古い人間なので、古い歌が好きだ。

ときたま、心に古い歌が流れることがある。

 

最近では、時任三郎さんの『川の流れを抱いて眠りたい』。

実力派俳優が海外移住で悠々自適なさる前、かつファンキー侍風歌唱をされるもっと前の、地味だけれど味のある名曲だ。

印象的なフレーズがある。

 

いつだって 見ていただけの 見ていただけの この俺さ・・・

 

先日、すごく久しぶりに、以前、一緒にコンテンツファイナンス事業を、と巻き込んだ方に会って情報交換した。

当時、その方とは中国がらみの案件で動こうとしていたのだけれど、自分とはうまく行かず。その代り、あちらは他でもっと有力な動きを始めている。

それについては、残念さよりも期待感が勝っている。

僭越だが、頑張っていただきたい、と思う。

 

それで、ここのところ全くこの分野を離れていたので、恥ずかしながら知らなかったのだけど、5月9日に「日中映画製作協定」(正式名は知りません)が発効されているとか。

現政権の意向も有って、急ピッチで進んだらしい。

そうなんだ。

色々あるだろうが、非常に良いことだと思う。

あくまでビジネスとして、だが。

 

同じ流れで、これまで何度も浮上しては中途半端に終わっていた、コンテンツの海外展開云々の動きもまた活性化しているそうだ。

で、その一部を彼から聞いて、そこで、ふと心に流れたのが冒頭の曲だった。

 

いつだって 見ていただけの 見ていただけの この俺さ・・・

 

この資料は、自分が某映画祭関連のマーケット運営会社のあくまで一部門の担当として働いていた時に作り、上に提出したものだ。

(会社ももうないしそのまま載せようかとも思ったが、一応固有名詞を消した。疲れた)

AP2010_97_r2018

本来は、その一部門を「来年はこうします」風に説明するための資料なのだが、自分としてはもっと大きな“絵”を見せたかった。

その会社でのポジション的には何も物申せる立ち位置ではなかったけれど、それでもビジョンを掲げずにはおれなかった(おそらく、不満が有ったと言えばあったのだろう)。

 

その会社は、公益的な仕事に携わっているが完全な民間企業だったので、継続可能な事業として、どういう発展形が有り得るか、という示唆をしたつもりだ。

自分が携わっていたイベントも非常に潜在的バリューがあり、何ならIPOモデルも描けるんじゃないか、と、その時は思っていたように思う。

(当時の直属の上司・同僚だったHさんが(7/30追記:が→のことを)「非常にバリューがある人だなぁ」という思いから発したことでもある)

ちなみに、資料は特に何の反響も波紋も生まないまま(上司いわく、間違いなく役員には渡したよ、ということだったが)だったし、会社もその後なくなった。

事業の方は、公益的な立ち位置の運営団体が引き継いで続けている。

 

先述の彼曰く、どうやら、この資料に近い流れができつつあるらしい。

(資料を見てもらったわけではないので、あくまでも、話を聞いて自分がそう感じた、ということ)

 

そういった流れに、今現在、全く関われていない状況は、正直言って残念だ。

とはいえ、これも、残念ではあるが期待感の方が大きいのかもしれない。

 

ただし、あえて言えば、今始まろうとしている流れも、今はあまり聞こえていない「金融のプロ」「金融機関側の組織的動き」「そういう合意形成」がないと、結局うまく行かないように感じる。

小手先ではない、本当の“変化の胎動”が必要だ、ということだ。

例えばIPOモデルを描くとすれば、イベント運営や人材紹介屋などではなく、金融的バリューのある確固たる組織をメインとすべきだろう。

 

更に言えば・・・。

資料自体は、ああいう会社に居たからあのように作ったのだが、こういった立ち位置の機関が、本当に民間企業でいいのかな、という思いはある。

あるいは、一社独占でいいのかな、という気持ちも。

 

まあ、今現在では“ないものねだり”も甚だしいので、まずはこういう動きがあること自体に単純にエールを送りたい。

 

『川の流れを抱いて眠りたい』は爽やかな歌だ。

流れる気持ちには、後悔や嫉妬や嘲笑はない。

清逸に過去を見つめ共感しながら、心は前を向いている。

 

自分自身でいえば、たとえばIPOする金融会社を作りたかったわけではない。

むしろ、もっとクリエイションに近い立ち位置をずっと求めている。

(それを実現する手段として、こういった動きの中に居たい、という気持ちはずっと有ったりするが)

 

なので、本来は自身の胸にとどめておけばいいだけの話だったかもしれないが・・・。

今の世の中、記録も周知もそれなりに必要なのだろう、と思い、あえて。

コンテンツファンド革命

これも、あえて(笑)。

長文になり、失礼。