「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?⑧

実は、書きたかったのはその「先」に有ったのだが、映画と映画祭について多く先過ぎてしまった・・・反省。

自分は、長い間、既存の映画ビジネスやテレビビジネスは大きく変革するであろうと感じてきた。
(そんなことは、自分以外でも大勢の人々が感じているはずだが。)

この提案書は、作っては見たものの、具体的なアクションを起こせずに、周りの何人(十何人?)かに見せてそのまま終わっているものだ。
自分が推進するには大きすぎてどうしようもないからだ。

新配給興行システム(素案)20170925_r

簡単に言うと、ネットを介した映画館代わりとなる「場」を結んで上映・権利処理できるシステムを作り、それをグローバルに展開すべし、というアイディアだ。
この様々な「場」で映画鑑賞以外の様々な収益機会(PR活動や販売活動、懇親会など)を主催者が担えばいいではないか、ということだ。
先述の映画祭を「場」にしたプロモーション、というのもこれに当たる。

これは荒唐無稽でも何でもなく、実際、この間参加した上記東京ビッグサイトで行われた「大展示会」では、その基礎的なシステムを提供できそうな国内外の企業が複数参加していた。
おそらく彼らは、こういった「未来予想図」を自分なんかより詳細に描いているのだろうけれど、今は周りから賛同が得られないため、小さくなっているのだろうな、と勝手に思っている。
それは本来、「抵抗勢力」などといった大げさなものではなくて、もしかしたら「今と全く違うからよくわからない」くらいの無理解の層・・・それが連なって立派な抵抗勢力になっているわけだが・・・に阻まれて立ち往生しているのではないだろうか。

正直、保守的な日本社会にはあまり期待できないと感じている。
だからこそ、NETFLIXやグローバルなプラットフォーマーを目指す“大きな流れ”と軌を一にすることを期待する。
NETFLIX一社ではなく、複数社にサービス提供できるようなインフラが提供できればよりいいと思う(それは難しいのだろうか?)。

日本人や経産省などはよく「日の丸なんとか」といった国内勢で全て占められたサービスを期待しようとするが、(分単位の経営判断が要求される)今の世の中、それは諦めた方がいいと思う。

むしろ、グローバルなプラットフォーマーの一部になって、とか、そのプラットフォームを使って、といった“部分での戦い”をするしか、もはや我々に勝ち目はないのかもしれない。

「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?⑦

自分は本来、映画祭はむしろNETFLIXと積極的に組むべきだと考えている。

映画祭や国際映画祭と呼ばれる映画視聴イベントは国内外に星の数ほどある(星の数は言い過ぎだが、数え切れなく有るのは事実だ)。
その多くは国や地方自治体などの援助を受けてようやく運営が成り立っている。

映画祭で作品が上映されるのはほんの1回か2回だが、その作品をするにあたっては、通常、「上映権料」を作品の権利者に支払う。
当然だ。なぜなら映画は「商品」であり、その映画祭の上映料が有償であれ無償であれ、本来、一般公開していれば権利者が得るはずの収入を失うことになるからだ。

だが、それなりに交渉力のある映画祭の場合、権利者(製作者)や制作者あるいは配給会社と交渉して、その「上映権料」を免除してもらう場合が有る。
映画祭で上映される作品の多くは一般公開やDVD化などが見込めないため、「映画祭に選んでもらって御の字」という製作者が相当いるのと、商業的な成功を強く求めている作品であっても、その映画祭での上映によって認知が広まれば逆に有難いため、あえてお金を取らず、実を取ろうとする製作者・配給者が少なくないのだ。
だから、映画祭でレッドカーペットを歩く海外スターの招聘費用なども含めて製作・配給側が持ち、代わりに映画祭側に「なるべくたくさんのメディアにアピールしてね」という“持ちつ持たれつ”の関係が発生したりするわけだ。
それは非常に健全な良い“WIN-WIN”関係だ、と自分は思う。

では、NETFLIX作品ではどうなるだろう?

