日本でユーティリティ・トークンのIEOを検討

https://www.itmedia.co.jp/business/spv/1908/22/news107.html
→「コインチェックがIEOの検討開始 ICOによる資金調達を支援」(2019/8/22 ITMediaビジネス)

コインチェック(マネックス)が、ユーティリティ・トークンのICO(Initial Coin Offering)を取引所としてサポートするIEO(Initial Exchange Offering)をビジネスとして検討を始めたようだ。
そうっすか・・・ようやく、日本で本格的なICOが始まるのかもしれない。
自分がここここで書いていたことが、徐々に整理されつつあるのだろう。

まだ検討段階のようなので、規制面の動向含め、実現可能性はどの程度なのかわからないが、注目したいニュースだ。

これは・・・いいのか?

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6333080

→「JASRAC、溜まった分配保留金で新事業」(Yahooニュース 2019/8/12)

JASRACがたまった分配保留金で2020年までに新しい事業を立ち上げるそうだ。

いろいろと議論を呼びそう(そもそも・・・これって、いいの?)。

自分が今考えていることに変に影響がなければいいが。。

今後もこのニュースには注視しておこう。

 

世の中は変わる、とみんな言い出している。“自分に期待”しよう

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16795?layout=b
→2019/7/19 Wedge Infinity 「352億円で会社を売却した起業家が次に目指すもの」

NTTからマイクロソフト(そこでウィンドウズ95の完成に携わり)、そしてアメリカで「Xevo」という会社を立ち上げて352億円で売却した中島聡さんというエンジニアさんのインタビュー記事。

インタビューで語っている内容をかいつまむと、
・日本企業がだめになったのはデジタル化に乗り遅れたから
・書店→amazon、DVD→Netflix。今後は自動車でも銀行でも医療でも、あらゆるところにデジタル・ディスラプションが
・規制に守られた日本ではUber導入が遅れている。おそらく自動運転ができて自動運転+Uberの世界が来る。既存のタクシー会社は太刀打ちできない
・AIによるディスラプションの波を最初にかぶるのは金融。銀行は政府の延命措置で永らえているが、結局はどこかでフィンテック改革の大波にさらされる
・中国が個人情報を集めに集めて、AI大国になろうとしている。対抗するアメリカは、結局プライバシー重視に傾くだろう
・米中対立で世界経済は悪化し、日本は米国からの圧力(1987東芝COCOM違反事件のように)に常にさらされる
・日本でNECと富士通がいまだに生き残っているのは、政府の公共投資による延命にすぎず、実際はどんどん脆弱になっている
・本来、ベンチャーが活性化しないといけないが、終身雇用の親世代の影響で若い世代も保守的なため、終身雇用的な安定環境が好まれる。日本はまだまだ終身雇用制から脱却できない
・年金は401K(確定拠出年金)にシフトされる
・自動運転は、はやく特区化して“進化圧”をかけるべき
・自動運転より、金融AI化のほうが早く進む

「わが意を得たり!」な内容で、その通りだと思う。むしろ、経団連ですら「デジタル・ディスラプションによってすべての日本企業が壊滅的な打撃を受けかねない。変わらなければ」というレポートを出しているぐらいだから、ここに書いている内容は一定層における「常識」だと思う。

しかし、自分の周りを見渡せば、「そんなこと知ってるよ。だけど、自分に何の関係があるのさ?」というスタンスの人が多い。
自分はいわゆる“世代論”は嫌いなのだが(人の考え方や状況はそれぞれ違うはずだ、という至極まっとうな思いを持っている)、さりながら、やはり自分の属する世代には“危機感”が薄い、と言えてしまうのかもしれない。

自分がずっとチャレンジを続けてきた過程で、あるいは、現在チャレンジを行っていることに関して、ビジネス的なアプローチ対象とは別に、多くはないが複数の同世代の友人知人に相談をしてきた。
これについては、相談できるだけ“まし”で、ほとんどの人は話しすらまともに聞こうとしないため、空気を読んで別の話題に終始する中、それでも話を聞いてくれる彼らは“優しい”方々で、非常に感謝している、ということをまずきちんと述べておきたい。

そのうえで、ないものねだりとして語りたいのだが、話を聞いてもなお、上記の通り、「世の中が変わるというのはよくわかるよ。でもさ・・・」「君がチャレンジをしている姿勢は素晴らしいよ。でも・・・」「自分はそんなおおげさな立ち位置で働いているわけではなく、今の仕事をどう変えていくか、ぐらいの変化を求めているから・・・」「ウチの組織の中に、イノベーションに携わる要素があるのはわかるよ。でも、自分の役割とは違うから・・・」等々、「自分に何の関係があるのさ?」という返答をいただいて、ただただ言葉を失ってしまうのだ。

いやいや、別に、自分は“便宜を図ってほしい”などと言っているわけでもなければ、“お前ら間違っている、反省しろ”と居丈高に詰っているわけでもない。
せっかく話をする以上、興味ぐらい持ってほしいのだ。あなた方がお忙しくて、日常をこなすのに精いっぱいなのは重々わかるつもりだが。そのうえで、「よくわかった。一緒に勉強していきましょう」くらいな“仲間”感がほしいのだが・・・これはそもそも“ないものねだり”なのだろうか。

「今の世の中に対する“危機感”と“期待感”」を共有できないもどかしさ、そして、自分が行っているチャレンジが彼らにさして“期待感”を生ませない現状に対して、切なく感じてしまう。
自分が記事の中島さんなら、こうはならないのになあ、とも思う。同じようなことを言っていても、実績のある優秀な人と、実績のないただのおっさんの言葉とは、聞く人にとって雲泥の差があるのだろうなあ、という諦観が・・・。

あまりネガティブなことを書いても仕方がないのでこれくらいにしておく。
なお、それでもなお、ここに記すことを決めたのは、愚痴の吐露でもなんでもなく、この文章がいつか、彼らの心に届くことを信じてのことだ。
(一生読まれないかも、ですが)

そういうわけで、自分は自分で、“自分に期待して”先に進みます。。とはいえ、これからも話は聞いてちょ。せばっ!

