このブログのテーマにある一貫性

自分はこれまで「エンタメとファイナンスをグローバルにつなぐことができるクリエイティブ人材」を目標にしている。
このブログは書き始めた2018年4月以来、自分が読んだ新聞記事やネット記事を起点によしなしごとを書き綴っているのだが、その内容は自然と、この目標に沿ったものになっていたように思う。
これは、自分が長く携わった「金融」の範疇が、ここへきて“デジタル化”“グローバル化”で大きく様変わりしようとしていることと無縁ではない気がする。

「金融」側が「IT」勢力の力を借りて、あるいは「IT」勢力に侵食されながら歩んでいく「新しい金融」の世界。
自分は元々、金融の新しいジャンルとしてエンタメファイナンスを志していたわけだが、「エンタメ」がかかわる範疇も、エンタメ→(デジタル)マーケティング→(個人)データの取り扱い、といった連鎖があり、(単にエンタメのみならず)金融・エンタメの両者が一致する大きなエリアが生まれる『未来図』が見えてきている気がしている。
それは、企業のファイナンスとマーケティングが一体化する領域であり、そこに「デジタル証券」やコンテンツを軸にした企業のブランディング戦略、といったものが絡んでくるのだろう。
未来では、例えば中堅企業オーナーなどに対峙する法人部門や富裕層営業に携わる金融マンは、社長に対し、
「こうやって資金調達しましょう」
「これが儲かりますよ」
だけでなく、
「こうやって御社のファンを取り込んでいきましょう」
という類のアドバイスが必要になってくる気がしている。

そういうわけで、新聞記事などのニュースに触れる際の自分の興味の対象はバラバラなようで一貫性が有り、そのフィルターを経たこのブログのテーマには以下のようなものが多かったように思う。
・デジタル決済・デジタル資産など「新しい金融」
・コンテンツのマーケティング活用
・個人データのマーケティング活用

2022年、金融ビジネスの環境は大きく変わっていきそうに思う。自分の予測する方向に進んでいくか、楽しみでもあり、不安でもある。
(上記テーマに限定するつもりはないが)これからも時間が許す限り、“よしなしごと”を書き綴っていこうと思う。

「新しい金融」時代が始まったが「古い人」は無価値ではない

●亀澤・三菱UFJ社長、銀行機能を異業種企業に提供へ「フィンテック企業との提携増やす」(日経 2022/1/13)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGD113PS0R10C22A1000000/

三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)の亀澤宏規社長が、個人向け金融について今後、金融サービスをBaaS(バンキング・アズ・ア・サービス)に切り替える考えを示した、という記事。
曰く、「異業種企業に銀行機能を提供し、そこから金融サービスが生まれる」。

ここに書いているBaaSとは、銀行など金融の会社が預金・融資など金融サービス機能をAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェイス)を通じて企業のアプリやサービスに提供する仕組みのことだ。
小売りやITなど異業種企業がAPIを組み込んで、彼らのサービス上で金融類似サービスを提供する、というとイメージしやすいかもしれない。

自分はこのブログで常々、「古い金融はe-コマースに飲み込まれ、その一つのセクターになってしまう」かもしれない、などと書いてきた。
(2021年8月15日『メルカリ黒字化とIT企業経済圏とNFT。そして「新しい金融」』、2021年8月2日『「新しい金融」とシニア金融マン』、2020年1月28日『「金融サービス仲介業」のニュース』、2019年12月29日『みずほとソフトバンクの情報銀行に思う(乱文)』など)

亀澤社長は「銀行支店は今の形のままでは残らない」と明言し、資産運用相談などの機能に特化した店舗を増やす方針を示したという。

これも、自分は「今の金融マンは、これから同じような働き方を続けられない」とたびたび書いてきた。そして、「既存の銀行や証券といった“古い枠組み”でしかものを考えられない人は、時代に置いて行かれる」という警鐘を続けてきた。
(上記のほか、2020年9月2日『金融庁長官のスピーチと「徳の経済」①~③』、2020年2月23日『シンガポールのネット銀行にe-スポーツ企業が参入』、2019年6月19日『Facebookの仮想通貨「Libra」』など)

もっと言えば、自分たちシニア世代への「世の中は変わる、既に変わっている。我々も変わらなきゃ!」的な警鐘もこのブログを書き出した当初から続けてきた
(2021年10月14日『「安い日本」と中抜き体質の日本的経営。「45歳定年制」に思う』、2020年11月18日 『NTTのスマートシティ構想―知ったかぶりと、呪文』、2020年10月5日『オジサンたちは変わらなければならない』、2019年7月22日『世の中は変わる、とみんな言い出している。“自分に期待”しよう』、2019年3月28日『前へ、歩こうかぃ』、2018年12月14日『いいと思います。あとは・・・ その2~3』、2018年4月21日『「変われない」のか「変わりたくない」のか』①~⑨、等々)

誰もほめてくれないので自画自賛するが、自分がこれまで持ってきた現在の金融ビジネス従事者、あるいはシニア世代への問題意識は、おおむね「正しかった」と思っている。自分には先見の明があった。自分の問題提示はほとんど誰にも聞いてもらえなかったけれど(有っても薄い反応しかなかったけれど)、自分は間違っていなかった。

それでも、実際にメガバンクの社長が「今後、『新しい金融』に舵を切ります。古い金融の組織は縮小します」(上記日経記事の、筆者による勝手な意訳)と言い出すのを聞くと、これから始まる変化に、つい、恐れおののいてしまう。

●みずほ、平成入行組に改革託す 激論の末に木原社長起用(日経 2022/1/11)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB102A60Q2A110C2000000/

そして、度重なる不祥事で組織変革に迫られたみずほフィナンシャルグループに「平成入社」の社長が誕生した(まったく、2022年は目に見えて「変革の年」だ!)。
これから、メガバンクはじめ大手金融機関で「新しい金融」の波が始まり、古い組織や人々の多くを駆逐していく動きが出るだろう。
(もちろん、日本の正社員は手厚く守られているので雇用が危うくなることはないが。)

自分が勝手に“仲間”だと感じている、(ミドル含む)「シニア金融マン」たちの心情に沿って考えると、これほど薄ら寒い時代はない。

●マネーフォワード辻社長 「人材採用力が成長力」(日経 2022/1/15)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB148O50U2A110C2000000/

実際、三菱UFJがBaaSで提携しているのは異分野のIT系の会社で、そのエンジニアの3割は外国人だという(上記日経記事より)。
これでは、シニア金融マンたちと被る要素は全くない。

だからこそ・・・。
このブログでも書き続けてきたように、現在ミドルやシニアの金融マン一人一人は、「組織から個」への転換を図るべきだ。

組織の中で居場所がなくなるのは、非常につらいものだったりする。
世の中の価値観が変わり、組織が自分に求める役割が満たされなくなると、急に自分が「価値がない人間だ」などと思ってしまうものだ。
もちろん、決してそんなことはない。

もし組織からの需要がないのであれば、自ら需要を切り開くべし、だ。
シニア金融マンたちには、これまで仕事やプライベートで獲得してきた“見えない”価値が豊富にあるはずだ。
そこで必要なのは、個としての「つながり」だと思う。
変化が激しい世の中なので、常に学習をして、自らを“バージョンアップ”し続ける必要もある。

「人生100年時代」と言われて久しい。実年齢にこだわって自らの可能性を狭めてはいけない。
2022年、この激動の年の初投稿は、自分自身への鼓舞も込めて、同世代の“仲間たち”へのエールとしたい。

「世界テレビ」時代のデジタル証券によるコンテンツファイナンス(雑記)

●Netflixとアマプラがぶち壊した「番組の国境」 あらゆる国の映像作品を現地の言語で楽しめる(東洋経済オンライン 2021/12/12 6:00)
https://toyokeizai.net/articles/-/474098

NetflixとAmazon Primeはコンテンツの製作(お金)の面でも制作(クリエイティブ)の面でも多くのメリット(予算の増額や、グローバルなチーム編成や企業間提携等々)を生んでいる、という記事。

「かつて”黒船”と呼ばれた海外映像配信サービスだが、各サービスが地域ごとの視聴者に向けたコンテンツ開発に力を入れた結果、日本でもクリエイターがより豊富な予算でものづくりできる環境が整ってきていた。が、状況はさらに一歩進んでいる。
制作予算が映像配信サービスを中心に回り始めただけではなく、映像制作にまつわるさまざまなノウハウ、サービス、あるいは人材に至るまで幅広く調達可能になってきたことで、映像制作の枠組みがより国際的になってきている。」
「良しあしはともかく、テレビ局を中心に巡っていた制作予算の流れが国内外の映像配信サービスへと移り変わり、むしろ日本人クリエイターにとっては才能を生かせる場が広がっていると考えられるからだ。」
(以上、上記記事より)

Netflixとアマプラは、国境を越えた視聴が可能な世界初の「世界テレビ」だ。
(ちょうど同日の日経記事『The Culture 文化時評』で「ネトフリは人類史上初の『世界テレビ』だとみる向きもある。」という紹介が有ったので、借用させてもらった)
コロナも一つの大きな背景として、世界の消費者はすでに「世界テレビ」をスタンダードな存在として認めつつある。既存のテレビや映画館での映画視聴、という枠組みは、残念ながら相対的にパワーを失いつつあるのが現状だ。
(一方で、米中対立という世界の分断の影響で、今後同様の拡大が続くとも言い切れないのだが)。