NETFLIX作品は全世界の配給権をNETFLIXという「ちいさな劇場」限定で公開しなければならない。
だから、「あれ、良い作品だから、ウチの映画館で掛けたいなあ」という映画館主がいたとしても、NETFLIX側に拒絶され実現することはない。
(例外的なコラボ運営は有りうるのかもしれないが)

だが、NETFLIXが誇る“グローバルなマッチングシステム”にも限界が有る。映画や映像コンテンツは認知された上で興味を持たれないと“無いもの”に等しいわけだし、せっかくコンテンツホルダーになれた制作プロデューサーもプラットフォーマーである<以下、追加修正:NETFLIXも、どういった形であれ認知が広がり視聴者獲得(=商品購入)に繋がる方がハッピーなのは疑いようもない。>

であれば、他の映画祭作品同様に、「映画祭に無料で参加させるよ」「レッドカーペットを歩く海外スターの招聘費用も含めて×××が持つよ」「その代わりに映画祭側はなるべくたくさんのメディアにアピールしてね」という“WIN-WIN”関係は容易に成り立つだろう。

もっと積極的に言えば、映画祭で上映される映画のほとんどが海外の映画館で公開上映される機会はほぼ無い作品ばかりだ。それどころか自国の映画館ですら上映されない作品だってざらだ。
つまり、多くの映画祭参加者は、今の国内の映画制作プロデューサーなんかが思うのと同様、端からNETFLIX上映を望む人が多いだろうし、その「商品価値」向上のために映画祭を利用したい、と考える人がかなり多いだろう。
このニーズをうまく掬えてこそ、映画祭は権威主義者ではなくクリエイターや制作者に寄り添った存在になり得るのではないだろうか。

「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?⑥

こと映画に関して言うと、限定先行試写会やそれに伴うPRイベントなんかが認知獲得のためのプロモーションとして常用される。
あるいは、国際映画祭等でのプレミアム上映が作品PRのために活用されている。

余談だが、世界の映画祭関係者の中にはこういった商業映画のPRを国際映画祭の場で行うことを“嫌悪”するような方々がいる。映画祭は芸術や文化を担うものであり商業主義に陥るわけにはいかない、ということがその理由だ。
若干の苦言を呈すようだが、申し訳ないがその閉鎖的特権意識には辟易する(全く理解しない、などというつもりまではないが)。

映画はほとんどの場合、お客様にお金をいただいてご覧いただく立派な「商品」だ。いくら“限られたマニアしか見ない”“通好みの”映画であっても、もし観客からの見返りを期待するのなら、それはハリウッドの大味なブロックバスター映画同様、まごうことなき「商品」だ。
より積極的に言えば、制作者とその近親者以外は全く知らないような自主映画であっても、将来的に他者の目に触れさせたいと願っている作品であれば、やはりそれも立派な「商品」だ。

映画祭に集められた玉石混交の、多くは一般市民の目に触れる機会がない映画たちも、ほとんどすべてが「商品」と言っていい。
であれば、そんな「商品展示会」の場で認知獲得のために商業的なプロモーションを行うことがなぜ嫌悪されなくてはならないのだろうか?

これまでずっと書いてきたように、今やインターネットが全世界に浸透しNETFLIXのような巨大プラットフォーマーたちが現れ、これまで石ころのように見向きもされなかった自主映画のような映像コンテンツ(=商品)までがグローバルな商業的発展可能性を秘めている時代だ。
商業的、と書いたが、それはとりもなおさず文化的にとも言えるし、他のクリエイターたちの創作意欲を喚起させるという点では、芸術的にも発展可能性が有ると言ってもいい。

昨年、カンヌ国際映画祭はNETFLIX上映が前提の作品『オクジャ』を最後の例外として、今後はNETFLIX作品をコンペ選考対象から除外すると発表した。今年も多くの選考作品候補が映画祭側とNETFLIX側で板挟みにあっているらしい。
自分は、これは相当「時代錯誤的」な考え方だと思っている。

作品に評価を与えることで作品の「商品価値」を高める魔法の杖を持つカンヌの権威主義者たちが、一般大衆の視聴履歴やAIなどという“得体のしれないもの”に取って代われないよう自己防衛しようとしているのではないか、という皮肉な見方さえしたくなる。

「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?⑤

こういう話をすると、「いや、アニメ以外は世界市場ってそもそも無理だし」「いや、日本のローカル事情に基づく話やローカルキャストしか出てない映像を世界の誰が見たいと思う?」という人は少なくない。
実際、その通りだ。

いくらNETFLIXが「AIの活用や視聴履歴の活用で、世界中の潜在顧客を露わにできます」と胸を張っても、おそらく、実際にはハリウッド映画以外には実写で世界を目指せる作品はなかなか無いのが現実だろう。
勿論、世界中からロングテールのニーズを取りに行って相応の金額を稼ぐことはできるけれど、自国視聴者を超えるファンを海外から獲得するのは難しいのが現状だろう。

