映画は「配信>劇場」の趨勢が定着

●米映画館とネット同時配信 ワーナー、来年の新作公開(Yahooニュース 12/4(金) 7:38)
https://news.yahoo.co.jp/articles/da91e7ecc18d16d222ea57c215017e6242daaf13

アメリカの映画会社大手のワーナー・ブラザースが、「ゴジラVSコング」「マトリックス4」など来年の17本の公開作品についてアメリカ国内の劇場公開とHBO Maxでのインターネット配信を同日に設定する、というニュース(一応、劇場側に配慮して配信期間は1か月に限定)。
この記事だけではワーナーの全作品が同様の措置を受けるかは定かでないが、アメリカではコロナの影響でもう完全に「配信>劇場」の世の中が定着したな、という感じがする。
8月に「コロナ後の映画産業をぐるぐると考える」を書いたころは、劇場側はまだ同時配信に抵抗していた感があるが、完全に配信に軍配が上がった感がある。
特にワーナーの場合は、NetflixやAmazon Prime、Disney+より後発の有料動画配信プラットフォームHBO Maxの会員獲得、競争力向上の意向もあるようだ。

昔書いた『コンテンツファンド革命』で配信の台頭や未来の映画視聴者が劇場視聴を選ばなくなる可能性(なので、「“場”を拡げる新しい取り組みが必要」と主張)について言及したが、コロナという特殊事情があるとはいえ、時代の流れとして劇場離れはあらがえないことのように思う。

とはいえ、世界の映画市場の中で、日本は“特殊”な国だとみられている。
ご存じの通り、日本では『鬼滅の刃』ブームで劇場がにぎわい、他国とは別の様相を呈している。

先日、「文化庁映画週間 シンポジウム『コロナ禍を経てこれからの映画製作』」というイベントをオンライン視聴した。国内メジャー系映画会社のプロデューサーやフィルムコミッション担当者らが登壇者として発言されていた。
イベント自体は、主にロケなどでの映画制作現場のコロナ対策などを論じるものだったが、「これから映画はどうなるか?」のような話も少し出ていて、いろいろ勉強になった。
自分も初めて知ったのだが、欧米の映画劇場公開がストップしている現状、本来は来年あたりに日本で公開されるはずだった外国作品が軒並み“仕入れられない”状況にあるらしい。
なので、2021年は日本国内での作品供給数のかなりの数が邦画になるという公算のようだ。日本は元々、邦画の供給数が多く、興行収入の国内映画比率の高い“特殊”な市場なのだが、それに輪をかけた状況になるらしい。
もちろん、感染者数の増加次第で、これから再び劇場の営業自粛もあり得るだろうから、日本の映画会社や劇場関係者は決して安穏とできるわけではない。

このシンポジウムで印象的だったのは、とある大手映画会社のプロデューサーの言葉だ。
「コロナが日本の映画興行市場の優位性を“溶かして”しまった。これからはグローバルスタンダードの流れの中で戦っていかなければならない」
このような趣旨の発言をされていた。
先述のとおり、日本は邦画製作本数も多く邦画シェアも高く、高額の入場料でも来館者数が多い、世界で類を見ない市場だった。一方、世界の映画興行ではハリウッドメジャー作品が占め、Netflixなどネット配信が劇場を凌駕する状況だ。
その特殊性、優位性も、今回のコロナで(『鬼滅の刃』ヒットという恩恵はあるにせよ)ネット配信に大きく浸食されることになった。

このプロデューサー曰く、
「これからは海外で1円でも多く売れるよう市場を広げる努力が必要。一方で、海外全作品が競争対象となるので映画の大バジェット化が必要。資金調達とそれに至るビジネス構築が重要に」
ということだった(やや意訳も入るが)。
まさしく『コンテンツファンド革命』などでも自分が主張してきたようなことで、今更感はあるが、わが意を得たりだ(とはいえ、「ようやくそんな感じですか?」という思いがないではないが、これは映画やエンタメビジネスのプロデューサーとして全く存在感を示せない“ひがみ根性”なので許してほしい)。

コロナ後の映画産業をぐるぐると考える」で書いたように、「映画」の定義そのものも広がってくるし、融合されてくる。ここに「複数のウィンドウ上での収益展開を担うプレイヤー(ビジネス統合型のプロデューサー?)」が望まれる、と書いたが、そのためには何と言っても強い「コンテンツ力」なのだろうな、と思う。
自分もせっかく「国内外にエンタメとファイナンスを繋ぐことができるクリエイティブな存在」を目指してコンテンツファイナンスを志向してきたのだから、何とか這いつくばって実現を目指したい。
ところで、

●「鬼滅の刃」でクールジャパン戦略 自民特別委(IZA産経デジタル 2020.12.3 18:27)
https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/201203/plt20120318270026-n1.html

自民党クールジャパン戦略推進特別委員会が『鬼滅の刃』関係者を招いてコンテンツの国際展開などについて議論を交わした、という記事。
「アニメ、漫画をはじめとする日本のコンテンツの国際展開やビジネスモデルの創出などの取り組み強化に向け、鬼滅の刃を一つの入り口に議論を深めたい」
ということだそうだ。

この手の話は、結局“掛け声倒れ”というか、あとで振り返ると「で、なんだったの?」ということが多い。
さりながら、『鬼滅の刃』というキラーコンテンツを軸に、新たなグローバルなビジネスモデルを検討するのは面白いと思う。
とはいえ、結局、すでにネット上のグローバルなコンテンツ配給網はNetlflixやAmazon Primeに抑えられてしまったし、今更、国産動画配信プラットフォームを海外に展開するなど土台無理な話なので、ここでは“グローバルなコンテンツ配給網”に乗っかった上での、「ファンコミュニティ形成」「マルチコンテンツで稼ぐ方法論の確立」といった、ある程度限られた話になってしまうだろう。もちろん、それであっても大きなビジネスであることは変わらないが。

中国などではテンセントがコンテンツの川上から川下まで抑える「メディアコングロマリット」化したビジネスを展開している。
すでにコンテンツ産業が分化している日本では、一つの企業グループに集約するのではなく、(「株式会社ポケモン」のような)コンテンツを軸にしたビジネスユニットが引っ張る形になるだろう。要は、その方法論の開拓がはじまってくるだろう。
一方で、“コンテンツ制作の民主化”“コミュニティ型コンテンツ視聴”というトレンドが始まるのではないか、というのが自分の予測だ(本当は、こういうムーブメントを起こす側に回りたいのだが・・・)。

とはいえ、日本発のグローバル・プラットフォーマーの魅力も捨てがたい。
今さら難しいのは重々承知だが、『ゼロベース思考:コロナとカラオケ』で書いたように、カラオケボックスも含む「新しい映画」視聴の“場”をグローバルプラットフォームとして広げていけば、という期待はある。
ハードウェア中心の日本の機器メーカーが積極的に動けば可能に思うのだが。保守的な日本企業には難しいな、としか思えないのが残念だ。

さて、先述のシンポジウムでは、映画プロデューサーたちの結論めいた話として、
「面白い映画を作り続けるしかないよね」
「映画プロデューサーはもっとビジネス志向を持つ」
「エンターテインメントの発信側が垣根を越えて新しいものをチャレンジする」
という発言で締められていた。

クリエイティブな方々のポジティブな見解が好ましかった。確かに、作り手としては「面白いものを作り続けよう」がなければ始まらないし、その意気やよし、と思う。
そして、なんだかんだ言って、自分が『コロナ後の映画産業をぐるぐると考える』で書いたような「新しい映画」のカタチも、漠然と想定している感じのコメントだと思う。

自分が長くいた金融業界も、その後に足を踏み入れた映画業界も、比較的保守的なメンタリティーを持つ人の構成比率が高い産業だ。それでも、時代は大きく変わりつつある。元々、変化の方向性に動いていた中で、コロナショックはあくまでもそれを加速させる一つの要因に過ぎない。
色々な人の「変わらなければ!」が試されている。

NTTのスマートシティ構想―知ったかぶりと、呪文

●NTTが「GAFA対抗」なりえる為に欠かせない条件 ドコモ完全子会社化の先に見える展望と課題(東洋経済オンライン 2020/11/17 10:00)
https://toyokeizai.net/articles/-/387935

ドコモ子会社化を決めたNTTがこれからGAFAに抗するためには「裏側のインフラ・プラットフォームだけでなく、直接消費者にサービスを提供し、カスタマーエクスペリエンスを追求するBtoCビジネスの気概を持て」という、立教大学ビジネススクール教授の田中道昭先生のご解説。
全く知識なしに余談なく読んだ記事だったが、とても勉強になった。
これから、この記事をベースに、
「今回の統合は、トヨタと組んだスマートシティ構想でGAFAに先んじてプラットフォーム覇権を握る狙いがあるのは明らかだよね」
「NTTスマートシティ構想は、GAFAのような広告モデルではなく各都市にパーソナルデータ取得のイニシアチブを持たせるので、競争力を持つ可能性があるよね」
「NTTは次代の覇権を狙って、O-RANで世界の5Gのルールを変えようとしていて、IOMN(アイウォン)で6Gをけん引していくはずだよ。NECががっつりパートナーになるね」
といった“知ったかぶり”を始めようと思う。

とはいえ・・・じゃあ、スマートシティ構想の先に、パーソナルデータという宝の山を使ったビジネスにはどう参画するつもりなのかまったくわからなかったりするので、本当は、この記事限りではNTTがGAFAに対抗できるか“何とも言えない”のだけれど。
山一時代の古い記憶で恐縮だが、ようやく世界中にインターネット回線が行き渡り発展していた1997年に「これからは『CALS(commers at light speed)』の時代。AT&Tなどがお勧めです」的な新ファンド案があった。その後AT&Tは『CALS』の覇者にはなれず、ORACLEやインテル、あるいはより上位レイヤーのGAFAなどが時代をけん引していったわけで・・・NTTもその轍を踏まねばよいが。