上記記事でインタビューを受けているNetflixの坂本氏の発言で、
「これからの5年で間違いなく起きるのは、映画や連続ドラマの制作、配信で”国境”がなくなるということ」
「どの国、地域の作品かは誰も気にしていない。AIによるおすすめなのか、あるいはキービジュアルが興味を引いているのか。作品ごとに状況は異なるが、スペインや韓国の作品がウケていることを考えれば、かつてのような制約はありません。バイヤーが間に入ることなく、ダイレクトに視聴者につながることで(作品そのものの)良さが受け入れられているのだと思います」
「以前ならば映画祭などで”誰かに見つけてもらう”ことがなければ、才能を披露する場を得られなかった。『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督がタランティーノ監督に”僕を見つけてくれてありがとう”とコメントしたが、世界中のクリエイティブを可視化することは不可能でした」
「作り手も刺激し合え、その成果もランキングという数字で見える。すると才能が見える化し、クリエイター同士のネットワークも広がります。世界の才能ある監督、撮影監督、脚本家、俳優が相互を認識することで、新しいクリエイティブが生まれるでしょう」
・・・とある。
自分がずっと考えてきたことは“正しかった”という思いと、そのような環境の実現に自分がほぼ“寄与していない”という悔しさ、残念な思いがある。

このブログを書き始めた2018年から、Netflix絡みの記事を何度か書いてきた。
初回記事の『「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?①』~では、Netflixのようなグローバルなプラットフォーマーあってこそ「コンテンツ・イズ・キング」すなわち、テレビ局のような「流通側」ではない「クリエイティブ側」の価値が高まるのであって、権威主義的な映画祭などよりもNetflixのようなグローバル・プラットフォームの評価機能の方がフェアであり、そういうデータを得ることで、エンタメ・ファイナンス、コンテンツ・ファイナンスのニーズが高まるかもしれない、という希望観測を書いた。
2018年5月28日『NETFLIXに関する特集記事を読んで、雑記。』では、彼らが得る個人データと広告利用について。
2021年2月13日『アニメ業界・Netflixの急速な変化と「民主的」コンテンツ製作(考察)』では、3年前に『「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?③』で書いた「Netflixはコンテンツの著作権を持っていかない」は間違いで、今の同社はスタジオ化を目指す方向だが、それでもがっかりする必要はなく、
「スタジオ・プラットフォーマー(流通側)とのパワーゲームの中で、“制作者・クリエイティブ側”は、ファイナンスや収益ウィンドウの面で、彼らに負けない武器を持つ必要がある」
という趣旨の文を書いた。
(他でも書いたかもしれないが、全部見直せないので、このくらいに。)

そしてそれらはすべて、「コンテンツ・イズ・キング」実現のためにエンタメファイナンス、コンテンツファイナンスを活性化させるべきだ!という議論につながる話だ。
結局、自分が2005年頃にコンテンツファイナンスを目指し、2007年以降コンテンツ業界に片足を突っ込んで以降、ずっと周りに語り続け、なおかつ、いまだに実現できていない物語に帰結するわけだ。

2013年に電子書籍で出版した『コンテンツファンド革命』では、第5章「変化の兆し」第1節“デジタル化”を軸にした大きな変節(b)流通プラットフォーム(Private)の変化、という箇所で、Netflixなどと競合業者とのコンテンツ争奪合戦が増加することで、コンテンツホルダー(権利者)は新しい様々な収益源を有られる可能性が有る、と書いた(当時は日テレのHulu買収前で、Netflixの存在感は今ほどではなかったため、同社への言及はやや少ないが)。
この本自体、そういった「新しい様々な収益源」を見越してこれまでよりも大きくカネを集め、コンテンツ展開をグローバルに考えるべきだ、という趣旨で書いたものだ。
その「大きくカネを集める」手段として、当時は「コンテンツファンドを」という主張だった。

このブログで何度も書いているように(例:2021年11月13日『世界に広がるデジタル証券取引と映画ファンド考』)、最近ではむしろ、デジタル証券のSTOと二次流通(PTS)の活用という方向性に大いに可能性を感じると同時に、NFT活用など、マーケティングも絡めたトータルなビジネス構想を思い巡らせている。
このブログでもSBIを筆頭としたデジタル証券とSTO構想や、そこでの映画版権取り扱いの可能性については何度も言及してきた(例:2021年10月20日「大阪金融都市構想-新PTSの続報と『新しい金融』」)。
STOは、流通先が決まっている「新作」(製作段階)でも、すでに「旧作」となった作品(新規の流通段階)でも可能だろう。
この際、これまでのキャッシュフローのデータや想定キャッシュフローなどに基づき、STOやセカンダリー段階で、どう適切なディスクロージャーを行うか、など、いわゆる金融側の目線も重要になるはずだ。
コンテンツファンド革命』で自分が主張したことが、デジタル証券という枠組みで実現する可能性は大いにあると思っている。

問題は・・・自分が現在、その「現場」に居ないことだ。

話は変わるが、上記記事で参照したN社のSさん(記事では実名)とは、これまで何度かお会いしてお話しした。と言っても、彼がN社で働くずっと前の話だ。
最初は、自分が働いていた東京国際映画祭で開催された企画マーケットの絡みでお会いした。確か2009年とか2010年で、もう10年以上も前。当時、日本とLAを股にかけたコンテンツビジネスを志向するSさん含む彼らチームのアグレッシブさに感化されたものだ。
(チームの一人はその後、大手に入り、某有名アニメ原作映画などでプロデューサーとして活躍してこられたようだ)
その後、自分が周りの方々と一緒にコンテンツファンドを対象とした第二種金融商品取引業の会社を興そう、としていた頃(だから、おそらく2011年か12年だと思うが)にもお会いした。
その時、Sさんはアジア系コンテンツ企業で日本のテレビ局との共同制作案件に関わっておられたはずだ。その際、当時の我々のコンテンツファンドへの取り組みの話をしたほか、自分のオリジナル企画『真央ちゃんになりたい』の脚本をお渡しした記憶がある。
そこから10年近くが経って、我彼の差たるや。いやはや。

別に“やっかみ”を言いたいたわけではない。
むしろ、上記インタビューでS氏が言う5年後、「映像コンテンツの制作・配信(配給?)で国境がなくなる」頃には、一方でSTOやセカンダリーマーケット、グローバルな広がりも伴うコンテンツファイナンス領域が育っているべきではないのか、ということだ。

この前、2021年11月13日 に投稿した『世界に広がるデジタル証券取引と映画ファンド考』で書いたように、
「今回のデジタル証券としてのエンタメ、という流れは、横の広がり(グローバル)も縦の広がり(ファンマーケティング)もある。
さらに、NFTにも話を拡げれば、クリエイティブ側への還元という流れも後押しされてくる。」
と思っている。

先日、自分が考えるプランのひな型段階のものを、複数の方々にお渡しした。とりあえず、周りに声掛けして、なにがしかのご意見をいただこう、という程度の、ほんのさわりの話だ
(特に、組成面は自分自身も不案内で、もっと知識を得なければ、という立場でもあるし)。
今はこの程度の動きしかできないが、こういった巻き込みの先に、なにがしかの展開があれば、と思う次第。

世界に広がるデジタル証券取引と映画ファンド考

●デジタル証券の取引所連合、アジアで 東海東京が構築へ(日経 2021年11月10日 5:00)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB02EAX0S1A101C2000000/

東海東京がアジアをまたにかけたブロックチェーン活用のデジタル証券取引所連合を作ろうとしている、という記事。
日本で「ADDXジャパン(仮称)」を2023年にも設立し、私設取引システム(PTS)の認可取得を検討しているということ。
先日、「大阪金融都市構想-新PTSの続報と『新しい金融』」でSBI・三井住友FGのODX(大阪デジタルエクスチェンジ)について記事を書いた(このブログでは、これまで他にもSBIによるデジタル資産の新しい取り組みについて何度も取り上げてきた)。
上記記事では、ADDXジャパンがODXにつなぐ可能性も示唆している。
一年近く前に「デジタル証券のシンガポール集中とエンタメファンド」でSBI、東海東京などのシンガポールでのデジタル証券取引所の取り組みや世界の流れについて参照したが、日本国内にも還流してきているようだ。

過去記事でも書いたが、世界の非上場資産は900兆円以上あるそうで、この日経記事では、
「スイスに拠点を置くブロックステートによれば、19年の世界のSTOによる調達額は4.5億ドル(約507億円)。25年にはSTOの市場規模は8兆ドル(約902兆円)になると予測する。」
とある。

SBI/三井住友陣営も東海東京も、当初は不動産、未上場企業の社債といった、投資家フレンドリー(?)なアセットのSTOを先行し、PTSでのセカンダリーマーケットで投資家を拡大していく、という絵を描いていると思われる。
上記記事では、
「第1弾として国内の不動産会社と組み、数十億円程度の不動産を裏付けにしたデジタル証券を発行する。電子記録移転権利(ST)と呼ばれるもので、国内での発行は初めて。金融庁に対してSTを販売できる登録変更を終えており、1口1000万円で日本とシンガポールの個人や機関投資家に販売する。このSTを近くADDXに上場する。」
とある。

デジタル証券という新たなビークル(投資対象そのものというより、投資信託・匿名組合持ち分のような投資の“ハコ”)の発行・流通の流れができる、というだけでなく、最初から(原則、プロ対象とはいえ)“海外”のカネを当て込んだ流れであることも注目すべきだろう。

こういった動きは単にSBI、東海東京といった企業だけの取り組みではなく、当然、金融当局が一定の関心・関与をもって動いている話だろう(残念ながら情報を持たないので詳しくは知らないが)。
投資開示ルールなど、投資家保護に基づき発行体を“縛る手段”を持つのは金融当局なので、現在の国際基準では“厳し目”と感じられる規制先行で進むのか、それとも「新しい金融」への期待をもって、デジタル証券・デジタル資産の市場育成に動こうとするのか、期待と不安を持って眺めていきたい。
(歴史的な当局の姿勢からすれば、不安しかないのだが、さすがに「日本はこのままでは没落する」と考える国士はいるだろうと信じたい。)

さて、自分は900兆円という“手あか”のついていない各種・各国資産のなかで、なかんずく「映画」「エンタメ」にずっとずっと期待してきた者だ。
ずっと、「グローバルに金融とエンタメを繋ぐことができるクリエイティブ人材」という目標を掲げている。

