、解決策である「助成金」については、常に「気持ちはわかるけど、それってどうなんだろう?」と常に感じてきた。

自分が電子書籍で2013年に出版した『コンテンツファンド革命』でも、自分なりにあるべき政策的支援について考えを述べている(第4章「政策面での課題」)。この本の内容自体、【現状】と【問題】については同じ主張を書いているので、監督と自分の考えの違いは【解決策】についてだけだと思う。
自分の考えはこうだ。

【解決策】これを解決するために、日本独自の政策的支援が必要だ。経済・文化的相乗効果を狙う「税制優遇映画ファンド」とインディー支援のための「寄付税制」(認定NPOなど有効活用)の重層活用が考えられるが、そのためには映画投資家層を広く育てる必要がある(そのためには金融ビジネスの活用が重要)。

自分は金融の出身で、映画の世界に携わってからもビジネス志向を堅持してきた。様々な文化的取り組みに「金儲け」が絡むことをポジティブにとらえている。ただし、それが限定した人たちの「金儲け」になるべきではない、と思っている。

本文の中に、以下のような文章を書いた。
 この章を読まれた方の中には、読んでいて違和感を持たれた方も多いかもしれません。この本では「文化多様性を保持するためにも、良質な商業映画を作れる市場環境を整えるべきだ」と説いてきましたし、そのためにコンテンツファンドを通じて外部からの資金を映画界に還流できる仕組みが必要だ、と主張してきました。これを裏返すと、現状は、文化多様性が脅かされるほどの危機的状況なわけであって、「政策的支援を語るなら、まずは“文化支援”の観点からスタートすべきではないか」とお感じになられる方も多いのではないかと思うのです。これまで書いてきた税制優遇映画ファンドやその認定監査プロセスの説明が、余りにも“ビジネス寄り”に過ぎる、とお感じの方もいらっしゃることでしょう。
 もし、そういうご指摘が有れば、そのお言葉は甘んじて受け入れたいと思います。ですが、敢えてへそ曲がりな意見を言わせていただければ、“文化支援”のためには“産業支援”が必要ではないか、と思うのです。
 もし、「大規模商業映画に駆逐されそうな小規模映画を“文化支援”のために助成しよう」ということになると、助成金にしても、仮に“映画税”のように固定のお客様から財源を徴収するような方法にしても、国民の負担が生じることは間違いありません。また、芸術性や文化的価値といった、評点の付けがたいものが審査対象ですから、この審査は審査員側の主観に依ることになります。特に“反商業性”といった変に歪んだバイアスがかかり恣意的な選別がなされた場合、そこで選ばれた映画は・・・言葉は悪いですが、“特権的保護映画”になってしまうのではないでしょうか?

“特権的保護映画”などと聞くと、「ふざけるな! 映画芸術を解せないサルめ」「銭の亡者のサクライ、許すまじ!」など各所からアレルギー反応が来そうで怖いが、それでも“銭の亡者”の姿勢を堅持するのは、自分なりに大局的に考えてのことだ。
国庫からお役人や限られたメンバーにいいように(?)使われるよりは、民間資金を流入させ、お上がサポートする形のほうが健全だし多額の資金獲得が期待でき、多様な先に回る“可能性”がある。

さりながら“可能性”はあくまで可能性であって、これを実現するためには「映画投資愛好者」の輪を広げ、映画等へのパトロネージュ文化を国民的に醸成する必要がある。これは、さりながら大変な難題だ。
「偉そうなことを言うけど、サクライは映画に金を集められるのか?」「本でいろいろ提言しているけど、彼は評論家や解説者のつもりなんでしょうね」などと言われてしまうかもしれない。
これまで実績を出せなかったことに、誠に深く恥じ入るばかりだ。でもね・・・「俺も、見えないところでずっと頑張ってきたんっすよ~!」(涙目)

この『コンテンツファンド革命』という本は、映画・コンテンツ投資専門の第二種金融商品取引業者の設立を目指した際に書いたもので、もともとはその会社を土台に広く各所を巻き込んでいければ、と思っていた。そこで「政策的支援研究会」という会を催し、弁護士先生など様々な先にアプローチもした。しかし、同社は二種金をとったものの自分はそこから離れる結果になったし、同社の取り組みも大きなものにはならなかった。
その後、地方の映画祭の仕事を経て、「フランズ・アフマン・プロジェクト(※1)(※2)」と称した、自分の周りにいる富裕層をターゲットにする金融ビジネス従事者を巻き込んで、映画投融資の事業を興して投資家コミュニティーを形成する、というビジネスプランを各所に持ち込み、巻き込みを図った。けれど、これもうまく結実できなかった。
その後、中国資本の会社で国際的な映画製作ビジネスを! というプロジェクトにかかわった際も、グローバルな総合コンテンツファイナス事業をめざして、やはり人を巻き込んでは見るものの、期待した方向には進まず、とん挫した。

※1 フランズ・アフマンは1970年代以降にプリセールスを活用した融資でスタジオ制作以外の欧米のインディペンデント映画の資金調達に貢献した銀行家(インディペンデント映画といっても、日本とは桁違いの金額で作られている)
※2 この「フランズ・アフマン・プロジェクト」では、ファンドや純投資だけでなく、海外助成金等々を根拠にした融資や、投資型(11/22修正→融資型)クラウドファンディングの活用、目の肥えた映画投資家に限定した企画段階でのリスクマネー供給のためのファンド、日本独自の完成保証制度案などのスキームを提案していた。また、政策的支援としての税務的な案(馬主制度などを参考に)も考察した