映画やテレビドラマ、いわゆる映像コンテンツは「認知」され「興味」を得られてなんぼだ。
他国の一般生活者にその作品や世界観が伝わるまでには、本来単発ではなく波及的な認知活動が必要になる。
いくらNETFLIXで「おすすめ動画」として何度も何度も挙げられようが、視聴者がそれを認知し興味を示さなければどうしようもない。
それなりに国内外でその作品の“プロモーション”が行われて認知度向上の努力をしないといけない。

そして、いかに世界がインターネットを通じてバーチャルな広がりを見せているとはいえ、人が実感を持って認知するには、“リアル”な場でのプロモーションが欠かせないのではないかと思う。
そのプロモーション効果でマスメディアに取り上げられたり友人の口コミに上ることで認知が興味に繋がり、更にネットで“バズって”作品のファンが増えていく、という好循環が醸成されれば最高だ。

「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?④

だから、ここに大きな“ファイナンス・ニーズ”が発生する。
これまで、日本の映画は製作委員会方式という「身内でお金を集めてみんなで映画ビジネスをしましょうね」というファイナンス方法しかほぼ無かったと言っていい。

一方、制作会社のプロデューサーがお金を集めて映画やドラマを作り、納品さえすればNETFLIXからMG(やレベニューシェア分の報酬)、あるいはフラットの報酬が確実に受け取れるのなら、その確実な収入を見越したブリッジファイナンスのニーズや、「MG+レベニューシェア分の報酬」を期待収益(キャッシュフロー)の源泉としたリスクマネーの供給ニーズは間違いなく有る。

これまでは投資家からすると「映画はバクチ」だったし「テレビドラマには投資すらできない」だったが、NETFLIXという巨大プラットフォーマーからの資金回収という信用力の高い案件ならば、資金の出し手と取り手をうまく“繋げ”れば、巨額なお金集めだって可能だろう。
これは「コンテンツファンド」に近い考えだし、ハリウッドなどグローバルな資金集めのやり方と同じだ。
そしてそれは、「日本のクリエイターによるグローバルな映像コンテンツの制作」という大海を拓き、制作費の巨大化~制作陣の生活基盤の下支え~産業規模の増大という好循環をもたらすだろう。

やっぱり、巨大プラットフォーマー独占時代こそ、「コンテンツ・イズ・キング」なのだと思う。

「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?③

なので、(講演内容自体は素晴らしく、実際、非常に勉強になったが)角川会長のおっしゃるのは、ご自身の立ち位置をややクリエイター側に置きすぎておられるように感じられ、若干の違和感も残ったのだ。

純粋なクリエイターや制作会社側の映画プロデューサーなどから見れば、「日本では昔っからクリエイター側に取り分なんてなく、プラットフォーマーが多くの“取り分”を要求して制作陣への配分は相対的に低かったではないか」と言われても仕方がないよな、というわけだ。

※ 製作=お金を出す側、制作=実際に作る側

であれば、純粋なクリエイターや制作プロデューサーがローカルで保守的な国内マーケットを捨て、NETFLIXなどと組んで海外を含めたマーケットという大海原を求めるのは自然なことだ。
むしろ彼らには、閉ざされた国内マーケットよりも大きな収益機会が有るのでは、という期待感の方が強い。

実際、現在、多くの制作会社がNETFLIXと組みたいと思って一生懸命企画書を提出し、すでに制作も行われている。多くは大手制作(製作)会社だが、中には中堅レベルも混じっているようだ。
「グローバルな巨大プラットフォーマーから理不尽なブン取りをされる」という感覚は彼らには無い。すでに国内のプラットフォーマーから散々それをやられてきたから、全く気にならないのだ。

NETFLIXでは配給権購入の際に一定のMG(最低保証金額)が有ったり、レベニューシェアでなくフラット(買い切り)のケースでもかなりの金額が受け取れると感じている制作プロデューサーは多い。
聞くところによると、NETFLIXが求めるのはあくまでも期間限定の配給権であり(それでも全世界の配給権なので渡したくないと考える人はいるのかもしれないが)、著作権そのものは期間経過後は製作者に戻ってくるため、これまで製作委員会に参加させてもらえなかった制作プロデューサーの視点では、むしろ期待の方が大きいのだ。
(勿論、いつ彼らが大きな牙をむいて「著作権そのものをよこせ」と言ってくるかもしれないけれど。とはいえ、アメリカの映画・テレビビジネスの歴史を考えるとその可能性は低いだろう。)