いずれにせよ、そう遠くない将来、5G・6Gをベースに様々なデバイスから収集される膨大なパーソナルデータの取得・移転・活用ルールが、片やAI発展のための積極活用の方向と、片やGDPRはじめ個人情報保護を意識したプロテクティブな方向(11/18追記:、および、覇権を争う大国の意向)の綱引きの中で、決まっていく。
NTTだけに限らないが、出来れば日本企業、特にNTTにはGAFA・BATHの後塵を拝さないよう期待していたい。

ところで、この『少し変わった方向からのご提案 今、中堅企業が考えるべき「PR」とは?』で書いたように、自分は、スマートシティ、いや、これからの“社会そのもの”は、スマートグリッドを介したエネルギー効率化とパーソナルデータ取得をベースにした情報ビジネスを基軸として、消費喚起のための各種データのパーソナライズ化の方向に発展するであろう、と予測してきた。
この予測の方向性は間違っていなかったと思う(前述のとおり、NTTが標榜するような?広告モデル以外のマネタイズの方向性は、まだくっきりとは見えてこなかったりするのだが)。
でも、上記記事にあるように、世界中がスマートシティを次世代のビジネスプラットフォームと位置づけて競争を始めている中で、NTT・トヨタ連合含め日本勢は全くトップランナーではないのが実情だろう。

このブログで何度も何度も書いているが(たとえば、『変われないのか、変わりたくないのか⑥』で)、2010年末に書いた『真央ちゃんになりたい!』という脚本に、「社内で、民間メーカーと組んでスマートグリッドを推進する革新グループと、お役所・電力会社のコネを頼りに現状を変えようとしない守旧派グループの対立」を盛り込んだ。

脚本を書いた当時も現在に至るまで、必ずしも直接業界の実情を知っている立ち位置にいるわけではない。でも、自分が『真央ちゃん』で書いた予言(?)は的中しているのではないだろうか。
「変われない日本社会」「変われない日本企業」「変われずにはたらく人(特にオジサンたち)」が変わらないままずっと時が流れてしまったのではないか?

●日本が「都市のIT化」で世界に遅れた苦い事情 「スマートシティ」が日本で実現しなかった訳(東洋経済オンライン 2020/10/15 6:10)
https://toyokeizai.net/articles/-/379792

ジャーナリストの千葉利宏氏がまとめているこの記事では、
「しかし、こうしたスマートシティの将来像に強く抵抗したのが日本の電力業界だった。」
「2050研究会には電機メーカーやITメーカーも参加していたが、大口顧客である電力業界に明らかに配慮していた」
「管理主体が国、都道府県、市町村とバラバラで、実際の運用は警察が行っているため、新しいサービスを提供するハードルが高い」
など、明らかに、実態として「要は、変わりたくない人たちが『変わりたくない』で押し切っちゃって、そのままなんでしょ」ということがわかる。
本当に・・・嫌んなっちゃうぜ。

さて、こんな壮大なマクラ(NTTの話-スマートグリッド・スマートシティ-自分の予測の確かさ)を書き連ねてきて恐縮だが、最後にしょぼいオチを。

実は先日、1年以上前に書いたブログ記事『ご無礼ながら、甘えるな!』にコメント投稿してくれた方がいる。
この記事は「東芝子会社の社員の不遇」を語る新聞記事に対し、彼らに十分に同情・共感も示したうえで、さりながら「(東芝なんだから)仕方ないよね」と書いたものだ。よく読めば、シンパシーも、自分がこれを言う理由も十分わかるはずだ。
なのに、そのコメントは、いきなり「オマエ」よばわりで、当方を「バカ」「ボケ」と一方的にののしる内容だった。正直、非常に憤慨している。

自分も大人なので、(コメントをいただいたこと自体はありがたいので)コメント欄にはお礼を返している。
投稿者がどういう人物かはわからない。東芝子会社社員に同情的だからと言って、ご当人ではないだろうと推察している。とはいえ、おそらく世の「変われないまま今に至るオッサン」の一人なのではないだろうか(勝手な決めつけで、申し訳ない)。

いきなり見も知らぬ他人に「オマエ」だの「ボケ」だの罵詈雑言を投げつけるような人間は、控えめに言って「クズ」だと思う。
あなた(投稿者)に私から言えることがあるとすれば・・・「アバダケダブラっ!(名前を言ってはいけないあの人風)」
どうぞ、あなたはそのまま、ヴォルデモート卿の最期のように、干からびた謎の物体のようでいてください。

SBIの大阪金融都市構想とぐるぐる

●堂島商取「総合取引所」目指す SBI主導で経営再建(時事通信 2020年10月12日19時03分)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020101200794&g=eco

大阪の堂島商品取引所(以下、堂島商取)をSBIグループが支援し、総合取引所化を目指す方向、というニュース。
SBIホールディングスが15%出資するほか、傘下のSBIエナジー社長で前金融担当相(!)の中塚一宏氏が社長に就任し、SBIグループ主導で再建を図る、ということだそうだ。
ちなみに、この中塚氏(ネット記事では小沢一郎氏の弟子、という方らしい)は民主党政権下で再生可能エネルギーの固定買い取り制度(FIT)の実現に尽力した人物らしい。FIT推進はソフトバンク孫正義氏の肝入り政策でもあった。

以前、ここ(「金融都市構想と後期倭寇、その他」)で書いたようにSBIの北尾氏は「デジタルトークンのSTOの拠点を大阪や神戸に」という主張をしていたが、この記事はそれに連なるものなのだろうか(直接的にはかかわりはないだろうか? なお、このブログ記事には先ほど「コンテンツファイナンス発展の可能性」について追記しておいた)。
いずれにせよ、今回の動きは、菅政権の「国際金融都市構想」には追い風かもしれない。

正直、最初にこのニュースを読んだ最初の感想は、「へーっ、『堂島商品取引所』なんて有ったんだぁ」という程度のもの(いや、お恥ずかしい)。
「これではいかん!」と、少しネットで情報収集してみた。

●「堂島の灯を消してはならない」 総合取引所を目指す大阪堂島商品取引所(Yahooニュース 10/13(火) 9:40)
https://news.yahoo.co.jp/byline/kosugetsutomu/20201013-00202770/

この商品アナリスト小菅努氏(マーケットエッジ株式会社代表取締役)の解説がわかりやすかった。小菅氏の解説をまとめてみる。
・10月12日の有識者会議「経営改革協議会」(議長=土居丈朗慶応大教授)で「大阪の堂島商取を総合取引所化し日本取引所グループ(JPX)と競わすべし」と提言された
・堂島商取は現在国内唯一のコメ先物市場だが農業団体などの反対があって機能していない
・「ローカルな単一商品市場ではなくJPXと競う(グローバルな?)総合取引所にすべし」と、以下が提言された将来構想
1 株式会社化・増資・経営陣刷新
2 コメの現物市場も設け、先物取引と両輪で株価指数先物の匹敵するコメ先物指数を組成(可能性)
3 当面は(SBIグループから支援を受け)農産物取引所(農水省管轄。コメ・トウモロコシ・大豆/天候?)の魅力を拡充
4 将来は商品(経産省管轄。金・原油)、金融(金融庁管轄。株価指数・為替)、新ジャンル(暗号資産・個別上場株)の先物を組成し、これらのオプションも取り扱う
・以下、小菅氏の解説
・この提言を受け入れるかは堂島商取にかかっているが、これはいちローカル取引所の問題ではない
・提言された将来像は「既存のデリバティブ市場の枠にとらわれず、リスクマネジメントを必要とするあらゆる取引のリスクヘッジ市場」
・現在、JPXはCMEやICE、LSE、ドイツ取引所、香港取引所などと競合・共存を目指しているが、堂島新取引所は強い刺激に
・両市場で同一銘柄を扱えば国内での裁定取引も期待。共倒れリスクも
・菅政権の国際金融都市構想の一環になる可能性
・ただし、現段階では規模が違いすぎて実現は程遠いが、日本の市場環境に大きな影響をもたらす提言だ

まず、この解説を読む限り、直接的にはSBIの「関西STO構想」とは別のようだ。
むしろ、もっと壮大な構想のようでで、「えっ」と目が泳いでしまった。
国内に散らばっていた各種の取引所がJPXグループに統合されていった経緯もあって、取引所の国際競争力向上のためには「寡占化」の方向性やむなし、とコンセンサスが固まってきた気がしていたが、ここへきて世界を大きく“揺り戻す”機運があるのだろうか。

先日の東証の売買停止事故を見てもわかるとおり、取引所のキモは「システム」そのものだ。申し訳ないが、現時点では、堂島商取は東証arrownetや世界の主要取引所に伍するほどのシステムは持ち合わせていないと思われる。
将来的に様々なジャンルの銘柄を取り扱うとして、システムをイチから構築するのは大変なので、この話は、ほかのグローバル取引所グループとの連携、という話につながるのかもしれない。

取引所のグローバルな勢力図については詳しくないのでネットを漁ったが、主要取引所はこういった構成らしい(間違っていたらすみません)。
・CME(シカゴマーカンタイル・エクスチェンジ)グループ:金融・商品取引所。主要商品=金利・エネルギー、金属
・ICE(インターコンチネンタル・エクスチェンジ)グループ:金融・商品取引所。NY証券取引所の親会社NYSEユーロネクストを傘下に治める。主要商品=株オプション、エネルギー先物・オプション
・NASDAQ:世界初の電子取引所(情報サービスでも稼ぐ)。主要商品=株現物
・香港取引所(香港交易所):ロンドン証券取引所の買収を画策(頓挫)
・ロンドン証券取引所グループ:イタリア証券取引所の売却など、ビジネスモデル転換を模索?