情報銀行の記事とシンギュラリティ後のベーシックインカム?

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46889960T00C19A7000000/
→「電通、情報銀行1万2千人実験 キリンなど10社参画 日経電子版 2019/7/3 14:00」

以前から注目していた電通の「情報銀行」に具体的に動き。電通グループのマイデータ・インテリジェンス(MDI。東京・港)が情報銀行のスマートフォンアプリ「MEY(ミー)」を開発した。
(電通、と書くが、実際にはこの辺りの動きの先導者は電通テックだそうだ)。

情報銀行については、総務省・経産省の旗振りの下、日本IT団体連盟(東京・千代田)を中心にルールが整備され、電通のほかには三井住友信託銀行とフェリカポケットマーケティング(東京・港)の2社が認定されている(MDIは認定の申請をしている段階)。

MDIの情報銀行では、キリンホールディングスや人材大手のパーソルキャリアなど10社が参画し、1万2000人が参加する大規模なサービス実験を実施するということ。12月31日まで実施され、このサービス実験は電通と参加企業が、得られたデータを具体的にどう活用していくか、といったことを検討していく、という流れだ。

データを提供した個人は、引き換えに独自の「ポイント」が交付される。そして、これがミソだが、このポイントは経済性を持つ。それは、この独自ポイントが、すでに発行されている様々な電子マネーや経済性のあるポイントとの互換性を提供しているからだ。今のところ、アマゾンの商品券、LINEペイ、楽天ペイのポイントとの互換性がある・・・最初から、すごいね。今後もっと広がっていくのかも。

以前、自分が最初に電通の情報銀行構想を知った際にブログ記事を書いたが、自分は、この情報銀行構想の肝は、この情報提供者(個人)に対する対価・報酬を何にするか、ということだと思っていた。
そういう意味で、汎用的な複数の電子マネーやポイントに交換される方向性は、非常にいいことだと思う。

一方、この日経の記事に関連して別記事の無料部分[https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00001/02515/](2019/07/04 16:20日経XTECHニュース解説)を読んだら、こんなことが書かれていた。

>事業を担当するMDIの森田弘昭執行役員COO(最高執行責任者)は、個人データの金銭価値を顕在化してユーザーにも還元することで、「将来的には個人の生活費を下支えするベーシックインカム(最低所得保障)として活用できるようにしたい」との目標を掲げた。長期的には月間で数万円相当の対価を個人に支払える事業に育てることを目指すという。

なるほど・・・すごいね(笑)。。うん。
「(笑)」なんて書いてしまったが、実際、自分は将来のベーシックインカムをどう確保するのかという課題を非常に憂慮している。
これからAIが発展し、ロボットが発達し、多くの知識労働者や肉体労働者がその立場をなくしていくことが予想される。シンギュラリティ後の未来をバラ色に描く人もいるが、GREEDな今の世の中の趨勢を見ると、残念ながら、そんな未来は訪れないのではないだろうか?

だから、MDIの偉い方がおっしゃる内容は非常に素晴らしいし、自分は、民間セクターがこのベーシックインカムの原資提供者になる、という考え方は大いにアリだと思っている。
(そして、電通さん(系)がその役割を担おうとするのも、おこがましいが、わかる気がしている)

しかし、「個人情報の提供」“だけ”で、月間で数万円の収入確保が可能になるだろうか?
会員数が少ないうちはまだしも、このサービスが普及してデータ提供者が増えるにしたがって、実際にはその支払額は“頭打ち”になってしまうのではなかろうか。

実は、今、自分が取り組んでいる「あるビジネスプラン」は、やはり将来のベーシックインカム提供につながるプランであると考えている。
そういう意味で、考えていることは、ある側面では近いので、話を聞いてくれないかな~・・・などとMDIさんに秋波を送ってみたり(このブログからは届かないだろうけどね)。。。

あ、ちなみに、これまで自分が書いてきたいろいろなブログ記事を読んで、「仮想通貨にかかわってるの? ICOにかかわってるとか? 危険だから止めたほうがいいよ」などと、知り合いから親切なアドバイスをされたりした。
なので、ちゃんと書いときます。
「ここで書いている、『今、自分が取り組んでいる「あるビジネスプラン」』は、仮想通貨とは関係ないですから!」
なので、ご心配くださって、ありがとうございます!!

ただ、自分は仮想通貨(暗号資産)にもICOにも、将来性を感じている側なので、「そもそも、そんなに心配しなくても大丈夫じゃん」と言いたかったりもするのだが。ま、今は大きな“アゲインスト”状態ですよね・・・リブラに対する風当たりを見ても。

ちなみに、この「ビジネスプラン」については、「歴史の証人として、知っておいて」と、自分の周りの数名に、うっとうしがられながらも、詳細をところどころ伝えてきた。
そう。このビジネスは「歴史を変える」と思っている。
自分が自分が、というジコチューがあるわけではなく、とにかく同志を求めている。そして巻き込みを続けた先に、世の中にこのビジネス、あるいは「理念」のようなものを広げることができれば、と思うし、これが実現する際には、自分は脇役に回っているんだろうな、と思っている。
大いなる歴史の中で、重要な縁の下の力持ちになりたい。そう願う。

リブラとアンチ

先日、ここにFacebookがアナウンスした仮想通貨(暗号資産)「LIBRA」の記事を書いた。
この件は自分にとってはおおむね“ポジティブ”な印象で、記事の感想にも「伝統的な金融ビジネスという“古い世界”と、SNSやそのデータ活用ビジネス、キャッシュレス決済という“新しい世界”は、まったくつながっているんだなあ、と思う。そして、既存の銀行や証券といった“古い枠組み”でしかものを考えられない人は、時代に置いて行かれるのでは、という懸念も。」と書いた。
しかし、このニュースがリリースされて以降の世の中のリアクションは、ニュースを見るとおおむね“ネガティブ”なようだ。
(なお、このブログ記事はこの新聞記事を読んだ日に書き始めたのだが、いろいろ用事があって書くのに時間がかかってしまったので、若干、古い(?)かもしれない)

