●「ブレトンウッズ3」の足音 せめぎ合うドルと商品 特任編集委員 滝田 洋一(日経 2022年3月27日 13:00)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD220VM0S2A320C2000000/

日経特任編集委員・滝田氏の解説記事。
ロシアのウクラナ侵攻に対する制裁が、ロシアを国際金融網から締め出す形で実施され、ドルを金融兵器として用いる「金融戦争」になった。この結果、これまで国境をまたいで金が流れ富が富を生んだ「グローバリズム」に終止符を打つことなる、というご指摘だ。
この記事で、クレディスイスの金利戦略責任者ゾルタン・ポズサー氏が提唱する新しい基軸通貨体制「ブレトンウッズ3」について説明している。
曰く、
1.ブレトンウッズ体制(金ドル本位制)=ニクソンショックで崩壊
2.ブレトンウッズ2(ドル基軸通貨)=現在、これまで
3.ブレトンウッズ3(商品・人民元の台頭)=今、その幕が切って落とされようとしている!

ポズサー氏の「今回、ロシア制裁に踏み切ったことがドルの弱体化を招くことにつながる」という慧眼(なのかな?)。
ドル資産を差し押さえされる国はドルの代替資産を求め、原油など商品の役割が増す。資源商品にプレミアムが付き非資源国や新興国ではインフレと政情不安が起こり、そういった先に中国人民元による基軸通貨チャレンジが行われる、という説明。

●中国・習近平、じつは「金、石油、穀物」
をひっそり「爆買い」している危ない事情。世界通貨ドルは大ピンチへ 福島香織(Gendai.Ismedia 2022.03.28)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93575?page=2

ほぼ同じ日に出た現代イズメディアの福島氏の記事。
こちらの記事では、同じくポズサー氏の指摘をより詳細に参照している。

ポズサー氏:
「目下の危機が収束しても、ドルは明らかに弱体化するであろう。
ゴールドを基礎にしたブレトンウッズ体制は内部通貨(インサイド・マネー=押収可能な米国国債など)を基礎にしたブレトンウッズ2に移行し、さらに外部通貨(アウトサイドマネー、ゴールドとその他コモディティ)を基礎にしたブレトンウッズ3に移行していくだろう。
危機が過ぎた後も、グローバル金融システムは依然とかなり違う形になるだろう」
「今まさにコモディティ危機が醸成されている可能性がある。コモディティは抵当になり、抵当がすなわち通貨の役割をする。
この危機はまさに外部通貨が内部通貨よりも魅力を増し続けることによる誘発される危機だ。ブレトンウッズ2は内部通貨の基礎の上にあるが、G7がロシアの外貨準備を凍結した時、その基礎はすでに崩壊しているのだ」

記事内の(二重)参照ばかりで恐縮だが、福島氏の記事では、モルガン・スタンレーの外為新興市場グローバル主管のジェームズ・ロードが出したリポートにも、同様の指摘がある、と書いている。

ロード氏:
「米国とその同盟国がロシア中央銀行の外貨準備を凍結する意向を示して以来、市場実務家はすぐに、ドルベースの国際金融システムからの離脱が加速される、という見方を示している」
「その他中央銀行が自分たちの外貨準備が、思っていたほど安全でないということに気づき、ドルの準備金を多元的に分散投資し始めたのだ」

福島氏記事によると、ロード氏いわく、各国中央銀行の外貨準備の備蓄資産(やソブリン・ウェルス・ファンド)が今後、買い貯めるのは、
・政治的同盟国の通貨や金融商品
・ゴールドなど実物資産
・自国範囲内で管理できるもの(可能な限り)
になってくる、ということ(・・・多少、自己流解釈かもしれないが)。

で、この記事曰く、ポズサー氏らのレポートを中国・習近平政権(金融当局関係者)が注目していて、金、石油、穀物をひっそり「爆買い」しているという。
その結果、ドルとの通貨戦争において中国人民元の地位が上がってくるだろう、という見立てだ。

と、長々と記事を参照して書いたが、自分は経済に強いわけでもないので、十分理解しているとは正直、言えない。しかし、

「ついにドル基軸体制が終わり、商品+人民元が力を持つ『ブレトンウッズ3』の時代がやってくる」

という大きなインパクトを受けた。
大きな「終わりの始まり」なのかもしれない。
日本はアメリカべったりの“オンリーさん”なので、日本政府・日銀(統合政府)のこれからの低空飛行化が見えるようで、恐ろしかったりもする。

とはいえ・・・。
この「ブレトンウッズ3」は、国際金融体制を昔の形に戻す、ということなのかもしれない、と思った。

ポズサー氏やロード氏の考えでは、これまで外貨準備で安全資産として何も考えず買われてきたドル資産の価値は下がり(少なくとも縮小したドル陣営の中でしか価値が認められなくなり)、実物資産にシフトしてくる。
通貨(銭)も商品も同じく価値を交換するモノであり、実用プラス交換手段として利用される貨幣と認識されることになる。
それは、中世の両替商や貿易商が営んでいた商いそのものなのではないだろうか?

