サウジ疑惑と変わらないテーマ

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%82%B8%E8%A8%98%E8%80%85%E4%B8%8D%E6%98%8E%E3%80%81%E7%B1%B3%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%95%8C%E3%81%AB%E6%B3%A2%E5%8F%8A-%E5%A5%91%E7%B4%84%E7%A0%B4%E6%A3%84%E3%82%92%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E3%80%81%E5%BE%8C%E6%8F%B4%E5%8F%96%E3%82%8A%E3%82%84%E3%82%81/ar-BBOxwdM

→10/18共同ニュース:「サウジ記者不明、米映画界に波及 契約破棄を検討、後援取りやめ」

ハリウッドがサウジからの映画投資マネーを「お断り!」。トルコでの記者殺害事件が大きく波紋を投げかけている。先日は「大きな謀略かも。いずれ、ハリウッドがネタにするのでは?」と書いたが、今のところはこの件は劇場型のわかりやすいストーリーのまま(ディスられて癇癪を起こした王子様が暗に命じた処刑ではないか? という、王子様の前近代的な価値観を断罪するものばかり)メディアでは取り上げられている。でも、実際そうなのかもしれない。おそらく記者の方は本当に殺され亡くなっているのだろう。。お可哀そうに。残された婚約者の方が気の毒だ。。
でも、一方で「?」も芽生える。ホントに? 王子さま、そんなにおバカさんなのかなぁ?

サウジは昨年、投資フォーラム「未来投資イニシアティブ」で「NEOM」という新たな産業都市の開発プロジェクトを発表した。エジプト・ヨルダンにもまたがる、世界経済の中心として貿易やイノベーションの中心地となることを目指した人工都市構想だ。(参照:ここ
この記事によると、①エネルギー・水②モビリティー③バイオテクノロジー④食⑤技術・デジタル科学⑥先進的製造⑦メディア・メディア制作⑧エンターテイメント、そして⑨NEOMの基盤である生活、という重点分野を掲げている。サウジなのに太陽光や風力といった再生可能エネルギーに100%依存したテクノロジー・シティーというのがぶっ飛んでいる。
この街はサウジ政府の枠組みからも外れ、労働法などの法律も独自の法が適用されることが発表されているそうな。つまり、片山地方創生担当大臣がこの間発表したAI・スマートグリッド特区なんてものよりもはるかに先んじて、自由で、かつ、大規模な構想だ。新しい世界をゴリゴリの既得権益者であるサウジが推進しよう、というのがべらぼうだ。
ムハンマド・サルマーン皇太子の言葉「NEOMは伝統的な人々や伝統的な企業のための場所ではない。世界で夢を見る人たちのための場所になるだろう」。この言葉には、純粋に惹かれるなぁ。
NEOMのCEOは米アルコアの人、ソフトバンク(孫さん)やブラック・ストーンが深く参入すると表明しているらしい。世界中からの投資を受け入れるよ、お金出してね、ということである(以上、引用記事より)。しかし、今年も上記「未来投資イニシアティブ」が今月後半に開催される予定なのだが、残念ながら、各国閣僚や多くの企業(JPモルガン・チェース、HSBC、フォードなど)が件の記者殺害疑惑を受けて不参加の方針であるらしい。
・・・ね、いろいろ謀略っぽくないですか(笑)? こんな革新的な方向性に反対したい勢力だって、世の中には結構おるのでしょうし。だいたい、アメリカがトルコに宣教師の拘留問題で経済制裁していた中でこんな話が巻き起こって(しかも、これも昨日、突然解決)、優秀なトルコ諜報部隊が(?)サウジ領事館内での惨劇をリアルにキャッチして、それを全世界に発信って。。謎すぎる。

一体誰が誰の利益を阻害して誰が謀の絵をかいて誰が敵で誰が味方なのか。。。今、何の情報も持たないただの一般市民である自分などがぐるぐるぐるぐると考えをめぐらしても、あまり意味もないことかもしれないから、とりあえずこの辺にしておこう。未来の映画構想(?)として今後もウォッチするだけ、いうことで。
もっと馬鹿なことを言えば、孫さんが「じゃあ、この構想、日本でやんない?」って言って、みんなも「いいねぇ」ってなって、特区作ってジャンジャンお金が集まって、片山さつきも面目躍如で文春に追いかけられなくてすんで、金正恩がローマ法王に改心させられて「もう金輪際、核兵器もミサイルも作りません」っていって、みんなみんなハッピーって・・・あるわけないな(笑)。

とまあ、新聞記事なんかをナナメ読みしてこういう“馬鹿な”ことを考えめぐらすのは、“クリエイティブ”を志す上で(あるいは、株式投資など現実の世界でも)悪いことではないと自分は思っている。気になったことをいろいろと(適当に)調べて、なるべく常識にとらわれずいろいろと空想すると、人とは違った世の中の見方ができる、かもしれない。例えば、上記の話と今朝の日経一面の「日米欧で『データ貿易圏』 情報流通へルール作り」はどうつながるか、とか、あるいは、全然関係ない(と思うけど)「KYBデータ改ざん」との関連、などを空想したり。
これが深みにはまればただの都市伝説語りになってしまうし、その道では巷の達人たちに勝てっこないので、あくまでも頭の体操として、何事も一方的には信じ込まず自分を中心軸にすることだけは心がけようとしている。

そういうぐるぐるの成果が作品に反映されることだってある。前に書いたが、『真央ちゃんになりたい』に登場する父親は、エネルギーに関連した業界で働く男にした。これも、「これからはスマグリ社会に!」とぐるぐる考えた末のことだ。

結構前のことなのでうっすらとしているが、記憶をたどってみる。
2010年の6月にロサンジェルスで行われたPGA(全米プロデューサー協会)主催の『Produced by Conference 2010』という催しに参加した。当時自分は映画祭の企画マーケットの担当者で、その営業とファイナンス調査のため、という名目だった。
そこでは映画ビジネスについて幅広に講演が行われていたのだが、一つだけ異質な(?)セッションがあった。「映画『誰が電気自動車を殺したのか?(Who Killed The Electric Car?)』を考える」という内容だった。司会はPGAの超大物プロデューサーのマーシャル・ハーツコビック(Marchall Heartskovitz)氏。このドキュメンタリー映画は、GMはじめ自動車業界は昔から電気自動車を開発し大量販売する能力を持ちながら、官民挙げてあえてそれを排斥してきた、という内容だ。講演内容も、その前年に起きたBPの石油流出被害をディスりまくり、とにかく、化石エネルギーに依存することはよくない、という論調だった(英語の聞き取りに自信がないので、あくまでも自分が理解した範囲では、だが)。「全米でクリーン・エネルギーのキャンペーンを張ろう!」などと威勢のいいことを言っていたと思う。

今考えると、単純にアメリカ国内の政治的プロパガンダの話で、民主党やアル・ゴア寄りのエコ推進派的な応援メッセージに過ぎなかったかもしれないが、粗忽な自分は「これは・・・世界がこれから再生可能エネルギーにシフトチェンジし、車社会も大転換する、というメッセージをハリウッドが打ち出すんだ!」と思い込んだ。冷静に考えれば(まだ311の悲劇は起こっていなかったので)原子力エネルギーをより推進する、ということだって考えられたのだが、その時はそこまでは思い至らずに。そして、帰国してすぐに元山一の同期にあたる(とはいえ年齢は自分の方がかなり下です)がほぼ何の接点もない元国会議員のTさんにそれをメールで勝手報告した。というのも、帰国の翌日にちょうど彼の講演会に参加(当然、チケットを買って。竹中平蔵氏の講演などもあってお得感があった)して、むくむくと“このメッセージを届けねば”という義務感(?)が湧いてきたため。当然、先方からの反応はなくスルーされた。。よかった。送ってから少したって、自分って“痛い”かも、と思ってきていたので。。