昔書いた「コンテンツファンド革命 映画ビジネスと金融ビジネスの新たな関係」の中では知財の管理ビジネスとグローバル・ビジネスとして、(当時は映画ファンド=信託受益権を考えていたが)グローバルな取引所でのセカンダリーマーケットの可能性を夢想し、その際の「透明性」確保のための開示の重要性について言及した。

現在のODXやADDXの取り組みは、うまくすれば当時自分が考えていた「グローバルに金融とエンタメを繋ぐ」場所に育ってくれるかもしれない。

かなり前だが、2017年7月に公益財団法人ユニジャパンと経済産業省が主催(協力:金融庁)した「コンテンツビジネスにおける資金調達と金融商品取引法」というセミナーを聞きに行ったのだが、その際に、森・濱田松本法律事務所の弁護士の増島雅和先生が「コンテンツビジネスの資金調達とファンド管理」という講演をされていた。
そこで、例えば“分散型資金調達モデルの最先端”として「Tokenのクラウドセールス(ICO)による資金調達モデルをコンテンツビジネスに応用」といった説明がサラッとされていた。
正直、聞いた当時はICOのことすら全く知らないトーシロだったのでよくわからなかったのだが、自分が「コンテンツファンド革命」で書いたことがデジタルの世界で解決される可能性を漠然と感じた。
その後、自分がICO絡みの取り組みに参加したり(「NFTをきっかけに、これまでと未来を考える」)いろいろ勉強したりする中で、映画制作とSTOの親和性やデジタル資産(証券)と発行体のファンマーケティング活用の可能性、あるいは、イニシャルなLLPとシニアビジネスマンの活用、などについて期待が募っている。
(「SBI・三井住友FGのPTSと新たなエンタメ金融の考察」「オリラジとポケモンとSTO(雑記)」など)
これらには、たとえばNFT(Non-fungible Token)発行によるファンビジネスへの転用とその吸引力を期待するスポンサー企業への橋渡し、という可能性も加味されると思う。
(さらに言えば、ファイスブック改めメタが大プッシュする「メタバース」の世界観とNFTの親和性も、個人的には感じている。)

いずれにせよ、「エンタメとファイナンスを繋ぐ」領域の中で「金融側」に属する領域が広がっていくのは間違いない(この動きが強固な規制などで失速しなければ)。

今、国内の映画やテレビといったレガシーメディアでは、こういった動きをどうとらえているのだろうか。ほとんどの人は察知すらしていないのだろうか。それとも、水面下で何か動きはあるのだろうか。
今は外野でただ見ているしかない自分の状況にもどかしさを感じる。
エンタメビジネスも金融ビジネスも、主要プレイヤーは保守的な傾向が強い。これはオジサン社会である日本の構造問題と言っていい(「オジサンたちは変わらなければならない」「投資を考えることは人生を考えることだ」)。

先月に書いた記事「大阪金融都市構想-新PTSの続報と『新しい金融』」でも取り上げたように、少し先にはあの“大”野村(自分の世代の元証券マンはどうしてもそう過大評価(?)してしまう)がデジタル証券の「売り子」として登場してくる。その頃にはある種のデジタル証券の投資ブームがあるだろう。
玉石混交の投資対象の中で、エンタメ案件は注視されることが予見できる。

問題はその“先”だ。
2000年代に小さなブームを起こした「映画ファンド」が、結局は失速したように、投資家にとってのいい投資案件と投資環境、継続的な産業としての発展がなければ、結局はまた単なるブームで終わってしまうだろう。
(参照:「コンテンツファンド革命」)

今回のデジタル証券としてのエンタメ、という流れは、横の広がり(グローバル)も縦の広がり(ファンマーケティング)もある。
さらに、NFTにも話を拡げれば、クリエイティブ側への還元という流れも後押しされてくる(「メルカリ黒字化とIT企業経済圏とNFT。そして『新しい金融』」)。
簡単にブームで終わってほしくはない(ブームすら起こらないのはもっと寂しい)。

これに関わるエンタメ業界側、あるいはサポートする金融側も、これまでの延長線上で物を考えていては、何も“変わらない”気がする。
変化はチャンス。何が起こるかよくわからないが、変化に臨んでおこう、という姿勢だけでも持っておきたいものだ。
例えば、今、金融側にいる人は、デジタル証券を軸にした新しい流れを見越して、自身の棚卸しをしておくのもいいかもしれない。
顧客や友人などの(海外含めた)人的なつながり、有力コンテンツへのスポンサーを希求する中堅企業とのつながり等々、自分が軸になる“つながりの化学反応”を起こす可能性が見つけられるかもしれない(≒エンゲージメント)。

・・・と、いかにも「エンタメ」はいかにも来るデジタル証券の主軸であるかのような書きぶりを続けてしまったが、最後にクールダウンを。
900兆円以上と言われるデジタル証券の潜在投資先の中でエンタメはあくまで僅かなものだと思う。
ただ、自分がこのブログで常々書いてきたように、もし「金融」と「マーケティング」の領域が近づいてくるのであれば、表面的な投資金額以上の影響力を持つ可能性は間違なくあると思う。

期待と不安をもって、これからの流れを見ていきたい。

金融向けIT規制と日本の金融ムラへの憂慮、強い「個」の連携

●【独自】金融向けITの監督・規制を強化…日米欧当局、指針作成へ(Yahoo Japan 10/26(火) 5:00)
https://news.yahoo.co.jp/articles/465ca0cc61e5f33d65547c7426ec9c92042eff6c

主要国の金融当局で構成される金融安定理事会(FSB)が、来年1月にも大手IT企業に対する具体的な規制指針の作成に着手し、早ければ2023年度の導入を目指す、というニュース。
監督・規制の対象となるのは、AWS(アマゾン・ウェブ・サービス)などクラウド事業者やブロックチェーン、ということだそうだ。
この流れで、金融庁も国内での具体的な監督・規制のあり方について近く検討に入るという。

金融サービスとは、とどのつまりシステムなので、「システムをちゃんと運営してね」という意味合いとして、監督・規制は別段、おかしな話ではない気もするのだが、何となく“本末転倒”感が拭えなかったりする。

この記事では、「金融機関は、預金や決済を管理する基幹システムは自前で整備する一方、アプリなどスマートフォンやインターネットを活用したサービスでは、IT企業のクラウドサービスを使う例が増えている。」とある。
要は、幹の部分は自前のシステムなのでしっかり管理できるのだが、枝葉の部分は外部のクラウドサービスを使うケースが増えているので、「そのシステム、ちゃんと運営してね」という説明なのだが、みずほ銀行のシステムの壊滅的状況を見るに(当事者の方々には甚だ恐縮なれど)、素人目でも「いや~、自前システムより外部(クラウド)の方が、よほどしっかりしてるんじゃないですかね?」と思ってしまった。
国内の複数の銀行では、すでに勘定系システムもメガクラウド上に構築されている、と聞く(本チャンで使われているかバックアップ用なのかは知らないが)。
すでに金融機関独自のシステム構築やサーバー管理など、リスクの方が大きいと判断されつつあるのではないだろうか。

この記事に対するコメント欄を見たが、
「ITを監督規制するより日本の金融レガシー(全銀システム等)をどうにかせよ」
「日本の銀行はIT子会社に丸投げでいつまでも古いシステムを使い続けている」
「そこで実際にシステムを組んでいるのは下請け・孫請けの派遣社員など。だったらAWSを使う方がマシでは」
「IT子会社は銀行本体の行員と官僚の天下り先。ITベンダーとの癒着で腐敗している」
「金融業界ヒエラルキーで銀行至上主義がある限り、日本の金融の発展は難しい」
「海外のチャレンジャーバンクは日本の銀行のモバイルバンキングより安全性も利便性もかなり高くクラウドのシステム障害対策もきちんとされている」
等々、かなり厳しい意見が多かった。
正直、「やっぱりそうか」と思ってしまった。

金融は「古い」ビジネスで、少し前までシステム側を“使役”していればよかった。
でも今や「新しい金融」の時代で、巨大IT企業はその来る主役だとも目されている(時価総額だって全然、上だし)。

金融当局側が、自前のシステムが制度疲労を起こしているメガバンクなどからの視点で「システムをちゃんと運営してね」などと言えば、返す刀で「そっちこそな」「むしろIT企業視点で新しい金融システムを組み替える方が、よっぽど効率的では?」と言われてしまう気がする。

今回の記事の内容は、大きな流れとして、巨大化したグローバルITなど「私企業」を「国家」「国際規制当局」が“型に嵌め”ようとしている動きだと思う。
金融、特に銀行は「国家」「国際規制当局」が“型に嵌める”主ルートなので、その入り口から手を突っ込んで「奥歯ガタガタ言わしたる!」つもりなのだろう。かな。

自分はこのブログで再三書いているが、規制が先行する金融ムラのやり方では、「新しい金融」の可能性が閉ざされてしまうかもしれず(まあ、さりながら、金融国際規制当局が新参者のIT側に「はい、どうぞどうぞ」となるはずもないが)、金融側の“中の人”たちは、これまで通りのものの考え方、やり方では立ち行かないと持っている。
特に地銀全般や、メガバンクや総合証券の付加価値が小さい部門など、ビジネスモデルとして存在意義を問い直されつつある金融の“中の人”は、「個」としての大転換が必要だ、と書き続けてきた。

しかし、そんな中、日本では銀行(特に地銀?)が「組織」として延命するすべが用意されつつあるようだ。

●金融庁資料「新型コロナウイルス感染症等の影響による社会経済情勢の変化に対応して 金融の機能の強化及び安定の確保を図るための 銀行法等の一部を改正する法律案」(2021年3月)
https://www.fsa.go.jp/common/diet/204/01/setsumei.pdf