今でも、「サクライさんは映画とファイナンスを結び付けようとしてるの? ありがたい!映画の企画があるんだけど、投資家を紹介して」などとお声掛けいただく。
申し訳ないが、自分には今、確固たる資金調達能力はない。もちろん、企業PRやM&Aふくめ“よろず営業マン”として生きているので、営業活動はできるし、全く期待できないわけではないのだけれど。
「映画という“投資案件”はほとんど儲からないし、儲かる映画には投資できない」「社会的意義だけで投資する投資家はまずいない」という、昔からある大きな壁は、いまだに大きな壁なのだ。

さて、このままだと、昔語りをして、かつ、その取り組みをあきらめた、という悲しいだけの話になってしまう。

当社について

このホームページのトップページにあるように、現在、自分は「Selamat!(スラマット)」というプラットフォームを開設し、「アド・コマース(広告付き販売)」というマーケットを生み出し、拡大していきたいと考え、各所の巻き込みを続けている(そして、これまでの取り組み同様、なかなか前途多難な状態でもある)。
映画への投融資へのチャレンジから、いきなりネットビジネスやアドテクの話になり、「“銭の亡者”サクライは趣旨転向してベンチャービジネスに取り組もうとしてるんやなぁ」と思われるかもしれない。

しかし、実はこれは、これまでの取り組みと地続きでつながっている、と自分は思っている。
アド・コマース(広告付き販売)には、クリエイターやアーティストが提供する商品を介して、お金を出す人(企業・個人)は純粋に”応援”することで高質な認知効果を得、クリエイターやアーティストのファンに自分たちのファンになってもらい、ロイヤルカスタマー化する狙いがある。
ここで必要なのは、こういった“応援者の輪”を広げることだ。自分が『コンテンツファンド革命』で主張した「映画投資愛好者コミュニティー」よろしく、「応援者コミュニティー」を形成することだ。ただし、この応援者コミュニティーは金銭的な参加ハードルはぐんと低いし、応援対象は映画に限定されない幅広いものとなる。自分がアーティストなどを応援することで第三者のファンに喜んでもらう、という「”徳”の経済」に賛同し参加する企業と個人たちのすべてが、応援者コミュニティーの構成員となるのだ。そんな輪を広げていきたい。
こと映画に関して言えば、応援者の輪の一部がクリエイターたるインディペンデントの映画監督などへの支援に発展し、その映画への投資家に発展するようなことが期待される、かもしれない。

心ある、映画を映画として保ちたい方々からは、「サクライの考えは、あまりにビジネス志向的すぎないか」と言われてしまうかもしれない。でも、今、映画やテレビという“土台”そのものが大きく変わりつつある。
NETFLIXやYOUTUBEなどが映像ビジネスを根底から揺るがせつつあり、GAFAら大手IT企業が個人データの活用を軸に巨大化し進化しづけており、例えばGoogle陣営のアドテクを駆使した広告モデルが世の中に蔓延している現在、「映画」や「テレビ」といった産業は、まったく時代遅れになってしまった蒸気機関車みたいに映ったりもする。
だが、その“純粋な中身”の力(つまり物語や表現など。これを「コンテンツ」というと曲解されかねないので、あえてこう書く)は媒体がどう移り変わろうと、もちろん、何ら変わらないはずだ。
結局は、アーティストやクリエイターといった「個」が力を発揮し、人々に影響を与えることで、世界に新たな価値が生まれ、それが新たな社会を構築していくのだ。自分はそう信じたい。
(そうでなければ、結局はプラットフォーマーや国が世の中を恣意的に操作、構築していく、という観念から逃れられない)

だから、アド・コマース(広告付き販売)の力で、個の創造性と影響力が評価でき、それを応援する人たちも「“徳”があるなぁ」と尊敬される世の中をもたらすことができれば・・・。
書いていることが壮大すぎて失笑されるかもしれないが、その実現のごくいったんでも担えれば、と、僭越ながら思っている次第、、、であります。

続く

表に出す

このHPのトップページを改訂し、これまでずっと水面下で動いていたことの一端を掲載しています。(やや先走ってしまった感もあるのですが)
今の世の中は”欲”の経済がいきわたりすぎており、ここに新たに”徳”の経済を持ち込むことで、行き過ぎた社会を少しだけ軌道修正しよう。そんな取り組みです。
ずっとプラン先行で現実面が追い付いていないのですが、こういった「挑戦」も少し”表に出す”ことで違った「風」が吹いてくるかもしれない、とも思い。
そういうわけで、賛同者、求。

We should Work

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190921-30435790-bloom_st-bus_all
→「ボストン連銀総裁:シェアオフィス事業モデルが金融リスク生む可能性」(9/21(土) 10:47 Bloomberg)

ボストン連銀総裁のローゼングレン氏が「今度不況になったとき、シェアオフィスに貸している不動産オーナー、そこに貸している銀行は、不安かも」と言っているとかいないとか。
シェアオフィスを利用している身としては、正直、なんとなく迷惑な記事だ。

https://article.auone.jp/detail/1/3/6/3_6_r_20190921_1569056592479754
→「「共用オフィス」に警鐘=不動産市場のリスク-米連銀総裁」(9/21 16:00 時事通信社)

で、下の記事は、上の記事では「総裁が言及しなかった」と書いてある“ウィーワーク”の文字が前面に立ち、あたかも「総裁は“ウィーワークが危ない”と思っている」とでも言いたげ(?)な書きぶり。

「???」何でこんな発言が、この時期に突然行われたのだろうか? よくわからない。

不動産オーナーが優良な貸先を求めるのは洋の東西問わず当然で、一方で優良な貸先はなかなかないので優良物件にしか集まらない。一般論として空室が多いと人気が下がるので、オフィス物件の競争上、値段を下げて入居企業を確保しようとする不動産会社も多い。
そんな中、シェアオフィスは格好の貸先として特に都市部で急増している印象がある。