とはいえ、上記再生可能エネルギー社会化のシナリオは頭から離れない。ちょうど『真央ちゃんになりたい』の“守旧派対革新派”の構図の業界を探していたので、「これだ!」と思って、以降、いろいろ調べ、ぐるぐると考え出す。ちょうど株式市場でスマートグリッドが話題になり「なるほど、スマートグリッドね」「電気自動車と家電化、かぁ」「ほう、グリッド(スマート)メーターっていうのがあるのか」等々。IoTという言葉は無かったと思うが、出ていたメッセージのすべてが“エネルギー転換”“つながる社会”だったので、調べていてわくわくしたものだ。自分がぼんやりと考えていた「これから世の中は変わる!」というのは、こういう方向性なんだ! と思った。ただ、そのころはまだ裏側にある個人(パーソナル)データ取得というテーマは表には出ていなかった(少なくとも、自分は知らなかった)ので、今のGAFA-GDPR問題に至る部分には全く考えが及んではいなかったが。

とまあ、この件は、ぐるぐる考察がたまたまその後の方向性として“当たっていた”ケースといえるだろう。当然、全く頓珍漢な方向に帰結することも多い。それでも、「世の中はこのまま変わらない」とかたくなに思い続けるよりも、「今後、世の中は変わるのは間違いない。それはいったい、どういう方向か?」を考え続けた方が、有意義に思うし、単純に“楽しい”と思うのだ。
とはいえ、一つの方向性がよく見えるからと言って、それで全てがうまくいく、などとは思っていない。うちの実家の周りも山の中腹に太陽光パネル施設が何件もできた(この政策も孫さんの影響だ、、なんともはや)せいで、豪雨の際に危険が増えた、と言われている。また、ガソリン車関連産業が衰退すれば、多くの職にあぶれる人々が出てくるだろうし、そのネガティブな社会的影響力は半端ないだろう。そんなとき、そこに“含まれる”感覚、いわば弱者目線というものを持ち合わせないと、クリエイティブを志す資格はない、とも思っている。

ちなみに、『真央ちゃんになりたい』の初稿はこの年の11月末に書き上げた。そして翌年の『Produced By Conference 2011』で企画募集していた『Co-pro Show』に応募した。残念ながら採択はされなかったが、担当者からは「セミ・ファイナルまで残ったけれど、残念ながら落選です」とメールをいただいた。
あれから8年も経って、すでに、内容に古びた部分は多いかもしれない。それでも、通底するテーマである「大切な人のために、自分が変わらなければ!」というメッセージは、まだまだ我々“父親世代”にアピールするはずだ、と思っている。

『あのときはないた』とつよがり

カレント21

以前、『カレント21』という山一證券の広報誌があった。今やどこを探しても見つからず、この表紙写真はわざわざ国会図書館までいってコピーしてきたものだ。
主にIPO営業のために企業オーナーに配る、という狙いで刊行されていたようだ。掲載記事は経済見通しや税金指南、有名人インタビューなど多岐にわたっていた。未上場の中堅企業の紹介や企業オーナーへのインタビューが特筆だった(雑誌作成はプレジデント社が担った)。

この雑誌に『あの時は泣いた』というコラムページがあり、自分はそのコーナーがとても好きだった。大企業の偉いさんなどの「あの時は泣いたなあ」というエピソードを小説家の城島明彦氏が読み物としてまとめたものだった。

実は、今から約1年前から数か月間、『あのときはないた』という交流可能なウェブサイトを作って、それを主に中堅企業のコンテンツマーケティングに活用する、という事業案を打ち出し、出資者や協力者を募って回っていた。
「コンテンツマーケティング」や「ストーリーテリング」は、現在の企業マーケティング上、その効果が有力視されているものだ。さらに「あの時は泣いたなあ」という普遍的な“いい話”という「コンテンツ」が耳目を集めてコミュニティ化し、その“場”が“メディア”化することで様々な発展性が期待できますよ、というシナリオだ。

その取組みをここに表したということは、残念ながら、自分はそのウェブメディアづくりの遂行を諦めてしまった、ということだ。先行しているライバルたちの存在を知り、また、自分の周りのリソース不足など、アゲインストが様々あり、前に進めることができなかったのだ。
それでも、「コンテンツマーケティング」として「ストーリーテリング」なかんずく物語性のある「あのときは・・・」という切り口は、これからも前面に打ち出していこうと思っているし、その効果は期待できるものと思う。
また、耳目を集める「コンテンツ」を確保してコミュニティ化させて“メディア”を作る、というビジネス類型には、(入り口としても出口としても)様々な可能性があると思っている。

実は現在、ある方々が始めた新ビジネスの立ち上げにかかわらせていただいている。これも、大きく括ると「コンテンツ→コミュニティ→メディア」モデルだ。しかも、とびっきり!のコンテンツが関与している(“中小企業の社長のいい話”というコンテンツよりは間違いなく優秀だ)。そして、その行きつく先は「プラットフォーム」ビジネス。正直、将来GAFAにだってなれるのでは? と、自分などは勝手に妄想している。

ところで、前述の『あのときはないた』の営業の際、サンプルとして“ライフ・イズ・エンタテインメント合同会社の社長の事例”を作って配っていた。同社社長の「あの時は泣いたなあ」というエピソードをライターである自分が聞き取って文章化し、また、一方で社長にウェブメディア『あのときはないた』のビジネスについてのインタビューをして、それをまとめて・・・ん?
同社社長とは自分自身なのだから、これは完全に「自作自演」。しかも、『あのときはないた』というウェブメディアは全く存在していないから・・・セルフプロデュース(ねつ造)にもほどがあるでしょ、という“痛~い”“おなかがこそば~い”資料だ、ともいえる。

それでも・・・この資料(エピソードサンプル_LIE20171225_写真なし)には、自分がコンテンツファイナンスそしてクリエイションを目指そうとする動機が描けていると思うし、これまでの“チャレンジ”に通底する思いも、クリエイションへの思いを持ちつつもビジネス志向であることも、きちんと描かれていると思うのだが・・・どうだろうか?
(精一杯の虚勢、つまり、つよがり、も滲んでおるのだが。。)

ちなみに、自分が強引に当該プロジェクトの仲間に引っ張り込んだSさんからは、
「いい話っていうより、読んでて辛くなっちゃって・・・あ、けど、それなりの文量を一気に読ませる文章力はさすがだね」
と、少し気を使った評価をいただいた。公私にお世話になっているイタリアンレストランのオーナーシェフのIさんからは、
「(中堅企業オーナーの“ストーリーテリング”的アプローチには評価を示すものの)赤裸々な話は向かないんじゃ? もっと本人を立派に描くような内容じゃないと、うまくいかないのではないか」
と、現実的なアドバイスをいただいた。

いずれにせよ、映画を作ろうとすることも、今かかわらせてもらっているビッグプロジェクトも、企業のPRも、導入材料としての組織診断も、金融側の皆さんなどへのアプローチ(特にY社のIさんに多大なご迷惑をかけながら)も、そしてライターとしてモノを書くことも・・・すべてが一つにつながっているのだ、ということを、今後とも、精一杯の虚勢を張りながら、伝えていきたいと思っております。