今般の銀行法の改正で、「デジタル化」「地方創生」などを背景に、これまで特例だった銀行業以外のスマホアプリやITシステムの販売、マーケティング・データ分析・広告展開、人材派遣などの事業に子会社・兄弟会社として手を出せることになった。
また、非上場の地域活性化事業会社に対する議決権100%の出資が可能となっている。

前者のITシステムの販売やマーケティング・データ分析・広告展開、というのは、自分がこのブログで書いてきたことを基調にすれば、むしろ、これからのビジネスのメインの側に位置する。
自分はこのブログでも「金融はe-コマースの1ジャンルに格下げになるかもしれない」と言い続けているので、こういった事業を「子会社で」というのは、銀行側の“驕り”ではないだろうか?と思ってしまう。
これが金融規制当局の“視座”であり、金融ムラの限界なんだろうな、という諦観もある(→銀行法の問題かもしれない)。

なお、後者の地域活性化事業に関する改正に対しては、(自分も大好きな「陰謀論」的な観点から?)日本の地方の優良中堅企業を外資の草刈り場にするための法案だ、と糾弾する声もある。

●なぜ地銀は地方経済の天敵になったか?改正銀行法で和製ハゲタカ化、外資も入り乱れ非上場優良企業が買い叩かれる=今市太郎(MONEY VOYCE 2021年8月12日)
https://www.mag2.com/p/money/1088652

「和製ハゲタカ化」になるのは避けていただきたいと心から願うが、地銀が抱えるゾンビ的に延命してきた融資先企業をデット・エクイティ・スワップで銀行が完全子会社化したうえで、M&AやMBOで再建する、という動きは増えてくることだろう。

経営者が高齢化している中堅・中小企業は多く、その多くは後継者不足とも言われている。
(中小企業庁は、今後、後継者不足が理由で休廃業する中小企業が増加し、2025年までに累計で約650万人の雇用と約22兆円のGDPが失われる可能性があるという試算を公表しているそうだ。)
だから、地銀がアンカーになって地方企業の再活性化を図る、という構造自体は、別に問題ないと思っている。
しかし・・・次の流れは何なんだろうか?

●「社長の右腕」候補、地方に橋渡し 金融庁が人材紹介(日経 2021年10月17日 5:00)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB08A1Y0Y1A001C2000000/

ちょっと前に日経に載っていた、この秋から金融庁の音頭で、メガバンクや大企業で働く管理職や専門人材を地方の中小企業に紹介する事業を本格的に始める、というニュース。
(官民ファンドの地域経済活性化支援機構(REVIC)が管理する、ということらしい)

先日、このニュースを見て、仰天して倒れそうになった。
「え? いろいろ問題ありすぎじゃないか?」

それで、ネット記事を漁ったら、そういえば、菅政権下の今年春先に同じ内容の記事が出ていて、その時も確か「いやいや、まずいでしょ」と頭がクラクラしたことを思い出した(本当に、忘れっぽくて嫌になる)。

この「地域企業経営人材マッチング促進事業」の要旨は、経営者の高齢化・後継者不足が問題視されている地方の中小企業・中堅企業と、これから「新しい金融」の台頭で人員余剰化が叫ばれるメガバンクなどの人材をマッチングしよう、というお話。
すでに6月にREVICのシステムはできており、10月から人材紹介業を担う地域銀行と信用金庫、提携人材紹介会社に無料開放した、ということらしい。

つまり、銀行法改正で「人材派遣業」も可能になる地銀は、早々に新ビジネスを得られる公算のようだ。

この記事にもある通り、
「金融庁は(メガバンクなど)大企業人材の紹介を通じ、中小の事業転換・事業拡大を後押しする」
「地域金融機関が企業側が求める経験や能力を具体的に聞き取った上で紹介」
「企業が採用すれば国から補助金が入る」
ということで・・・。

これって、お上が金融ムラの村人たちを救済し、オワコン地銀に存在意義を与え、地域経済活性化の名のもとに地方の中堅企業に余剰人材を押し付けよう、ってことなんじゃないの?
中堅企業側は、そんな人材を欲しいと思うのだろうか?

正直、ワタクシ、このニュースを読んで以降、少し「鬱」状態です。
やっぱり日本はこんな国なのか。
「護送船団」と言われた金融業界と官の根っこは全く変わっていない。
国(官)が支援するのはチャレンジャーではなくて体制におもねる人たち。
体制側の人たちはお上に“守られる”ことを信じ、変わろうとしない。
お上はきちんと飴玉を用意する。ほれ、このとおり。

今日の最初の「金融のIT規制」の記事と「銀行法改正とバンカー&地銀救済策(?)」には、直接的に関連性はない。
無理やりつなげて「整合性が取れていないのでは?」と思われるかもしれない。

しかし、最初の記事へのコメントにある“厳しい意見”を読み、後半の余剰メガバンカー救済策?を目の当たりにすると、日本の「古い」金融の敗戦構造が見えるような気がする。
「新しい金融」へと変わってゆくべき今の金融体制がこれで、ホントに大丈夫なのだろうか・・・。

いや、金融ムラの中の方々もこんな“お仕着せ”に乗っかろうとする人たちばかりじゃないだろう。
気骨のある人は、自分から地域経済に飛び込み、自分自身で再就職先を探し、自ら積極的に企業再生の提案を行うだろう。
それができる強い「個」と、同じように広くアンテナを張った「個」の連携こそ必要ではないだろうか。

今回の記事はいつもにも増して取り留めなくなってしまった。
さりながら集中力も切れたゆえ、とりあえず、この形でUPしようと思う。

大阪金融都市構想-新PTSの続報と「新しい金融」

●野村・大和、SBIとデジタル証券 不動産など小口売買【イブニングスクープ】(日経
2021年10月14日 18:00 (2021年10月15日 5:21更新))
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB07DA40X01C21A0000000/

少し前の記事だが、以前、「SBI・三井住友FGのPTSと新たなエンタメ金融の考察」「デジタル証券のシンガポール集中とエンタメファンド」などで書いてきた、SBI・三井住友FG連合のPTS(私設取引システム)の運営会社「大阪デジタルエクスチェンジ(ODX)」が、この11月をめどに35億円の第三者割当増資を実施し、野村と大和も株主に加わる、という内容。
ODXは「大阪金融都市構想」に連なるゲートウェイの位置づけなので(?)、関西人としてこの動きには期待感がある。

ODXはデジタル証券のセカンダリーマーケットとしての発展が期待されているが、各金融機関が揃うことで、「公的なPTSとして運営体制を強化できる」(ODX幹部)とみる、ということのようだ。
なお、デジタル証券(23年めど)に先んじて、上場株(22年春)の取り扱いを始めることになっている。

この記事曰く、野村の参入は、若年投資家層を取り込むため品ぞろえを増やす手段としてデジタル証券に期待しており、三井住友FG傘下のSMBC日興証券や大和は、投資家の注文をODXに取り次ぐことなどを検討している、とのこと。
いずれ、販売力のある野村・リテール部門がデジタル証券の「担い手」として登場してくることになる、というわけだ。

●デジタル証券普及へ国内連合 三菱UFJ信託、SBIと(日経 2021年10月6日 5:00)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGD051VV0V01C21A0000000/

最初の記事のもう少し以前に、ODXで取り扱うデジタル証券のカストディー業務を三菱UFJ信託が担う、という記事が出ていた。
「三菱UFJ信託はODXに自社のシステム『プログマ』を提供する。具体的には取引されたデジタル証券を誰が保有しているかなどの帳簿を記録する。上場株式の保管業務を手がける証券保管振替機構(ほふり)の機能をデジタル証券で担う構図だ。」(同記事より)

自分が「SBI・三井住友FGのPTSと新たなエンタメ金融の考察」で書いたような、発行企業のマーケティング(なかんずく、ファンマーケティング)に資するようなデータ連携ができるのか、あるいは何らかの保守的な勢力に負けて実現しないのか、今後の行方を見守りたい。

いずれ野村のような大きなリテール基盤を持つ金融側のプレイヤーが、デジタル証券の発行・流通だけでなく、発行体のマーケティングニーズも含めて(例えば、現在の株主優待以上に)かかわることになれば、「新しい金融」は“楽しい”ものになるはずだ。
(このブログに何度も書いてきたように、野村など大きな“組織”ではなく、IFAなど“個人の連携”がこの担い手になれれば、より理想的だと思うのだが)

なお、自分が言う「マーケティングへの援用」は、デジタル証券が期待されていることのメインではないだろう。
むしろ一般的には、これまで証券化商品として取り扱うのが難しかった投資対象(非上場企業の社債、映画版権など)に投資できたり、これまで富裕層だけが対象だったヘッジファンドなどに対し小口での投資を可能にさせたりすることが、その意義として、説明されていることが多いように思う。

とはいえ、自分が希求してきたコンテンツファイナンスの世界が、デジタル証券のSTO→セカンダリーマーケット、という形で帰結する可能性は小さくないと思うし、ファンマーケティングへの援用、という形で「新しい金融」の道が開けていくかもしれない。
さらに言えば、ファンマーケティングに金融側“も”携わるようになることで、NFT(ノン・ファンジブル・トークン)も範疇に入ってくるかもしれない。
(「メルカリ黒字化とIT企業経済圏とNFT。そして『新しい金融』」など。NFTについては、自分ももっと学ばねば)

これまでブログで「(大企業の)オジサンたちは勉強不足」などと偉そうに書いてきたが、そういう自分も、「新しい金融」の可能性を探るためにも、もっと勉強しなければ、と思う今日この頃。

「安い日本」と中抜き体質の日本的経営。「45歳定年制」に思う

このところ、「日本は安い」という内容の記事や特集を読む機会が多くあった。
(週刊ダイアモンドやエコノミストなど。元々は昨年の日経の特集あたりから使われ始めたそうだ)
そこでは、「いつの間にか世界の負け組に」という諦観や、「日本は安いので今が買い場」という投資家目線、そして、「なぜ日本が安いのかを自覚してきちんと覚醒すべきだ」という社会改革を叫ぶ論調など、様々な形で「日本は安い」を取り上げていた。
実際、これらすべてに実感し納得する。