JPXグループの先物取引所である大証はNASDAQグループの売買システムを採用しているらしい。
JPXとバッティングするであろう堂島商取がJPXやNASDAQのシステムを採用することはないだろうから(?)、CMEやICE、あるいは香港取引所と組む、という動きなのだろうか?
それとも、それこそブロックチェーンで全く新たな決済システムの土台を築くのだろうか? データ量の負荷やバックアップ体制の必要性からは、その可能性は薄いかもしれないが。

例えば、もし当該構想の裏に「CMEの日本拠点化」があるなら、それでグローバルマネーが入ってくる公算が見込めるだろうか? あるいは、「香港取引所の日本拠点化」なら華僑マネーが?
いずれにせよ、大阪を国際金融都市にしてグローバルマネー流入に期待ができるなら、いち関西人としてはありがたい話かもしれない(あくまでも前提が”妄想”なのだが)。

しかし、まあ、「堂島商取の総合取引所化」さらに「国際金融都市化」というゴール自体が、縦割り行政の排除、JPXとの棲み分け、中央と地方行政の反発の払拭、そして税制優遇などへの国民における不平等感の払拭・・・等々と、高いハードルがいくつもある。
(あと、新社長が再生可能エネルギーの買取りを推進した中塚氏ということで、電力卸市場である日本卸電力取引所(IEPX)との合併可能性なども想起したのだが、これこそ、省庁間の利害調整が難しいだろう)

というわけで、この「堂島商取の総合証券化と大阪の国際金融都市化」については、大いに期待するが、いろいろな抵抗を想起するに、なかなか一筋縄ではいかないだろうな、と考える。

ちなみに、今回のニュースを見て “ネット漁り”したのでさっき知ったのだが、ロンドン証券取引所グループは、イタリア証券取引所の売却資金を情報会社の「リフィニティブ・ホールディングス」買収に充てる目算らしい。

●ロンドン証券取引所、伊取引所を5400億円でユーロネクストに売却へ(日経ビジネス 2020年10月12日)
https://business.nikkei.com/atcl/global/19/london/00907/

このリフィニティブ・ホールディングスは金融情報やリスク管理などのサービスを提供する、まだ2年程度(!)の会社のようだ(前身はトムソン・ロイターのファイナンシャル&リスク部門だが、同社はすでに離れているらしい)。
同社はマネロン対策や企業のリスク管理サービスの提供のほか、国連の(SDGs推進のための)デジタル・ファイナンシングなどのテクノロジーのパートナーであるようだ。

この動きって、どういうことだろう?

リフィニティブ・ジャパンは東京を国際都市と冠する「東京国際金融機構(FinCity.Tokyo(フィンシティー・トーキョー)」の正会員で、三井住友銀行や三菱UFJモルガン・スタンレー証券などをマネロン対策でバックアップし、東レや協和キリンなどのリスク管理をサポートしている。
リフィニティブはマイクロソフトとアライアンスがあり、データ連携をしている(?)ようだ。

ロンドン証券取引所グループのこの動きも、“各種個人データ・決済データ収集”の(10/14追記:「国際金融」「GAFA」「中共」といった)「大きな競争の枠組み」にかかわっているのだろうか?
陰謀論的に言うと、「5 Eyes(米英など英語圏5か国の情報機関・情報共有体制)」の枠組みの中で管理体制を敷きたいということなのか?
だとすると、もし大阪に香港取引所勢力を招くことになるなら、それはグローバル覇権競争上、何をもたらすことになるのか?
(陰謀論に凝り固まった、かつ大阪都構想反対派の人なら「堂島プランは日本を分断して大阪を反米化させる取り組みだ」などと言い出すかもしれない)

ちょっと最後の方は「妄想」が過ぎたようで、反省。いち庶民には情報が足りないし、そもそも元々あまり知らない話だったのでしかたがない。
ただ、世界のあちらこちらで、これまでの延長線上にない動きが見えだしており、これらを連携させたこういった“ぐるぐる”思考は大切だと思っている。

日本病克服のための“ぐるぐる”のすすめ

●テスラに日本企業がついていけない決定的理由 パナソニックもテスラも知る男が語り尽くした(東洋経済オンライン 2020/10/08 5:40)
https://toyokeizai.net/articles/-/380113

テスラに移籍し、北米ギガファクトリーのバイスプレジデントにもなってテスラとパナソニックの協業を後押しした主要人物である元パナソニック副社長の山田喜彦氏のインタビュー。
最後に少しだけ、EV用電池は充放電回数や寿命を重視する方向に向かっており、日本企業は中国・韓国勢としのぎを削る方向にある、という趣旨のことが書かれている。

その詳細は書かれていないが、パナソニックは今後大丈夫だろうか、と案じてしまう。
EV用電池に全く詳しいわけではないが、以前、とある海外の蓄電池「素材」関連の技術を持つ企業(の親会社)のM&A案件の仲介を試みたことがあった。自分の営業先からは全く引きがなかったのですっかりナカミは忘れてしまったが、この記事のとおり中国・韓国のパワーはすさまじく、日本は守勢に回っている印象を受けた。
日本企業の趨勢は日本経済の浮沈にかかわるので、できればパナソニックには踏ん張っていただきたいものだ。

さて、この記事は、高い技術力をほこった日本の製造業ひいては大企業が、なぜテスラなど海外の後発企業に追い抜かれるのかが、山田氏の実感として説明されている。
大きく集約すれば、これに尽きる。
「テスラの強みは、イーロン・マスクのカリスマ性と会社のミッションが明確で皆が一丸となって目標に向かっていること」
「日本企業の弱みは、賢いのでリスクが見えすぎて保守的になり、前例踏襲主義となっていること」

以前、ここ(「いいと思います。あとは・・・ その2」)にも書いたが、5年ほど前に、とあるウェブ記事に載っていた、
「テスラの躍進を見るに、日本企業のエネルギーの無さは組織自体が高齢化しているからではないか?」
という有名IT企業の会長のご意見に対し、
「その通りだと思う。ただ、むしろ高齢化という世代論ではなく、前例踏襲で自縄自縛になり周りを気にしすぎる日本社会の問題(日本病)」
ではないか?と、その記事のコメント欄で具申したことがある(これが先方に届いたかどうかはわからないが)。

実際にパナソニックという大企業で経営の一端を担い、かつテスラの成長のバイタリティーを体感して働かれた山田氏の言葉が当時の自分の考察と非常に近いことは、自分としては胸を張る思いだ。
ただ、自分自身のチャレンジはなかなか芽が出ず、日本社会の変化に今のところ何の寄与もできていないことは残念である。

最近書いた二つの一連の記事(「オジサンたちは変わらなければならない」「投資を考えることは人生を考えることだ」)に書いたように、大企業にいるオジサンたちは変わらなければならないし、今回の参照記事が示すように、大企業の中枢にいる方々はその問題意識をはっきりと認識していることだろう。
そして、オジサンに限らずすべての人は、これから(「投資を考えることは人生を考えることだ」に書いたように)、
「これから世の中は大きく変わっていくはずだ」
「前例踏襲ではなく、時代の変化を予測して動く必要がある」
「それは簡単なことではないので、むしろ自分が好きなことを中心にして生きることが合理的だ」
という認識で生きていく必要があると思う。

この件で、自分が他人と比べて先を見る目がある、などと決して増長はしないが、少なくとも、先が見えていないながらも情報を集めようとし、「どう変わるのだろうか?どうすればいいのか?」という“ぐるぐる”思考(=物事を決めつけず、常識にとらわれず、ゼロベースであーでもないこーでもないと空想すること)は続けているつもりだ。
これからもこの姿勢を継続していきたい。

そして、いつもの・・・。
これから、行き過ぎた「欲の経済」を緩和させる方向で「徳の経済」が望まれてくるはずだ。アドコマースをそのツールとして生み出せればと思う。

投資を考えることは人生を考えることだ

前回、「オジサンたちは変わらなければならない」というブログ記事を書いた。
実は、もともとこの記事で書こうとしていたのは、
「これから世の中は大きく変わっていくはずだ」
「前例踏襲ではなく、時代の変化を予測して動く必要がある」
「それは簡単なことではないので、むしろ自分が好きなことを中心にして生きることが合理的だ」
ということだった。
なんとなく、自分の中のルサンチマンが勝ってしまい、「変わらない」オジサンたちを批判する論調に終始してしまった。反省。

ところで、自分は長らく証券会社はじめ金融の世界に身を置いてきた。主に個人投資家を対象とするリテール金融のカテゴリーにいたわけだが、その過程で「個人が投資(資産運用)を考えることは、すなわち自分の人生を考えること」だと感じるようになった。

【注:以下の記述内容は筆者の資産運用に対する考え(概念)を述べているにすぎず、投資勧誘や営業活動ならびに特定の投資対象の推奨および投資情報の提供を行う意図はありません。また、一般論ですが、投資に対する責任はあくまでも投資家本人にあります】

これには二つの側面がある。
一つは、ファイナンシャル(ライフ)プランナーがよく言う、
「ライフプランを立てて、自身のリスク許容度に従って分散投資を行い、長期運用しましょう」
という“王道的な”考えだ。
もう一つは真逆で、
「ライフプランなど無意味。でも、人生をどう生きるか考え選択する工程は資産運用に似ているかもしれません。だから、人生の局面で都度選択をするために継続して資産運用を考えるべきです」
という、(おそらく)自分が勝手に導き出した考えだ。
今は、完全に後者が資産運用の要諦だと思っている。