このブログで何度か参照してきた、『撰銭とビタ一文の戦国史 (中世から近世へ)』(高木 久史 (著))に説明されているが、実は現在の政府・中央銀行が貨幣を発行し流通量を管理する、という世界は歴史的には「新しい」概念で、昔から貨幣というのは民間で作られて事実上それがデファクト化し、政府がそれを追認してきた、という歴史がある。

戦場で兵士間の価値交換のやり取りに「タバコ」が利用されるように、貨幣は合意形成さえされれば、一般的な「通貨」である必要すらない。

中世の日本でも絹などの布やコメが貨幣として流通されてきたし、戦国時代も中国(宋や明)の銭が流通し、ビタ銭と言われる勝手に鋳造された銭も出回っていた。
海外とのやり取りでは、明が公定の貨幣とする銀を基軸として、そういった様々な貨幣が、その時々の交換比率(レート)で交換されてきた。国内から武具類や銅、硫黄などを渡す代わりに中国から銭を輸入する、という流れもあったので、銭だろうが武具だろうが、それは商品でも貨幣でもあった。

ブレトンウッズ~ブレトンウッズ2体制では、各国政府の責任で発行され国際金融秩序の下に管理されてきた通貨(主にドル)や容易に交換可能な有価証券だけが貨幣として信頼されたが、ブレトンウッズ3体制では、貨幣の種類が膨れ上がり、それらの交換を担う両替商的役割がクローズアップされてくるだろう。

今の金融ビジネスやその周辺領域では、銀行が通貨を、証券会社が有価証券を、商品先物業者が商品デリバティブを、貴金属業者が金地金を取り扱う、といったように一見バラバラに見えるが、ざっくりくくると同じもの(貨幣やそれに準ずるもの)を取り扱っているように感じてきた。
狭い範囲をより狭くジャンル化して役割分担してきた、と言えるかもしれない。

でも、
・ここ数10年はセキュリタイゼーション(証券化)の流れの下、土地やローンなど有価証券や派生商品の原資産の領域は広がってきた。
・ビットコインなどパブリック・ブロックチェーンで流通する仮想通貨といった新しい貨幣も登場し、様々なコインがグローバルに交換されている。
・デジタル資産(有価証券の範疇のデジタル証券も、NFTのように範疇外のものも)はこれから本格的に発行されてくる。PTSや既存の証券取引所の発展でグローバルな流通市場にも発展していく可能性が見えている
こういう動きが進んでいた中で、今回のロシア制裁を契機にブレトンウッズ3体制に変わる先に、より広い世界が金融ビジネスの取り扱う領域になってくるのではないだろうか。
このブログで繰り返し述べているとおり、一方でデジタル化によって個人データ収集・利用も金融ビジネスと一体化するため、この広い範囲のビジネスを「金融ビジネス」と呼ぶかはさておき、となるが、今は「金融ビジネス」そのものが「中世の両替商」のように幅広い価値交換を行う大きなビジネスに切り替わる過渡期であり、その転機をもうすぐ迎える、ということかもしれない。

さて、このブログで何度か書いてきた『天下の秤』という物語の構想。
日本の戦国時代をグローバルな視点で見たとき、「後期倭寇」という東アジアのグローバル勢力は、ポルトガル・スペイン(のちにオランダ、イギリスなど)といったヨーロッパの勢力に伍して(金を価値の中心としたユダヤ金融資本でなく)「銀の経済圏」をグローバルに打ち立てる可能性が有った時代だった、と思う。

自分の中で物語の構想化自体が、今、全く進んでいないのだが、もう3年も前に書いた企画書ではこう書いた。

『天下の秤』とは
・排他的グローバルネットワークによる「情報」を権力者の射幸心をあおったり人民の不満をあおる方向などに活用し、“負けないゲーム”ができる
・世界一の経済大国・明の公定通貨「銀」を安価で仕入れ高値で供給し、“負けないゲーム”ができる
・茶の湯を基軸とした「嗜好品」の販売で、“負けないゲーム”ができる
・・・「これら“負けないゲーム”を(明と日本を中心に)東アジアにおいて確立し運営し続ける××一族と▲▲(の後継者)を頂点とする倭寇グループのことを、『天下の秤』と呼ぶ。
世界の基軸通貨と市場に流通する商品の価値を計り、一族の独占的な繁栄を図り、自らの商売のため情報を駆使して政治と治安の混乱を謀る。それが『天下の秤』である。」

もし、ポズサー氏らの予測が当たり、ブレトンウッズ3体制が定着する頃には「今と戦国時代のグローバル経済の相似形」が実感として認識されるかもしれない。
ずっとさぼっている、物語の構想化、ちゃんと進めたいな。
このままでは「言いっぱなしジャーマン」「言うだけ番長」で終わってしまいそうで、まずいです。

なお、『天下の秤』を進めることができてもできなくても、一方で「新しい金融」をチャレンジする流れの中に身を置いて、同世代の金融マンなどとともに新しい金融ビジネス像を探っていくことは志向していきたいと思っている。
というのも、彼ら後期倭寇や戦国時代の商人たちは、「国」という枠を超えて考え、活動していたから。
先に「アメリカべったりの日本政府の低落が怖い」と書いた。国に頼れない時代がやってくるとして、その時に頼れるのは、自分(やその仲間)の先見性と行動力だと思う。
国が没落するからといって、自分もそうなる、と思いふさいでしまうのは、それは違う。国よりももっと大きな視点を持ち“前を向いて”進んでいく・・・実際に自分自身がそんな大それた立場で生きられるかは別として、その気概くらいは持っていたい。