●アニメやゲーム業界「日本人は安くて助かります」その由々しき事態(Yahoo/Newsポストセブン 10/12(火) 7:05)
https://news.yahoo.co.jp/articles/bea951414d763fc01c8f6fcf2b8b44537dc05b6d

上記のYahoo記事は、「日本は安い」の代表格ともいえるアニメーターやイラストレーターなどのクリエイターたちの現状をレポートしている。
元々、アニメーターなどクリエイターはビジネス構造の中で最下層に位置し、ビジネス(流通側)を駆動する上部層から搾取され続けてきた。
ある意味、資本主義の課題にまで行きつく普遍的問題点で、これについては、自分も「『コンテンツ・イズ・キング」は幻か?①~⑨」「『コンテンツ・イズ・キング』と『天下の秤』」などで、ビジネス側からのクリエイターへの搾取への反発や「コンテンツ・イズ・キング」実現のためのクリエイティブへのリスペクトの必要性について問題提起をしてきた。

上記Yahoo記事の筆者は、それだけではなく、得体のしれない“中抜き”プロデューサーの存在というアニメ・映画業界の悪習も看破している。
この記事では、中国から直接発注を受けることでようやく潤っている、という事例が紹介されている一方、黒船と期待された莫大な製作予算を持つ海外大手インターネット動画配信企業からの発注でも、アニメ制作現場に下りてくる予算は、方々で“抜かれ”た結果、最低限の金額だった、と紹介している。

この方の主張では、この「中抜き」体質こそが日本が構造不況に陥った原因の一つであり、中抜きを是とする社会的土壌が、(アニメ業界に限らず、総じて30年間も平均賃金が変わらない)「安い日本」の根本的な問題だ、とある。
若干の論理の飛躍も感じるが、個人的には“感覚的”に正しいと感じる。

文中最後の方に、
「いまのところ中国が『安い日本人』と思っているのはクリエイティブ系が中心だが、いずれサラリーマンすら『日本のサラリーマンは安い』になるかもしれない。」
という考察が有る。
さもありなん、と思う。

この前(と言ってもすでに1か月半以上も前だが)書いたブログ「NFTをきっかけに、これまでと未来を考える」の最期に、DIAMOND ONLINEの「安いニッポン 買われる日本」特集を読んで、「以前、『オジサンたちは変わらなければならない』を書いたが、『変わりたくない』『チャレンジしたくない』一定層の人々が“重し”になっていることが大きな理由だと思う。」と記した。

中抜き(≒搾取者)をビジネス主体の「企業」や、座組内の既得権益者である「得体のしれないプロデューサー」として見れば、特別な“おっかない”存在に思えるのだが、その「中の人」の多くは、実は、これまでうまくやってこられただけの「普通の人たち」なのではないかと思う。
そこにあるのは、自分がこのブログでたびたび「変わらなきゃ」と指摘する大企業のサラリーマンや、彼らのメンタリティーと同質なもののような気がする。

●「正社員を守るため非正規が犠牲になった」多くの日本人が貧困に転落した”本当の理由”(Yahoo/President Online 10/12(火) 12:16)
https://news.yahoo.co.jp/articles/b7bad7804f6cca2dbc020bb64a68e89ad9d19a8f

上記Yahoo/President Online記事では、日本に今生じている格差と貧困の原因は、(他の国々のような)「富裕層への富の集中」や「イノベーションへの対応差」ではなく、「正規・非正規の雇用格差」によるものであり、それは頑固に一部の正規雇用者のみを、ひいては、「日本的経営」なるものを守ろうとしてきたことによるものだ、と指摘している。
(上記記事は丁寧に説明しているので、ぜひ、きちんと記事を参照して読んでいただきたい)

結局、この根本にメスが入らないと、何も解決しない気がする。

●45歳定年論争が迫る「いつかは管理職」幻想への決別(日経ヴェリタス 2021年10月11日 4:00)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB305NY0Q1A930C2000000/

数か月前にサントリーの新浪社長が世間をにぎわせた「45歳定年制」問題。
この話題が上がった頃、ネットやメディアで、「体のいい中高年のリストラ策だろう、ふざけるな」「サントリー製品なんてもう買わない」という、中高年層(あるいはその家族?)たちからの怨嗟の念を見聞きした。

ただ、どうだろう。
自分は、日本はそろそろ真剣に45歳定年制を正面から論じるべき時期に来ている気がしている。
「45歳」に「定年」という言葉こそセンセーショナルだが、単純に言うと、これは、終身雇用を是とする日本的経営そのものを見直そう、という話だ。

45歳定年制の方が、「組織」にとっても「個人」にとっても幸せなのではないだろうか。自分はそう思う。

終身雇用の下、個人は人生のほとんどの期間をその組織で過ごし、自身や家族の将来設計もその給料に組織に従属せざるを得ない。自ずと、リスク志向は薄れ、メンバーの思考は同質化してくる。
同質化した組織では、些細なことに重きを置かれ、本質を忘れてしまいがちだ(決めつけて恐縮だが)。

「組織」への弊害について、あえて“決めつけ”を続けてみる。

「結果よりプロセスに重点が置かれ、実質的解決策よりも形式的な社内承認プロセスを重視する」
「志向が保守的になり、顧客や競合他社を見ず自社内の政治にふける。」
「自社のブランドで取ってきた仕事を下請け・孫請けに回して利ザヤを取るような堅い商売の方が、リスクを取ってゼロからビジネスを創造するよりも好まれる。」
「中抜きビジネスを是とするようなメンタリティーがはびこる。」

こういった組織の中で、閉塞感にさいなまれながら過ごしている人たちは、案外多いのではないだろうか。
申し訳ないが、そんな組織にイノベーションや新しく次代を担う製品やサービスは作りえない。自分はそう思っている

上記のすべての元凶が終身雇用制にある、とは言わないが、「同質的組織の弊害」や「中抜き体質」と「日本的経営」は相応に因果関係がある気がする(論拠を示せ、と言われれば、感覚的にそう思う、としか答えようがないが)。

もし上記Yahoo/President Online記事にある通り、日本の同質的組織とその構成員たる正社員を守るため、非正規が犠牲になり、現在の格差と貧困が問題になっているのだとすれば、日本社会・日本経済のため(「安い日本」を終わらせるため)にも、早くこれを改めるべきではないだろうか。

論理が飛躍しすぎているだろうか?

●日本メーカーのIoT製品はなぜ使い物にならないのか?(Diamond Online 2021.10.13 3:30)
https://diamond.jp/articles/-/281771

この記事では、(記事としてはタイトルと内容がずれていて、おかしな記事なのだが)サイバーセキュリティの専門家が諸外国と日本の会社員を比較し、日本では形式的なことにとらわれすぎて、それがビジネススピードを遅らせ、日本企業の競争力を落としている、と示唆している。
さらに、大企業社員は、「大企業の社員である」といういびつな満足感の枠から離れられず、はっきり言って勉強不足だ、と看破している。

●日本が国際競争力を失った納得の理由。先進的な研究開発も“宝の持ち腐れ”にする「企業文化」の残念さ(Yahooニュース/Business Insider Japan 10/13(水) 11:15)
https://news.yahoo.co.jp/articles/18015ff967f9fd3ee3ce08aee09cf50b1aadeee2

こちらの記事では、日本企業・組織の閉鎖性と意思決定の遅さが国際競争力を失わせた原因だと指摘する。
確かに、今や日本企業と言えば、社内根回しのために様々な資料を作らされて疲弊する部下と、なるべく意思決定を曖昧にして保身の道を残そうとする上司、というステレオタイプな姿が想起される。

そして、これこそが大問題なのだが、そんな日本的経営下の「中の人」たちは、個人として「全く幸せではない」のだ。

●「今日の仕事は、楽しみですか」に、なぜイラっとしたのか 「仕事が苦痛」な日本人の病(IT Media Business Online 10/13(水) 8:23)
https://news.yahoo.co.jp/articles/e2e1016cd13e38dea816cebc4b28ffd173d553e8

上記記事は、各種調査をもとに、日本人は世界でも有数の「仕事を楽しみにしていない国民」であり、義務と責任で「嫌々ながら働かされている」人たちだ、と規定する。
(この記事では、日本人の労働観は太平洋戦争末期の『皇国労働観』に縛られており、カルト宗教的である、と述べられている。自分自身、それに対して是も非も言える立場ではないので、言及は避けたいと思う)

結局、現在の日本の多くの企業では、仕事を苦痛に思いながら義務的に働く“不幸な”労働者たちが、片や正社員の勝ち組、片や負け組の非正規社員として働いており、同質的な組織の中でプロセス論に終始し、イノベーションも起こせず、総じて不幸になっているのかもしれない・・・そんな単純な“決めつけ”をすると、様々な方面から怒られてしまうかもしれないが。

では、そんな日本的経営下で苦しむ「個人」は、どうすればいいのだろう。
前述の「45歳定年制」論争の記事で述べられていたことを、論者の名前と併記して書いてみる。

・サントリー 新浪社長:「個人は会社に頼らない仕組みが必要」
・東京大学大学院 柳川範之教授:「デジタル化などの技術革新が進んでいることもあり、一つの会社で働き続けることは難しくなっている」「長く働くために、人生のどこかでピットストップ(小休止)と学びなおしが必要」
・リクルートワークス研究所 石原直子氏:「定年を早めるならば、若い時に賃金をより多くもらえるような設計に変えなければならない」
・労働政策研究・研修機構研究所 浜口桂一郎所長:「全員が管理職を目指す『メンバーシップ型』の前提は、労働意欲が高い若い新入社員が大量に雇用できるという点にあった」「中高年層が厚くなった今、ゼネラリストとして育った彼らの生産性が低いことが、企業の問題意識につながっている」
・日本総研 太田康尚シニアマネジャー:「これまでの日本の教育制度はゼネラリストの育成を前提としたもの」「企業もジョブ型を志向し始めている。スペシャリストの育成・人材流動化について企業側の一層の意識改革が必要」「重要なのは、(定年がいつ、ではなく)管理職を目指さない多様な働き方の実現」