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46854360S9A700C1EE9000/?n_cid=NMAIL007
→「世界の中銀、リブラ警戒 金融システム「ただ乗り」も 2019/7/3 1:31日本経済新聞 電子版」

各国の金融当局が、リブラに「いろいろと問題あり」と注文を付け、「考え直せ、Facebook!」を連呼している。
この日経記事のまとめでは、以下が主要ポイント。
1.金融システムの安定:裏付け資産の「銀行預金」が大手に集中したり、「短期国債」の大量購入で、金利に過度な低下圧力がかかる恐れ
2.資金洗浄対策:本人確認の徹底が難しい新興国に大量の潜在顧客
3.金融政策の有効性:無利子のリブラが増えれば、金利を調整する伝統的金融政策の効果減少か
4.個人情報保護:莫大な個人情報と金の流れを両方握ることの警戒感

う~む。どれもなんとなく釈然としないクレームな気がする。

まず、1について。
もともと、仮想通貨はよく「裏付けとなる資産根拠がないから信用できない」とか、「ドルとかとリンクしている(ステープルコイン)ならともかく、マーケットで大幅に価格変動するから決済手段として使えない」などと言われ続けてきたので、裏付け資産をきちんと持って、通貨バスケット方式で運用してそのバスケットとの為替レートで法定通貨と交換する、というのは、かなり良心的な部類に入る気がするのだが。
そして、その膨大なポジションが債券市場に影響を与えるのも、これまたやむを得ないわけで。金融当局や金融機関は、リブラの実需や需給予測をしっかりとしなければならないだろうが、それはある種、マーケットに巨大な金融商品(?)が登場するわけだから、当然やらなきゃいけないことだろうし。
昔々、昭和の高度成長期に株式型投資信託が大流行し、東証など株式市場での存在感から「井の中のクジラ」と言われた。そして、山一證券の最初の破綻(この際は田中角栄の英断による日銀特融により、山一は復活)もあった60年代の証券恐慌で取り付け騒ぎのようなパニックを起こした。
しかし、だからといって投資信託が「悪者」として扱われたことはない。むしろ、国民の財産形成、資本市場への資金安定供給といった“社会的意義”を認められ、その後もリスク性資金の行き場として個人金融商品の中核のポジションにい続けている。
リブラは、今わかっているだけでも、銀行口座も持てない新興国の民衆に決済手段を与え、海外送金のコストを劇的に下げる、という“社会的意義”が期待される。
だから、“マーケットにもたらされるであろう大きな影響”のみをもって「問題だ」というのには首をかしげる。
さらにこの記事には、「つまり地方銀行の預金者が預金を下ろしてリブラを買った場合、運営者が準備金を地銀に預け直す保証はなく、結果としてメガバンクなどに預金が流れる可能性が高い。」と書いてある。それがさも問題なような書きぶりだ。
いやいや、地銀から預金を抜くのは消費者(地銀預金者)が信用や利便性がリブラのほうが高いと判断した結果であって、彼らがそう判断するならしょうがないでしょう。そして、ポジションを持つリブラ運用者側も、クレジットの高い金融機関の預金を持とうとするのは仕方なくないですか?
この説明は、うがった見方をすれば、「日本の地銀がつぶれるかもしれないから、リブラなんか発行するのやめてよ、Facebook!」と言っている感じで・・・知らんがな! そんな信用力のない地銀はリブラが有っても無くても、いずれつぶれるっしょ。

それから、2のマネロン問題。
これは、仮想通貨について常に言われる問題でリブラに限った話ではなく。。。
なので、「マネロン対策のために仮想通貨をどう管理、監視すべきか?」という事柄のはず。
リブラはあてはまらないが、マーケットで価格が上下するタイプの仮想通貨は、日本では仮想通貨取引所を一定のルールで縛ってKYC(本人確認手続き)を徹底させたり、当局への報告義務を課す方向である様子。
リブラにような法定通貨と連動するタイプのコインは“資金決済法上の仮想通貨ではないですよ”と考えられているようなのでやや混乱するが、どっちにしても「マネロン対策のために口座チェックのルールを作りましょう」というポジティブな議論が必要なのだろうし、その方向で問題ない気がする。

3についてはやや難しいので、本当はパスしたいが、何となく思うのは・・・。
一般に法定通貨は「信用通貨」であり、銀行に借りに来る人がいて(信用供与されて)初めて発生するものだ。で、借金を返さなければいけない人たちやこれから借りようとする人たちにとって、その返済がおおむね“余裕”なのか“アップアップ”なのかを当局が判断して、市場金利と資金流通量を適正管理しようと金融政策を執り行う。
一方で、電子マネーもそうだが、仮想通貨もほとんどが「信用供与」で生まれるわけではない。既存資産であるモノやお金を対価として、場合によっては特典として無償で、交換されることで発生する(当然、これは説明上の話で、通貨発行のほうが先行するのだとは思うが)。
なので、“通貨”といっても仮想通貨は、「決済手段」になる、というところが法定通貨と同じなだけだ。。と思う(違うのかな?)
例えば市場変動型の仮想通貨と法定通貨との交換レートには仮想通貨自体の需給バランスが反映されるので、本来ならば発行体や運営母体は(それが存在すれば)、発行量を適正に管理すべし、となるべきなのだろう。
リブラは通貨バスケットに対するペッグ制だから、それを守るために発行量を実際のマーケットで売買、利用されている量と大過なくコントロールしなければ信用棄損を起こす可能性があるので、リブラを管理するLibra協会はそこをきっちり管理しなければならないのだと思う。
でもそういう信用維持という意味での通貨量コントロールと、伝統的金融政策の対象である信用通貨の管理を同列に考えていいものなのだろうか?
この辺は、正直、どう考えるべきか判断するにあたり自分の能力に自信がない。できれば詳しい人に教えていただきたいが・・・。
さりながら現時点で、この3の懸念事項は、何か釈然としない。

