カレント21

以前、『カレント21』という山一證券の広報誌があった。今やどこを探しても見つからず、この表紙写真はわざわざ国会図書館までいってコピーしてきたものだ。
主にIPO営業のために企業オーナーに配る、という狙いで刊行されていたようだ。掲載記事は経済見通しや税金指南、有名人インタビューなど多岐にわたっていた。未上場の中堅企業の紹介や企業オーナーへのインタビューが特筆だった(雑誌作成はプレジデント社が担った)。

この雑誌に『あの時は泣いた』というコラムページがあり、自分はそのコーナーがとても好きだった。大企業の偉いさんなどの「あの時は泣いたなあ」というエピソードを小説家の城島明彦氏が読み物としてまとめたものだった。

実は、今から約1年前から数か月間、『あのときはないた』という交流可能なウェブサイトを作って、それを主に中堅企業のコンテンツマーケティングに活用する、という事業案を打ち出し、出資者や協力者を募って回っていた。
「コンテンツマーケティング」や「ストーリーテリング」は、現在の企業マーケティング上、その効果が有力視されているものだ。さらに「あの時は泣いたなあ」という普遍的な“いい話”という「コンテンツ」が耳目を集めてコミュニティ化し、その“場”が“メディア”化することで様々な発展性が期待できますよ、というシナリオだ。

その取組みをここに表したということは、残念ながら、自分はそのウェブメディアづくりの遂行を諦めてしまった、ということだ。先行しているライバルたちの存在を知り、また、自分の周りのリソース不足など、アゲインストが様々あり、前に進めることができなかったのだ。
それでも、「コンテンツマーケティング」として「ストーリーテリング」なかんずく物語性のある「あのときは・・・」という切り口は、これからも前面に打ち出していこうと思っているし、その効果は期待できるものと思う。
また、耳目を集める「コンテンツ」を確保してコミュニティ化させて“メディア”を作る、というビジネス類型には、(入り口としても出口としても)様々な可能性があると思っている。

実は現在、ある方々が始めた新ビジネスの立ち上げにかかわらせていただいている。これも、大きく括ると「コンテンツ→コミュニティ→メディア」モデルだ。しかも、とびっきり!のコンテンツが関与している(“中小企業の社長のいい話”というコンテンツよりは間違いなく優秀だ)。そして、その行きつく先は「プラットフォーム」ビジネス。正直、将来GAFAにだってなれるのでは? と、自分などは勝手に妄想している。

ところで、前述の『あのときはないた』の営業の際、サンプルとして“ライフ・イズ・エンタテインメント合同会社の社長の事例”を作って配っていた。同社社長の「あの時は泣いたなあ」というエピソードをライターである自分が聞き取って文章化し、また、一方で社長にウェブメディア『あのときはないた』のビジネスについてのインタビューをして、それをまとめて・・・ん?
同社社長とは自分自身なのだから、これは完全に「自作自演」。しかも、『あのときはないた』というウェブメディアは全く存在していないから・・・セルフプロデュース(ねつ造)にもほどがあるでしょ、という“痛~い”“おなかがこそば~い”資料だ、ともいえる。

それでも・・・この資料(エピソードサンプル_LIE20171225_写真なし)には、自分がコンテンツファイナンスそしてクリエイションを目指そうとする動機が描けていると思うし、これまでの“チャレンジ”に通底する思いも、クリエイションへの思いを持ちつつもビジネス志向であることも、きちんと描かれていると思うのだが・・・どうだろうか?
(精一杯の虚勢、つまり、つよがり、も滲んでおるのだが。。)

ちなみに、自分が強引に当該プロジェクトの仲間に引っ張り込んだSさんからは、
「いい話っていうより、読んでて辛くなっちゃって・・・あ、けど、それなりの文量を一気に読ませる文章力はさすがだね」
と、少し気を使った評価をいただいた。公私にお世話になっているイタリアンレストランのオーナーシェフのIさんからは、
「(中堅企業オーナーの“ストーリーテリング”的アプローチには評価を示すものの)赤裸々な話は向かないんじゃ? もっと本人を立派に描くような内容じゃないと、うまくいかないのではないか」
と、現実的なアドバイスをいただいた。

いずれにせよ、映画を作ろうとすることも、今かかわらせてもらっているビッグプロジェクトも、企業のPRも、導入材料としての組織診断も、金融側の皆さんなどへのアプローチ(特にY社のIさんに多大なご迷惑をかけながら)も、そしてライターとしてモノを書くことも・・・すべてが一つにつながっているのだ、ということを、今後とも、精一杯の虚勢を張りながら、伝えていきたいと思っております。