今日も日経新聞には気になる記事がいっぱい、です

実は、いつも新聞を読んでいるわけではない。ニュースはネットで見ることが多いし、それだってしないことの方が多い。それでも、たまに新聞(紙の)を読むと、飛び込んでくる情報が、なぜか新鮮に感じられるから不思議だ。単純に心理的なものかもしれないが。

 

  • 一面トップ:「日中、知財巡り新対話 26日首脳会談 通貨協定再開へ」

首脳会談の内容(予定)。てんこもり。経済金融分野で、通貨スワップ/先端技術・知財の新たな枠組み創設/第三国でのインフラ開発協力/東日本大震災以降続く食品の輸入制限の緩和。安全保障分野で、制服組トップの訪中、海難救助の協定。

中国はアメリカとの関係が悪くなると日本にすり寄ってくる、というパターンがあるらしい。「先端技術・知財の新たな枠組み創設」など、おそらく日本だけで勝手に定めることは難しいだろうから、アメリカなどの顔色をうかがいながら、あるいは裏でお伺いを立てながら? 確かに、難しいかじ取りが要求されそう。

 

  • 4面政治:「AI活用で新特区検討」

以前も出ていたニュース。AIやビッグデータを活用した街づくりを推進。エネルギーの安定供給、つまりスマートグリッド網の構築と多電源からの送配電のシステム作り。地方創世の一環でもあるらしい。名付けて「スーパーシティ」だ。「スーパーシティ(が舞い上がる)といえば『TOKIO』では?」と思うのは頭が古い?

 

  • 6面オピニオン:「迫る中国『シャープパワー』」

軍事力をハードパワー、文化力をソフトパワー、そして、“献金や寄付で現地の世論を有利に導こうとする力”を「シャープパワー」と呼んでいる。というかこれはもろ「プロパガンダ力」ですね。

個別の友人関係やビジネス関係として親交を深めるだけなら、別にそれでいいじゃないの? とも思うし、国の観点からみると、それはわかってない人の発想だよ、と捉えられるのだろうし、いやはや難しいですね。

 

  • 7面金融経済:「投信、大手銀も脱手数料」

三菱UFJは残高のみで業績評価。野村など大手証券に続き。森・元金融庁長官の指導が時間をかけて浸透した成果か? 山一證券で投信のノルマ営業にキューキューし、その後、投信の仕事に長く携わった身からすると、ようやく、という思いもある。しかし、それで金融機関が食っていけるのなら世話はないわけで。

なお、この記事に家計の投信保有残高が増えていかないことについて、販売会社の姿勢をのみ問題にしているのだが、確かにこれまでの何十年間はその通りだと思うのだが、今のそれは、超高齢社会の到来による貯蓄性資金の取り崩し、つまり、“必要に迫られて”残高が増えないという構造問題が大きくなっていると思う。

 

  • 11面デジタルトレンド:「育つか『トークンエコノミー』」

先日、LINEがまさに発表したが、ブロックチェーン・仮想通貨の仕組みを利用したコミュニティづくりのトレンドが始まっている。アリストークンやアメリカのスティーム、ポリポリなどの事例。

人の興味・共感が共同体を築く“場”へのアクセスをよび、そこがメディアになり、プラットフォーマーとして様々な情報を手に入れる、という時代。そこには大きなチャンスがあるともいえる。

“我々”も負けていられない!

 

  • 11面デジタルトレンド:「ツイッターここに注目 仮想空間ライブ、新市場に」

ネット上で三次元のキャラクターを生きているように動かす「Vチューバー」が増えていて、すでに仮想現実(VR)ライブが開催されているらしい。すごい世の中だ。これは100%ポジティブな意味で。

ライブ参加者は、ツイートなどで、仮想空間でビビッドに体感した興奮を交え、その可能性・将来性について様々なコメントを寄せているようだ。すでに輝夜月、キズナアイ、ミライアカリ等々の“スター”が生まれているらしい。

スターが生まれれば、その求心力を当て込んだ様々なビジネスが発生するのは世の常だ。さらに、One to Oneマーケティングに親和性が高いインターネット環境で活動するアイドルだ。これまでにない広告ビジネスや協賛金モデルができ(こういったことに嫌悪感を示す一定の離散者を生みながら)広がっていくことだろう。あるいは、リアルの音楽市場でそういう傾向があるように、ライブ体験の高付加価値化+物販やマーチャンダイジングが、ビジネスの方向性としては定着するかもしれない(それにしたって、大いに協賛金ビジネスになる)。

 

  • 13面企業1:「フェイスブック2900万人流出 日本人も被害の可能性」

さもありなん。しかし、“誰に”それが漏れたのか、マスメディアで報じているところがないのが不思議。ウィキリークスが以前指摘したCIAによるスマホなどからの情報収集については、マスメディアでは大きな取り上げ方をされていないけど。たかだか哀れな子羊の一匹である自分の情報など、先方は興味ないと思うが、それでも心情的にはどうも。。

 

  • 13面企業1:「ソフトバンク株が急落 サウジ混乱 巨大ファンド影響懸念」

ソフトバンク株の下落は、ソフトバンクグループ(SBC)がサウジ政府と運用する10兆円規模のビジョン・ファンドの最大の投資家であるサウジが、トルコでの記者殺害疑惑で情勢の混乱が見込まれるから、だとか。「サウジの情勢が混乱すれば、投資事業の先行きはさらに不透明となる」(国内運用会社)。そうなのかな。

現在の劇場型の展開を含め、時代の転換点で咲き乱れる大掛かりな様々な陰謀という観点も想起され、その渦中にソフトバンクという企業があるのが面白い(“面白い”などというと語弊があるが)。

いち企業の経済活動やいち投資家の投資案件として語るには、この辺りを取り巻く環境はあまりに大きすぎて。。十年後にまだ「映画」という娯楽が残っているなら、勝手な印象として、この辺は大いにハリウッドのエンターテインメント映画の題材になりそうな気がする(その時はぜひ、浜野健太を孫さん役に!)。

あ、トランプさんは、記者殺害は「行きずりの殺し屋」説を唱えているようです。

 

  • 15面企業2:「ソニー、仮想通貨技術で権利処理」「ブロックチェーンで電力取引実験」

ソニー(子会社のソニー・グローバルエデュケーション)が音楽や映像の権利処理分野で、関西電力(東京大学、日本ユニシス、三菱UFJ銀行と)が電力の取引価格を決める決済において、各々ブロックチェーンでの取引“実験”をしているらしい。

それにしても・・・記事、小(ち)っさ!