そして、4.個人情報保護の問題。莫大な個人情報と金の流れを両方握ることの警戒感・・・それはそうだろう!
でも、これはリブラの話でもなければ金融の話で何でもない。もっと大きな話だ。
株式相場がずっともてはやしてきた「IoT」含め、これからの世の中では、大量の個人データ、個人情報を誰が握る。それを“宝”に変えるのか、あるいは人民を縛る“鎖”に変えるのか、が問われてきているわけだし、GAFA(あるいは、中国型国家管理体制?)などへのアンチ潮流として、GDPRを軸にした個人を守ろうとする動きが出てきているわけで。

なので、この記事に示してあるどれもこれも、「リブラだから問題!」という話ではない気がする。

で、いろいろと言っているけど、いみじくもこの記事に書いてあるように「通貨発行という国家権力の根幹への挑戦という受け止めがある」→これが問題なんでしょ? 気に入らないんでしょ? というのに尽きる気がする。

なんとなく、このアンチ記事の裏には、「こんなに問題があるから、リブラは国家権力を中心に、国際的に管理するからな!」という脅しのような意図が感じられる。
もっと陰謀論チックに言えば、国家権力やそのさらに大きな枠組みの根幹を担っている、そういった方々が、マスメディアにアンチ記事を書かせて煽らせているのかなあ、と。

たとえば、「各国当局が多大なコストをかけて維持している金融システムに「ただ乗り」することへの警戒感も強い。」という指摘も書いてある。
でも、例えば日銀内部にだって、ブロックチェーン決済を現行の銀行間の資金流通の一つのオルタナティブとして活用しよう、という動きがある。JPモルガンや三菱UFJなど、独自の仮想通貨発想を具体的に検討している“そっち側”の方々もいる。

ならば、「何でリブラ(Facebook)ばっかり目の敵にしているのですか?」、という、、、ね。

「だって、Facebookは現に大量の個人情報流出をしでかしたじゃないか!」「世論誘導に不正に利用されたじゃないか!」などの反論がありそう。
でも・・・ね。個人情報の流出はFacebookだけですか? よくわからない世論誘導はFacebookだけですか? 、、、ねえ。

確か、前の記事では、Libra協会は当初こそFacebookやMastercard、PayPalなどグローバル企業や学術機関がガバナンスの枠組みを担うが、順次、分散性を拡大していく、という説明があった。
思えば、仮想通貨ブームの裏には古くからの“国家(?)監視を許さない!”「サイファーパンク」運動があって、一方で、法定通貨側には「ディープステート」的な陰謀論が跋扈している。
この二つの対立軸、ということなのか?? あるいは、事はそう単純じゃないのかな。まあ、上記陰謀論では「あまりに幼稚だな」とおしかりを受けるかもしれん。

最後はいつものセリフで締めますが・・・。
「そんなこと、一庶民がいろいろ悩んでも仕方ないが、それでもいろいろ頭をぐるぐるさせて考えておきたい」

Facebookの仮想通貨「Libra」

https://japan.cnet.com/article/35138666/
→CNET Japan 2019/6/18 19-40「Facebook、仮想通貨「Libra」への参画を発表–2020年にサービス提供へ」

長らくベールに閉ざされていた Facebookの仮想通貨計画が公表された。
(すでに「“仮想通貨”ではなく“暗号資産”と呼べ」と決まっているのに、やはり“暗号資産”では認知が低すぎて一般的には受け入れられていない様子。)

「Libra」と言って、Facebookとは別に立ち上げる非営利団体のLibra協会が立ち上げ、運営する。Libraは海外送金や各種支払いに利用される。
Libraを使った金融サービスは、Facebookの規制対象子会社の「Calibra」が担う(2020年からサービスイン)。

協会のパートナーはFacebook以外に、VisaやMastercard、PayPal、Stripe、ebay、lyft、Uber、Spotify、vodafone、Coinbaseといったグローバル企業や、非営利組織、学術機関など。他の記事によると日本をはじめ複数の国の企業の参加を検討している様子。

Libraは“裏付けとなる資産(リザーブ資産)” =複数の通貨や短期国債、で(一定の?)価値が担保される、そうだ。ブロックチェーンの衆人環視と相まって、安全安心。

CalibraはFacebookの代わりにLibraネットワークを活用したサービスの開発・運営を実施する。Calibraが提供する金融サービスは、今見えているところでは、Messenger、WhatsApp、専用アプリで利用できるデジタルウォレットの提供。
このウォレットでは、“テキストメッセージを送るのと同じ感覚”でLibraを貯めたり送金したりすることが可能、とあり、ボタン一つでの代金支払いや、スキャンで“ピッ”のらくらく商品購入ができたり、公共交通機関での利用等々、様々なキャッシュレス決済サービスを展開する予定。

さらに、ユーザーの資金(と情報)は高度なセキュリティーで厳重に保管される上、サポート体制や悪意ユーザーによる損害への補償もある。

そういうわけで、非常に便利そうだ。ひじょ~~~に、便利そう!

