Facebookの仮想通貨「Libra」

https://japan.cnet.com/article/35138666/
→CNET Japan 2019/6/18 19-40「Facebook、仮想通貨「Libra」への参画を発表–2020年にサービス提供へ」

長らくベールに閉ざされていた Facebookの仮想通貨計画が公表された。
(すでに「“仮想通貨”ではなく“暗号資産”と呼べ」と決まっているのに、やはり“暗号資産”では認知が低すぎて一般的には受け入れられていない様子。)

「Libra」と言って、Facebookとは別に立ち上げる非営利団体のLibra協会が立ち上げ、運営する。Libraは海外送金や各種支払いに利用される。
Libraを使った金融サービスは、Facebookの規制対象子会社の「Calibra」が担う(2020年からサービスイン)。

協会のパートナーはFacebook以外に、VisaやMastercard、PayPal、Stripe、ebay、lyft、Uber、Spotify、vodafone、Coinbaseといったグローバル企業や、非営利組織、学術機関など。他の記事によると日本をはじめ複数の国の企業の参加を検討している様子。

Libraは“裏付けとなる資産(リザーブ資産)” =複数の通貨や短期国債、で(一定の?)価値が担保される、そうだ。ブロックチェーンの衆人環視と相まって、安全安心。

CalibraはFacebookの代わりにLibraネットワークを活用したサービスの開発・運営を実施する。Calibraが提供する金融サービスは、今見えているところでは、Messenger、WhatsApp、専用アプリで利用できるデジタルウォレットの提供。
このウォレットでは、“テキストメッセージを送るのと同じ感覚”でLibraを貯めたり送金したりすることが可能、とあり、ボタン一つでの代金支払いや、スキャンで“ピッ”のらくらく商品購入ができたり、公共交通機関での利用等々、様々なキャッシュレス決済サービスを展開する予定。

さらに、ユーザーの資金(と情報)は高度なセキュリティーで厳重に保管される上、サポート体制や悪意ユーザーによる損害への補償もある。

そういうわけで、非常に便利そうだ。ひじょ~~~に、便利そう!

さて、気になるCalibraでの個人データの取り扱いだが、以下のように説明されてる。
・ソーシャルデータと金融データは適切に分離する
・決済データ(アカウント情報や金融情報)はFacebookや関連アプリのターゲティング広告には使用しない
・ただし、「生命の安全が脅かされる場合」「法律に基づく場合」「Calibraユーザーに基本的な機能を提供する場合」に限り利用する

Facebookは今、個人データ利用に関して世界中でいじめられているし、特にターゲティング広告はみんな“薄気味悪い”と思っているので、「それには絶対利用しません!」というのは当然だろう。
特にFacebookの場合は、投稿内容やいいね!履歴や友人関係といったさまざまな情報に紐づけられる懸念もあったわけで、生理的に嫌がる人も多いだろう。
とはいえ、中には「俺の個人データは勝手に使ってもらって構わないから。逆にどんなサービスを提供してもらえるの?」という猛者(?)も一定数いるわけで。

そういう意味で、“「Calibraユーザーに基本的な機能を提供する場合」に限り利用する”というのがミソで、これがどういうサービスで、どう発展するのか、というのが興味深いところだ。
現在、LINEや通信各社など、様々な企業が手掛けるキャッシュレス決済サービスも、①ビッグデータを分析した“層”としてのマーケティングデータの活用、の方向は間違いなくある。②個人データを個人の『信用スコア』に利用する動き、も、例えばLINEやソフトバンク(⇔みずほ銀行)にはある。また、これまでの流れだと、③ハッシュ化した情報をもとにDMPを活用して“紐づけ”、企業のマーケティング(MAなど)に利用する、といった活用法がメイン想定であったと思われるわけで。

GDPRおよびe-プライバシー規則など「データ所有権を個人に戻せ!」といった流れの下、個人的に③の流れはどうなっていくのだろう? と思っている。当初の一定の許諾によりマーケティングにデータ利用したものの、「やっぱり、私の個人データ、返して!」となった場合に、どこまでのことができ、どこまで対応しなければならないのか?
また、②については、中国だから「ゴマ信用」のような、おっとろしい(!?)代物ができたわけだが、この動きがこのまま人権意識が高い国々(とくにヨーロッパ)で実現されるものなのか? 日本はもともと“従順なヒツジ、怒れるヤギ”の国だったわけでいずれにせよ一方向に流れが行けば、「『信用スコア』やむなし」の方向に向かう可能性(リスク?)が高いと、個人的には思っていたが。