同じくくりで語れるかは知らないが、エストニアでは小規模電力の取引がすでにブロックチェーンで“実施”されており、こういった取り組みは素人目に見て「周回遅れ」に見える。。それでなのだろうか? 実際のところはよく知りません。

 

High School映画と情報リテラシー

高校三年生の時、クラスメイト達と一緒に映画を作った。映画作りの言い出しっぺのMが、自分はせっかく8ミリ撮影機と編集機を持っているのに、結局、3年間の文化祭で映画作りを体験できなかったのが悔しい、ということから、周りの仲間を集めて、放課後を中心に映画撮影を行った。
作品の内容そのものは他愛もないもの(関係者の皆さん、スイマセン(笑))だったが、限られた仲間たちだけで、ほかのクラスメイトや教師たちの目を盗んで行う映画撮影という行為そのものに、我々は熱中した。
本来、受験勉強のスパートが始まる秋からのプロジェクト始動だったので、この映画作りに関わった友人の何名かは、これに熱中しすぎたせいか、翌年の受験で大打撃を受けることになった。言い出しっぺのMがまさにその筆頭だった。自分は意外と要領がよかったということなのか、夏休み中の猛勉強(?)の蓄積があったためか、あるいは、友人たちからのバッティングセンターのお誘いをかたくなに断ったおかげか、ありがたいことに志望校の一つに滑り込めた。

とても楽しい思い出なのだが、一方で今でも自己嫌悪に陥るような思い出も併存する。
映画を仲間内で作るということが楽しくて、参加者内に得も言われぬ特別な一体感ができた。その世代の男子にしては若干、引く話だが、この映画製作をめぐるよもやま話を書き綴る“交換ノート”ができ、それが仲間内で回された。今でいう「グループLINE」のようなものだろう。そして、今のSNSでも起きているように、“仲間内の一体感”は“排除の論理”を生んだ。映画製作に加わらなかった、いや、あえて言えば、積極的に加わらせなかったクラスメイトたちへの“陰口”や“悪口”がノートの中に蓄積され、仲間内で楽しく“消費”された。
それを書き綴る自分たちに意図的な悪意があったかといえば、それほどではなかったのではないかと思う。いわゆる“ノリ”だったりもしたんだろう。そうやって無責任に人を貶めて悦に入れる若さが許されるぎりぎりの年齢だったかもしれない・・・いや、そんなことが許される年齢など、本来、あるはずがないし、あってはならないのだけれど。

それから10年近くたって、当時排除したクラスメイトの一人のKくんと飲むことがあった。「あの時、櫻井たちが映画を作ってるんは知ってたで」「俺らをのけ者にしてたんも、当然、気付いてたし、ごっつ、傷ついたで」と言われた。本当に申し訳なく、そして、本当に恥ずかしいことをしたと思った。
Kくんとはそれから、何のわだかまりもなく今でも付き合ってもらっている・・・と書ければ美しいのだが、その後、彼とは疎遠になってしまった。最後に飲んだ際、酔いも手伝って自分が彼にささいな軽口をたたいてしまい、そのままになってしまっているのが、なんとも情けない限りだ。
これからも続く人生の中で、自分の未熟さをいかに改善していけるか。自信はないが、それでも前に進めたら、と思う。

さて、先述の「グループLINE」的ノート。あれで悪口を書き始めたのが、どうやら自分だったのではないか、という疑いがある。自分は全く覚えていなかったのだが、やはり卒業後10年近く経った頃、Mが、そうだと指摘した。曰く、
「普通やったらノートの最初に書くやん。けど、櫻井は『そんなとこに書いたら、俺が始めたと思われるやん』言うて、3ページ目ぐらいから書き出しよってん。それ見て、“うわっ、コイツ腹黒っ!”て思てんで」
ホンマに? 俺って、ただのクズじゃん! そう言われても、自分の悪行をはっきりとは思い出せなかったのだが、ふと別の言葉がよみがえった。
Pという、今は情報関連企業で偉くなっているらしい友人から、自分のその行為について、「櫻井は“情報”というものがよくわかってるな」と言われた、ような気がする(今にして思えば、Pはあのころから情報の本質について深く考えていたんだろうなあと、感心する)。とはいえ、この記憶自体、さだかではないのだけれど。

情報とは何か? これを考え出すと、誠に頭が混乱してしまう。我々は感覚的に、世の中に流れる情報の大半が「正しいこと」「実際に起こったこと」と感じている。しかし、実際、そこには何の確証も示されていないことも多い。巷をにぎわす「フェイクニュース」論議しかりだ。
もっと言うと、歴史に残る記録物にしても、多くは征服した側が有利なように書かれている。大げさな事実の捻じ曲げをしなくても、(Mの言う)自分が行ったような“時間軸のすりかえ記述”を行うことで、簡単に事実とは異なった“情報”が記録され、後世に残っていってしまう。

マスメディアから流される情報や巷の流行なるものは、すべてがプロパガンダであり、何らかの“意図”が働いている、という考え方もできる。マスメディアに限らず、ネット上の情報こそ真偽が定かでないものが非常に多い。これも発信者側に何らかの“意図”があるからに相違ない。
実際、そう思ってニュースなどを眺めると、「?」と思うものは何件も見いだせる(「そのスポーツ、そんな流行ってないでしょ。カメラの後ろはガラガラじゃないの?」「そんな大きな風、吹いてないはずだよね?」等々)。
もちろん、その“意図”するところの背景に、すべて悪意があるとは思わないので、ある種、社会構造上やむを得ないことでもあるのかな、と思ったりもするのだが。。(とはいえ、今、目に映るそれらは“やりすぎ”に思うことが多いのだが)

これまでの世の中では、「(結果的に)多くの人々によって“正しい”と追認される情報が“正しい”情報だ」という構造になっていた、ということなのだろう。そして、多くの人々がそう思い込むための社会的装置が、マスメディアやその構成要素(ギョーカイジンなど?)だったりしてきたのだろう。

それでは、リアルタイムで個人によって情報発信され、スマホのカメラでそれが検証される今の世の中において、“情報”は本当に“正しいもの”に変わっていくのだろうか?

今やSNS全盛の世の中になって、個人一人ひとりの言動がテキストや映像の形で記録され、消費される世の中になった。Facebookなどで個人の属性情報が露わになり、人的関係が可視化され、言動の履歴を他人が何年もさかのぼって確認することができる。
“若気の至り”の多くが許された我々の時代と違い、今の若者は生きづらいだろうな、と思うし、大人も公的な立場であれ私的な立場であれ、いろいろと言動に注意しなければならなくなった。

そして、Facebookなどプラットフォーマーに蓄積された属性情報や「いいね!」履歴などの個人データは、ビッグデータとして、消費者などの全体的な嗜好性を占うために活用されてきた。ケンブリッジ・アナリティカがアメリカ大統領選挙で活用したように。もちろん、もっと有益な(?)利用事例はたくさんあるはずだ。
詳しくは知らないが、個人が投稿するコメント内容も、語彙のパターン性などで分析され、個人ごとの嗜好性などの判断材料となり、One to Oneマーケティングなど商業活動に用いられることもあるのだろう。それは決して悪い話というわけでもない。もちろん、そういう方法が為政者によって監視に利用され言論封殺に陥ってしまうとすれば大問題だけれど。

ただ、そんなときにふと思うのだが、自分たちが発信しているコメントなどの“情報”は、はたして、どれほど正しいのだろうか。報道におけるファクトかどうか、というジャーナリスト的な意味でなく、もっと軽い個人の自分自身の日記的な投稿ですら、それは正確なものなのだろうか・・・いやいや、それらの多くは華美な衣装をまとって描かれているのではないか。あるいは、いくら誠実に書き記そうとしても、言葉にした時点でおそらく違ってしまっているはずだ。
そもそも、自分たちの思念自体が結構、アバウトなもので、一つの事柄に対して思うことが、その時々によって大きく変わってしまう。それを優柔不断と断罪するのは簡単だけれど、そういうアバウトな要素を多く含むのが、逆に人間的だと思うのだが。

今、AIを駆使してSNSなどで発信された情報履歴から履歴書を作り、企業に供するような採用活動の支援サービスなどが実際にできているらしい。その際にどういった情報を基礎情報として利用しているのかは知らないが、ネット上に表出されている、本人の実像とは異なる履歴をうのみにするのは、就活に臨む学生たちにとっても企業にとっても、不幸なことかもしれない。
あるいは、NHKスペシャル「AIに聞いてみた」シリーズで、ビッグデータからAIを利用した解析に基づいて行われる社会提言。ああいったものも、番組的には面白いが、すべてをうのみにしてしまうのはマズイのだろう。