シェアオフィスというビジネスは、SOHOなどと言われたネットビジネス黎明期の頃からある古いビジネスモデルだ。オフィスを区分けし小さな部屋で仕切ったいわゆるレンタルオフィス型から、今はフリースデスクやフリースペースとして共同利用する領域が増えてきている印象がある。
最近では有望なベンチャー企業を発掘・育成し起業家コミュニティー化しようと、インキュベーションオフィスという名目でシェアオフィスを作る形態も増えており、ベンチャーキャピタルなどが積極的に投資している。
前述の空室率を減らしたい不動産業者側のニーズもあって、自由闊達な雰囲気を伴ったインキュベーションオフィスをそのオフィスビルの“顔”のような位置づけにする運営形態も増えてきている。
不動産業者側も、将来の借り手候補となる有望成長企業にコネクションを得たいという期待もあって、インキュベーションオフィスには好意的だ。

さらに今後、企業人の働き方が大きく変わっていく可能性がある(自分はそれを強く期待している)。昭和チックな昔ながらの大企業のように、毎日朝から晩までオフィスに縛られて非生産的な仕事を続けなくても、リモートワークやテレワークで個々に仕事をして、集約するときだけ集まる、というほうが機能的だ。副業も促進できるし、そういう機運が高まれば、今、大企業のような大きな組織で働いている人が、独立してベンチャー企業を興すことも増えてくるだろう。
そんな多様な働き方のニーズをシェアオフィスやインキュベーションオフィスが拾っていくことになる。だから、単純化はできないが、イノベーティブなベンチャーが増え、多様な働き方が認められ推進されることと、シェアオフィス需要が増えていくことは正の相関性があると考えられ、(記事はアメリカの話だが、日本において言えば)日本が“変わる”ためのインフラ整備の条件の一つである、ともいえるだろう。

一方で、確かにシェアオフィスが急速に増えすぎなきらいもないではない。中堅以下のシェアオフィス業者の中には条件の悪い物件にしか入居できないケースもあるだろうし、過当競争の中で不人気化し、賃料すら払えず事業が立ち行かなくなるようなところもあるだろう。

でも、それって、不動産業者と店子の関係で考えると、別にシェアオフィス業者に限った問題ではない。どんな企業でも、業績が悪くなり賃料さえ払えなくなることはあるだろう。

たとえ、金融機関がオフィス需要を見越したビル建設や不動産投資を強く推奨し、これまで貸し込んできたとしても、それは銀行の個別判断の問題だ。仮にそれらのローン債権が証券化され幅広く個人投資家層に販売されていたとしても、それも投資リスクの範疇だろう。

で、この記事に話を戻すと、ローゼングレン総裁は「(シェアオフィスというビジネスは)商業用不動産の分野で金融安定性に対して新たなタイプの潜在的リスクを生みつつある」と述べている・・・「金融安定性」って!

例えば、低金利・金余りが生んだ日本のバブル期の不動産投融資への偏重は、金融システムの安定性を大きく損なうものだった。実際、住専問題に始まり、信金信組の破綻、ひいては大手都市銀行への公的資金の投入を経て多くの銀行が統廃合された。バブルの後始末で日本は失われた10年やら20年やらの年月が費やされた。

そのバブル期の日本の不動産投融資への偏重と、たかだかシェアオフィスがらみの現在のアメリカの投融資額が、同様のインパクトを持っているとも思えない。「金融の不安定性」という言葉は、本来、(シェアオフィスという)一事業形態などに軽々しく使われるべきものではないはずだ・・・実際の投資金額の比較をデータとして持っていないので、これはあくまでも自分の感覚的なものだが(なので、もし自分が思っている以上に大変な状態だったとしたら、不明を恥じるしかない)。

だから、冒頭の自分の疑問「???」は、どうしてことさらシェアオフィスというビジネス業態を“金融リスク”という切り口で取り上げる必要があるのか、という素朴な疑問があったからだ。

さて、自分がこれらの記事を読んで、“何でこんな発言が、この時期に突然行われたのだろうか?”と感じたのは、やはり「ウィーワーク」がポイントだ。

ご存じの通り、ウィーワークの現在の大口株主はソフトバンク(具体的にはちゃんと知らないが、孫さんが持つ財布のどれか)だ。前の株主から“高値掴み”した、という風評もあるし、孫さんのことだから、何らかの方法で株主価値を高めていずれ利益を載せて売るよ、という人もいる。

そのウィーワークは先月、ニューヨーク証券取引所に上場申請し9月中の上場をもくろんでいたが、延期報道が流れたりもしている。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190917-00000038-reut-bus_all
→米ウィーワーク、IPO延期を検討=関係筋(9/17(火) 9:20 ロイター)

なので、ボストン連銀総裁の言葉を聞いてがっかりしたのは、シェアオフィスを利用しシェアオフィスの発展を期待している自分などよりも、はるかにソフトバンクの孫さんがそうだったはずだ。
「ちみちみぃ~、こんなときに、何を言ってくれてんのさぁ! 嫌がらせなの?」

まあ、嫌がらせってことはないでしょうが・・・。
でも、「陰謀論」好きの自分としては、結構その可能性もあるのでは? と考えてしまう。
孫さんという人は、事業家というより投資家、あるいはファンド運用者に近い存在だ(自分などが勝手に言っているわけではなく、ユニクロの柳井さんや日本電産の永守さん、あるいはホリエモンなんかも、別に悪い意味ではなくそう言っている)。
彼は卓越した先見性で将来のビジョンを描き、その未来像を達成する際に活躍するであろう企業をグローバルに買収してきた。その範疇はアメリカ、ヨーロッパ、中国、と幅広い。

