現在、ある案件の資料を作っていて、何度もその直しをしている。「櫻井さん。この“VISION”の部分に書いてること、わかりづらいから書き直してくれません?」「はい、わかりました!」

え~と、「これから、世の中は大きく変わっていきます。変わらないものもあります。それは・・・」。さて、どう書き直そうか、など色々考えながら、なぜかとある過去を思い出していた。

新人の頃、「マンデー櫻井」なる“なんちゃって”刊行物を、毎週月曜に様々な見込み顧客あてに送り続けた。
http://www.lifeisentertainment.jp/2018/06/11/%E9%81%A0%E3%81%84%E6%98%94%E3%81%AE%E6%9C%88%E6%9B%9C%E6%97%A5/

ある超大手年金管理団体のトップの人もその対象に入っていた。
送り続けておそらく50回以上になる頃だったと思う。突然、支店の店頭にその方から電話が来た。ラッキーテレホンだ。
「一度、会社を訪ねて来なさい、中国ファンド(チューコクファンド)くらい買ってあげるよ」
喜んで上司に報告した。

上司、と言っても、当時「IPセクション」と言って、入社数年目の主任クラスの方々が就いていたIPマネージャーという職位にあった、今にして思えば単なる若者だ。黙って聞いていた上司は、
「そうかぁ、よかったな! 実は、今、売出し株の入札の割り当てがあって、それが埋まらないんだが、それ、入札してもらってこい」
と言う。特に何も考えず「そうっすか、わかりましたっ!」と答え、客先に向かった。

「へたくそな字で毎週送ってくるから、ずっと気になってたんだよ」
Oさんというその方は、経済も株式相場も何も知らないであろう自分が日経新聞丸パクリ(?)の相場観を語るその読み物を微笑ましく読んでいてくださったのだろう。表情には優しさがあった。
「ありがとうございます! ところで、今日、中国ファンドを、とおっしゃっていただきましたが、実は、〇〇という株の入札が有るんです。ぜひそちらをお願いしたいのですが」
「入札? いいけど、中国ファンドとどっちもってわけにはいかないよ」
「そうですか・・・でしたら、ぜひ入札をお願いします」
「本当に? 中国ファンドじゃなくて?」
「はい。実はうちの支店の割り当て、困ってまして」
「そう・・・わかった」

中国ファンドを買うとなると、口開けといって、支店に口座開設してもらう必要がある。入札の方は口座開設までは必要なく、氏名を書き買いたい金額で申し込み、約定できるか成果を待つ。当然、外れれば口座開設できない。

相手は運用資産んー千憶円(もっとか?)の年金団体のトップという超大手見込み客だ。いくら個人の口座とはいえ、そこでコネクションができ頻繁にお伺いできれば、将来は法人側の担当に食い込ませてもらえるかもしれない。そもそもOさんに薫陶を受けることで(インサイダー情報という意味ではなく)日経新聞レベルではない豊富な知識を得られるかもしれない。ネットワークが広がって自身の可能性が大きく広がるかもしれない・・・つまり当然、このケースの“正解”は、まるで人気のない売出し株の入札ではなく「中国ファンド」なのだ。
今ならそういう冷静な判断ができるのだが、当時の自分は全くそんな計算ができない。仕方ない。たかだか現場の一兵卒だったし、その立場に甘んじることに何の疑問も抱いていなかった。とにかく、上からやれ!と言われることをやるべし、としか思っていなかった。
というより、そろそろその現場がつらくなっていた頃だ。正直、外回り中、喫茶店などで時間を費やしでさぼり始めていたころでもある。

結局、入札は外れ、口開けはできなかった。その後、Oさんにこれといったアプローチもできないまま数か月が流れた。そして、隣の支店の同期がOさんの口開けに成功したというニュースが社内中を駆け巡った。

こういうことを書くと、やれ「あいつは過去にこだわっている」、とか、「過去を頻繁に振り返る人間って、結局、何でもかんでもネガティブ志向なのよね」などと決めつけられるから怖い(だから、本来、この手の話は自分の胸にしまっておけ、となる)。Oさんを口開けした同期がその後、法人部門に転属し某大手メディア企業の上場に係わり外資でも大出世したから、特にそんな流れになりかねない。
違いますよ! あくまでも、静かな自省というやつですから。

単純に、人生というのは面白いな、という観念と、さりながら、運を掴もうとする者は、決して成り行き任せではない何かを持たねばならない(準備、覚悟、想い、情熱、等々)という教訓は、この件で得られると思う。
喫茶店でネガティブ気分でサボりながら成功を獲得できるほど人生は甘くはないのだ。そもそも、自分に「大手法人の運用担当になりたい」「IPOにかかわりたい」「大口M&Aを成功させたい」等々、働く中でVISIONがあれば、それぞれの局面で、自分が最善と思える判断が可能だったはずだ。そのときはうまくいかなくても、あのころ居た会社で、あるいはその後の会社で、その目標を達成することはできたはずだ。

VISIONを掲げる。目標を持って日々邁進する。その大切さをこの教訓は教えてくれる。
そして、この10数年それを続けてきたつもりの自分としては、“日々邁進する”のツラさもよく理解する。毎日毎日ポジティブに生きられるほど、人間は強くはないからだ。
それでも、自分など所詮は弱い存在なのだとタカをくくりながら、VISIONを捨てずに、肩ひじを張らずに歩み続けられたら、その先には“何か”があるのだろう。そう思う。

自分が目指してきたことは、当初は単に誰かが昔描いた構想を焼き直した程度のものだったが、それが、現在進行形で大きく変化・進化している世界の非常に大きな流れの中で、革新的存在になるのかもしれない、などと大仰に考え始めている。
とはいえ変に妄信・猛進・盲進せず、高いVISIONと広い視野を持ちながら、気楽に、地道に、歩みを進めていきたい。