先日書いた記事(http://www.lifeisentertainment.jp/2018/10/13/%E3%81%90%E3%82%8B%E3%81%90%E3%82%8B%E3%81%90%E3%82%8B/)で、どういうニュースを取捨選択するのか、リテラシーが必要になってきた、と書いた。しかしながら、実際には自分のようないち個人が「何が正しいか?」を正確に判断することなど、無理だと思ったほうがいいかもしれない。
それでも、簡単に誰かの言葉をうのみにしたりせず、ぐるぐるぐるぐると「?」で頭を巡らし続けることは、決して悪いことではない。
そういう姿勢を、今後も続けていきたいと思う。

ぐるぐるぐる

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO36430330S8A011C1EA2000/

→10/13日経記事「中国、打算の対日急接近 自動運転技術で連携合意
米の規制強化に備え 日本企業、バランス苦心」

今度は自動運転技術で日本が中国と連携、という話。本当に昨今のこのあたりの展開はめまぐるしく、あまりに早すぎてついていけない。とはいえ、情報収集だけでもおいついていかねばなあ。。

今度のことは当然、産業面だけでなく政治面での動きも大いにあるのでしょうね。「日本企業、バランス苦心」たしかに!

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO36426750S8A011C1FF8000/

→10/13日経新聞記事「リトアニア、米軍駐留要請 スクバルネリス首相に聞く ロシア脅威、サイバーでも」

そういえばこのところ、海外の要人がよく日本にいらっしゃいますね、昨日はリトアニアと日本のブロックチェーン分野での協力体制の話が出ていたし。エストニアを中心にバルト三国は仮想通貨・ブロックチェーン分野でで先を行っているので、ポジティブな気がします。そしてこれも、産業面だけでなく、政治的にもいろいろとつながってくるのかなぁ。。

何か、ロシアがいったん軟化状態から硬化しての北方領土での軍事演習、とか、、うっすらとつながっているのだろうか? プーチンさんの人気急落報道、とか。最近、ロシアによくない(?)記事が多いですね。

好調だった世界経済(私個人への恩恵が全くないままに!(泣))ですが、この度はアメリカ発の世界株安。これからどうなっていくのか不安です。金利上昇や米中貿易問題への懸念が発端(?)ですが、突き詰めると、背景には歴史の中での大国の覇権争いという大きな流れでもあり。 。。インドネシアでのG20では、「調整役にはなれないので、当事者同士で勝手にやってね」となったらしいですね。まあ、仕方ないんでしょうけど。

次の大戦はサイバー分野から始まる、という人がいますし、それなら既にそれは始まってるよ、という人もいる。となるといきおいプロパガンダ(謀略・諜報など)が活発化するわけで。フェイクニュース時代でもあり、どういったニュースを取捨選択するか、リテラシーが必要なのでしょう。。。これが、いち庶民にはなかなか難しいわけですが。。

庶民の分際で、あまりごたごた考えても仕方ないんでしょうけどねえ・・・。でも、なんだかぐるぐるぐるぐると、考えてしまいまさ~ね。

孫さんと豊田さん

https://toyokeizai.net/articles/-/241525

→10/5付東洋経済記事『豊田章男が孫正義にどうしても頼りたい事情』

ここ最近、巷を最もにぎわせているニュースが、トヨタがソフトバンクと組んでモビリティサービスの「MONET Technologies(モネテクノロジーズ)」を設立・運営していくというもの。確かに、胸を震わせられるニュースだ。

常々、豊田章男社長はこれからのトヨタの経営方針の転換(自動車→モビリティサービス企業宣言)を誓い、「勝つか負けるかではなく、生きるか死ぬかだ」とおっしゃって来た。そのパートナーとして最後の最後に狙い定めたのがソフトバンクというわけだ。

車のケータイ化、IoTの促進、自動運転とシェア時代を見越して、完成車のメーカーの道を捨てインフラサービスを担う側に立つ道へ毅然と踏み出した。

孫さんと豊田さんには、20数年前の因縁なども有るらしい。逆にそれもいい。そういった小ネタ含め、いずれ、歴史的な「物語」の中で語られる一つの大きな分岐点と言われるようになるだろう。

以前、「少し変わった方向からのご提案20180215」に書いたような世の中が急速に訪れつつあることを実感する。

 

http://www.sankei.com/economy/news/181006/ecn1810060019-n1.htmlhttps://www.sankeibiz.jp/business/news/181006/bse1810062027003-n1.ntm

→三菱UFJ信託、フィンテック系人材を3年で3倍に

以前から気になっていた、三菱UFJ信託の「情報銀行」化への道の件。これも、時代を見据えた企業選択なのだろう。3倍といっても、元の母数がわからないので“すごいね”なのか“ちゃちいね”なのかわからないけれど。

浅薄で粗忽な自分としては、もう完全に「日本政府は信託制度を軸にした(一定の介入も可能な)情報銀行を利用した個人情報(データ)の使用許諾体系をつくり、それをグローバルに打ち出すつもりなんだな」と妄想を深めている。それならそれで悪いとは言いません。

けど、いくらIT人材を大幅に増やすといえ、それ以上に余剰人材化した古い頭の金融ムラの方々を残したままで、本当にその世界が実現できるのだろうか?

 

“日本丸”“日本企業の大連携”“日本再生プラン”。自分も日本人なので、この言葉の響きに弱かったりもする(これに“官民一体となった”が加わると、若干、感情的になるが(笑)(10/15追記:参照))。

大国の覇権主義化、エネルギーシフト、そしてAIの進化を軸にした産業の大変革。この動乱の時代に国の総力を挙げて国難ともいえる嵐を乗り切ろう、という姿は好ましく映ったりもする。

前の記事で言うと、ライバルはモロ、GoogleほかGAFAたちだ。しかし、弱肉強食の国際競争においては、大トヨタといえども生存の道は甘くはない。

後の記事でいうと、規制・規制で逆に既得権益者として守られ続けてきた金融業界に至っては、グローバルなフィンテックの波に飲みこまれて急激な人材余剰を生ませないことに必死だ。今回の「情報銀行」化も、以前書いたように、ただ“看板を残す”ための経営戦略のように矮小化されているようにも映る。

 

自分はずっと金融業界にいたわけだが、その後、映画業界に移ろうという頃にお会いした元某長期信用銀行系の役員競争をして敗れた方(自称)がおっしゃった言葉がずっと胸にある。

「金融など、いくら時価総額が大きくなろうが社会的評価が高かろうが、しょせんは何も生み出していない虚業だ。金を右から左に動かしているだけだ」「それなのに金融屋の馬鹿どもは自分たちが偉いと勘違いし続けている。それは霞が関の官僚も同じだ」「日本はトヨタとパナソニック(等)で持っている国なんだ。彼らが没落すれば、日本が没落する」

東大卒、国際金融畑を長く歩んでこられた老エリートのその方の言葉は、ずしん、と響くものがあった。

そしてもっと言うと、そんな日本を支える大企業(メーカー)である彼らですら、大企業病で官僚主義に陥り、本当の意味でモノづくりの中心を担う存在ではなくなってから長い。既存企業が産業の中で固定化・構造化し、イノベーションを起こすベンチャー系中小企業が入る余地が限りなく狭められた。中小企業といえば、疲弊する下請け、孫請け・・・『下町ロケット』の物語を安直にほめそやすことは、日本全体にとっては必ずしも得策でない気さえする。。