ところで、昨年のファーウェイ問題発生から顕著化しているが、世界はすでに「アメリカ陣営」「中国陣営」にビジネスが分断される方向に進んできている。いや、その流れを食い止めようとする動きもあるが、以前のようにグローバルに一つの価値観で動く、という行動がとりづらくなってきている。

国の覇権をかけた軍事的対立であり、あらゆる“情報”が戦略的に利用される昨今、「両陣営をまたにかけた情報産業」という存在自体が成り立ちづらくなってきているように思われる。
そんな中、(アリババや滴滴など)中国の主要企業にも投資をしてきた孫さんは際立った存在だった。トランプ大統領だって「で、お前はどっちの陣営なんだよ?」などと言わずに付き合っているように思う・・・これまでは。

だからこそ、こんな下種なことを、つい想像してしまう。
今回の発言でウィーワークの上場が延期されたり、株価が下落したりして資金面の手当てが必要になったとして、その時に売るのはどの株なのか? で踏み絵を踏ませているのではないか???

でも、ちょっと調べたらローゼングレンは今回の0.25%の利下げに反対していたなど、必ずしもトランプ寄りではない様子。う~む、さすがにトランプ→ローゼンのホットラインは無いだろうなぁ。

・・・と、下手な想像を巡らせても、時間ばっかり過ぎていきますな。そんな無駄な時間を過ごすより(とはいえ、こういったぐるぐる志向は大事!と思っているが)、自分はきちんと稼がねば。I should work…

日本でユーティリティ・トークンのIEOを検討

https://www.itmedia.co.jp/business/spv/1908/22/news107.html
→「コインチェックがIEOの検討開始 ICOによる資金調達を支援」(2019/8/22 ITMediaビジネス)

コインチェック(マネックス)が、ユーティリティ・トークンのICO(Initial Coin Offering)を取引所としてサポートするIEO(Initial Exchange Offering)をビジネスとして検討を始めたようだ。
そうっすか・・・ようやく、日本で本格的なICOが始まるのかもしれない。
自分がここここで書いていたことが、徐々に整理されつつあるのだろう。

まだ検討段階のようなので、規制面の動向含め、実現可能性はどの程度なのかわからないが、注目したいニュースだ。

これは・・・いいのか?

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6333080

→「JASRAC、溜まった分配保留金で新事業」(Yahooニュース 2019/8/12)

JASRACがたまった分配保留金で2020年までに新しい事業を立ち上げるそうだ。

いろいろと議論を呼びそう(そもそも・・・これって、いいの?)。

自分が今考えていることに変に影響がなければいいが。。

今後もこのニュースには注視しておこう。

 

世の中は変わる、とみんな言い出している。“自分に期待”しよう

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16795?layout=b
→2019/7/19 Wedge Infinity 「352億円で会社を売却した起業家が次に目指すもの」

NTTからマイクロソフト(そこでウィンドウズ95の完成に携わり)、そしてアメリカで「Xevo」という会社を立ち上げて352億円で売却した中島聡さんというエンジニアさんのインタビュー記事。

インタビューで語っている内容をかいつまむと、
・日本企業がだめになったのはデジタル化に乗り遅れたから
・書店→amazon、DVD→Netflix。今後は自動車でも銀行でも医療でも、あらゆるところにデジタル・ディスラプションが
・規制に守られた日本ではUber導入が遅れている。おそらく自動運転ができて自動運転+Uberの世界が来る。既存のタクシー会社は太刀打ちできない
・AIによるディスラプションの波を最初にかぶるのは金融。銀行は政府の延命措置で永らえているが、結局はどこかでフィンテック改革の大波にさらされる
・中国が個人情報を集めに集めて、AI大国になろうとしている。対抗するアメリカは、結局プライバシー重視に傾くだろう
・米中対立で世界経済は悪化し、日本は米国からの圧力(1987東芝COCOM違反事件のように)に常にさらされる
・日本でNECと富士通がいまだに生き残っているのは、政府の公共投資による延命にすぎず、実際はどんどん脆弱になっている
・本来、ベンチャーが活性化しないといけないが、終身雇用の親世代の影響で若い世代も保守的なため、終身雇用的な安定環境が好まれる。日本はまだまだ終身雇用制から脱却できない
・年金は401K(確定拠出年金)にシフトされる
・自動運転は、はやく特区化して“進化圧”をかけるべき
・自動運転より、金融AI化のほうが早く進む

「わが意を得たり!」な内容で、その通りだと思う。むしろ、経団連ですら「デジタル・ディスラプションによってすべての日本企業が壊滅的な打撃を受けかねない。変わらなければ」というレポートを出しているぐらいだから、ここに書いている内容は一定層における「常識」だと思う。

しかし、自分の周りを見渡せば、「そんなこと知ってるよ。だけど、自分に何の関係があるのさ?」というスタンスの人が多い。
自分はいわゆる“世代論”は嫌いなのだが(人の考え方や状況はそれぞれ違うはずだ、という至極まっとうな思いを持っている)、さりながら、やはり自分の属する世代には“危機感”が薄い、と言えてしまうのかもしれない。

自分がずっとチャレンジを続けてきた過程で、あるいは、現在チャレンジを行っていることに関して、ビジネス的なアプローチ対象とは別に、多くはないが複数の同世代の友人知人に相談をしてきた。
これについては、相談できるだけ“まし”で、ほとんどの人は話しすらまともに聞こうとしないため、空気を読んで別の話題に終始する中、それでも話を聞いてくれる彼らは“優しい”方々で、非常に感謝している、ということをまずきちんと述べておきたい。