「45歳定年制」というセンセーショナルな言葉に踊らされて、感情的なハレーションが起こったが、実は、至極まっとうな問題提起がなされていたと思う。

先ほど、「45歳定年制の方が、『組織』にとっても『個人』にとっても幸せなのではないだろうか。」と書いた。
「個人」にとって、上記のような「会社に頼らない」「学びなおしながら、(組織に縛られずに)長く働く」「若い頃から高賃金を得る」「高い生産性をもって(プロとして)勤め先企業に奉公する」「定年を気にしない」働き方は、望ましいものではないだろうか。
少なくとも、義務と責任で「嫌々ながら働かされている」という感覚からは大きく乖離した働き方であるように思う。

だから、結局はありきたりの言葉になってしまうのだが、「人生、いつまでも勉強」「新鮮な心を忘れずに」「未来に向けて切磋琢磨」を続けることしかないのだ、と思う。

ところで・・・。
自分はすでに「45歳」すら超えたシニア世代の人間だ。残念ながら。
自分の学生時代・旧職場時代の同期も「45歳定年制? それは次世代の話で自分たちには関係ないよね」という「逃げ切り体制」に入っている。

実は、このブログは自身の“よしなしごと”を、特にターゲットも決めずに漫然と書いてはいるが、心の中では同世代の友人・知人たちに向けて、“反骨心”を持って、書いている側面もある。
「で、お前、金は貯まったのか(藁)?」などという奴には、なめんなよ、という気概で書き続けている。
(貯まってねーよ。こちとらチャレンジ続け・負け続けの人生で、自慢じゃねーが彷徨ってんだよ。だからって、他人に嘲笑される筋合いはないと思ってるよ)

「45歳定年」ということは、46歳に新人になる、ということだ。
この価値観でいうと、我々の世代など、(定年後の)入社10年に満たない“ペーペー”にすぎない。
自分が新人の頃、(自分含め皆が)世の中を新鮮に・予断なく見て、幅広く勉強したい、と思っていた、と思う。
残念ながら、オッサンたちの多くは、予断を持ちすぎている気がする。若い人たち(だけでなく、若々しく学び行動している人たち)に学び、自らも予断なく、幅広く学びを継続したいと思う。

まとまりがつかない文章になってしまい、反省。
最後は酔いに任せて書いたので、ちょっと文章が乱れてしまった。恐縮(です)。

「日本は安い」
その通りだと思う。
この問題意識は昨今、日本国民の中で広がってきていると思う。
(45歳定年制への考えの是非は別にして)我々世代も含めて、「変わらなきゃ」と思う人たちが増えてくれば、“安い日本”は、少しは変わってくるかもしれない。

映画・ドラマの経済効果・波及効果と保守的な業界への思い

●経済効果19億円超!? ハリウッド映画を日本が誘致(Livedoor News/テレ朝news 2021年10月12日 19時40分)
https://news.livedoor.com/article/detail/21017356/

10月22日から日本で公開される日本を舞台にしたハリウッド・アクション映画『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』が、内閣府の「外国映像作品ロケ誘致に関する実証調査」の対象作品として誘致され、9600万円の補助金を得て国内で撮影されていた、というニュース。
補助金を出したと言っても十分元は取れていて、撮影クルーが国内の数カ所でロケを行って落とした金額は約19億円で、この後、全世界で公開されてロケ地などに注目が集まれば経済効果はさらに広がり、数百億円にも上る見込みがある、という。
(もちろん、この金額を完全に鵜吞みにすることはできないが)とてもいいことだと思う。

ブログ記事「ロケーション・インセンティブと企画開発費への私見」の頃からなので、ちょうど2年たって実現したことになる。
同ブログ記事で書いた通り、この内閣府の取り組みは、自分が『コンテンツファンド革命』の中で主張していた通りのことなので、(自分は全くかかわっていないものの)感慨深い。

コンテンツファンド革命』は、2012年から書き出して2013年に出版した。
内容はすでにちょっと古いが、自分がこれまで「未来」に対し臨み、様々な先に提言し、果敢に挑んできた人間だ、という証の一つなので、ご興味のある方はお目通しいただけるとありがたい(です)。
今回のロケーション・インセンティブは、【第4章「政策面での課題」-第2節 政策的支援の提言】に近い内容が記されている。
(その上で、税制優遇的なファンドの利用を提言しているが、これはまだ難しいかもしれない)

なお、すでに映画やドラマというコンテンツを軸にしたビジネスモデルは大きな変革が必要な時代に突入している。これまで「アニメ業界・Netflixの急速な変化と『民主的』コンテンツ製作(考察)」や「SBI・三井住友FGのPTSと新たなエンタメ金融の考察」などでも書いたように、金融側からの変革アプローチの可能性もあり得ると思っている。

一方で、「TikTokと音楽産業と、『ファスト映画』の未来」「『ファスト映画』は害虫なのか?」などで書いたように、映画・ドラマ業界は大きな変化の波に抗していて、将来的な新ビジネス構築のチャンスを逃しているような気がしている。
嫌な言い方をすれば、彼らは“変わらない”ことに価値を求めてすらいるように見える。
「映画」や「ドラマ」はそれでもいいと思う。しかし、「映画ビジネス」「ドラマビジネス」がそれでいいはずがない。

最近、いろいろなところで「日本は安い」という説を見る。
思えば、映画・ドラマ、あるいはアニメなどのクリエイティブ畑は、ずっと“安い”(搾取にあっている)と言われ続けてきた。
そろそろ大きな変化があってしかるべきだ。

スマホ決済と当局の規制。そして物語を考える

●【独自】マネーロンダリング検査、スマホ決済・暗号資産の事業者にも拡大へ(読売新聞/Yahooニュース 8/27(金) 5:00)
https://news.yahoo.co.jp/articles/16bfec849467cf6278e7f56a6248c2da0b404a51

「金融庁が今秋から、マネーロンダリング(資金洗浄)対策の重点的な検査対象を、スマートフォン決済や暗号資産(仮想通貨)の取引事業者にも広げることがわかった」
「これまでの地方銀行や信用金庫に加え、スマホ決済事業を手がける資金移動業者や、暗号資産交換業者を主な対象とする」
とのこと。

すわ、「スマホ決済など『新しい金融』の芽を摘むような、金融当局による“がんじがらめ”が始まるのか」と思う人もいるかもしれないが、むしろ、これは「当たり前」の話だ。
“行き過ぎ”は困るが、業者が一定のルールのもとに監督されるのは、投資家保護などの観点からは当然だ。

記事にある通り、暗号資産交換業者や資金移動業者は(あるいは金融サービス仲介業者にせよ)、元々、“お上”(金融庁)の監督下で事業を行う建付けなので、この記事は特に驚くような話でもない。

●金融庁、リスクの芽に先手 通年検査を全主要行に拡大(日経 2021年8月17日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB12B9A0S1A810C2000000/

数週間前の上記日経記事の中でも、これから中島新長官体制の下、監督局と総合政策局が分担して、業態横断的に、高度化した検査を行う方針と書かれていた(ただ、この記事で書いているのは金融機関の経営チェックの観点なので、マネロン対策とは別の話かもしれないが)。

ところで、冒頭の金融庁の新検査方針の日経記事に呼応するように、今日の新聞に、FATF(金融活動作業部会)が「日本のマネロン監視体制は不合格」と判定を下した、という記事が載っていた。

●日本のNPO、マネロンに悪用懸念 テロ資金への低い危機意識指摘(産経/Yahooニュース 8/31(火) 9:01)
https://news.yahoo.co.jp/articles/ef210aea60cf9eebbf5128ac81a4abc3a9453c3c

実は、日経新聞には7月初頭にすでに同じ趣旨の記事が出ていた。だからおそらく、これはFATFによる正式な不合格判定が最近出た、ということなのだろう。
(あるいは、「アフガン撤退」のご時世にかこつけて、「これまで野放しだった『新しい金融』側の監督を、きっちりやっていくぞ」という、アナウンス効果を狙った当局側の提供記事なのかも?しれない)

いずれにせよ、これまでの銀行や証券といった伝統的な金融領域とは異なる「新しい金融」の領域も、お上が目を光らせていくことになる。

●「オープンバンキング」躍進 金融と企業つなぐ黒子役(日経 2021年8月30日 5:00)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB12CPA0S1A810C2000000/

さて、「新しい金融」は、結局、システムだ。
フィンテックの代表格で、「オープンバンキング」と呼ばれる決済などの金融側のデータと事業会社を繋ぐ役割を持つAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェイス)を提供するIT企業の領域は、「金融決済等代行業者」という括りで金融庁の監視下に置かれることになっている。

こういった分野でも、KYC(本人確認)の徹底など、“金融側”のルールが浸透していくことになる。
とはいえ・・・。
日本の金融行政と言えば、「金融検査マニュアル」など、細かいところまで当局にがんじがらめにされ、それが一方では目に見えない参入障壁になり、「金融ムラ」化してきた歴史がある。

「新しい金融」は、端からグローバル競争下にある、と自分は思う。
toC系など、「経済圏」と顧客データを持つIT企業(およびその協力企業群)が、いきなり主役に躍り出ることも想定される。

●イオン、全サービス一括アプリ 小売りや金融、来月から(日経 2021年8月28日 2:00)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO75230890Y1A820C2MM8000/

あるいは、上記記事のイオンのように、リアル店舗を持つ小売業も、その競争のメインメンバーになってくるかもしれない。

そんな時に、「村の掟」のようなルールを作っていく方向性に陥ってしまっては、グローバル競争に敗れてしまうことになる、かもしれない。
あるいは、金融庁と経産省、総務省など監督官庁間の綱引きが始まってしまっては、目も当てられないことになる。