 

とはいえ、「じゃあ、トヨタや金融機関が没落したらいいと思うの?」と言われれば、そこまで積極的に賛同できないわけで。金融機関のほうはともかく、トヨタの栄光にぶら下がって日々暮らさせていただいている日本人の一人とすれば、トヨタの没落は死活問題、と言っていいのかもしれない。

 

実は日本は今、存亡の危機にあるのかもしれない。それこそ“官民一体となって”国難を乗り越えるべき時なのだろう・・・うん? 矛盾してるな(笑)

いやいや、そうではありません。一言でいうと、それは「個人が自立する世の中への転換」であり「組織人よさようなら」への政策転換のはずです。

いまだに「働き方改革」には(10/15追記:ホワイトカラー・エグゼンプションで、)“残業させ放題”“企業優遇政策”と批判が多いが、例えばテレワークの推進だったり副業促進やスモール起業による緩やかなビジネス・チームの形成だったり、個人が自立し、イノベーションを起こしうる道は、みんなの“働き方”を変えることが根本にあるのは間違いない。(10/15追記:そもそも、こういった”改革”を直視せず、大企業においては「過労死防止のために残業を減らしましょう」という観点での管理強化としか捉えられていないのが残念に思う。本来、真摯に生産性を高めてイノベーションを起こすための抜本的な改革に、企業も従業員も向き合わなければならないと思う。)

 

そして、それを始めるのはいつだって遅くはない。例えば、わが社が住所を構える銀座アントレサロンさんでは、「ゆる起業」と称して、定年前後のシニア層に起業を促進しており、注目を集めておられる。

“悪あがき”などのネガティブな声もあるかもしれないが、“人生再チャレンジ”、という言葉は個人的には非常にポジティブにとらえている。同じように考える人が増えれば、この国は変わっていくだろう。。。一方で、厳しい現実の前で、そんなの、空ぜぇん~絶後のぅ!夢想家であることは間違いないが。

でも、夢想家って言葉も、なかなかいい響きではないか。冒頭の孫正義さんだって外から見たら完全な夢想家だ。日本電産の永守さんとユニクロの柳井さんが、「自分たちは夢想家三兄弟だが、その長男は孫さんだ」とおっしゃっているらしい。

そんな孫さんがトヨタと組んで新たな“日本丸”を形成していこう、というのであれば、彼らの栄光に日々ぶら下がって生きることになるかもしれない(?)日本人の一人としては、大いに夢想家になってみればいい・・・などと、ドン・キホーテ宣言(笑)

イーロン・マスクとコンプライアンス

SECと和解したはずのテスラのCEOがまた、twitterでSECを“ディスって”物議をかもしているらしい。曰くSECのことを「投機筋を裕福にするための委員会」とこき下ろしている。

イーロン・マスクが感情的になるのもわからないではないが、彼がテスラの非上場化を検討するツイートをしたことで株式市場が大きく反応したことを鑑みれば、SECが一定の制裁をテスラおよびマスク氏に課すのはやむを得ない。

今や、世界一の権力者のトランプ大統領がツイートで政策を振りかざし周りを振り回す世の中だ。その無邪気さと横暴さに比べるとマスク氏のツイートなど可愛いものかもしれないが、上場し公的な位置づけにある経営者は、その言動の波及効果を念頭に置くのを、“たしなみ”として備えておくべき時代なのだと思う。これは、あくまでも直接的な波及効果についてであり、細かい間接的な部分まであげつらっては“言論封殺”と言われかねないが。

 

一方で、世の中にはそういった間接的な部分への配慮を重ね、「それはコンプライアンス上問題です」などと言ってしまう層がいる。SNSで自由に放言できる世の中であるのと同時並行的に、そんな“言論封殺”的風潮が広まっている懸念がある。いわゆる“コンプライアンス至上主義”的考えだ。

中には、完全な個人のブログやSNSの内容にまでその影響が及ぼせる、と真剣に信じている人たちが、企業のコンプライアンス部門や公的機関の中に、かなりたくさんいる。

 

例えば(これはあくまでも“例え”だが)、

「この人は私の知り合いでお世話になっている人です。どうやら、インタビュー記事に取り上げられたみたいですよ。→ https://mbp-japan.com/okinawa/yamaichi/interview/

こんなことすら「問題だ!」などという人がいるようだ。不正な広告広報活動につながる(?)懸念からだろうか・・・これが?

なお、この例は何度も書くように、あくまでも話のたとえです。最近偶然、この人のこの記事が出ていることを知ったため、リファーしたに過ぎません(もっと適切な“例”があればよかったのだが、手近になかったので)。

 

言論表現の自由が認められている日本。我々はつい、水や空気のようにそれが存在するものだ、と信じ込んでいる。しかし、それが実は危ういものなのは歴史が物語っているし、近隣諸国を含め世界を眺めれば、我々が得ている“権利”がいかに大切なものかはわかるだろう。

 

コンプライアンスは重要だ。そして、その範疇は労務面から広報面、その他もろもろ非常に広い。

以前、外資系金融機関に勤めていたが、そこのコンプライアンス・オフィサーが、「細かいルール化をしてそれを遵守するのがコンプライアンスなのではない。『よき人』として行動して社会に貢献するために必要なのがコンプライアンスだ」「企業がコンプライアンスで役員や従業員を縛るのではない。企業が持つ社会的責任を担う者一人一人が当然持つべきものがコンプライアンスだ」といった趣旨のことを言っておられた・・・記憶違いでなければ。

 

“ふわふわした”理由を口実に言動を自ら縛り、言論の自由を他者に差し出すのは決してコンプライアンスではない、自分はそう強く思っている。

『コンテンツファンド革命』~二人のKさんに思う

前の記事を書きながら、少しほろ苦い気分を思い出した。以前書いた『コンテンツファンド革命』にまつわる話だ。

 

この本は、もともとは、自分がE社という会社にいたときに、E社の名前で出版するつもりで書いていたものだ。E社は当時、第二種金融商品取引業(二種金)の登録を目指しており、それが叶い“いざ、勝負!”と世に出るタイミングで出版し、販売促進用に利用しようとしていた。自分は結局、E社が二種金を取る(プロジェクトスタートから4年近くかかってようやく取得できたと聞く。本当に大変でしたね、お疲れさまでした!)前に離れることになり、その「販促本」を出版するのが無理、となったので、自分で電子書籍として世に出すことにした。同社の社長が書かれた部分などを割愛し、その上で大幅に文章追加及び再構成した内容になっている。

 

この本には顔写真入りのインタビューページが2か所ある。世界的映画プロデューサーの井関さんと、映画館ビジネスも手掛けるT社に所属し、若手クリエイター支援をずっと続けておられる沢村さんだ。元々、E社の販促本として出すよ、ということでインタビューに応じていただいたのだが、自分という個人の、しかも広範に読み手を得る可能性が全くない電子書籍での自主出版にもかかわらず、そのままの掲載を許諾していただいたお二人には、本当に本当に・・・本当に、言葉がないほど感謝している。

 

販促本を作ろうとしていた際、実はもっと多くの方々に、寄稿やインタビューなどでご参加いただきたい、とお願いしていた。

例えば、今はなきA社というクールジャパンの大型企画をハリウッド映画に展開することを目的とした、半官半民のような会社の方々。理由についてはつまびらかでないが、丁重にお断りされた。後の経緯を見ると、いろいろごたごたもあったので、あまり積極的に発信をしたくなかったのかな? と推察する。

