●「氷河期世代」に能力開発を 経済財政諮問会議 (日経 2019/3/27 19:12)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42984060X20C19A3EE8000/

10年以上前に、『歩こう会』というシナリオ(参考:あるこう会(ロング))を書いた。ロスジェネ世代の、かたや正社員、かたや契約社員の幼馴染を描いた話で、自分としては「これから世の中、もっと悪くなっていくだろうけれど、人を思う心というものは変わらないでいてほしい」という願いも込めて書いた。
しかし、それ以降、世の中は自分の予想をはるかに超えるレベルで“悪くなった”気がする。
これは、社会の中軸にいる人たちが、「このまま世の中は変わらなくていい」「変わるためのチャレンジをしなくていい」と思い続けた結果だ。その犠牲者がロスジェネ世代、というわけだ。
コトをこんなに短絡化してしまっては本質を外してしまうかもしれない。とはいえ、不作為の罪、というものは確実にある気がする。これは自らの胸にも手を置いて考えたい。

この記事については、おそらくロスジェネ世代と思われる方々から「能力開発ったって、今更何をさせるつもりだよ」「結局、介護などの(人がいやがる)仕事の働き手を養成したいだけでしょ」「結局、業者が潤うんでしょ」といった揶揄や批判の声も出ているようだ。
そういうことなのかもしれない。
ロスジェネ世代は確かに層として大きく不幸を背負ってしまった気の毒な世代だといえる。その中で世を儚んでニヒル化してしまう人がいても仕方がないのかもしれない。

とはいえ一方で、自分は「世代論」というのが実は苦手だ。
年代が同じだけで、これまで会ったことも見たこともない人たちと、どうしてひとくくりで語られなければならないんだ、決めつけられなければならないんだ、という気概を持った人たちは、別にロスジェネ世代に限らず、バブル世代にもゆとり世代にも、どんな世代にもいるように思う。
自分は全く“そっち派”だ。

バブル世代は、いまや巷ではまるでゴブリンのごとく嫌われている。「ぬくぬくと」「くろうもせず」「えらそうに」「べんきょうもしないで」等々。
これも、そういう人たちが多いのは全くの事実だと思うし、自分はそういう方々に対して苦々しく思っている者の一人だ。うらやましく思ったりもするが。
だからと言って、みんながみんな同じように生きて同じように考え、行動しているわけではない。
人間、いつからでもチャレンジはできる。前に進むことはできる。そう思うし、そういう人たちこそ、世代などに関係なく活躍できる世の中になることを切に望む。。。

10年以上も前に書いた『歩こう会』も、(いろいろ古い内容はあるが)物語として本質的には価値を失っていない気がする。これもあきらめず、前へ。