自分は山一証券でも山一自主廃業後に勤めたメリルリンチ日本証券(リテール)でも投資信託の管理の仕事をしていた。
割り当て営業に終始していた感がある山一と違い、メリルでは当時、「日本でまだ定着していないライフプランに基づいた投資方法を世に広め、個人の資産形成に寄与する」といったミッションを掲げ、その戦略商品が投資信託だった。
だから、自分も当時、個人の資産運用を考える際は、「人生のステージを考えてライフプランを立て資金需要予測を行い、組み立てた投資プランに沿った投資を行う」のが正しいことだ、と考えていた。

しかし、自分が組織から離れる選択をしたこともあり、年を経てこの考え方に徐々に疑問を抱くようになってきた。資産運用というよりは、もっと大きな枠組みについての疑問だ。それは、
「人は、そもそも自分が想定した人生など歩めるものなのだろうか?」
ということだ。

ライフプランのシナリオ上のイベントである「結婚」「出産」「マイホーム購入」など、果たして計画通りにこなして生きていけるものか。いや、人生はそんなに単純ではないはずだ。
定時定額投資を継続する場合、そのキャッシュを獲得するには勤めている会社に勤め続けることがある種の前提になる(もちろん、転職して同額以上の収入を得ることもありうるが)。
でも、昭和の年功序列・生涯1社勤務の時代と違い、今は企業の方が従業員を取捨選択し、リストラの可能性も増している。
企業の存続サイクルも早くなり、 “名のある”企業の少なくない数が競争力低下に陥っている(何のために存続しているの?というケースも)。

そもそも自分自身が山一証券の破綻を経験しているではないか。自分の場合は「投資信託の管理」という汎用的なジョブスキルのため別の金融機関にスライドすることができたが、では、そのジョブスキルが周囲の環境変化で“使えない”ものになってしまったら?
あるいは、将来的にもしかすると“使えなく”なるかもしれない仕事にしがみつくことを前提に自分のライフプランを描く、ということはどういうことか?
それは、ただただ味気ない人生を歩む、という決断ではないのか?

自分がそんな「資産運用」についての迷いを抱えていたころは、人生でも迷いが続いていたころだ。今から15年くらい前で、すでに転職市場はほぼ閉ざされつつある年齢だったが、「果たして、このまま今の仕事を続けていくべきかどうか」を悩み続けていた。
そこには、自分自身がその業務になじむか否か、という観点も、この仕事を続けることで将来的にどうなのか、という観点もあった。
実際、周りの同世代の(主に大企業に勤める)友人・知人にも同様の悩みを抱えながら日々日常を送っている方々が少なからずいた。知り合い以外でもニュースなどで我々世代の職場での閉塞感が伝えられていた。

「日本は変わらなければならないのではないか? この世代は世の中が変わらなければ、ぎりぎり恩恵を受けられる最後の世代であり、もし世の中が変われば、最も痛手を負う世代なのではないか?」
「これから世の中は“バブル世代バッシング”を始めるよ」
当時(チャレンジを始めたころ)、身近な友人にSNSでそんなメッセージを送ったりしていた。
(参照:「「変われない」のか「変わりたくない」のか」))

自分が長く続いた組織人生活を切り上げて、当時勃興しつつあった「コンテンツファイナンス」のチャレンジすることを決めたのは、このような思いと、後述するように「“知”という無形資産」を持つ・アレンジする取り組みには勝算がある、という考えがあったからだ。
これは、「これから世の中はどのように変わるか」という予測から導き出したものだ。
残念ながら、現時点で答えを出せば、その勝算は間違っていたことになる(ただし、これからもチャンスはあると信じている)。

なお、このチャレンジを今に至ってあきらめずに継続しているのは、すでに「勝算がある」という思いからではない。
このチャレンジの初頭は、あくまで仕事としてこのジャンルに可能性がある、という視点で取り組んでいた。しかし、その過程で自分が脚本を書いた映画企画がエンジェル大賞を受賞し、映画関連業界に入って以降、様々なクリエイティビティのある方々と接することで、自分が作品をクリエイトする、ほかの人のクリエイションに関与する、といったことに価値を見出したからだ。
一言でいうと「楽しい(Fun)!」ということだ。そして、人間、これがないと“あきらめず続ける”ことはできないだろう。

これまで、
「エンタメとファイナンスをグローバルにつなぐクリエイティブ人材」
という姿を目標に、様々な人とかかわり、様々な取り組みを行ってきた。
このチャレンジは、
「自身の『Fun!』を軸に『世の中はどのように変わるか』を問い続ける」
「その思索のもと、新しいビジネスモデル/ビジネスプランを生み出す」
という努力に変わっていった。
正直、「成功した」と人に誇れるものは何一つない。だからと言ってこれまでのチャレンジを卑下する気持ちは毛頭なく、自分の取り組みの軌跡は間違っていないと考えている。

自分のバックボーンである金融ビジネスも、年を取ってから参入したエンタメビジネスも、いずれも「変わらなければ」という対象だ。
そして、岩盤のように不動だったどちらの業界も、今、ようやく目に見えて変わり始め、あるいは変わりだそうとしている。
このブログでいろいろ取り上げているように、金融の世界はデジタルの流れで大きく変わるだろうし(下手したらe-コマースに取り込まれる?)、エンタメの世界も“新しい映画(広義)”の世界が見えてきつつある。
変化はチャンス、だ。

今、「徳の経済」を説き、「アドコマース」のビジネスを様々な先に打診しているのは、突飛なことでもなんでもなく、「エンタメとファイナンスをグローバルにつなぐ」思索とチャレンジのプロセスの結果、導き出された(導かれた?)ものなのだ。

さて、実は、自分が「『世の中はどのように変わるか』を問う」必要性を説いた古い資料が残っている。2002年12月、もう20年近く前のものだ。
少数の友人たちとの「10年後に1億円貯めるにはどうすればよいか?」を検討する会合で各々がプレゼンする、という取り組みの際に作ったものだ。
この会合は“お遊び”的なものだったので、適当に発表してもよかったのだが、ちょうど当時、メリルでのリストラが決まり社内で時間をつぶしている時期だったので、その時間も利用してかなり“ガチ”なものになった。

●どうやったらあなたは10年後までに1億円を貯められるか? TASC1oku_rev2012

詳しくは資料を参照してほしいが、簡単にまとめると、こんな内容だ。
・現在の貯蓄環境と将来を見据え、「目標1億円」のチャレンジは検討に値する(~10p)
・余資運用・分散投資で「目標1億円」は無理(11~17p)
・手段は「余裕資金を増やす」「レバレッジ」「集中投資」しかない(18p)
・P/LでなくB/Sで稼ぐ。これは株式投資だけでなく「事業」「作家になる」もあり★(19、20p)
・それには「未来を読む」が大事(20p)
・グローバル化、バランスシート不況、資本市場への期待、高齢化などの問題(21~36p)
(・本来、中小企業の中に将来の日本を担う企業がある。銀行の信用余力回復を△(30p))
(・新しい投資対象としての無形資産・知的財産(著作権、特許など)★(p34))
・グローバルデフレ、米国覇権→米中2大巨軸へ(37、38p)
・「中国」(39p~)

自分が選択した方向性(★)はともかく、ここでの思考方向性、「未来を読む」方向性は、説得力のある結果を出しており、これについては誇ってもいいと思っている。
もちろん、すべて自分の頭で考えたなどというつもりはない。データを含め当時の様々な文献や多くの識者の意見も参考に組み立てたものだが、それでも、自分の頭で“ぐるぐると”考え、整理したものだからだ。

残念ながらこの資料は机上の空論となり、自分はリスクを負ってレバレッジをかけて中国関連株に投資することはなかったし、その会合参加者たちからの関心は得たものの、誰かの役に立ったわけでもない。
しかし、自分がその後、リスクをとってクリエイションの世界に飛び込んだのは、この時の考察が一つの起点だった、と思っている。

ところで、資料で考察した「10年後」からさらに10年がたった今、当時描いていた未来は、新たなステージへと移行しつつある。
これまで拡大一方向だった「グローバリズム」は折り返し地点を超え、「米中対立」で世界は分断されようとしている。今のコロナ禍の先にはこれまでとは全く違う風景が見えていることだろう。
そんな中、本来育つべきだった(上記△)日本の次を担う企業は現時点では出現しておらず、日本経済は正念場に来ている。

今こそ、我々一人一人が「世の中はどのように変わるか」を考えて行動することが求められている。
このブログの表題に「投資を考えることは人生を考えることだ」と書いたように、「行動」にはお金を使った行動=「投資」も含まれる。
お恥ずかしながら、現時点で確固たるシナリオを持っているわけではない。それでも、様々な文献や識者の意見を集め、自ら未来を読んでいきたいと思う。
(例えば、最近読んだ塚口直史さんの『コロナショック後を生き残る日本と世界のシナリオ』の「ロシア」の可能性など、なるほど!と思わされたりしている)

ただ、なんとなく思うのは、これからの世界は、自らの頭で“ぐるぐると”考える人たちがつながり、あるいは、自分の“Fun!”を軸に人とつながる様々な「コミュニティ」がいたるところで形成されてくると思う。その連携は、デジタルの世界でグローバルに広がるものになる。
(現在、金融の仲介ビジネスに携わる人は、このあたりに勝機がある気がする)
そして、その中で「共助」のカタチが形成されてくるように思う(別に菅首相の「自助・共助・公助」発言に忖度しているわけではないので、ご了承ください)。