さて、気になるCalibraでの個人データの取り扱いだが、以下のように説明されてる。
・ソーシャルデータと金融データは適切に分離する
・決済データ(アカウント情報や金融情報)はFacebookや関連アプリのターゲティング広告には使用しない
・ただし、「生命の安全が脅かされる場合」「法律に基づく場合」「Calibraユーザーに基本的な機能を提供する場合」に限り利用する

Facebookは今、個人データ利用に関して世界中でいじめられているし、特にターゲティング広告はみんな“薄気味悪い”と思っているので、「それには絶対利用しません!」というのは当然だろう。
特にFacebookの場合は、投稿内容やいいね!履歴や友人関係といったさまざまな情報に紐づけられる懸念もあったわけで、生理的に嫌がる人も多いだろう。
とはいえ、中には「俺の個人データは勝手に使ってもらって構わないから。逆にどんなサービスを提供してもらえるの?」という猛者(?)も一定数いるわけで。

そういう意味で、“「Calibraユーザーに基本的な機能を提供する場合」に限り利用する”というのがミソで、これがどういうサービスで、どう発展するのか、というのが興味深いところだ。
現在、LINEや通信各社など、様々な企業が手掛けるキャッシュレス決済サービスも、①ビッグデータを分析した“層”としてのマーケティングデータの活用、の方向は間違いなくある。②個人データを個人の『信用スコア』に利用する動き、も、例えばLINEやソフトバンク(⇔みずほ銀行)にはある。また、これまでの流れだと、③ハッシュ化した情報をもとにDMPを活用して“紐づけ”、企業のマーケティング(MAなど)に利用する、といった活用法がメイン想定であったと思われるわけで。

GDPRおよびe-プライバシー規則など「データ所有権を個人に戻せ!」といった流れの下、個人的に③の流れはどうなっていくのだろう? と思っている。当初の一定の許諾によりマーケティングにデータ利用したものの、「やっぱり、私の個人データ、返して!」となった場合に、どこまでのことができ、どこまで対応しなければならないのか?
また、②については、中国だから「ゴマ信用」のような、おっとろしい(!?)代物ができたわけだが、この動きがこのまま人権意識が高い国々(とくにヨーロッパ)で実現されるものなのか? 日本はもともと“従順なヒツジ、怒れるヤギ”の国だったわけでいずれにせよ一方向に流れが行けば、「『信用スコア』やむなし」の方向に向かう可能性(リスク?)が高いと、個人的には思っていたが。

さて、余談だが、経済活動にかかわる「個人」ばかり“徳”を求められる『信用スコア』だが、例えば、企業のある種の支援活動にも“徳”を認める動きが有ってもいいのではないだろうか?
実は、現在、自分が動いているある件は、そこにソリューションを与えるもの。
別に、『信用スコア』で“上から目線”の評価をするのでなく、「あの企業、ありがたいねえ」と感謝する、というイメージだろうか。
あまり絵空事を語る風にとらえられたくないので、本件はここまで。

ところで、このLibraを“金融商品”として考えた場合、自分などは投資信託畑なので、通貨バスケット型MMF(MRF)=短期公社債投信のイメージがある。
“リザーブ資産”がどこまで厳密に運用されるものなのか、少しだけ興味がある。
どういうタイミングで設定解約(増資減資?)されるのか、そもそも通貨発行額あるいは流通額の100%が運用に回るのか、とか。
日々(時々)の決済データを集約して設定解約(というか、運用金額の増減)するのは、ブロックチェーンだからやりやすい気はする。
変な話、いきなり世界一の決済可能な流通量をもつ仮想通貨(暗号資産)が現れるわけで、このLibraの需給によって、リアルマーケット(債券市場、為替市場)にも影響が出ることになるのかもしれない。

そう考えると、伝統的な金融ビジネスという“古い世界”と、SNSやそのデータ活用ビジネス、キャッシュレス決済という“新しい世界”は、まったくつながっているんだなあ、と思う。
そして、既存の銀行や証券といった“古い枠組み”でしかものを考えられない人は、時代に置いて行かれるのでは、という懸念も。
などと、これは、やや我田引水かもしれない。

ご無礼ながら、甘えるな!

https://www.asahi.com/articles/ASM6D4JSKM6DULFA011.html
→「2019/6/15朝日新聞デジタル:東芝系社員、退職拒み単純作業 「追い出し部屋」と反発」

久しぶりにむかつく記事だ。
むかついているのは東芝に対してではない。配置転換に反発しているという社員に対してだ。
とはいえ、記事は一部しか読めないうえ、記載内容だけでは詳細が把握できない。なので、あくまでも、これから書く文章は、現時点での一個人としての(やや感情的な)勝手で無責任な解釈、と思っていただければありがたい。

記事の内容は、ざっくり言ってこんな感じだ。
<1>希望退職を拒否した東芝100%子会社のシニア社員たちが、新設された部署に配置転換され、そこから応援先の工場や物流センターなどで肉体労働にいそしんでいる、というものだ。もともと営業や事務畑なので体力的にも非常にキツイらしい。
<2>その前にはこんなことがあった。記事を引用する。「複数の社員によると、4月中は研修として社外の人材コンサルタントらの講義を受け、経営環境の厳しさを理解し、配属を前向きに考えるよう求められた。自分を省みて変えるべき点を同僚に表明し、作文にもまとめたという。」

<1>については、不慣れな肉体労働に従事する社員たちに対し、シンパシーがないわけではない(後述の通り、それでも「甘えるな!」とは思っているが)。
<2>についても、自主的にではなく、関係ない奴から「反省しろ」と言われて反発がわく気持ちも、ほんの少しだけは理解する(それでも、自主的に反省すべき点はあるのでは、と感じるが)。

それでもなぜ自分が「むかついて」いるのか。それは、彼らが「東芝」の(子会社の)社員だからだ。

粉飾決算を繰り返しながらもなぜか上場を維持され、諸悪の根源だったウェスチングハウスを整理するために虎の子の東芝メモリなどを売却して、(これは偏見かもしれないが)すでに将来性のある事業はなく、債務超過に陥りながらもミラクルな第三者割当増資で既存株主の価値を大幅に希釈させた挙句にようやく立ち直り、財務上はきれいな会社によみがえったがその実はスッカスカな東芝という会社。
この会社の再建劇を遠目で見ていた時ほど、日本の大企業の、日本という国の、無責任体質を感じたことはなかった。はたして、「東芝」という名前を残すためだけに、公正な市場ルールを捻じ曲げる必要はあったのだろうか。
まあ、それでも、株価は回復基調なので、市場は東芝の存続を好意的に評価している、ということなのだろうが、心情的にはどうもわだかまりがある。