そのうえで、ないものねだりとして語りたいのだが、話を聞いてもなお、上記の通り、「世の中が変わるというのはよくわかるよ。でもさ・・・」「君がチャレンジをしている姿勢は素晴らしいよ。でも・・・」「自分はそんなおおげさな立ち位置で働いているわけではなく、今の仕事をどう変えていくか、ぐらいの変化を求めているから・・・」「ウチの組織の中に、イノベーションに携わる要素があるのはわかるよ。でも、自分の役割とは違うから・・・」等々、「自分に何の関係があるのさ?」という返答をいただいて、ただただ言葉を失ってしまうのだ。

いやいや、別に、自分は“便宜を図ってほしい”などと言っているわけでもなければ、“お前ら間違っている、反省しろ”と居丈高に詰っているわけでもない。
せっかく話をする以上、興味ぐらい持ってほしいのだ。あなた方がお忙しくて、日常をこなすのに精いっぱいなのは重々わかるつもりだが。そのうえで、「よくわかった。一緒に勉強していきましょう」くらいな“仲間”感がほしいのだが・・・これはそもそも“ないものねだり”なのだろうか。

「今の世の中に対する“危機感”と“期待感”」を共有できないもどかしさ、そして、自分が行っているチャレンジが彼らにさして“期待感”を生ませない現状に対して、切なく感じてしまう。
自分が記事の中島さんなら、こうはならないのになあ、とも思う。同じようなことを言っていても、実績のある優秀な人と、実績のないただのおっさんの言葉とは、聞く人にとって雲泥の差があるのだろうなあ、という諦観が・・・。

あまりネガティブなことを書いても仕方がないのでこれくらいにしておく。
なお、それでもなお、ここに記すことを決めたのは、愚痴の吐露でもなんでもなく、この文章がいつか、彼らの心に届くことを信じてのことだ。
(一生読まれないかも、ですが)

そういうわけで、自分は自分で、“自分に期待して”先に進みます。。とはいえ、これからも話は聞いてちょ。せばっ!

情報銀行の記事とシンギュラリティ後のベーシックインカム?

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46889960T00C19A7000000/
→「電通、情報銀行1万2千人実験 キリンなど10社参画 日経電子版 2019/7/3 14:00」

以前から注目していた電通の「情報銀行」に具体的に動き。電通グループのマイデータ・インテリジェンス(MDI。東京・港)が情報銀行のスマートフォンアプリ「MEY(ミー)」を開発した。
(電通、と書くが、実際にはこの辺りの動きの先導者は電通テックだそうだ)。

情報銀行については、総務省・経産省の旗振りの下、日本IT団体連盟(東京・千代田)を中心にルールが整備され、電通のほかには三井住友信託銀行とフェリカポケットマーケティング(東京・港)の2社が認定されている(MDIは認定の申請をしている段階)。

MDIの情報銀行では、キリンホールディングスや人材大手のパーソルキャリアなど10社が参画し、1万2000人が参加する大規模なサービス実験を実施するということ。12月31日まで実施され、このサービス実験は電通と参加企業が、得られたデータを具体的にどう活用していくか、といったことを検討していく、という流れだ。

データを提供した個人は、引き換えに独自の「ポイント」が交付される。そして、これがミソだが、このポイントは経済性を持つ。それは、この独自ポイントが、すでに発行されている様々な電子マネーや経済性のあるポイントとの互換性を提供しているからだ。今のところ、アマゾンの商品券、LINEペイ、楽天ペイのポイントとの互換性がある・・・最初から、すごいね。今後もっと広がっていくのかも。

以前、自分が最初に電通の情報銀行構想を知った際にブログ記事を書いたが、自分は、この情報銀行構想の肝は、この情報提供者(個人)に対する対価・報酬を何にするか、ということだと思っていた。
そういう意味で、汎用的な複数の電子マネーやポイントに交換される方向性は、非常にいいことだと思う。

一方、この日経の記事に関連して別記事の無料部分[https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00001/02515/](2019/07/04 16:20日経XTECHニュース解説)を読んだら、こんなことが書かれていた。

>事業を担当するMDIの森田弘昭執行役員COO(最高執行責任者)は、個人データの金銭価値を顕在化してユーザーにも還元することで、「将来的には個人の生活費を下支えするベーシックインカム(最低所得保障)として活用できるようにしたい」との目標を掲げた。長期的には月間で数万円相当の対価を個人に支払える事業に育てることを目指すという。

なるほど・・・すごいね(笑)。。うん。
「(笑)」なんて書いてしまったが、実際、自分は将来のベーシックインカムをどう確保するのかという課題を非常に憂慮している。
これからAIが発展し、ロボットが発達し、多くの知識労働者や肉体労働者がその立場をなくしていくことが予想される。シンギュラリティ後の未来をバラ色に描く人もいるが、GREEDな今の世の中の趨勢を見ると、残念ながら、そんな未来は訪れないのではないだろうか?

だから、MDIの偉い方がおっしゃる内容は非常に素晴らしいし、自分は、民間セクターがこのベーシックインカムの原資提供者になる、という考え方は大いにアリだと思っている。
(そして、電通さん(系)がその役割を担おうとするのも、おこがましいが、わかる気がしている)

しかし、「個人情報の提供」“だけ”で、月間で数万円の収入確保が可能になるだろうか?
会員数が少ないうちはまだしも、このサービスが普及してデータ提供者が増えるにしたがって、実際にはその支払額は“頭打ち”になってしまうのではなかろうか。

実は、今、自分が取り組んでいる「あるビジネスプラン」は、やはり将来のベーシックインカム提供につながるプランであると考えている。
そういう意味で、考えていることは、ある側面では近いので、話を聞いてくれないかな~・・・などとMDIさんに秋波を送ってみたり(このブログからは届かないだろうけどね)。。。

あ、ちなみに、これまで自分が書いてきたいろいろなブログ記事を読んで、「仮想通貨にかかわってるの? ICOにかかわってるとか? 危険だから止めたほうがいいよ」などと、知り合いから親切なアドバイスをされたりした。
なので、ちゃんと書いときます。
「ここで書いている、『今、自分が取り組んでいる「あるビジネスプラン」』は、仮想通貨とは関係ないですから!」
なので、ご心配くださって、ありがとうございます!!