これまでもこのブログ(例:「みずほとソフトバンクの情報銀行に思う(乱文)」など)で書いてきた通り、この「新しい金融」は「個人データ」を軸に、金融以外の領域に大きく広がる。
日本の規制当局には、くれぐれも「金の卵を産む鶏」を殺すようなへまをしないでいただきたいものだ。

さて、先日、「『新しい金融』世界と日本、金融当局」でも言及したように、「新しい金融」分野の急速な発展に恐れおののいている(?)のは、何も日本の金融当局だけではない。

今、BIS(国際決済銀行)を筆頭に、世界の金融、ひいては世界経済の秩序をコントロールしてきたオーソリティ(?)が、ステープルコインやDeFi(分散型金融)といった、これまでの金融の概念を変えてしまうような新しいマネー・金融サービスの登場に翻弄されている。

実は・・・。
自分は、こういった状況と、何となく“重なって見える”ものがある。
それは、戦国時代の日本と、それを取り巻くグローバル経済だ。
(金や銀のほか)宋銭や明銭、ビタ銭、コメ、生糸などを交換した「両替商」や「貿易商」たちと、暗号資産やデジタル資産、電子マネーなどを交換する「新しい金融」の世界は、意外と似ているのではないだろうか。

自分も歴史に詳しいわけではないし、あまり話を広げすぎると訳が分からなくなりそうなので、自分が勝手に思っている、一つの“相似形”だけ、例に示しておく。

・東アジアの商人たち(後期倭寇・博多商人・堺商人など)による、中国周辺国の「ビタ銭」などの流通からみる「経済圏」
・今のIT企業主導の電子マネーと、フェイスブックが『リブラ』で目指した「経済圏」

この二つは、いずれも「民」主導で立ち上がった経済圏の中で流通した貨幣が、いったんは“お上”に承認され、活発に流通するものの、(リブラがディエム構想に換骨奪胎されたように)最後はお上によって潰される、という流れがある。

「最後は必ずお上が民を潰す」と断言したいわけではない。
今も昔も、金融サービスは、民が生んで民間で広く流通していく一方で、お上の規制との綱引きの中で育まれ形成されていったものだと思う。

(参考文献)「撰銭とビタ一文の戦国史 (中世から近世へ)」Kindle版 高木 久史 (著)

この本では、「貨幣を政府や中央銀行が発行する」という現在のシステムはあくまで歴史上、新しい(異端な)形式で、昔からずっと、「貨幣の秩序は、政府の統制と関係なく出来上がる」のが歴史の常識だった、という“目から鱗”な説明をしている。

今後、独自の経済圏を持とうとするフェイスブックやLINE、あるいはイオンといった民間企業、あるいは、“国際的な管理者を戴きたくない”理念でつながるビットコイン保有者たち(これも、経済圏、と言えるかもしれない)を、「国」や「国際管理体制」といった“お上”がどう扱っていこうとするのか、それは分からない。

世界に先んじて「個人データ」と金融を結び付けるビジネスを始めたテンセントやアリババに規制をかけ始めた中国政府(CCP)のように、お上が「これ以上の増長は許さん」とばかりに頭を押さえる方向に行くのかもしれない。
あるいは、一定の「新しい金融さん」(戦国時代でいえば、両替商・貿易商)たちとは共存を図る、といった方向になるのかもしれない。

歴史上、わずかな期間しか実現していない中央銀行・BISなどによる国際的管理体制をやみくもに絶対視せず、「今は、歴史が“後戻り”している時期なんだ。おもしろいなぁ」と、ちょっと、「物語」でも読むように、今の状況を捉えてみるのもいいかもしれない。

最後に、少し(というか、かなり)脱線。
自分は物語好きなので、「陰謀論」もたしなむ程度に好きだ。
(妄信することはないつもりだが)

「お金」に絡む陰謀論と言えば、筆頭は「ユダヤ」や「国際金融資本」にまつわる物語だ。
王侯貴族たちに金貸しをしてきたロスチャイルドなどユダヤ金融資本が、『金(Gold)』の預かり証を兌換紙幣として流通させ信用創造を行い、王侯に影響を与えイングランド銀行をはじめとする中央銀行を作り、裏の実権を握る一方、情報を押さえることで各国の企業に資本投下し、今なお世界経済を支配している、というお話。
グローバリズム、共産主義、新世界秩序といった、さもありなん、という話から、実は宇宙人が、いや地底人が、みたいなトンデモ話まで、その範囲は広い。

何をどこまで信じるか、というと、自分の中でもグラデーションが有るのだが、そんなことより、だ。
自分は、「ユダヤ金融資本の興隆より前に世界経済を支配できる可能性が有ったのは、もしかしたら戦国時代に存在した後期倭寇・堺商人・博多商人たちだったのでは?」「『金(Gold)』の一族ならぬ『銀(Silver)』の一族が世を席巻する世界線もあったのでは?」と思っている。

このブログでたびたび書いている『天下の秤』という物語構想は、そんな思いつきを背景にしているが・・・ちょっと、現時点で、自分の中でも「何を描きたいか」がよくわからなくなってしまっている。
少しでも物語を具現化させていきたいと思うが、時間にとらわれず、焦らず考えていきたい。

そういうわけで、「金融庁の新検査」を入り口に「『銀』の一族」で締めるなど、さすがに訳が分からない文章になってしまった。
反省。
とはいえ、このブログは自分の頭の整理のために書いている(漫然とした考えや情報を、文章にすることで自分視点で位置づけようとしている)ところもあるので、ご容赦いただければ有難い。です。

NFTをきっかけに、これまでと未来を考える

最近、このブログ記事で「NFT」(Non Fungible Token)絡みの内容が続いている。書いてきたとおり、自分はNFTを詳しく知っているわけではないのに、なぜそこに興味が向かっているのか。
それは、「なるほど、あの頃取り組んでいたことは、今ならNFTという形になりうるんだ」という実感があるからだ。

今から約3年前に、知り合いからとあるICO(Initial Coin Offering)プロジェクトへの声掛けがあり、約半年間「100%“手弁当”」で参加した。
参加期間中、自分は積極的にアイディア出しをして心に期するものもあった。なので、プロジェクトから外された際は大いにわだかまった。
自分が外れた後もプロジェクトは継続したが、結局、失敗に終わったと漏れ伝え聞いている。
(少なからずトラブルもあったと聞く)

書ける範囲でいうと、そのICOプロジェクトが目指したのは「アーティストやクリエイター、コンテンツホルダーが提供する特別なアイテムと交換ができるコイン(トークン)」「そのアイテム・コインの交換の場(プラットフォーム)」づくりだった。
資本力のあるプロジェクトではなかったが、有力なコンテンツを持ってくることができる面子ではあった。
実際、日本のアニメ企業やマンガ家、ミュージシャン、アイドルなどのアイテムを取り扱う方向で準備していた。
アイテムの対象は「著作物」のような大きな労力と資産価値を包含するものでなく、「オマケ」や「特典」の類のものだ。

このプロジェクトが発足したころは世界でICOブームが起こり、サギ案件も増えていた。日本の法規制は未整備で、一方、金融当局の姿勢が「厳しくなるのでは?」というタイミングだった。
国内の暗号資産取引所への上場を目指すICOは「もう無理ではないか?」と見られだしている頃だった。

このブログの「まちがってる!(セナーと金商法についての報道) その1~5」という記事で、当局の「暗号資産、ICOは悪」という恣意的な姿勢に憤っていたのは、まさにこのプロジェクトにかかわって居た頃だ。
(エクスキューズを言うと、当局は、当時、国内でも一部投資家層で過熱していたICO熱を何としても食い止めたかったんだろうし、そこには一定の理解を示す)

このプロジェクトでは、「海外籍の法人」が「海外でICO」し「海外に上場」する、という形態で、集めた資金で作るアイテム・トークン交換プラットフォームも「海外で設立運営」するつもりだった。
ただ、取り扱うアイテムは「日本」のものだったし、関与者もほとんどが日本人だった。
当時、国内投資家へのICO勧誘が“グレーかも(?)”と認識され始めていたため、基本的には海外の資産家や海外でビジネスを営む日本人などを対象にしていた。
ただ、当然、そんなターゲットはほとんどいないので、一部は日本人の方々にも話をしている。
いずれにせよ、当時の流行(?)だった一般層向けの「仮想通貨勉強会イベント」のような経路での勧誘はせず、自分含むプロジェクトメンバーの知人つながりといった、ごく限られた形でこの件は進められていた。

当然、そんな形だからお金は簡単には集まらず、それもあって自分は“クビ”になった、という経緯だ。
「あなたはいろいろ『提案』するばっかりで、投資家を集めてこない」
そんな言い分でクビを言い渡されたのだが、おいおい、ちょっと待て。自分は100%手弁当でビタ一文貰っておらず、自分の営業コストは全部自分持ち。むしろ、手詰まり感があるプロジェクトに建設的なアイディア投入をしてきた(しかも、そのアイディアを取り入れている側面もある)。
当時のプロジェクト主幹者の身勝手さには、今でも憤懣やるかたなしだ。
(双方大人なので、これで金輪際付き合いなし、ということにはならなかったが)

さて、ご存じのとおり、今ではセキュリティ・トークンのSTO(Security Token Offering)は“証券側”のルールでしっかり構築された。
ユーティリティ・トークンについても、暗号資産取引所が関与するIEO(Initial Exchange Offering)の形で、日本でも実例が出始めている。

●日本初のIEO、10億円を調達──申込金額は224億円超:コインチェック(Coindesk Japan 2021年 7月 30日 18:11)
https://www.coindeskjapan.com/117636/

上記記事にある日本のIEO第一号「パレット(Palette)」の文内の説明にはこうある。
「パレットは、マンガやアニメ、スポーツ、音楽など日本のコンテンツをNFT(ノンファンジブル・トークン)で流通させるブロックチェーンプラットフォーム」