さて、余談だが、経済活動にかかわる「個人」ばかり“徳”を求められる『信用スコア』だが、例えば、企業のある種の支援活動にも“徳”を認める動きが有ってもいいのではないだろうか?
実は、現在、自分が動いているある件は、そこにソリューションを与えるもの。
別に、『信用スコア』で“上から目線”の評価をするのでなく、「あの企業、ありがたいねえ」と感謝する、というイメージだろうか。
あまり絵空事を語る風にとらえられたくないので、本件はここまで。

ところで、このLibraを“金融商品”として考えた場合、自分などは投資信託畑なので、通貨バスケット型MMF(MRF)=短期公社債投信のイメージがある。
“リザーブ資産”がどこまで厳密に運用されるものなのか、少しだけ興味がある。
どういうタイミングで設定解約(増資減資?)されるのか、そもそも通貨発行額あるいは流通額の100%が運用に回るのか、とか。
日々(時々)の決済データを集約して設定解約(というか、運用金額の増減)するのは、ブロックチェーンだからやりやすい気はする。
変な話、いきなり世界一の決済可能な流通量をもつ仮想通貨(暗号資産)が現れるわけで、このLibraの需給によって、リアルマーケット(債券市場、為替市場)にも影響が出ることになるのかもしれない。

そう考えると、伝統的な金融ビジネスという“古い世界”と、SNSやそのデータ活用ビジネス、キャッシュレス決済という“新しい世界”は、まったくつながっているんだなあ、と思う。
そして、既存の銀行や証券といった“古い枠組み”でしかものを考えられない人は、時代に置いて行かれるのでは、という懸念も。
などと、これは、やや我田引水かもしれない。

ご無礼ながら、甘えるな!

https://www.asahi.com/articles/ASM6D4JSKM6DULFA011.html
→「2019/6/15朝日新聞デジタル:東芝系社員、退職拒み単純作業 「追い出し部屋」と反発」

久しぶりにむかつく記事だ。
むかついているのは東芝に対してではない。配置転換に反発しているという社員に対してだ。
とはいえ、記事は一部しか読めないうえ、記載内容だけでは詳細が把握できない。なので、あくまでも、これから書く文章は、現時点での一個人としての(やや感情的な)勝手で無責任な解釈、と思っていただければありがたい。

記事の内容は、ざっくり言ってこんな感じだ。
<1>希望退職を拒否した東芝100%子会社のシニア社員たちが、新設された部署に配置転換され、そこから応援先の工場や物流センターなどで肉体労働にいそしんでいる、というものだ。もともと営業や事務畑なので体力的にも非常にキツイらしい。
<2>その前にはこんなことがあった。記事を引用する。「複数の社員によると、4月中は研修として社外の人材コンサルタントらの講義を受け、経営環境の厳しさを理解し、配属を前向きに考えるよう求められた。自分を省みて変えるべき点を同僚に表明し、作文にもまとめたという。」

<1>については、不慣れな肉体労働に従事する社員たちに対し、シンパシーがないわけではない(後述の通り、それでも「甘えるな!」とは思っているが)。
<2>についても、自主的にではなく、関係ない奴から「反省しろ」と言われて反発がわく気持ちも、ほんの少しだけは理解する(それでも、自主的に反省すべき点はあるのでは、と感じるが)。

それでもなぜ自分が「むかついて」いるのか。それは、彼らが「東芝」の(子会社の)社員だからだ。

粉飾決算を繰り返しながらもなぜか上場を維持され、諸悪の根源だったウェスチングハウスを整理するために虎の子の東芝メモリなどを売却して、(これは偏見かもしれないが)すでに将来性のある事業はなく、債務超過に陥りながらもミラクルな第三者割当増資で既存株主の価値を大幅に希釈させた挙句にようやく立ち直り、財務上はきれいな会社によみがえったがその実はスッカスカな東芝という会社。
この会社の再建劇を遠目で見ていた時ほど、日本の大企業の、日本という国の、無責任体質を感じたことはなかった。はたして、「東芝」という名前を残すためだけに、公正な市場ルールを捻じ曲げる必要はあったのだろうか。
まあ、それでも、株価は回復基調なので、市場は東芝の存続を好意的に評価している、ということなのだろうが、心情的にはどうもわだかまりがある。

また、東芝が現在、株式市場から期待感を得られているのは、「GAFAに立ち向かうために『サイバーフィジカル』を促進していきます」「縦割り組織の弊害をなくし新しい血を入れ替えていきます」といった“再生力”が期待されてのことだ。実際、日本の大手製造業はIoT時代に様々なデータを生み出して飛躍することがありうるのではないか、と期待されている(現時点では、自分には詳細な情報がないので、この点についての東芝への評価はフラットだ)。
東芝は株主構成でいうとすでに「外資系企業」で、その株主からは再建のため人員整理を含む大幅なリストラを迫られてきた。