というわけで、最後はいつもの我田引水。
自分は「徳の経済」を掲げ、新しい「共助」のカタチを提案している。願わくば、この構想に、今、頭を“ぐるぐると”めぐらしている方々のご参入を願いたいと希望している。

特に、今回書いた、自分が投資に人生に“ぐるぐると”考えて行動してきたことを理解している方々には、できればポジティブな思いを持ってもらいたい、と、勝手ながら期待している。

オジサンたちは変わらなければならない

●菅改革に日本医師会が抵抗 オンライン診療や不妊治療(日本経済新聞 2020/10/4 2:00)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64591200T01C20A0EA3000/

デジタル化を推進しようとする菅政権の意向に対し、日本医師会が難色を示している、というニュース。
(日経の記事に政権の意向が反映されるのは常なので、一定のバイアスは乗っかっているかもしれない)
コロナ過でこの4月から初診を含むオンライン診療を時限措置で全面的に解禁したが、医師会的にはこれの恒久化はやめてね、ということのようだ。

この記事では医師会を既得権益への「抵抗勢力」と位置づけている。オンライン診療も万能ツールではないので解釈の是非はともかくとして、自分も今後オンライン診療を積極活用すべきという点には全く同意だ。
これまでどれくらいの患者が利用してきたかはつまびらかでないが、遠隔医療を利用した人は、間違いなくその便利さを実感しているはずだ。テレワーク促進の流れが不可逆なのと同様で、この流れにさおさすべきではないと思う。

ところで、日本では「抵抗勢力」「岩盤規制」といった言葉が常に付きまとい、「構造改革」をうたった小泉改革のころから20年が経っても社会構造はあまり変わっていない。
いや、小泉・竹中改革以降、グローバリストたちの口車に乗って新自由主義的な政策が実施され、企業や土地を外資に譲り渡し、非正規雇用者が増大し「自己責任」のもと国民はリスクにさらされるようになり、格差社会が実現したではないか、という声もあるだろう。
それについては、確かにその通りだ。

実際、自分などは“寄らば大樹”だった山一證券が潰れて根無し草になり、その後の職の変遷の中で非正規社員やアルバイトなど不安定な状況にも陥り、構造改革のマイナスの恩恵を受け続けていると言えるのかもしれない。

しかし、自分のもう一方の目からは、依然“変わらない”日本社会が見えてしまっている。
自分の立ち位置が坂を転がり落ちるように(?)不安定化した一方で、一部の公務員や大企業の正規雇用者を中心に「以前と全く同じモチベーションで生きている」人たちの姿がとにかく目についてしまうのだ。

よく、30年前のバブルのころと比べた日本企業の競争力低下を象徴する事例として、「世界の株式時価総額TOP20から日本企業が消えた」ことが取り上げられる。
以下の数値を見ると、この「30年間」、いかに日本企業が国際競争力をなくし続けているかがわかる。
・1989年:15社 NTTをトップにほとんどが日本企業
・2000年:3社 NTTドコモ、NTT、トヨタ(3/30時点)
・2020年:0社 トヨタの34位が最高(1/20時点)
(以下の2記事よりカウント:https://finance-gfp.com/?p=3680 / https://www.m-invester.com/entry/2019/03/13/115848

ほんと、「バブルのころの日本はよかったのに、平成を経て日本は凋落しちまったもんだ」とため息が出る。
しかし、バブルが崩壊し小泉内閣が「構造改革」を叫んだ2000年代初頭から比べても、この「20年間」でも“凋落”し続けてしまったのはいったいどういうことだろうか?

こちらのサイト(https://ecodb.net/ranking/old/imf_ngdpdpc_2000.html)の数値を参考にすれば、「一人当たりGDP」の数値は、2000年ではまだ日本は世界第2位だったようだ。現在は26位でアジアでも第3位。ほぼ韓国と同じ。
一方、同じデータ比較で顕著なのが、同期間で“日本だけ”が全く伸びていないこと。
・アメリカ:36,317.74→62,868.92USD (1.73倍)
・中国:958.57→9,580.24 USD (9.99倍)
・韓国:12,257.02→33,319.99 USD (2.71倍)
・日本:38,535.59→39,303.96 USD (1.01倍)

これを「グローバリズムと新自由主義的政策のせいだ」という人も多いだろう。それはその通りかもしれない。たしかに、2001年小泉政権以降、目に見えて一人当たりGDPの順位は下がり続けている。
この期間に非正規雇用者が増え、結果、日本社会が分断されてきたのもまぎれもない事実だ。結局、新自由主義的政策は多くの国民を貧困化させ、竹中平蔵氏率いる(?)パソナなど人材派遣会社を儲けさせるためにしかならなかった、と恨み節を叩かれても仕方がないかもしれない。
しかし、同じ期間で「ほかの国は曲がりなりにも『成長』を見せている」のだ。

上で参照した世界の時価総額企業の顔ぶれを見ると、特にリーマンショック以降にGAFA・BATHなどのIT大手が跋扈しているのがわかる。彼らはいずれも歴史の浅い新しい企業だ。

一方で、日本の時価総額上位企業の多くは歴史のある古い企業だ(https://www.nikkei.com/markets/ranking/page/?bd=caphigh)。グローバルに活躍する企業は多いが、そのほとんどはグローバルなサプライチェーンの中で高付加価値の素材や部品などを提供する立ち位置にいる企業だ(悪く言うと”下請け”だ)。
それが悪い、というわけではないが、かつてのトヨタや電機メーカー大手などのように世界を席巻する製品やサービスを提供する企業はほとんどなくなってしまった。
結局、日本は企業がグローバル競争に敗れたせいで現在の体たらくなのだ。あるいは、新しい革新的な製品・サービスを持つグローバルに通用する企業が生まれなかったため、と言ってもいい。

グローバリズムはどの国にも等しく強者と弱者の分断、一部への富の集中と多くの貧困層をもたらせた。
どの国でも一部の高度なスキルを持つ者を除き労働者は安く叩かれ、資産は“持つ者”の下で増加する。非正規が増え貧困者が増えている今の日本の現状は、グローバルスタンダードなのだ。
それでも、日本の一人当たりGDPを押し上げる成長企業、グローバルに競争力を持ち日本をけん引する企業が生まれていれば、多少の状況は違ったはずだ。
日本だけが一人負けし、20年間全く成長できなかったのは、グローバル競争を担う日本の大企業がずっと“ダメダメ”だった、ということに尽きる。

一方、中の人たちは大した自覚もないまま無気力に“オジサン化”していっている。そんな彼らの「変わりたくない」「チャレンジしたくない」志向性のせいで、一部の変わろうとする人たちの芽が摘まれてしまったことも多かったに違いない。彼らはひと世代下のチャレンジャーには寛容だが、同世代の改革者にはシビアなのだ・・・などと書くと、「それはお前のルサンチマンだろう」と言われてしまうだろうか。

自分が、“変わらない”日本社会として、常に忸怩たる思いの視線の先にあるのは、まさに彼らなのだ(それを象徴するのが経団連、というと怒られてしまうだろうか?)。
彼らの多くは日本社会(特に国内市場)の中で規制に守られて生きている。

ここ(「いいと思います。あとは・・・」)ここ(「『データ覇権争いと日本』からの雑感」)ここ(「シンガポールのネット銀行にe-スポーツ企業が参入」)ここ(「「変われない」のか「変わりたくない」のか」)などでずっと書いているように、「ベンチャー企業を生み、育てる」「ベンチャースピリットを持った人材を貴ぶ」「そのためには変な年齢差別も行わないようにする」べし、と自分が提言するのは、さすがにそろそろ変わらないと日本が立ち直れないぐらい没落してしまうという危機感があるからだ。
(しかも、その場合、自分のような不安定な立場にいるものの方が“本来、変わらなければならない”方々より著しく大変なことになってしまうのだ)

ところで、リーマンショックを経てトランプ政権が誕生して以降、世界の趨勢はそれまでのグローバリズム一辺倒から、むしろ反グローバリズム・反新自由主義・自国優先主義を掲げる動きが増している。
そんな傾向から、日本はこのまま規制を堅持して(日本市場への参入障壁を上げ)グローバル競争を回避し、企業は国内回帰して、なるべく既存の体制を守るよう動くべきだ、と主張する方もいる。極端な民営化の回避や反移民政策など、その主張には確かに説得力もある。
最近では中国はじめ外国にある工場を国内に移転させる企業も増えており、日本政府はこれらの企業補助金を出すことを決めている。むろん、これは国内回帰志向というよりむしろ「米中対立」の影響もある。
今後、米中対立の影響でサプライチェーンと市場が米中両陣営に分断されてくるだろう。その結果、これまでターゲットとしていた市場がシュリンクしてしまう恐れがある。
おのずと国内回帰、となるだろうし、その結果、「変わらなくていいよ」オジサンたちはこのまま生き残りを図ろうとするかもしれない。

自分は(現在の恵まれない立ち位置からも?)グローバリズムをことさら礼賛するつもりはない。日本の安全保障の観点からも、これまでやや行き過ぎた新自由主義的な流れを、多少プロテクティブな形にすることもやむを得ないと思っている。
しかし、例えばこれから日本が新自由主義を否定して内向きな政策を取ろうが、成長企業や産業を持たなければ、そこに伸びしろはないも同然だ。そうなると、日本国民は総じて貧困化して不幸になってしまうのではないか。
どっちにしたって、オジサンたちは変わらなければならないはずだ。

