https://www.asahi.com/articles/ASM6D4JSKM6DULFA011.html
→「2019/6/15朝日新聞デジタル:東芝系社員、退職拒み単純作業 「追い出し部屋」と反発」

久しぶりにむかつく記事だ。
むかついているのは東芝に対してではない。配置転換に反発しているという社員に対してだ。
とはいえ、記事は一部しか読めないうえ、記載内容だけでは詳細が把握できない。なので、あくまでも、これから書く文章は、現時点での一個人としての(やや感情的な)勝手で無責任な解釈、と思っていただければありがたい。

記事の内容は、ざっくり言ってこんな感じだ。
<1>希望退職を拒否した東芝100%子会社のシニア社員たちが、新設された部署に配置転換され、そこから応援先の工場や物流センターなどで肉体労働にいそしんでいる、というものだ。もともと営業や事務畑なので体力的にも非常にキツイらしい。
<2>その前にはこんなことがあった。記事を引用する。「複数の社員によると、4月中は研修として社外の人材コンサルタントらの講義を受け、経営環境の厳しさを理解し、配属を前向きに考えるよう求められた。自分を省みて変えるべき点を同僚に表明し、作文にもまとめたという。」

<1>については、不慣れな肉体労働に従事する社員たちに対し、シンパシーがないわけではない(後述の通り、それでも「甘えるな!」とは思っているが)。
<2>についても、自主的にではなく、関係ない奴から「反省しろ」と言われて反発がわく気持ちも、ほんの少しだけは理解する(それでも、自主的に反省すべき点はあるのでは、と感じるが)。

それでもなぜ自分が「むかついて」いるのか。それは、彼らが「東芝」の(子会社の)社員だからだ。

粉飾決算を繰り返しながらもなぜか上場を維持され、諸悪の根源だったウェスチングハウスを整理するために虎の子の東芝メモリなどを売却して、(これは偏見かもしれないが)すでに将来性のある事業はなく、債務超過に陥りながらもミラクルな第三者割当増資で既存株主の価値を大幅に希釈させた挙句にようやく立ち直り、財務上はきれいな会社によみがえったがその実はスッカスカな東芝という会社。
この会社の再建劇を遠目で見ていた時ほど、日本の大企業の、日本という国の、無責任体質を感じたことはなかった。はたして、「東芝」という名前を残すためだけに、公正な市場ルールを捻じ曲げる必要はあったのだろうか。
まあ、それでも、株価は回復基調なので、市場は東芝の存続を好意的に評価している、ということなのだろうが、心情的にはどうもわだかまりがある。

また、東芝が現在、株式市場から期待感を得られているのは、「GAFAに立ち向かうために『サイバーフィジカル』を促進していきます」「縦割り組織の弊害をなくし新しい血を入れ替えていきます」といった“再生力”が期待されてのことだ。実際、日本の大手製造業はIoT時代に様々なデータを生み出して飛躍することがありうるのではないか、と期待されている(現時点では、自分には詳細な情報がないので、この点についての東芝への評価はフラットだ)。
東芝は株主構成でいうとすでに「外資系企業」で、その株主からは再建のため人員整理を含む大幅なリストラを迫られてきた。

だから、そんな状態である東芝(の子会社)で、あえて希望退職を受け入れず、かつ、配置転換にも反発している社員たちは、いまだに「お家」が自分たちを守ってくれる、と思っているのだろうか。それとも、何らかの形で「お国」が守ってくれるとでも?
冗談じゃない! 甘えるなよ、まったく。

3年ほど前、東芝の粉飾決算が判明した時に、営業社員が「チャレンジ」と称する無理なノルマを課せられてきたことを知り、その時は社員たちに非常に同情した。
自分が居た山一證券を思い出し、組織というのは本当に理不尽なものだ、と思ったし、日本社会では山一破綻の教訓が全く生かされていない、と嘆いたものだ。
だからこそ彼らには、組織に隷属せずに、小さな自分の二本足で立って、小さな脳細胞でぐるぐるといろんなことを考えて、「我がこと」を生きる人生を歩んでほしいな、と、僭越ながら感じていた。