また、東芝が現在、株式市場から期待感を得られているのは、「GAFAに立ち向かうために『サイバーフィジカル』を促進していきます」「縦割り組織の弊害をなくし新しい血を入れ替えていきます」といった“再生力”が期待されてのことだ。実際、日本の大手製造業はIoT時代に様々なデータを生み出して飛躍することがありうるのではないか、と期待されている(現時点では、自分には詳細な情報がないので、この点についての東芝への評価はフラットだ)。
東芝は株主構成でいうとすでに「外資系企業」で、その株主からは再建のため人員整理を含む大幅なリストラを迫られてきた。

だから、そんな状態である東芝(の子会社)で、あえて希望退職を受け入れず、かつ、配置転換にも反発している社員たちは、いまだに「お家」が自分たちを守ってくれる、と思っているのだろうか。それとも、何らかの形で「お国」が守ってくれるとでも?
冗談じゃない! 甘えるなよ、まったく。

3年ほど前、東芝の粉飾決算が判明した時に、営業社員が「チャレンジ」と称する無理なノルマを課せられてきたことを知り、その時は社員たちに非常に同情した。
自分が居た山一證券を思い出し、組織というのは本当に理不尽なものだ、と思ったし、日本社会では山一破綻の教訓が全く生かされていない、と嘆いたものだ。
だからこそ彼らには、組織に隷属せずに、小さな自分の二本足で立って、小さな脳細胞でぐるぐるといろんなことを考えて、「我がこと」を生きる人生を歩んでほしいな、と、僭越ながら感じていた。

そして、いろんなことがあっても「お家」を捨てず「お家」にしがみつく、と“自分で考えて”判断をした彼らが、いくら肉体労働系の職場についたからと言って、(愚痴る程度なら大いに理解するが)それを新聞記者にリークして社会問題化しようと企てるなど、ふざけるな、と言いたい・・・この記事がリーク記事なのかどうかは知らないが。

もっと言うと、古くは社会問題化したソニーなどの「追い出し部屋」では、パソコンもなく外部との連携が遮断された部屋に閉じ込められ、“何もするな”“働くな”という仕打ちを受けていた、と聞く・・・正直、これはきついよな、と思う。会社に“必要とされていない”ことが明々白々で、心理的にズタボロになりそうな気がする。
それに比べ、今回のケースは、実際に会社が“必要とする”物流や仕分けの作業を割り振られているわけだ。それを「自分が今までしてきたことと違う!」「しんどい!」と言っているのは、ただのわがままだ。駄々っ子と一緒だ。

自分は、シニア世代が“組織にぶら下がる”決断をすること自体をことさら悪いことだとは思っていない。いや、正直に言うと、本来は自らの足で新たな領域に「チャレンジ」をしてほしい、と思うが、もろもろの事情でその選択ができない人は、特にシニア世代には多いだろう。
だから、組織を離れて自分の足で歩こうとして辛い思いをしている人にも、組織の中で黙って逆境に耐えている人にも、同様に“仲間意識”を持っている。

この流れで自分のことを書くのは、非常に気恥ずかしい、というか、勇気がいる、というか、とにかく、アレでナニだが・・・。
自分は山一の破綻とその後も続いた惰性の組織人人生を経て、新たなチャレンジを繰り返す人生を10数年続けている。
偉そうに書くと、「世の中は変わる」という危機意識の下、自分の“Fun!”を軸に「エンタメとファイナンスをグローバルにつなげるクリエイティブ人材になる」ことを目指して動いてきた。
そして、その試行錯誤の変遷は、自分を新たな可能性に導いてくれている気がしている。今、自分が取り組んでいて、いろんな人を“巻き込もう”としていることは、チャレンジの当初に思い描いていたこととは全く異なるものだが、グローバルにも通用する新たなビジネスで、その社会的意義も非常に大きいのではないか、と感じている。

一方で、冷静に言うと、かくも長い間、「何も成し遂げられなかった」自分がいる。これまでもいろんな人を“巻き込もう”としてきたが、まったく巻き込めなかったり、巻き込んだと思っても離反したり、とにかく、うまくいかないことの連続だった。
また、身内や古い友人(Y社のI社長ほか)など、ご迷惑をかけながらも人の情けに助けられ続けた日々でもあった。現在進行形だが。。。

こんな状況が続くということは、“食えない”ということでもある。
実際、深夜の土木現場の警備員や、倉庫の仕分け作業、飲食店でのフロア仕事等々、様々なことをして食いつないできた。
(だから、東芝子会社社員が肉体労働が大変だ、というのも骨身にしみてわかる)

先日、山一時代の同期が突然亡くなった。
株式相場の指南役として新たなビジネスを立ち上げ、Youtubeで若手芸人も出演する番組を立ち上げ、PRを始めた矢先だったようだ。
聞くと彼は、この取り組みを始めようとする一方で、必ずしも経済的に潤っていなかったことから、(施設警備や介護など)ダブルワーク・トリプルワークの状態だったらしい。彼はメタボ体質だったので、恐らくそういう日々の無理がたたったのだろう、ということだ。
悔しいだろうな、と思う。それでも、今いる場所でも、どうか生前同様、朗らかな彼のままでいてほしい。

僭越だが、あえて、東芝子会社のシニア社員の方々に“仲間”として言いたい。

あなたの周りを見回してみてください。あなたは今、不幸せなんでしょうか? もし、どうしても「許せない」と感じるなら、組織にしがみつくことを諦める、という考え方もあるはずですよ。あなたが自主的に下した判断で、自主的にした行動なら、その結果を受け入れることもたやすいのではないでしょうか。
・・・願わくば、その先に明るい未来があらんことを。