日本ではこれまで労働政策において、高度プロフェッショナル制度(≒ホワイトカラーエグゼンプション?)や副業解禁など、自ら高付加価値を求める人材が組織内の横並びではない“稼ぎ方”や“評価”を得るすべを与える施策が施行されてきた。
また、コロナ禍を経験し、リモートワークが定着する中で、組織に時間的・物理的に拘束され続けずに働く形態が定着しつつある。
「それらは新自由主義者の陰謀で、企業は賃金に責任を持たなくなり、労働者が搾取される悪しき政策だ」などという声を聞いたりする。その点は一面においてわからなくもない。
しかし、これらはチャンスでもあるはずだ。

組織に対するフリーハンドや時間という武器を手にしたオジサンたちが、各々、新たな価値創造を行える時代が到来しつつある、といえるかもしれない(本来、対象はオジサンたちに限らないが、文章の流れ上、こう書く)。
実際、自分の周りには「付加価値を持つ仲間」を集めて顧客に多面的なサービスを提供しようとしているプライベートバンカーなど、変化に向けて動き出した人もいる。
そんな大層な動きでなくても、例えば趣味をユーチューブ上げて広告収入を得ようとしているオジサンたちもいるだろう。これだって立派な“チャレンジ”だ。

正直、オンライン診療の件で菅政権がことさら日本医師会を抵抗勢力に位置付けて改革を進めようとすることが適切かは分からないが、少なくてもこういった変化を推奨する姿勢を国民に示すことには素直に共感する。
デジタル庁も、(以前、ここ(「『データ覇権争いと日本』からの雑感」)に書いたように)今更感もあるしスピード感にやや疑問があったりもするが、それでも変化への姿勢を見せることは大事だと思うし、その象徴として評価している。

そろそろ、どん詰まりの日本を変えていかなければならない。組織や既存の枠組みの中で危機意識なく過ごしてきたオジサンたちは、変わっていかなければならない。
非常に偉そうな書きぶりで恐縮だが、自分は身に染みてそう感じている。

さて、最後にいつもの我田引水(このブログの決まり)。
新自由主義的グローバリズムがもたらすものは「欲の経済」で、その行き着く先が強者が弱者を蹂躙し支配するディストピアとするなら、我々はそれとは別の「徳の経済」も、もう片方に持っておく必要があるのではないだろうか?
アドコマースはその一助になるはずだ。

酒と貧困と徳と得

●ビール類市場を酒税改正で崩壊させかねない「貧困問題」の根深さ(DIAMOND ONLINE 2020.10.2 5:15)
https://diamond.jp/articles/-/250146

「ビール代用品消費が正規品に比べ伸びているのは貧困が原因。今の酒税改正でビール復活、とはならず、ビール市場は半分に落ち込み、代わりにチューハイ消費が伸びる」という百年コンサルティング代表・鈴木貴博氏の考察。

酒類の嗜好と貧困の影響について、数値を交え解説。なるほど。自分もなんとなくそう感じていたが、より理解がクリアになった。
家飲み市場で発泡酒やストロング系缶チューハイの消費量が増えているのは、貧困、というと言葉はキツいが一般消費者の“懐の寂しさ”から来ており、この傾向が劇的に好転する確率は低い。

鈴木氏はこの傾向が今後、夜の街でも進んでいくと予測する。懐のさびしいサラリーマンにはビールは嗜好品になり手が出ず、アルコール度数が高い酒で手っ取り早く酔おうとする傾向が高まるのではないか、ということだろう。
酒に酔う時間が短くなり、その分、酒のつまみの量も少量で済むことから、居酒屋などの客単価も下がってくるのかもしれない。そうなると、現在のコロナ禍で夜の街自体が壊滅的状態だが、より深刻さを増すことになる。

今、コロナ禍でリモートワークが増え、家での飲酒量が増えたという声も聞く。リモートワークはもしコロナがおさまっても定着していくだろう。
健康志向で流行のスムージーを使ったカクテルスムージーなど、家で楽しむ飲酒バリエーションが増え、そのあたりに酒類需要の期待があるかもしれない。

一方、家飲みでは、ストロング系など度数が高い酒が好まれる傾向から、近年、アルコール依存症の問題が顕在化している。
今後、アルコール依存症が大きな社会問題になってくるかもしれない。
(心理カウンセラーや臨床心理士、公認心理士の需要が増加するかもしれない)

最近発生した中年アイドルの飲酒事故でのリアクションを見ると、社会はアルコール依存症についての理解と許容が乏しいと思われる。

●山口達也さんは「アルコール依存症の可能性が高い」…では何をすべきか?(現代ビジネス 2020.9.29)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75976?imp=0

この「ギャンブル依存症問題を考える会」代表・田中紀子氏の考えでは、彼はアルコール依存症と診断されるべき、ということのようだ。この記事はアルコール依存症対策としての自助グループの重要さを説いている(著名人自助グループへの言及も)。
そして、社会側の許容の必要性と、SNSなどで何でも叩こうとするバッシング社会への懸念・・・この問題の解決は非常に難しい。

どちらも「酒」のハナシではあるが、上の「酒と貧困」の記事と下の「依存症」の記事には直接的な関連はないので安易な論調は避けるべきだが、貧困化とアルコール依存の相関を論じるレポートもあるようだ。
(ただし、貧困がアルコール依存をもたらすというよりは、アルコール依存により社会生活が営めなくなった結果、貧困化するということのようだ)

現在、“富むもの”と“富まざる者”の分断が進行している気がするし、他を許容できないギスギスした風潮が広がっている気もする。
依存症に陥った者をよってたかって叩くのは、貧富の格差を生む政策が遠因なのかもしれない、などと言えば、それは非論理的な感情論だよ、と言われてしまうだろうか。

自分は今、「徳の経済」を提言し、ビジネスとして民間部門の富の再配分をになう仕組みづくりを提案している。クリエイティビティ―を中心に、お金を出す人が貴ばれ「徳」と「得」を得る、という仕組みだ。
こういった“他人のためにお金を出す”行為が尊重されてくれば、もしかすると社会における他への許容性は高まってくるかもしれない。
我田引水だが、こういった“問いかけ”はしていきたいと思う。

ゼロベース思考:コロナとカラオケ

●カラオケ業界が「もう限界」 閉店500店超す(Yahooニュース 9/17(木) 11:00)
https://news.yahoo.co.jp/articles/2213973f1b5ed1326c1462280055f7bd72c3e716

コロナ過でカラオケボックスが窮地に陥っている、というニュース。
カラオケでの飛沫感染リスクがクローズアップされ、記事のとおり「1970年代にカラオケの歴史が始まって以来、最大のピンチです」(都内でカラオケボックスを経営する男性)ということらしい。
一人カラオケ(ヒトカラ)需要すらマイクやソファーなどからの感染を懸念して、戻っていない様子だ。長らくレジャーとしてカラオケを楽しんできた身なのに非常に心苦しいが、確かに今、カラオケボックスに行くのは勇気がいるかな。
コロナ問題発生以降、多くのカラオケボックスが、「歌わないで!」を前提に「テレワークスペース」としての使用を喚起してきたが、密閉型の個室ではなかなか浸透しないのかもしれない。

業界の方には申し訳ないが、あくまでもシミュレーションとして「今後のカラオケボックス/カラオケビジネス」について考えてみる。

<カラオケボックス>
利用者目線でカラオケボックスの利点を考えると、「密閉性が高く大きな音を出しても問題ない」「(場所によるが)駅前など便利な場所に立地」「フリードリンクなどサービスが充実」「通信を利用した映像再生・音響装置」などあげられる。

欠点は一言でいうと感染リスクが高いと言われるカラオケ利用に特化して(原則)いること。とはいえ、すでに『ヒトカラ』(グループ利用に比べると低リスク)、『テレワーク用個室』、『楽器練習スペース』などの個別ニーズに沿った“亜流”利用への開放が行われている。
なので、施設としてのカラオケボックスを見た場合、「カラオケ以外」の利用がどれだけ可能になる(≒業界のしがらみを超えて開放される)かが、再生のポイントになるのではないか。

以前、ここ「『コンテンツ・イズ・キング』は幻か?⑧」および記事内リンク先の「新たな“映画を観る”ためのシステムと新ビジネス提案(素案)」に書いたように、自分は映画ビジネスの進展系として、カラオケボックスや(お金持ちの)個人宅も含めた映画鑑賞の「場」をつないだビジネスモデルを考え、周りにアプローチしたことがある。

(9/18追記:資料に明確に「カラオケ」への言及はなかったかも。この資料の基になった『コンテンツファンド革命』の第五章「変化の兆し」第1節「デジタル化・・・」の中には言及がある)

当時は劇場映画のような「一方向」の映像コンテンツの視聴のみをイメージしていたが、例えば今のカラオケには遠隔地にいる人とのデュエット機能や録画機能など「双方向」サービスもある。「新しい映画」たる映像コンテンツの幅は広がるだろう。
「映画」に限らず「ライブ動画」も対象化されるだろうし、Youtube(?)で人気がある「ゲーム対戦」「ゲーム実況」などももしかしたら利用可能かもしれない。
(9/19追記:つまり、目指すは「『コンテンツ共用』ができるエンタメ・レジャールーム」だ。)こういった「コンテンツの共用ビジネス」は権利面でのハードルが高いと思うが、新しいグローバルビジネスモデルを実現できるチャンスと思い、業界横断的にサービスを検討できれば、と思うのだが。
せっかく日本は、
・カラオケ/カラオケボックスの発明国
・映像機器など電機メーカーが優秀
・“家視聴”市場は完全にYoutubeやNetflixなどに敗れてしまって、後がない
のだから。
コロナを機に各種カラオケ機材(9/19追記:(=エンタメ複合機材))もカラオケボックスに限定せず、家庭や公民館など広く設置できるようになれば面白い。
流通量が増えれば、リース→中古市場での(節税メリットも狙った)「ファイナンス市場」がグローバルにできるかもしれない。
(ただ・・・ブログ記事に書いたように、日本は結局、“黒船”じゃないと動かない気がするが)