ただ、自分は仮想通貨(暗号資産)にもICOにも、将来性を感じている側なので、「そもそも、そんなに心配しなくても大丈夫じゃん」と言いたかったりもするのだが。ま、今は大きな“アゲインスト”状態ですよね・・・リブラに対する風当たりを見ても。

ちなみに、この「ビジネスプラン」については、「歴史の証人として、知っておいて」と、自分の周りの数名に、うっとうしがられながらも、詳細をところどころ伝えてきた。
そう。このビジネスは「歴史を変える」と思っている。
自分が自分が、というジコチューがあるわけではなく、とにかく同志を求めている。そして巻き込みを続けた先に、世の中にこのビジネス、あるいは「理念」のようなものを広げることができれば、と思うし、これが実現する際には、自分は脇役に回っているんだろうな、と思っている。
大いなる歴史の中で、重要な縁の下の力持ちになりたい。そう願う。

リブラとアンチ

先日、ここにFacebookがアナウンスした仮想通貨(暗号資産)「LIBRA」の記事を書いた。
この件は自分にとってはおおむね“ポジティブ”な印象で、記事の感想にも「伝統的な金融ビジネスという“古い世界”と、SNSやそのデータ活用ビジネス、キャッシュレス決済という“新しい世界”は、まったくつながっているんだなあ、と思う。そして、既存の銀行や証券といった“古い枠組み”でしかものを考えられない人は、時代に置いて行かれるのでは、という懸念も。」と書いた。
しかし、このニュースがリリースされて以降の世の中のリアクションは、ニュースを見るとおおむね“ネガティブ”なようだ。
(なお、このブログ記事はこの新聞記事を読んだ日に書き始めたのだが、いろいろ用事があって書くのに時間がかかってしまったので、若干、古い(?)かもしれない)

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46854360S9A700C1EE9000/?n_cid=NMAIL007
→「世界の中銀、リブラ警戒 金融システム「ただ乗り」も 2019/7/3 1:31日本経済新聞 電子版」

各国の金融当局が、リブラに「いろいろと問題あり」と注文を付け、「考え直せ、Facebook!」を連呼している。
この日経記事のまとめでは、以下が主要ポイント。
1.金融システムの安定:裏付け資産の「銀行預金」が大手に集中したり、「短期国債」の大量購入で、金利に過度な低下圧力がかかる恐れ
2.資金洗浄対策:本人確認の徹底が難しい新興国に大量の潜在顧客
3.金融政策の有効性:無利子のリブラが増えれば、金利を調整する伝統的金融政策の効果減少か
4.個人情報保護:莫大な個人情報と金の流れを両方握ることの警戒感

う~む。どれもなんとなく釈然としないクレームな気がする。

まず、1について。
もともと、仮想通貨はよく「裏付けとなる資産根拠がないから信用できない」とか、「ドルとかとリンクしている(ステープルコイン)ならともかく、マーケットで大幅に価格変動するから決済手段として使えない」などと言われ続けてきたので、裏付け資産をきちんと持って、通貨バスケット方式で運用してそのバスケットとの為替レートで法定通貨と交換する、というのは、かなり良心的な部類に入る気がするのだが。
そして、その膨大なポジションが債券市場に影響を与えるのも、これまたやむを得ないわけで。金融当局や金融機関は、リブラの実需や需給予測をしっかりとしなければならないだろうが、それはある種、マーケットに巨大な金融商品(?)が登場するわけだから、当然やらなきゃいけないことだろうし。
昔々、昭和の高度成長期に株式型投資信託が大流行し、東証など株式市場での存在感から「井の中のクジラ」と言われた。そして、山一證券の最初の破綻(この際は田中角栄の英断による日銀特融により、山一は復活)もあった60年代の証券恐慌で取り付け騒ぎのようなパニックを起こした。
しかし、だからといって投資信託が「悪者」として扱われたことはない。むしろ、国民の財産形成、資本市場への資金安定供給といった“社会的意義”を認められ、その後もリスク性資金の行き場として個人金融商品の中核のポジションにい続けている。
リブラは、今わかっているだけでも、銀行口座も持てない新興国の民衆に決済手段を与え、海外送金のコストを劇的に下げる、という“社会的意義”が期待される。
だから、“マーケットにもたらされるであろう大きな影響”のみをもって「問題だ」というのには首をかしげる。
さらにこの記事には、「つまり地方銀行の預金者が預金を下ろしてリブラを買った場合、運営者が準備金を地銀に預け直す保証はなく、結果としてメガバンクなどに預金が流れる可能性が高い。」と書いてある。それがさも問題なような書きぶりだ。
いやいや、地銀から預金を抜くのは消費者(地銀預金者)が信用や利便性がリブラのほうが高いと判断した結果であって、彼らがそう判断するならしょうがないでしょう。そして、ポジションを持つリブラ運用者側も、クレジットの高い金融機関の預金を持とうとするのは仕方なくないですか?
この説明は、うがった見方をすれば、「日本の地銀がつぶれるかもしれないから、リブラなんか発行するのやめてよ、Facebook!」と言っている感じで・・・知らんがな! そんな信用力のない地銀はリブラが有っても無くても、いずれつぶれるっしょ。