「アホ」的つぶやき

長らく定期的に出席させていただいている「読書会」があり、いつも様々な“気づき”をいただいている。
今回の課題図書は『京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略』。
自分は科学的でアカデミックな素養は皆無だが、いろいろと面白い内容だった。

浅薄な自分が要旨を語るのはおこがましいが、この本の肝は、こういうことかなと思う。

・世の中(特に自然)は、何らかの因果律により成立する合理的な「樹形図構造」ではなく、例外などのわずかな条件のズレが結果を大きく変える『カオス』である
・『カオス』には「樹形図構造」とは異なる秩序がある
・無秩序から秩序を生む段階のある臨界点を超えた状況で「相転移」が起こり別の相に変わる。ある秩序が、ある臨界点で「逆相転移」し別の相に変わる
・自然界を含む自然発生的ネットワーク(=複雑ネットワーク)は、正規分布つまりランダムな確率に支配される(公平な)構造ではなく、べき分布、つまり不平等性があるスケールフリーなものである
・「モテる奴はわずかで、彼らはモテるからモテる」。ただし適応度が強いものはその世界の中で逆転ができる
・ランダムネットワークよりスケールフリーネットワークのほうがトラブルに強い(一方、恣意的な攻撃には弱い)
・合理的な「選択と集中」は×。教養や雑学や趣味、無駄やガラクタなどの“多様性”はスケールフリーな社会では非常に重要(思いがけない「裏道」につながる)
・だからこそ、「アホになる」つまり人と違うことを気にせず、とことん面白がって探求する必要がある

ご自身が現在の大学効率化という“合理的な”流れに抗しているため、著者のやや我田引水なところも感じられるが、むしろその部分が、現在の自分の状況をフォローしてくれるような印象があり、なんとなく勇気づけられた(自分も、大多数の人が抱く「今の世界がこのまま続く」という観念に抗してチャレンジを続けているため)。
例えば、こういったところだ。
・一種の「相転移」がイノベーションであるとすれば、イノベーションはガラクタと試行錯誤から生まれる。イノベーションを起こすにはその前の臨界状況の混沌が必要
・それは必ずしも「世のため人のため」を思って発生せず、個人的な興味から発生する

自分が自社に「人生はエンターテインメントだ」という意味の社名をつけていること。これまで自分の“面白い!”を起点に様々な試行錯誤を繰り返し、イノベーションを起こそうとしていること。そして現在にいたるまで泥沼とも思える混沌状況にあること。
「それはイノベーションを成立させる絶対条件です」「あなたはイノベーターなんですよ」
そう言ってもらっている気がした。

さて、上記のような“シンパシー”だけではなく、この本で興味がわいた点がある。それは、スケールフリー構造の「モテる人はモテるからモテる」という説明の箇所だ。

・バラバシ(※)は、簡単なルールでスケールフリーネットワークが作れることを発見しました。それは「新たに友達同士をつなぐ(リンクをつける)ときに、たくさん友達を持っている人(ノード)に高い確率でリンクを張る」というルールです。
・(中略)もしすでに持っている友達の数に関係なく、みんなが同じ確率でリンクを張ると、それはスケールフリーネットワークではなく、ランダムネットワークになるでしょう
・逆に、モテる人にリンクを張る度合いを上げるとスケールフリーネットワークが出現するのですが、その度合いをさらに上げると、一人のカリスマが世界を支配するような「独り勝ち」の状況が生まれます
・現実の世の中は、ランダムネットワークでもなければ「独り勝ち」でもありません。基本的には「モテる人がモテる」状況なのですが、そこにモテない人にリンクを張るような「気まぐれ」が適度に混ざっている状態です

※ ハンガリーの物理学者アルバート=ラズロ・バラバシ。彼らの研究グループがインターネットがルーターの故障に対してどれだけの体制を持つかを調べるコンピューター実験についての件

自分は今、SNSなどを利用したインフルエンサーマーケティングに非常に興味がある。一方で、今の世界の現状は、以前に比べて(小さな世界の話ではあるが)「独り勝ち」な人たち(ノード)が増えている気がする、と考えている。それは、ある種の社会問題化が懸念される危機的な状況の手前な気がしている。

実は、自分がいま提案しているとある「イノベーション」は、その一つの解決策となりうることだと思っている。
もちろん、そのためには広範にデータを集め、具体的にテーマ化して検証を行うような、アカデミックな動きが必要で、今の段階ではそんなことは全く考えられないのだが・・・それでも、そういう「社会問題の解決」という観点でも、今、自分が進めている“取り組み”でいろんな人を巻き込むことができたらなあ、と考える次第。

・・・いち「アホ」として、つぶやいてみた。。

ゴジラの日

またまた数か月空いてしまった。
このブログをビジネスのプロモーションツールとしてとらえた場合、まったく機能していないことになってしまっている。いやいや、このブログは単に、現在の自分が考え感じたことを記録・記述するためのツールだ。誰かに読んでほしいとは思うが、だからといって大勢の赤の他人の衆目評価にさらされようとまでは思わない(そんな甘い考えでよいものだろうか、とも思いつつ)。
そういうわけで、言い訳がましく久々に投稿する。

先日、「オープンイノベーション」をテーマとするセミナー&交流会に参加してきた。あるビジネスプランの出資や協業の候補を見つけるためで(と、自ら勝手にテーマを課し)、セミナー登壇者を中心に、数名に対し積極的な名刺交換と多少のビジネス概要説明を行ってきた。

「オープンイノベーション」というテーマなので、参加者は主に、大企業でベンチャービジネスを立ち上げようとしている人たちや、自分のようにベンチャー側の人間だったが、その大半は前者だった。

セッションの一つに、大企業の中で新規事業を起こした方々の懇談があった。
「人生の岐路に立った時に、不思議となぜかイノベーティブな活動に携わるようになる」といった、過去の自分にも重なる話で面白かった。
しかし、登壇者からこんな(↓)意見が出て、さらに会場全体に同調する空気が広がっていたのが、なんとなく悔しかった。

