「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?⑦

自分は本来、映画祭はむしろNETFLIXと積極的に組むべきだと考えている。

映画祭や国際映画祭と呼ばれる映画視聴イベントは国内外に星の数ほどある(星の数は言い過ぎだが、数え切れなく有るのは事実だ)。
その多くは国や地方自治体などの援助を受けてようやく運営が成り立っている。

映画祭で作品が上映されるのはほんの1回か2回だが、その作品をするにあたっては、通常、「上映権料」を作品の権利者に支払う。
当然だ。なぜなら映画は「商品」であり、その映画祭の上映料が有償であれ無償であれ、本来、一般公開していれば権利者が得るはずの収入を失うことになるからだ。

だが、それなりに交渉力のある映画祭の場合、権利者(製作者)や制作者あるいは配給会社と交渉して、その「上映権料」を免除してもらう場合が有る。
映画祭で上映される作品の多くは一般公開やDVD化などが見込めないため、「映画祭に選んでもらって御の字」という製作者が相当いるのと、商業的な成功を強く求めている作品であっても、その映画祭での上映によって認知が広まれば逆に有難いため、あえてお金を取らず、実を取ろうとする製作者・配給者が少なくないのだ。
だから、映画祭でレッドカーペットを歩く海外スターの招聘費用なども含めて製作・配給側が持ち、代わりに映画祭側に「なるべくたくさんのメディアにアピールしてね」という“持ちつ持たれつ”の関係が発生したりするわけだ。
それは非常に健全な良い“WIN-WIN”関係だ、と自分は思う。

では、NETFLIX作品ではどうなるだろう?

NETFLIX作品は全世界の配給権をNETFLIXという「ちいさな劇場」限定で公開しなければならない。
だから、「あれ、良い作品だから、ウチの映画館で掛けたいなあ」という映画館主がいたとしても、NETFLIX側に拒絶され実現することはない。
(例外的なコラボ運営は有りうるのかもしれないが)

だが、NETFLIXが誇る“グローバルなマッチングシステム”にも限界が有る。映画や映像コンテンツは認知された上で興味を持たれないと“無いもの”に等しいわけだし、せっかくコンテンツホルダーになれた制作プロデューサーもプラットフォーマーである<以下、追加修正:NETFLIXも、どういった形であれ認知が広がり視聴者獲得(=商品購入)に繋がる方がハッピーなのは疑いようもない。>

であれば、他の映画祭作品同様に、「映画祭に無料で参加させるよ」「レッドカーペットを歩く海外スターの招聘費用も含めて×××が持つよ」「その代わりに映画祭側はなるべくたくさんのメディアにアピールしてね」という“WIN-WIN”関係は容易に成り立つだろう。

もっと積極的に言えば、映画祭で上映される映画のほとんどが海外の映画館で公開上映される機会はほぼ無い作品ばかりだ。それどころか自国の映画館ですら上映されない作品だってざらだ。
つまり、多くの映画祭参加者は、今の国内の映画制作プロデューサーなんかが思うのと同様、端からNETFLIX上映を望む人が多いだろうし、その「商品価値」向上のために映画祭を利用したい、と考える人がかなり多いだろう。
このニーズをうまく掬えてこそ、映画祭は権威主義者ではなくクリエイターや制作者に寄り添った存在になり得るのではないだろうか。

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