うん、これって、上記プロジェクトと同じモデルだよね。
(もちろん、あれとPaletteさんは全く関係ない(はず)ので、誤解なきよう)
そして、ここで「なるほど、アイテムをNFT化する、というやり方が“解”だったのね」と思いいたる。

Paletteというプラットフォームでは、コンテンツホルダーはPalette Token(PLT)を手数料として支払うことでデジタルコンテンツをNFT化して流通できる。プラットフォーム内のNFTの売買は法定通貨も使えるがPLTで支払うこともできる。

<2021/8/27追記>ちなみに、前の「メルカリ黒字化とIT企業経済圏とNFT。そして『新しい金融』」で参照したように、Pelette開発のハッシュポートは前澤友作氏より4.8億円調達し、同氏と共に新サービスを提供予定だそうだ。(追記終わり)

当時、自分たちが取り扱おうとしていたアイテムは必ずしもデジタルコンテンツだけではなかったので一概には言えないが(それでも、電子タグをつけて疑似デジタルコンテンツとして取り扱うことはできるかもしれない)、コンテンツのNFTの流通の場と、交換できるコイン、というコンセプトで、仕組みもきちんと示せれば、今だったら「うまく行った」のではないだろうか。
もちろん、今さらタラレバを語っても仕方がないのだが。

むしろ、今やこの手のコンテンツNFT交換所は、手あかがついていると言えるかもしれない。
実は先日、東南アジアの某国出身の知人からとある新しい暗号資産への投資を勧められたのだが、これも「某国の優れたアーティストやセレブのNFTのマーケットプレイスを作ります」というものだった。
(ホワイトペーパーを読んだ限りでは、現段階ではマーケットプレイスの開発には着手していないと思われる)
某国発のプロジェクトなので日本人は特に関わっていないようだ。勧めてくれた彼はこの暗号資産にかなりつぎ込んでいるらしい(ただし、当該プロジェクト主幹者とは特に関係はない模様)。

初期の段階でとん挫した(自分がかかわった)コインと違い、こちらは某大手海外暗号資産取引所のブロックチェーンネットワーク上の仮想取引所(いわゆるDEX)上ですでに売買ができるようだ(IEOのDEX版、ということだろうか?)。値動きもあり、勧められてからも多少値上がりしている様子だ。

「いや~、カネがないから買えないよ」と投資は拒否しているのだが、無邪気に「うまく行ったら大富豪になれるよ!(You’ll be billionaire!)」と勧められて、複雑な気持ちがしている。
(彼は、自分が過去にICOプロジェクトにかかわっていたことを知らない)

さて、「あなたはいろいろ『提案』するばっかりで、投資家を集めてこない」と言われて袂を分かったと書いたが、その話に戻ろう。
自分が当時彼らに『提案』していたことは、
・「ICOの計画や方法論」に終始せず、むしろ、実現させようとする「プラットフォーム像」をもっと固めるべき
・それが固まればICOにこだわらず、IPOモデルで大企業に共同事業を提案できる
・限られたアーティストやクリエイター、コンテンツホルダーだけでなく、一般層が参加できる仕組みにするべき
・プラットフォームで広告モデル(企業スポンサーとのマッチング)のビジネスを行うべし
といったことだった。

提案だけでなく、実際に大企業へのアプローチも準備していたのだが、結局、うまくいかず終わっている。
自分がこういった提案を行う背景を鑑みるに、当事者たちの論点は、むしろ「ICOの計画や方法論」に終始していたように思う(少なくても、自分はそういう印象を持っていた)。

「プリセールス期間の後、エアドロップでトークン保有者を増やす」「某海外暗号資産取引所でIEOをしてもらう」といった、トークンの目先のことばかりが俎上に上がって、システム設計やプラットフォームの価値向上案、継続的にトークンが流通できる仕組みづくり等について、彼らはほとんど関心すらなかったように思う(言い過ぎかもしれないが、あくまでも主観的意見として)。

クビになった後でも、このプロジェクトで彼らに(というより、実質、主幹者に、だが)“聞き入れられなかった”主張は、自分の中で大きくなっていった。
特に、アイテム交換のプラットフォームをつくり、そこでどういった広告ビジネスを作るか、というテーマは、この間も書いた『新しい金融』、あるいはそれとの接点になるのかもしれない、という漠たる思いがあった(いや、これは“後付け”でそう思っただけかも知らんが)。

そして、そこから約2年の間、自分が主導的にプロジェクトを立ち上げ、<2021/8/27追記>件のICOプロジェクトとは全く離れて(以上、追記終わり)進めてきた。
当初の形が『スラマット(Selamat!)』であり、その後、「徳の経済圏構想」『徳の証明トークン(TOKU)』に変形していった。
2年間、複数の大手企業のオープンイノベーションチームやベンチャーキャピタル、インキュベーション組織など、色々と提案し、出資者や協業者を求めて動いたのだが・・・正直、自分の力不足、影響力の乏しさで、これまで成果を出すことはできていない。
簡単に言うと、(β版であれ)形にすることができていないからで、シビアに言えば「アンタは、まだ入口にも立っていない」とこき下ろされても仕方ないような状況だ。

現在は(ここ半年くらい)、もう一度アタマをゼロにして構想したいということも、自身の生活面の制約もあり、“お休み中”だ。

『スラマット』のコンセプトは「クリエイターからの特別な宝物(トレジャー)の『広告付き販売』プラットフォーム」だ。
プロからアマまで幅広いクリエイターやアーティストが出品する特別なサービス引換券(トレジャー)を販売するWEB上のプラットフォームで、買い手と同時に応援する企業や個人を募ることで、相手は安く買え、応援者は広告効果や満足を得る、という構造だ。
情報をオープンにすることで、トレジャー(ひいてはクリエイターやアーティスト)の人気度を可視化でき、一方で応援者側のランクやアーティストとのつながりも可視化でき、データ化できる。
これらのデータは広告含め様々な形で有用になりうる。

ICOプロジェクトで懲りていた(?)ので暗号資産は眼中になかったが、トレジャー入手のための独自ポイント「スラマット・ポイント」の活用を、当初は考えていた。
このブログでもたびたび書いてきたように、新たな「経済圏」を作り、個人データを収集する仕組みはこれからのビジネスの“王道”と思ったからだ。
先日来、『新しい金融』として各IT企業が経済圏を構築しようとする動きを紹介しているとおりだ。
(でも今は、一方で、それでは結局、“閉じた経済圏”にしかならないよな、という観念も持っている)

『スラマット』での応援は、“自分には何の得もないのに、誰かのためにお金を出す”という点で、ある意味、“徳”のある行動、と言える。
もちろん、多くはどこかで人の目に留まり、何がしかの評価をされることを期待しての行動なので、無私ではなく「評価経済」の範疇になるのだが。
それでも、こういう仕組みが定着すれば、「カネがある人だけが欲しいものを手に入れられる世の中」というものを変えることができるかもしれない。
次第に、「徳の経済圏」ということを考えるようになっていった。

件のICOプロジェクトは「どうやったら儲かるか」しか根底にない方々の集まりだったし、仮にあのプロジェクトが成功して、当初考えていたプラットフォームができたとしても「カネがある人だけが欲しいものを手に入れられる場」にしかならなかっただろう。
ICO案件がきっかけで『スラマット』という新たなビジネス構想について熟考したことで、アンチテーゼとして「徳の経済」を理念に掲げるプロジェクトに、となったと思う。
大きな価値転換だった。

そのうちに、「徳の経済圏」を『スラマット』だけで築き上げることなど無理では、と思うようになった。
“自分には何の得もないのに、誰かのためにお金を出す”という行動は、例えば、寄付だったりクラウドファンディングだったり、様々なところで行われている。
それらすべてを“取り込む”ことはできないだろうか、と考えた。
・『スラマット』以外の行動を含め、世界中の“誰かを応援してお金を出した行動”を可視化し、データ化する。
・行動した人にささやかな“ご褒美”(『徳の証明トークン(TOKU)』)を与える。
そんな、寄付サイトやクラウドファンディングサイトを、裏で横ぐしでつなげるような方法だ。
この構想は、あまり形にまとまらないまま出資・協力者アピールに走ったが(例:『くらふぁん』)、TOKUは、“閉じた経済圏”志向ではない、それらを繋ぐような存在になれると考えている。

先述のとおり、『スラマット』「徳の経済圏構想」『徳の証明トークン(TOKU)』と変遷した自分の挑戦は、ほぼ進展・結実しないまま、今、“休み時間”に入っている。
だから、大言壮語を続けるつもりはないのだが、それでも、自分がこれまで考え、チャレンジしてきたことは、「未来」につながっている、と感じている。

今になって、「あのICOプロジェクトの“解”は、NFTだったんだ」と得心したように、いずれ、「あの『徳の経済圏構想』の“解”は、こういうことだったんだ」という日が来る気がする。
その時に自分がその動きに関われていれば、なお良し、なのだが・・・。

こうやってブログで様々な発信を続けることも、未来を引き寄せることにつながる、と信じている。
ここ数回書いている「新しい金融」と、それに対峙するべき「個の力」と「個のネットワーク」、「特別なサービス」を、という主張もそうだ。

●安いニッポン 買われる日本(DIAMOND ONLINE 2021/8/2~)
https://diamond.jp/list/feature/p-cheap

このDIAMOND ONLINE特集記事にもある通り、日本はいつの間にか世界の中で「安い国」になり果ててしまっており、その地位に安住してしまっている。
以前、「オジサンたちは変わらなければならない」を書いたが、「変わりたくない」「チャレンジしたくない」一定層の人々が“重し”になっていることが大きな理由だと思う。

NFTをきっかけに、自分のここ数年を振り返ってきたが、一言で言うと、(その心中はともかく)前向きにやってきたと思う。
これからも、できる限り前傾姿勢で未来に対峙したい、と思っている。