「成果という点ではリスクのある仕事をしているので、(危険な現場で働く場合に支給される)『危険手当』を出してほしい」

『危険手当』っすか・・・この辺が大企業の“中の人”の限界だよなあ。やはり日本の大企業労働者は特権階級・・・などとは言いますまい。自分も元大企業従業員として、そのメンタリティもよくわかるので、否定する気まではないです。。。仕方ない、です。。ふうっ。

むしろ、こういうことに影響されて、自分の気分をネガティブにしてしまっては一番いけない、と思う。
数年前(ちょうどショーン・K氏の経歴詐称問題があったころだから、3年前か)、『大怪獣の日』という短編小説を書いてみて、某投稿サイトに開示している。
→ https://estar.jp/novels/24066669/viewer?page=2

「チャレンジがうまくいかずに人生ネガティブに過ごしている中年の些細な価値変容」を描いたものだ。この投稿サイトのカラーには合わないが、自分は作品としてそれなりに気に入っている。
本当はタイトルを『ゴジラの日』にしたかったのだが、このサイトのコンプライアンス担当(?)から「権利問題もあるから、“ゴジラ”はやめた方がいいよ」とすぐ連絡があり、改題した(けど、やっぱり『ゴジラの日』のほうがいいんだけどなあ)。文中でSuper Butter DogをSuper Butterfly Dogと書いてしまっている、など多少直したいとこもあるが、面倒なのでそのままにしている。

さて、くだんのセミナーの別セッションでは、自分も面識がある某ニュースメディアで長らくキャスターを務めておられた女性が、“成功しているイノベーター”の共通点として、(確か)以下を挙げておられた。
1. 視座が高いこと
2. あきらめずにやり続けること
3. パッションがあり、その結果、人を巻き込む力があること」

おこがましいが、自分は1も2もそれなりに備えていると思っている。3にしても、パッションはある積もりなのだが・・・それでも人を巻き込んで動かすことが、長い間、かなわない。よく言う「セカンドペンギン」がなかなか現れてくれない。。何が足りないんだろう・・・などと、またネガティブになってしまう。。

とはいえ、人間誰しもうまくいかないときはあるし、そんなときはネガティブな気分に陥るのも仕方がない、とも思う。
だから、自分は勝手に、上記3については、1と2の行動に伴う“幸運な結果”であり、むしろ、例えば3を理由に「あなたには3の要素が見当たらないから、このチャレンジは無理ね」などと決めつけるべきでない、と思っている。
(でも、「いいえ。見るからにパッションのない人に、イノベーションを起こすことは無理ですっ!」などと反論されるかもしれないな)

で、友人にこの話をしたら、いいこと(↓)を語ってくれた(これも、やや曖昧な記憶で、不確かなのだが)。

「期待通りに周りが動かないなんて、そんなの、自分含めみんな同じだよ。でも、『人を当てにするのでなく、自分を当てに』しなきゃね」

自分を当てにせよ、か・・・まっことその通りぜよ(竜馬風)。
とにかく、今はこういうことを言ってくれる友人が一人いるだけでもありがたい。

前へ、歩こうかぃ

●「氷河期世代」に能力開発を 経済財政諮問会議 (日経 2019/3/27 19:12)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42984060X20C19A3EE8000/

10年以上前に、『歩こう会』というシナリオ(参考:あるこう会(ロング))を書いた。ロスジェネ世代の、かたや正社員、かたや契約社員の幼馴染を描いた話で、自分としては「これから世の中、もっと悪くなっていくだろうけれど、人を思う心というものは変わらないでいてほしい」という願いも込めて書いた。
しかし、それ以降、世の中は自分の予想をはるかに超えるレベルで“悪くなった”気がする。
これは、社会の中軸にいる人たちが、「このまま世の中は変わらなくていい」「変わるためのチャレンジをしなくていい」と思い続けた結果だ。その犠牲者がロスジェネ世代、というわけだ。
コトをこんなに短絡化してしまっては本質を外してしまうかもしれない。とはいえ、不作為の罪、というものは確実にある気がする。これは自らの胸にも手を置いて考えたい。

この記事については、おそらくロスジェネ世代と思われる方々から「能力開発ったって、今更何をさせるつもりだよ」「結局、介護などの(人がいやがる)仕事の働き手を養成したいだけでしょ」「結局、業者が潤うんでしょ」といった揶揄や批判の声も出ているようだ。
そういうことなのかもしれない。
ロスジェネ世代は確かに層として大きく不幸を背負ってしまった気の毒な世代だといえる。その中で世を儚んでニヒル化してしまう人がいても仕方がないのかもしれない。

とはいえ一方で、自分は「世代論」というのが実は苦手だ。
年代が同じだけで、これまで会ったことも見たこともない人たちと、どうしてひとくくりで語られなければならないんだ、決めつけられなければならないんだ、という気概を持った人たちは、別にロスジェネ世代に限らず、バブル世代にもゆとり世代にも、どんな世代にもいるように思う。
自分は全く“そっち派”だ。

バブル世代は、いまや巷ではまるでゴブリンのごとく嫌われている。「ぬくぬくと」「くろうもせず」「えらそうに」「べんきょうもしないで」等々。
これも、そういう人たちが多いのは全くの事実だと思うし、自分はそういう方々に対して苦々しく思っている者の一人だ。うらやましく思ったりもするが。
だからと言って、みんながみんな同じように生きて同じように考え、行動しているわけではない。
人間、いつからでもチャレンジはできる。前に進むことはできる。そう思うし、そういう人たちこそ、世代などに関係なく活躍できる世の中になることを切に望む。。。

10年以上も前に書いた『歩こう会』も、(いろいろ古い内容はあるが)物語として本質的には価値を失っていない気がする。これもあきらめず、前へ。