 

そのほか、二人のKさんという既知の方々にもお声掛けした。

 

一人目のKさんは、自分がコンテンツ側の業界に入る契機になった「日本映画エンジェル大賞」に企画を応募するきっかけになった方だ。その後、海外映画祭の企画マーケット担当者になるきっかけも与えてくださった。自分にとっては恩人でもあり恩師でもある。

そんな恩師に、「閉塞した日本の今の環境に新たなムーブメント(の復活)を!」と勢い込んで行動していた我々の販促本の巻頭文をお願いした。好意的にお聞きくださり、我々はご快諾いただいたものだと思い込んでいた。しかし、ある日、「悪いが、巻頭文を書くことはできない」と連絡が入った。

詳細な理由はわからない。だが、Kさんは当時(今もだが)お役所をはじめ、業界内に広範なネットワークをお持ちで、どうやら、我々の動きに“乗る”のは、そういった先に対して差しさわりがあり“得策ではない”と考えたらしい。

自分は控えめに言うと、「非常にがっかりした」。純粋な気持ちでいろいろな人に声をかけ、巻き込み、とはいえなかなか理解が得られなかった頃だ。二種金も、取れると思っていた時期をずっと通り越し、生活面でも精神的にもとても苦しかった頃だったからなおさらだ。そんなときに、(先方はさほど大きなことと考えておられなかったのだろうが)信頼を寄せていた恩師に切り捨てられたようなものだったからだ。

とはいえ、それ以降、Kさんと疎遠になってしまったのは残念だ。それまでご挨拶を欠かさずしていたのだが、この精神的な打撃でこちらから出向くことがなくなり、その後、なんとなくお会いすることがなくなっていった。

Kさんの存在があって自分がチャレンジを進められたことは事実なので、いずれまた、お目にかかれる機会があればいいな、と思っている。

 

もう一人は、この分野で実績を持つKさんで、先述のKさん同様、自分にとって恩師に当たる。Kさんは大手広告代理店に勤めており、以前、転籍して自ら起業し、日本におけるコンテンツファイナンスの礎を築かれた一人といえる方だ。Kさんはその後、大手広告代理店に戻り、会社員として働いておられる。

(10/8追記→)実は、Kさんがすでにこの会社を辞めておられることをつい最近知った。今、Kさんならでわの”自分に合った”仕事をなさっておられるらしい。結果、一流アスリートに感謝されたり。。素敵な話だ。

販促本にKさんの著書を引用させていただいたこともあり、少しコメント的なことをお願いしようとした。

「以前ならともかく、今は勤め人なので、こういうことは自分だけで決められないんだよ」

Kさんはすまなそうに、会社のコンプライアンス部門が、コメントを書くかどうか決裁するためには、我々がこれまで書いた内容を読ませてもらう必要がある、と言っている、と連絡してこられた。

社内では「そんな干渉されるなら、今回は断ってしまおうか?」という声もあったが、自分は恩師でもあるKさんにコメントしていただきたかったので、某大手広告代理店のコンプライアンス部門に当時の原稿を渡し、決裁を待つことにした。

確か・・・2か月とか3か月とか、そんな無駄に長い時間を経て、「コメントを掲載させるのは無理だ」となった。曰く、時代が変わりコンテンツファイナンスの新たなマーケットを広げてゆくために、既存の業界も変わらなければならない、という論調が、どうやらコンプライアンス的に問題だったらしい。

言論の自由が確保されているはずのこの国で、前向きな提言を行うことに何の問題があったのか今でもわからないが、おそらく、既存のビジネス世界に属する人たちの観点からは「変わる必要? そんなもの無いね! ふざけるなよ、小僧」とでもいうことだったのだろう・・・しかし、それって“コンプライアンス”チェックなのだろうか?

当然、憤懣やるかたなしだったし、さらに自分には、その会社がKさんのコンテンツファイナンス分野の実績を過小評価しているように映った。Kさんともそれ以来お話ししていないが、この経緯はKさんにとっても悔しいことだったのではないか、と勝手に思っている。

 

ちなみに、ダメ出しされた“時代が変わる”“変化の必要がある”というのは、『コンテンツファンド革命』で書いている内容とほぼ同じだ。

「デジタル化で外部環境が大きく変わる」「海外、特にアジアマーケットの拡大で外部環境は大きく変わる」「ファイナンスが村社会から外側に広がる」(3つ目は、“こんなに変わるのだから、変わるべし”、といった期待)。HuluやNetflixの台頭やそこでのビジネスチャンス、中国の国力増強に伴う文化振興(侵攻?)・・・何だよ、実際にその通りに“変わった”じゃないか! 株式会社●●のコンプライアンスの方々、「一体、何がコンプライアンス的に問題だったんですか?」

 

実は、以前、ここ(『真央ちゃんになりたい』という企画を立ち上げるきっかけの一つになった件)に書いた古い友人は、このKさんの同僚だ。2007年当時、同じ部署でKさんの机の後ろに彼が座っている、という状況だったらしい。今はお二人とも別の部署で別の仕事をされている。

本当に・・・いろんな“変わる”ためのチャンスがあったはずだと思う。Kさんもその友人も非常に優秀な方々だし、おそらく個人で深く語りあえれれば、相乗効果でいろんなことが実現できたのではないかと思う。もしかすると黒船Netflixなどの出現より前に、グローバルなコンテンツビジネスとファイナンス環境づくりも・・・言い過ぎか(笑)。さすがに、自分をそこまで過大評価はしていませんので、これは筆(カーソル)が滑った、ということでご勘弁願いたし。

 

いずれにせよ、過ぎたことは過ぎたこと。これからがらっと世の中は変わる。要は、その前に我々はどう動くか、だ。

しかし、大企業などの“中のオジサンたち”が、そうやすやすと“変わってくれる”とも思えない。彼らの“周りの(近い)”人たちだって、大きなパワーに忖度して生きていくしか選択肢はないのかもしれない。

しかし、もしそんな “現状をなるべく維持しよう”という無言の圧力が変化の芽を潰す方向性に動いてしまっては、それは「日本がだめになる」ことにつながってしまうのだと思う。そのタイムリミットだって、そんなに先ではないのかもしれない。

だから、自分が「官民一体となって」的な大企業優先主義をにおわせるキャッチフレーズが苦手なのはどうかご理解いただきたい。別にその方向性に対しネガティブなわけではないのだ。自身も大企業出身者なので、中の人々のメンタリティーにも大いにシンパシーがある。むしろ自分など、まさに“変われない”族の代表格だった男だ。

 

なので・・・偉そうに書いてスイマセン(笑)

前の記事へのエクスキューズ

この間、以下の記事を書いた。その中で、“官民一体となって”という言葉に対し、ややアレルギー的ともいうべき反応をしてしまったかもしれない。

『データ覇権争いと日本』からの雑感

 

経団連の提言『デジタルエコノミー推進に向けた統合的な国際戦略の確立を』には、以下のような文章がある。「デジタルエコノミーは、世界の経済成長を牽引する一方、既存産業を破壊するデジタル・ディスラプションを起こしている」「すべての既存企業は、自らも変革に対応・先導しなければ(中略)、一気に市場を奪われることになる」「我が国としても、次代を担うベンチャー企業の創出・育成に国を挙げて取り組みつつ、既存のあらゆる企業が破壊に対応し、デジタル革新を遂げなければならない」

