この自己紹介ページにある『真央ちゃんになりたい』という脚本(のショート・シノプシス)。

書いてある通り古い友人との口論が、物語を想起した理由の一つだ。

 

もう少しつまびらかに書いてみる。

 

2007年ごろ。

チャレンジの結果、エンタメ・コンテンツ業界に入ることができたものの、まるっきり初めての世界で周りにほとんど頼れる存在が居なかった。

なので、当時、大企業で広告やPRの分野で映画ビジネスに大きくかかわっていた古い友人に相談に行った。

映画というよりもそれを取り巻くビジネスを担ってきた彼からすると、自分の「これからはコンテンツ・ファイナンスが・・・」などという話は幼稚なたわごとに聞こえたのだろう。興味を示されることはなかった。

 

その2年後、国際映画祭の場で海外の映画等の製作・制作者を呼んできて企画をピッチしてもらい国内外の方々にマッチングさせるイベントの仕事に関わっていた。

 

リベンジのつもりも有り、彼に再びアタックした。

「このイベント会場に来てくれないかな。パーティーも有りそこで色んな国の人々と出会うこともできるし」

 

食い気味に、厳しく(そして諭すように)こう返された。

「いいか、日本の映画ビジネスは製作委員会方式で儲かるメンバーは固定している。映画祭を軸にした映画製作なんて(作品自体の良否ではなく)商業的には儲からない」

「お前がやろうとしている金融を使って投資家層を外に広げようとか、海外市場を新たに狙おうなんてのは、全くの時間の無駄だ」

 

それでも諦めきれず、

「いやだけど、海外の人と会えるってことは、(今ではなく)将来のビジネスに繋がることも有るかもしれないぜ」

と返したら、

 

「そんな名刺交換会なんて、仕事ができない奴が言い訳のために行くようなところだ」

と言い放たれた。

 

頭に血が上るほど悔しかった・・・が。

少し時間が経ち、仕方がないな、とも思っていた。

ビジネスの観点から言えば、彼の指摘は100%正しかった。当時においては、だが。

 

ちなみに彼とはその後、自分が非常に怒ったことを伝える長い手紙を書いて、その手打ちに一緒に飯を食いに行った。それ以降、何のわだかまりもなく付き合っている。

以降は彼の意志も尊重し、こちらからこの種の売り込みをかけることは控えるようにしてきた。

彼も彼なりに気を使ってくれていたらしく、自分が知らないところで社内外でイベントのことを少し話してくれたらしい。

後で聞いたら、彼からの情報がきっかけでイベントの重要な出席者となってくれた方もいたようだ。

そこまできちんとは話していないが、有難いことだ。

感謝。

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