<カラオケビジネス>
とはいえ、歌を歌うことは人間の根源的欲求であり(と、自分は思っており)、カラオケ需要は縮小こそすれ、完全になくなることはないはずだ。「テレワーク飲み会」のように、通信上でつながったカラオケ体験の需要は喚起されることだろう。
すでに家の中でパソコン画面経由で離れた友人たちとカラオケを楽しんでいる人もいるかもしれない(あるいは、音漏れを気にして各々が自家用車にこもって“歌合戦”をしているかも)。

例えばDAMやJOYSOUNDは、すでにテレビ・ゲーム機・パソコンなどで利用できる有料カラオケサービスを展開している。
また、カラオケ業者以外でもスマホ上には複数のカラオケアプリがあり、カラオケボックスにある採点機能などは普通に整っている。
簡易的にはSpotifyやAmazon Musicなど人気のサブスクサービスには歌詞表記機能があるものがあり、それをカラオケ代わりにすることもできる。また、Youtubeを探せば多くのカラオケ音源が載っている(違法アップロード?)。

お金持ちの中にはカラオケ設備・防音対策完備の「カラオケ部屋」を設けている人もいるようだ。前述のとおり「映画」「ゲーム」兼用で“自宅内エンタメ施設”のニーズは増えていくだろう。
さすがに防音工事費だけで200万円もするようなので本格的なものはお金がないと無理だが、我々庶民には、段ボールの簡易防音設備という手もあるかもしれない。

テレワーク用の防音ヘルメット、というものがあるらしい。残念ながら、もっぱら周りの雑音を遮断して仕事に集中するためのものだそうだが、もし「歌唱可能」な防音ヘルメットができれば、世界的にヒットするのではないか。
(呼吸・視界・適温を確保して防音を達成するのは困難なことだろうが)

Youtubeには歌をうたう素人さんたちの動画が数多くupされている。多くはカラオケボックスでヒトカラしているのを撮ったもののようだ。こういったニーズは継続して存在するだろう。この録画場所もカラオケボックスから自宅や車中に変わってくるかもしれない。
さらに歌自慢の人はわざわざスタジオを借りて撮っているし、アカペラや楽器演奏を交えたものもある(自宅をスタジオ化するニーズはこういう歌自慢・演奏自慢の方々に支えられている)。
本当に才能のある人はその中でぐんぐん注目を浴び、例えば藤井風のようにプロデビューしたりする。ただ、あくまで彼らは頂点であり、もっと“草の根”の、例えばおじさん・おばさんの“ちょい上手さん”たちが狭い範囲で評判を得たりしている。
カラオケ好きでYoutubeにupしている人がほかの人の曲のコメント欄で「自分も歌っているのでよかったら聞いてください」とリンクを貼って自己紹介しているのを見ることも多い。

ここには、歌好きたちが「発表し」同じ歌好きや歌を聴くのが好きな人たちと「つながる」ニーズがある。これは漠然と「歌」でつながるケースもあるし、「歌手」「楽曲」が好きな者同士がつながるケースもある。
この傾向は日本だけではない。例えば、今、日本の80年代シティポップが世界的に大流行しているが、「竹内まりやの『Plastic Love』を歌ってみました!」という外国の人たちがたくさんいて、その動画のコメント欄ではグローバルにファンがつながっている。

では、これが“ビジネス”になっているか、というと、残念ながらそうなってはいないだろう。楽曲の権利者にとってはほぼ違法演奏(歌唱)・違法アップロードで収益機会はない(きちんと申告し広告費をレベニューシェアしているケースもあるのかな?)。

この「違法演奏(歌唱)」のところを何とか「合法」に変えられないか。
例えば、自分がカラオケ業者なら、海外富裕層向けに自宅用カラオケ設備の海外展開にチャレンジしたいだろうな、と思う。
その後のYoutubeへの違法アップロードは目をつぶるとして、ドレスアップされた合法演奏(歌唱)に録画機能を提供するニーズは世界的にあるはずだ。

一方、違法演奏(歌唱)の壁は高い。極端に言えばスマホが1台か2台あれば(カラオケ演奏・歌唱と録画)Youtubeにアップするに十分な動画が撮れてしまうからだ。
残念ながら、ニーズがある以上、権利者目線で「歌唱動画を録画するのはやめて」とは言い続けられないだろう。楽曲の権利者が強い今の著作権が古くなりつつある所以だ。

<カラオケ派生ビジネス>
むしろ、世界中にいるカラオケファン/音楽ファンを“取り込んだ”新しいビジネスを模索することを考えた方がいい。
例えば、今、テレビでは“歌上手さん”を集めたカラオケ番組が人気だ。権利者目線でいえば、これはネット上でもキラーコンテンツになる。
例えば、松原みきの『真夜中のドア/Stay With Me』の権利を持つSony Music(?)が、全世界の『Stay With Me』ファンを対象に「ネット上のど自慢大会」を企画する。当然、リアルに人を集めたり、同時に歌唱させるイベントを開催する必要はない。
すでに違法アップロードされた楽曲を含めYoutubeその他の動画へのリンクを使って“のど自慢”たちを集めるのだ。
審査はAIを使ってもいいし、有名人に審査させても、観客の“いいね”ベースでもいい。この「番組」にスポンサーを集めて、上位者に賞金を渡す、というやり方で歌い手を増やしてもいいだろう。
人気楽曲であればあるほど、集客力はあるし、スポンサーにとって広告価値は高いはずだ。

あるいは、この「ネット上のど自慢大会」を都度都度行えるサイトを運営できないだろうか。Sony Musicやユニバーサルミュージックなどに楽曲提供をしてもらい、「今回は『Stay With Me』第36回目のコンペです」のような感じで期間を区切って、楽曲ごとにコンペが行われるのだ。そして、都度都度、スポンサーをマッチングさせる。(9/19追記:今のカラオケさながら様々な楽曲が対象になり、不人気楽曲にはスポンサーがつかないだろうし、)当然、マイケル・ジャクソン『スリラー』なら膨大な広告収入が入るだろう。(9/19追記:そして作詞・作曲者などの権利者はこの一部を受け取ることで新たな収入源となる。)
また、無料・有料の会員制にすれば、フィービジネスにもなるし、何より顧客データを使ったマーケティング利用の可能性も広がる。

権利処理、歌唱者の本人確認、動画の審査方法、等々のさまざまな要解決点はあるが、こういった“まっさら”なビジネスを始められる好機なのかもしれない。

以上、カラオケボックスの苦境を起点に、ゼロベースで考えてみた。
上記「新たな“映画を観る”ためのシステムと新ビジネス提案(素案)」に書いたように、音楽ビジネスは“つながる”“まつわる”ビジネスに変わってくると思うので、この「ネット上のど自慢大会」サイト案は、案外と「10年後の馬車→自動車」になっているかもしれない。

(最後に我田引水。このブログ記事では最後にこれを書く決まりなので)
これが達成された世の中では、クリエイター・表現者のすそ野が広がっている。彼らのファンが支援者となり、クラウドファンディングでなにがしか金銭的支援をするケースも多いだろう。
そういった支援者も報われる「徳の経済」のニーズは根源的に大きいはずだ。

金融都市構想と後期倭寇、その他

●SBI、香港撤退を検討 関西の金融都市構想推進(Yahooニュース 9/9(水) 12:26)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a672b15507bdcc1f4b7ae3042160818a48a6b375

以前、「香港からシンガポールへ」「香港マネーが日本へ退避?」でも書いたが、中国からの締め付けが厳しくなった香港から日本の金融機関が撤退するのでは、という機運の中、SBIが香港撤退を明確化した。
STOとアイドルファンドと徳の経済」でも書いたように、SBIは野村証券とも組んで(?)STO(Security Token Offering)を推進していこうとしているが、その日本拠点を、今年ようやく総合取引所化した大阪取引所に据えたい、と思っているようだ。
上記記事で、SBI北尾社長は「大阪や神戸に国際金融センターを誘致する構想」を示している。香港から退避するグローバル金融人材の日本還流にも期待しているのだろう。

大阪・神戸に日の目が当たるのは、関西地盤の自分としては素直に期待できる話だ。
一方で、彼らグローバル金融人材に税制優遇を与えるとなると国内での様々な反発が予測されるし、そもそもこれを機に国際金融センター化したい東京とのバッティングもある。証券取引所として世界的な知名度を誇る東京に対し、大阪市場はほぼ無名に近く神戸には取引所すらない(昔、神戸証券取引所があったらしいが)。知名度的にも国際金融センターを名乗るのは簡単ではなさそうだ。

とはいえ、自分が関西人だから、というだけでなく、(コロナ過で客足は遠のいてしまったが)関西圏は海外観光客からの魅力も高く、大阪には万博やIR構想もあることで、様々な人からこの構想は関心を持たれることだろう。“政治的”にもこの動きは波及してくることだろう。
自民党の総裁選では石破さん、岸田さんに比べ、菅さんが一歩も二歩もリードしているが、その菅さんは先月突然、「大阪と福岡を国際金融センター(特区)に」と言い出している。

●「菅・麻生」が“利権”巡り共闘 東京への「金融センター」誘致を阻止する理由(Gooニュース―デイリー新潮 2020/08/26 05:56)
https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/politics/dailyshincho-655245.html

この記事だけを読むと、利権がらみの動きであること濃厚だ。そもそも、香港からの人材流出を当て込んだ動きだとすれば、
「来年度の予算計上なんて、スピード感が遅すぎ」
「海外金融事業者からの問い合わせ窓口『コンシェルジュ』を置く程度で何ができる」
「香港の強みは中国マネーと中国市場へのアクセス力であり、(日本の各都市はシンガポールに比べ)それを代替できる強みはない」
という反論が来るのも当然だろう。
が・・・それでも、あえてこの構想をポジティブにとらえてみる。