それから、2のマネロン問題。
これは、仮想通貨について常に言われる問題でリブラに限った話ではなく。。。
なので、「マネロン対策のために仮想通貨をどう管理、監視すべきか?」という事柄のはず。
リブラはあてはまらないが、マーケットで価格が上下するタイプの仮想通貨は、日本では仮想通貨取引所を一定のルールで縛ってKYC(本人確認手続き)を徹底させたり、当局への報告義務を課す方向である様子。
リブラにような法定通貨と連動するタイプのコインは“資金決済法上の仮想通貨ではないですよ”と考えられているようなのでやや混乱するが、どっちにしても「マネロン対策のために口座チェックのルールを作りましょう」というポジティブな議論が必要なのだろうし、その方向で問題ない気がする。

3についてはやや難しいので、本当はパスしたいが、何となく思うのは・・・。
一般に法定通貨は「信用通貨」であり、銀行に借りに来る人がいて(信用供与されて)初めて発生するものだ。で、借金を返さなければいけない人たちやこれから借りようとする人たちにとって、その返済がおおむね“余裕”なのか“アップアップ”なのかを当局が判断して、市場金利と資金流通量を適正管理しようと金融政策を執り行う。
一方で、電子マネーもそうだが、仮想通貨もほとんどが「信用供与」で生まれるわけではない。既存資産であるモノやお金を対価として、場合によっては特典として無償で、交換されることで発生する(当然、これは説明上の話で、通貨発行のほうが先行するのだとは思うが)。
なので、“通貨”といっても仮想通貨は、「決済手段」になる、というところが法定通貨と同じなだけだ。。と思う(違うのかな?)
例えば市場変動型の仮想通貨と法定通貨との交換レートには仮想通貨自体の需給バランスが反映されるので、本来ならば発行体や運営母体は(それが存在すれば)、発行量を適正に管理すべし、となるべきなのだろう。
リブラは通貨バスケットに対するペッグ制だから、それを守るために発行量を実際のマーケットで売買、利用されている量と大過なくコントロールしなければ信用棄損を起こす可能性があるので、リブラを管理するLibra協会はそこをきっちり管理しなければならないのだと思う。
でもそういう信用維持という意味での通貨量コントロールと、伝統的金融政策の対象である信用通貨の管理を同列に考えていいものなのだろうか?
この辺は、正直、どう考えるべきか判断するにあたり自分の能力に自信がない。できれば詳しい人に教えていただきたいが・・・。
さりながら現時点で、この3の懸念事項は、何か釈然としない。

そして、4.個人情報保護の問題。莫大な個人情報と金の流れを両方握ることの警戒感・・・それはそうだろう!
でも、これはリブラの話でもなければ金融の話で何でもない。もっと大きな話だ。
株式相場がずっともてはやしてきた「IoT」含め、これからの世の中では、大量の個人データ、個人情報を誰が握る。それを“宝”に変えるのか、あるいは人民を縛る“鎖”に変えるのか、が問われてきているわけだし、GAFA(あるいは、中国型国家管理体制?)などへのアンチ潮流として、GDPRを軸にした個人を守ろうとする動きが出てきているわけで。

なので、この記事に示してあるどれもこれも、「リブラだから問題!」という話ではない気がする。

で、いろいろと言っているけど、いみじくもこの記事に書いてあるように「通貨発行という国家権力の根幹への挑戦という受け止めがある」→これが問題なんでしょ? 気に入らないんでしょ? というのに尽きる気がする。

なんとなく、このアンチ記事の裏には、「こんなに問題があるから、リブラは国家権力を中心に、国際的に管理するからな!」という脅しのような意図が感じられる。
もっと陰謀論チックに言えば、国家権力やそのさらに大きな枠組みの根幹を担っている、そういった方々が、マスメディアにアンチ記事を書かせて煽らせているのかなあ、と。

たとえば、「各国当局が多大なコストをかけて維持している金融システムに「ただ乗り」することへの警戒感も強い。」という指摘も書いてある。
でも、例えば日銀内部にだって、ブロックチェーン決済を現行の銀行間の資金流通の一つのオルタナティブとして活用しよう、という動きがある。JPモルガンや三菱UFJなど、独自の仮想通貨発想を具体的に検討している“そっち側”の方々もいる。

ならば、「何でリブラ(Facebook)ばっかり目の敵にしているのですか?」、という、、、ね。

「だって、Facebookは現に大量の個人情報流出をしでかしたじゃないか!」「世論誘導に不正に利用されたじゃないか!」などの反論がありそう。
でも・・・ね。個人情報の流出はFacebookだけですか? よくわからない世論誘導はFacebookだけですか? 、、、ねえ。

確か、前の記事では、Libra協会は当初こそFacebookやMastercard、PayPalなどグローバル企業や学術機関がガバナンスの枠組みを担うが、順次、分散性を拡大していく、という説明があった。
思えば、仮想通貨ブームの裏には古くからの“国家(?)監視を許さない!”「サイファーパンク」運動があって、一方で、法定通貨側には「ディープステート」的な陰謀論が跋扈している。
この二つの対立軸、ということなのか?? あるいは、事はそう単純じゃないのかな。まあ、上記陰謀論では「あまりに幼稚だな」とおしかりを受けるかもしれん。

最後はいつものセリフで締めますが・・・。
「そんなこと、一庶民がいろいろ悩んでも仕方ないが、それでもいろいろ頭をぐるぐるさせて考えておきたい」

Facebookの仮想通貨「Libra」

https://japan.cnet.com/article/35138666/
→CNET Japan 2019/6/18 19-40「Facebook、仮想通貨「Libra」への参画を発表–2020年にサービス提供へ」

長らくベールに閉ざされていた Facebookの仮想通貨計画が公表された。
(すでに「“仮想通貨”ではなく“暗号資産”と呼べ」と決まっているのに、やはり“暗号資産”では認知が低すぎて一般的には受け入れられていない様子。)