その通りで、視点は正しいと思う。ただ、だからと言って、“前向きに変わろうとしている人たち(主にベンチャー)”を虐げ、“変わりたくないと言ってる人たち(主に大企業のオジサンたち)”をことさら優遇しないでね、ということを言いたかったに過ぎない。なにせ、「経団連」だもの。

あと、“次代を担うベンチャー企業の創出・育成に国を挙げて取り組み”の中に、上から目線の恣意的な選別が含まれるようではよくないんじゃない? という気もしたので、それも記録しておく。

自分がオジサンだからわかるが、今、オジサンたちが一番、時代の変化に戸惑っている。でも、現状にしがみつくのでなく、また、ことさら若いパワーに蹂躙されるのでなく、真摯に変化に向き合う姿勢が必要なのだと思う。偉そうに書いてしまい、やや気恥ずかしいが。

『データ覇権争いと日本』からの雑感

昨日の日経に、『データ覇権争いと日本』という記事というか社説があった。トランプ大統領が仕掛けた貿易戦争の陰で、米・欧・中の「個人・企業のデータを誰がどう扱うか」に関する覇権争いが始まっており、取り残されつつある日本も周回遅れでその競争に参加しようとしている、というものだ。

GDPRで欧州とFANG(10/15修正:FAANGあるいはGAFA。以下同様)がいがみ合う一方で、中国はデータを国家管理する方向で世界を制していきかねない。なので、日本がいがみ合う米と欧をとりまとめ、ルールメーカーとなって主導せよ、というわけだ。

 

なるほどなるほど。そうでしたか。

まあ、政治のことはよくわかりませんので、軍事・外交上の戦略としてはそれもアリかと思う反面、「日本政府がこの分野でいったい何ができるというのじゃろ?」と思わなくもない。で、具体的には、経団連がデジタル省の設立を上奏していたり、相変わらずの“「官民一体で」の大号令”を期待している様子だ。

それが間違いだ、などというつもりはないんですよ。でも・・・それでは肝心のグローバル競争に勝てないのではないですか? とは言いたい。

 

正直、自分は現在、日経平均が20数年ぶりに最高値を更新している現状がよく理解できていない。たとえば、アメリカはこの10年程度で、時価総額上位銘柄がGEや金融勢からFANG系にガラッと入れ替わった。日本は“レガシー”大企業が常に上位だ。では、日本の大企業が(現在、米系の上位企業がそうであるような)グローバルに影響力を持つプラットフォーマーになっているかといえば全くそうではないし、最近、世界を変えるような画期的な商品・・・古い話で恐縮だが、昔のSONYウォークマンのような、を生み出して世界中に広めているか、といえばそうでもない。

日本のIT企業大手の多くは、ゼネコンと同じように“看板”で大企業や公的な仕事を取ってきては、下請け・孫請けに出すようなビジネスモデルのところだし、ソフトバンクなんか(10/15修正:なんか→あたり)が評価されているのは、自社技術でというよりはM&Aで買い漁ってきた主に海外のイノベーティブな企業が持つ技術への潜在評価だ。

 

日本にも生きのいいベンチャー企業が存在するが、中国の深圳のそれとは比べ物にならないほど層が薄いと聞く。これはもちろん、国の規模・人数の差が大きいが、それ以上に、「よくわからないけど、それ面白そうだから出資するわ!」というベンチャー投資家の存在やベンチャー周りの投資環境が中国に比べあまりにも薄いからだ。

「官民一体で」の大号令の先に、どの程度ベンチャー市場に向けた眼差しがあるのだろうか? これまで通り、ほぼほぼ無い(有ったとしても、これまでどおり公的にオーソライズされた“肩書き”のある方々のお墨付きを得た案件しか投資対象にならない)のだろうか?

もちろん、日本の大企業にも(あるいは大企業“こそ”)優れた技術力や優秀な人材が集まっているのは百も承知だ。しかし、これまでもそうだったが、“「官民一体で」の大号令”は、いろんな理由でうまく機能してこなかった。

どういうわけだか、大企業にいらっしゃる優秀な方々は、細かい技能向上やわずかでもより良い成果をもたらすための“すり合わせ”や“合意形成”に時間をかけすぎるきらいがあり、今のグローバルビジネスで最も要求される“スピード”についてはおろそかになる傾向がある・・・などと言われ続けてん~十年だが、これが一向に改善される様子がない。

 

だから、“「官民一体で」の大号令”などという昭和の遺物的な方法論(永野健二さんの『バブル』でいうところの「渋沢資本主義」)では、日本はもう勝てっこない。散々それを経験してきてまだやるか? という気がする。

 

むしろ、ピーター・ティール(くらいしか知らないが)が日本に現れるような政策を打ち出してくれ! 海外逃避した富裕層が国内還元してベンチャー企業に投資したら、ノーペナで一定割合は課税対象外にする、とか。

 

本当は、キャッシュリッチな(内部留保を貯めに貯めた)大企業がベンチャー投資するのもアリなはずで、実際、M&Aや大企業が組成する投資ファンドの数は増えている。しかし、正直、これは色々と問題ありだ。

実際、買収されたベンチャー企業では、“天下り”役員など親会社からの変なプレッシャーでごたごたするケースも少なくないと聞く。これは、サラリーマン経営者やサラリーマン(が責任者になる)的ファンドでは“肝力”のある権限移譲ができず、ついつい介入ししまいがちになるからではないか? こういう、人間の、関わる立場におけるメンタリティの違い、というのはおろそかにしてはならないのではないだろうか。

 

大企業やお役所というものは、なぜかことさらディテール優先で物事を進めたがる。まあ、一言でいえば「細かい」。また、様々な人が集うプロジェクトにおいては人事面や人のポジション・肩書き云々を問題にすることもままある。

上記の「デジタル省」開設云々で、「この件でA社の〇〇さんとB社の××さんとX省の△△さんに根回しをして・・・」「手土産に将来Y省の方がお働きになれるような座席を用意して・・・」などなどしている間に、周りの国々はすっかり先に進んでしまっているような気がする。

 

だから、日本にも少しは存在する功成り名遂げた成功者たちを海外に逃げさせてしまうくらいなら、渋沢翁とは言わないが、「未来の日本の産業発展に資するため、ぜひご尽力ください」などと、お上も経団連も彼らを持ち上げてあげて、何なら政策立案への関与もさせてあげては、と思うのだが、それは難しいのだろうか?

 

・・・なんとなく、これまで書いていて、「個人情報管理への“官民一体の大号令”」という入り口と、「ベンチャー投資環境を充実させよ」という出口は、自分で書いていてもちょっと趣旨違いな気もするし、むしろ、この前に書いた“「情報銀行」か「VRM(企業関係管理)」か?”といった流れのほうが“筋”だったかもしれないが、、、これらは大きな目で見ると“つながっている”課題なのだと思う。

 

(まったく別?の話)

先日も情報流出リスクの件でディスられまくりのFacebook。同社はプライバシー管理のためにブロックチェーン(分散型管理台帳)を利用する可能性も打ち出しているようだ。

もし実現すれば、一気にブロックチェーンにおける管理対象者や利用事例が増え、定着化が見込まれる。そんな時、日本のこの分野での世界におけるポジショニングはどうなっているのだろうか?

ブロックチェーン=仮想通貨、と連想するのは短絡的すぎるが、数々の仮想通貨取引所の不祥事とICO案件の停滞で、今現在、この辺りがネガティブ視されすぎていないだろうか? 杞憂であればいいが。