そして、いろんなことがあっても「お家」を捨てず「お家」にしがみつく、と“自分で考えて”判断をした彼らが、いくら肉体労働系の職場についたからと言って、(愚痴る程度なら大いに理解するが)それを新聞記者にリークして社会問題化しようと企てるなど、ふざけるな、と言いたい・・・この記事がリーク記事なのかどうかは知らないが。

もっと言うと、古くは社会問題化したソニーなどの「追い出し部屋」では、パソコンもなく外部との連携が遮断された部屋に閉じ込められ、“何もするな”“働くな”という仕打ちを受けていた、と聞く・・・正直、これはきついよな、と思う。会社に“必要とされていない”ことが明々白々で、心理的にズタボロになりそうな気がする。
それに比べ、今回のケースは、実際に会社が“必要とする”物流や仕分けの作業を割り振られているわけだ。それを「自分が今までしてきたことと違う!」「しんどい!」と言っているのは、ただのわがままだ。駄々っ子と一緒だ。

自分は、シニア世代が“組織にぶら下がる”決断をすること自体をことさら悪いことだとは思っていない。いや、正直に言うと、本来は自らの足で新たな領域に「チャレンジ」をしてほしい、と思うが、もろもろの事情でその選択ができない人は、特にシニア世代には多いだろう。
だから、組織を離れて自分の足で歩こうとして辛い思いをしている人にも、組織の中で黙って逆境に耐えている人にも、同様に“仲間意識”を持っている。

この流れで自分のことを書くのは、非常に気恥ずかしい、というか、勇気がいる、というか、とにかく、アレでナニだが・・・。
自分は山一の破綻とその後も続いた惰性の組織人人生を経て、新たなチャレンジを繰り返す人生を10数年続けている。
偉そうに書くと、「世の中は変わる」という危機意識の下、自分の“Fun!”を軸に「エンタメとファイナンスをグローバルにつなげるクリエイティブ人材になる」ことを目指して動いてきた。
そして、その試行錯誤の変遷は、自分を新たな可能性に導いてくれている気がしている。今、自分が取り組んでいて、いろんな人を“巻き込もう”としていることは、チャレンジの当初に思い描いていたこととは全く異なるものだが、グローバルにも通用する新たなビジネスで、その社会的意義も非常に大きいのではないか、と感じている。

一方で、冷静に言うと、かくも長い間、「何も成し遂げられなかった」自分がいる。これまでもいろんな人を“巻き込もう”としてきたが、まったく巻き込めなかったり、巻き込んだと思っても離反したり、とにかく、うまくいかないことの連続だった。
また、身内や古い友人(Y社のI社長ほか)など、ご迷惑をかけながらも人の情けに助けられ続けた日々でもあった。現在進行形だが。。。

こんな状況が続くということは、“食えない”ということでもある。
実際、深夜の土木現場の警備員や、倉庫の仕分け作業、飲食店でのフロア仕事等々、様々なことをして食いつないできた。
(だから、東芝子会社社員が肉体労働が大変だ、というのも骨身にしみてわかる)

先日、山一時代の同期が突然亡くなった。
株式相場の指南役として新たなビジネスを立ち上げ、Youtubeで若手芸人も出演する番組を立ち上げ、PRを始めた矢先だったようだ。
聞くと彼は、この取り組みを始めようとする一方で、必ずしも経済的に潤っていなかったことから、(施設警備や介護など)ダブルワーク・トリプルワークの状態だったらしい。彼はメタボ体質だったので、恐らくそういう日々の無理がたたったのだろう、ということだ。
悔しいだろうな、と思う。それでも、今いる場所でも、どうか生前同様、朗らかな彼のままでいてほしい。

僭越だが、あえて、東芝子会社のシニア社員の方々に“仲間”として言いたい。

あなたの周りを見回してみてください。あなたは今、不幸せなんでしょうか? もし、どうしても「許せない」と感じるなら、組織にしがみつくことを諦める、という考え方もあるはずですよ。あなたが自主的に下した判断で、自主的にした行動なら、その結果を受け入れることもたやすいのではないでしょうか。
・・・願わくば、その先に明るい未来があらんことを。