まず、歴史的な観点から。
東京(江戸)が発展する古く前から博多と大阪(堺)は国際貿易港だった。大航海時代に西欧諸国がアジア進出していたころは日本では室町時代から戦国時代(および江戸時代)に相当する。そのころ、戦略物資「銀」を中心に様々な物資が海をまたいで貿易されていた。
この貿易の中心となったのは、「後期倭寇」と呼ばれるグローバル商人(密貿易者)たちだ。彼らは日本人というよりは中国人を多数派とした境界人(マージナルマン)だった。
当時は今のグローバリズムの端緒になったような時期だ。むしろ、その後の大英帝国とそれを裏で支えたユダヤ金融資本の発展を考えると、後期倭寇にはもしかしたら“西→東”の世界史を大きく変え、逆行させる“違う道”があったかもしれない、というロマンを感じる。
そして、堺や博多の商人たちは後期倭寇と深くつながっていた(に違いない)。その意味で大阪と福岡には「歴史的ブランド力」がある、といえるかもしれない。
「現時点でブランド力がないから」
「世界競争上、まずは東京の地位を上げるべきだから」
などと決めつけず、境界人が集まる都市としての魅力をゼロベースで考え、構築していければ、長期展望で両都市には可能性があるのではないだろうか。
(マフィア・シティ化の方向は回避しなければならないが)

また、そもそも国際金融センター化をめざして「グローバル金融人材を集める」などというのが間違いで、「グローバルICT人材を集める」方向性を示せれればいいと思う。
(これは、とある“グローバル金融人材”の方から示唆された意見だ)

これからの世の中、伝統的な金融ビジネス(銀行での決済業務、総合証券会社など)は縮小傾向にあることは間違いない。一方で、「金融」「ICT」「e-コマース」の融合領域に新しいビジネスが広がっていくことになる。

ごく一部の富裕層特化のプライベートバンカーなどは別にして、既存の金融ビジネスに従事し古くからの金融商品を売り投資助言をしている海外の金融人材をいくら連れてきても、国際金融センター化に役立つとは思えない。

むしろ、グローバル志向で、金融に“絡む”新しいビジネスモデルを持つ企業を育成することに注力してはどうか。
特区制度に基づき、「収益化しても数年間は法人税を減額できる」「海外から移住した従業員の住民税を回避できる」等のインセンティブを提供して、有望企業にヒトとカネを集めるのだ。
また、グローバルなベンチャーキャピタルなどとのマッチング機能を持った上で、キャピタルゲインに何らかの優遇を行う仕組みなど、積極的な外資勧誘があってもいいかもしれない。
(SBI北尾氏が期待するように、その投資手段にSTOを利用する、という考えもあるだろう)

とはいえ・・・。
今、GAFAをはじめグローバルIT大手はその租税回避行動が世界的に問題になっており、大手IT企業をターゲットにしたデジタル課税の方向性がある。
また、国際金融センターの裏側に富裕層の移住などへの期待があるとすれば、周辺不動産価格が上昇して、貧富の差が拡大し、住民から怨嗟の念が出ることだろう。
日本人は平等意識が高く、極端な税制優遇はなかなか認められないだろうし、そうなれば国際競争上もメリットはない。結局、「貧富の差の発生を許容する」コンセンサスが得られなければ「国際金融センター」など無理なのかもしれない。

なので・・・我田引水(最近このブログでは、この我田引水につなげることを課しているので。恐縮です)。
我々は「欲の経済」のほかに「徳の経済」を持つ必要があるのかもしれない。それは民間部門での富の再配分行動であり、アドコマースによって企業からの資金流入も期待できる。

その歩みが関西で始められればうれしかったりするが、これは単なるつぶやき、かな。

(2020/10/13追記)
ネット記事をあさったら、自分がこの記事を書く前の日付で、SBI北尾氏の考えが掲載されていた。

●SBI北尾社長「デジタル証券の取引所を大阪・神戸地区に設立」=日経(COINTELEGRAPH JAPAN 2020年09月03日)
https://jp.cointelegraph.com/news/sbi-kitao-ceo-revealed-to-open-sto-exchanges-in-osaka-or-kobe

「日経によると、北尾社長は8月上旬にも大阪府の吉村洋文知事と面会し、「大賛成だ」との賛同を得たという。さらに8月下旬には自民党総裁選に出馬している菅義偉官房長官にも構想を説明した。」
「SBIはセキュリティ・トークンを売買できる取引所を設置する他に、フィンテック企業の招致にも力を入れ、今後出資する際には『大阪・神戸に日本拠点を置くことを条件にする』とまで力を入れる。」
「SBIは6月に開かれた経営近況報告会の中で、シンガポールにデジタルアセット関連会社の新会社設立や、国内でのSTOのセカンダリーマーケットの整備を進める方針を発表。発行を行うプライマリーマーケットとともに、トークン保有者が売買を行うセカンダリーマーケットをPTS(私設取引システム)で整備する考えを示した。」
「セキュリティ・トークンの取引所開設に関しては2020年2月に時事通信のインタビューで、2020年度中にも私設取引所を設立する方針を明らかにしている。私設取引所はSBI単独ではなく、複数の証券会社と共同で行う方向で調整していた。」

なるほどなるほど。
今更だが、きちんと国家戦略と連携しているようだ。「フィンテック企業の招致」については自分の考えと同じで、悦に入る。

ちなみに自分は『コンテンツファンド革命』の中で「知財のセカンダリーマーケット」の可能性に少し触れたことがある。
将来的には、ブロックチェーン→STO→「証券」なるものの多様化→セカンダリーマーケット、という流れが促進されてくるかもしれない。また、映画・ゲームなどのコンテンツは“わかりやすい”ので、コンテンツファイナンスの再構築、という機運が高まってくるかもしれない、などと夢想する。

 

金融庁長官のスピーチと「徳の経済」③

それよりも、まずは大きく可能性を語り合い、ブロックチェーン等の新しい技術に立脚した新しい社会連携の姿を思い描く取り組みが活性化してほしいな、と思ったりする。
自分の「徳の経済」構想も、単にビジネスやプラットフォームという観点からでなく、こういった趣旨で語り合える“仲間たち”が欲しいものだ。

なお、こう書くと、「資本主義を駆逐し社会主義革命を起こしたいのか?」などと大仰なことをいう人が現れてしまうかもしれない。いや、そうではなくて・・・。
「徳の経済」構想の観点が、民間での富の再配分の仕組みづくり、ということなので、確かに社会主義的発想に思われるかもしれない。しかし、自分はあくまでも公平な資本主義・自由競争の結果得られた富を配分するやり方として掲げているに過ぎない。
しかも、強者からの弱者への配分と決めつけず、「クリエイティビティ(クリエイティブな人)」を軸にした、持つ人からのそれに「影響を受ける人(ファン)」への配分、という「三方よし」な社会観で、「徳」を語る割には「得」にもこだわる、その意味でも「欲の経済」と完全分離したものでもない。

理想を語り社会変革を青臭く語りたいわけではなく、あくまで“ビジネス”に立脚した方法論を模索したいと思っている(公益法人など公益性を持つ主体による運営、という発想はあるが)。
なので・・・欲を言えば、“仲間たち”には変に政治思想性を持たない方々の参加がありがたいかもしれない。

とはいえ・・・。
今、チマタでMMT(現代貨幣理論)やベーシックインカムを語る方が増えており、複数の政治的ムーブメントが立ち上がっている。
あまりラディカルな方向を求めている方々にはご遠慮願いたいが、「(資本主義が)一方向に行き過ぎた世の中をChangeしたい」という思念をもって政治的活動をされているような方々には、いろいろと教えを乞えればありがたい、という気もしている。
「徳の経済」はベーシックインカムの部分的な代替手段になる可能性があると思っているので。

この辺は正直、よくは理解できていないので恐縮だが・・・今の法定通貨は信用貨幣で「誰かの借金(信用創造)」から生じる。実体経済を凌駕して信用経済が構築されるため、構造的に常に「バブルとクラッシュ」の可能性をはらむ。自ずと貸し先の信用評価が重要視され、その結果、「持つ者」にしかお金は流れない。
また、(日銀含めた統合)政府から「持たない者」への資金供与を考えても、貨幣は銀行が発行(信用供与)主体となるため政府は構造的に財政赤字を抱え、財政規律を求められる結果、政策面で自縄自縛に陥りがちだ。

一方、このコロナ禍で、どの国でもMMTに影響されたかのような(?)大規模財政出動がなされた。この影響もあって発生した「寄付・クラウドファンディング」ブームは、示唆に富んだ一つの光明かもしれない。
(小規模な疑似ベーシックインカム的な)一律給付の10万円ほか政府からの資金が民間部門に流れ、だぶついた金の一部は、「善意」という衣をまとって「持てる者から持たない者への富の再配分」がなされたからだ。

もし、「アドコマース」という「善意」(9/2追記:だけでなくそれ)以外のファクターを抱える「持てる者から持たない者への富の再配分」たる経済活動が定着した場合、その経済効果を当て込んだ財政出動、といった流れもありうるかもしれない。

・・・最後の方は大風呂敷を広げすぎたかも(失礼しました)。
いずれにせよ、金融庁長官というエライ人まで「このままの金融制度は継続しない」「Changeが必要」と発言する時代になった(あくまで、自分の意訳ベースで、だが)。

Life is entertainment - クリエイティビティこそが世の中を変えていく原動力になれば、と願う。