「Libra」と言って、Facebookとは別に立ち上げる非営利団体のLibra協会が立ち上げ、運営する。Libraは海外送金や各種支払いに利用される。
Libraを使った金融サービスは、Facebookの規制対象子会社の「Calibra」が担う(2020年からサービスイン)。

協会のパートナーはFacebook以外に、VisaやMastercard、PayPal、Stripe、ebay、lyft、Uber、Spotify、vodafone、Coinbaseといったグローバル企業や、非営利組織、学術機関など。他の記事によると日本をはじめ複数の国の企業の参加を検討している様子。

Libraは“裏付けとなる資産(リザーブ資産)” =複数の通貨や短期国債、で(一定の?)価値が担保される、そうだ。ブロックチェーンの衆人環視と相まって、安全安心。

CalibraはFacebookの代わりにLibraネットワークを活用したサービスの開発・運営を実施する。Calibraが提供する金融サービスは、今見えているところでは、Messenger、WhatsApp、専用アプリで利用できるデジタルウォレットの提供。
このウォレットでは、“テキストメッセージを送るのと同じ感覚”でLibraを貯めたり送金したりすることが可能、とあり、ボタン一つでの代金支払いや、スキャンで“ピッ”のらくらく商品購入ができたり、公共交通機関での利用等々、様々なキャッシュレス決済サービスを展開する予定。

さらに、ユーザーの資金(と情報)は高度なセキュリティーで厳重に保管される上、サポート体制や悪意ユーザーによる損害への補償もある。

そういうわけで、非常に便利そうだ。ひじょ~~~に、便利そう!

さて、気になるCalibraでの個人データの取り扱いだが、以下のように説明されてる。
・ソーシャルデータと金融データは適切に分離する
・決済データ(アカウント情報や金融情報)はFacebookや関連アプリのターゲティング広告には使用しない
・ただし、「生命の安全が脅かされる場合」「法律に基づく場合」「Calibraユーザーに基本的な機能を提供する場合」に限り利用する

Facebookは今、個人データ利用に関して世界中でいじめられているし、特にターゲティング広告はみんな“薄気味悪い”と思っているので、「それには絶対利用しません!」というのは当然だろう。
特にFacebookの場合は、投稿内容やいいね!履歴や友人関係といったさまざまな情報に紐づけられる懸念もあったわけで、生理的に嫌がる人も多いだろう。
とはいえ、中には「俺の個人データは勝手に使ってもらって構わないから。逆にどんなサービスを提供してもらえるの?」という猛者(?)も一定数いるわけで。

そういう意味で、“「Calibraユーザーに基本的な機能を提供する場合」に限り利用する”というのがミソで、これがどういうサービスで、どう発展するのか、というのが興味深いところだ。
現在、LINEや通信各社など、様々な企業が手掛けるキャッシュレス決済サービスも、①ビッグデータを分析した“層”としてのマーケティングデータの活用、の方向は間違いなくある。②個人データを個人の『信用スコア』に利用する動き、も、例えばLINEやソフトバンク(⇔みずほ銀行)にはある。また、これまでの流れだと、③ハッシュ化した情報をもとにDMPを活用して“紐づけ”、企業のマーケティング(MAなど)に利用する、といった活用法がメイン想定であったと思われるわけで。

GDPRおよびe-プライバシー規則など「データ所有権を個人に戻せ!」といった流れの下、個人的に③の流れはどうなっていくのだろう? と思っている。当初の一定の許諾によりマーケティングにデータ利用したものの、「やっぱり、私の個人データ、返して!」となった場合に、どこまでのことができ、どこまで対応しなければならないのか?
また、②については、中国だから「ゴマ信用」のような、おっとろしい(!?)代物ができたわけだが、この動きがこのまま人権意識が高い国々(とくにヨーロッパ)で実現されるものなのか? 日本はもともと“従順なヒツジ、怒れるヤギ”の国だったわけでいずれにせよ一方向に流れが行けば、「『信用スコア』やむなし」の方向に向かう可能性(リスク?)が高いと、個人的には思っていたが。

さて、余談だが、経済活動にかかわる「個人」ばかり“徳”を求められる『信用スコア』だが、例えば、企業のある種の支援活動にも“徳”を認める動きが有ってもいいのではないだろうか?
実は、現在、自分が動いているある件は、そこにソリューションを与えるもの。
別に、『信用スコア』で“上から目線”の評価をするのでなく、「あの企業、ありがたいねえ」と感謝する、というイメージだろうか。
あまり絵空事を語る風にとらえられたくないので、本件はここまで。

ところで、このLibraを“金融商品”として考えた場合、自分などは投資信託畑なので、通貨バスケット型MMF(MRF)=短期公社債投信のイメージがある。
“リザーブ資産”がどこまで厳密に運用されるものなのか、少しだけ興味がある。
どういうタイミングで設定解約(増資減資?)されるのか、そもそも通貨発行額あるいは流通額の100%が運用に回るのか、とか。
日々(時々)の決済データを集約して設定解約(というか、運用金額の増減)するのは、ブロックチェーンだからやりやすい気はする。
変な話、いきなり世界一の決済可能な流通量をもつ仮想通貨(暗号資産)が現れるわけで、このLibraの需給によって、リアルマーケット(債券市場、為替市場)にも影響が出ることになるのかもしれない。

そう考えると、伝統的な金融ビジネスという“古い世界”と、SNSやそのデータ活用ビジネス、キャッシュレス決済という“新しい世界”は、まったくつながっているんだなあ、と思う。
そして、既存の銀行や証券といった“古い枠組み”でしかものを考えられない人は、時代に置いて行かれるのでは、という懸念も。
などと、これは、やや我田引水かもしれない。