「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?②

確かにその通りだ。

グローバル化で世界が一つになり、それまで各国で閉じられていた“映画市場”“テレビドラマ市場”のようなローカル・マーケットが、論理的には一気にグローバル化してくるはずだ。
その主役は(出力先のデバイスは問わず)インターネット経由の動画視聴であり、実際、その動きはすでにかなり進んでいる。
実際、NETFLIXやamazonプライムはすでに日本でも完全に浸透している。dTVなど国内勢も検討している。いずれのプラットフォーマーも地位確保のために多くのプレミアムコンテンツをそろえている。

(講演の内容はそこまで踏み込んでいなかったが)それは、巨大なプラットフォーマーたるためでもあり、その結果、多くの個人情報や視聴履歴といういわゆる「ビッグデータ」を獲得するためでもある。
今後、様々なデバイスから個人のありとあらゆる情報を収集し、その集積されたビッグデータをマーケティングなどに活用する、というのは抗い難い流れだ。
先日来のアメリカのいわゆる“FACEBOOKショック”で若干の軌道修正はあるにせよ、そもそも次代のキーワードである「IoT」がそれを前提にしたものでもあり、世の趨勢はそう変わらないだろう。
だから、プレミアムな映像コンテンツの視聴履歴というデータは、その視聴(消費行動)自体以上に、価値を生んでくるものなのかもしれない。

そんな中で、日本ではアメリカのように、例えば「NTTが東宝を」とか「東宝が松竹を」や「フジテレビが松竹を」のような買収構想の噂すらない。平和なものだ。

そして、これもよく考えたら仕方がない話だ。彼らはどうあがいても世界を意識した「巨大プラットフォーマー」にはなれないからだ。
10年前ならチャンスが有ったが、今からそれを目指すのは絶対に無理だろう(NETFLIXなど以外にはチャンスがあるのはテンセントなど中国企業しかない)。

だから、せいぜい彼らは小さな市場を独占するプラットフォーマーとして「日本の映画やドラマはグローバルなニーズはないので国内マーケットだけ狙えばよし」となる。彼らが数十年間ずっと言い続けているように。
なぜなら日本の映画の製作委員会は“権利者”兼“流通者(≒プラットフォーマー)”であり、テレビ局もコンテンツホルダーというよりは放送法に基づくガチガチのプラットフォーマーで、彼らは純粋な権利者や「クリエイター」ではないからだ。

「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?①

先日、東京ビッグサイトで行われた某「大展示会」でKADOKAWAの角川会長の講演を拝聴した。半分の時間しか聞けなかったが、それでも非常に勉強になった。

以下、聞いた内容を勝手に自己解釈する。

1.現在、世界は情報・口コミ・友達とのコミュニケーション・動画等々の“コンテンツ”を集積する巨大プラットフォーマーの覇権争いの真っただ中であり、その先には “arrogant”な“winner”が“KING”になる“the winner takes it all”のディストピア(?)が待っている。

2.以前、デジタル情報化革命の先には「クリエイターが主役に!」「コンテンツ・イズ・キングの時代が訪れる」などと期待されたが、残念ながらそうはならないだろう。「コンテンツ・イズ・キング」は幻で、KINGである巨大プラットフォーマーが多くの“取り分”を要求し、製作者や権利者への配分は相対的に低くなることが予測される。

3.こと動画コンテンツ(ここでは、映画やテレビドラマなどプレミアムなものを言う)に限って言えば、現在はNETLFIXが先行しており、amazonプライムが追い上げている。

4.アメリカでは、巨大プラットフォーマー<追加修正:あるいはその巨大プラットフォーマーに影響を与える者>たるために「AT&T→タイムワーナー(通信インフラ→コンテンツ)」「ディズニー→FOX(コンテンツ→コンテンツ)」の大規模M&Aが画策されるなど、熾烈な戦い(?)が繰り広げられている。

5.それは、巨大プラットフォーマーたるためには優秀なプレミアムコンテンツ獲得が必要だからである(≒巨大な売り場面積を誇っても品ぞろえに魅力がないデパートには誰も足を運ばない(意訳))。

6.実際、NETFLIXは年間8000億円、amazonプライムも6000億円の自社コンテンツの製作予算を設けている。世界のどの映画会社も太刀打ちできない金額だ。

7.そして、我々KADOKAWAはクリエイターとしてグローバルなコンテンツ製作に邁進しており、その成果を上げつつある。

 

なるほどなるほど。