だから、そんな状態である東芝(の子会社)で、あえて希望退職を受け入れず、かつ、配置転換にも反発している社員たちは、いまだに「お家」が自分たちを守ってくれる、と思っているのだろうか。それとも、何らかの形で「お国」が守ってくれるとでも?
冗談じゃない! 甘えるなよ、まったく。

3年ほど前、東芝の粉飾決算が判明した時に、営業社員が「チャレンジ」と称する無理なノルマを課せられてきたことを知り、その時は社員たちに非常に同情した。
自分が居た山一證券を思い出し、組織というのは本当に理不尽なものだ、と思ったし、日本社会では山一破綻の教訓が全く生かされていない、と嘆いたものだ。
だからこそ彼らには、組織に隷属せずに、小さな自分の二本足で立って、小さな脳細胞でぐるぐるといろんなことを考えて、「我がこと」を生きる人生を歩んでほしいな、と、僭越ながら感じていた。

そして、いろんなことがあっても「お家」を捨てず「お家」にしがみつく、と“自分で考えて”判断をした彼らが、いくら肉体労働系の職場についたからと言って、(愚痴る程度なら大いに理解するが)それを新聞記者にリークして社会問題化しようと企てるなど、ふざけるな、と言いたい・・・この記事がリーク記事なのかどうかは知らないが。

もっと言うと、古くは社会問題化したソニーなどの「追い出し部屋」では、パソコンもなく外部との連携が遮断された部屋に閉じ込められ、“何もするな”“働くな”という仕打ちを受けていた、と聞く・・・正直、これはきついよな、と思う。会社に“必要とされていない”ことが明々白々で、心理的にズタボロになりそうな気がする。
それに比べ、今回のケースは、実際に会社が“必要とする”物流や仕分けの作業を割り振られているわけだ。それを「自分が今までしてきたことと違う!」「しんどい!」と言っているのは、ただのわがままだ。駄々っ子と一緒だ。

自分は、シニア世代が“組織にぶら下がる”決断をすること自体をことさら悪いことだとは思っていない。いや、正直に言うと、本来は自らの足で新たな領域に「チャレンジ」をしてほしい、と思うが、もろもろの事情でその選択ができない人は、特にシニア世代には多いだろう。
だから、組織を離れて自分の足で歩こうとして辛い思いをしている人にも、組織の中で黙って逆境に耐えている人にも、同様に“仲間意識”を持っている。

この流れで自分のことを書くのは、非常に気恥ずかしい、というか、勇気がいる、というか、とにかく、アレでナニだが・・・。
自分は山一の破綻とその後も続いた惰性の組織人人生を経て、新たなチャレンジを繰り返す人生を10数年続けている。
偉そうに書くと、「世の中は変わる」という危機意識の下、自分の“Fun!”を軸に「エンタメとファイナンスをグローバルにつなげるクリエイティブ人材になる」ことを目指して動いてきた。
そして、その試行錯誤の変遷は、自分を新たな可能性に導いてくれている気がしている。今、自分が取り組んでいて、いろんな人を“巻き込もう”としていることは、チャレンジの当初に思い描いていたこととは全く異なるものだが、グローバルにも通用する新たなビジネスで、その社会的意義も非常に大きいのではないか、と感じている。

一方で、冷静に言うと、かくも長い間、「何も成し遂げられなかった」自分がいる。これまでもいろんな人を“巻き込もう”としてきたが、まったく巻き込めなかったり、巻き込んだと思っても離反したり、とにかく、うまくいかないことの連続だった。
また、身内や古い友人(Y社のI社長ほか)など、ご迷惑をかけながらも人の情けに助けられ続けた日々でもあった。現在進行形だが。。。

こんな状況が続くということは、“食えない”ということでもある。
実際、深夜の土木現場の警備員や、倉庫の仕分け作業、飲食店でのフロア仕事等々、様々なことをして食いつないできた。
(だから、東芝子会社社員が肉体労働が大変だ、というのも骨身にしみてわかる)

先日、山一時代の同期が突然亡くなった。
株式相場の指南役として新たなビジネスを立ち上げ、Youtubeで若手芸人も出演する番組を立ち上げ、PRを始めた矢先だったようだ。
聞くと彼は、この取り組みを始めようとする一方で、必ずしも経済的に潤っていなかったことから、(施設警備や介護など)ダブルワーク・トリプルワークの状態だったらしい。彼はメタボ体質だったので、恐らくそういう日々の無理がたたったのだろう、ということだ。
悔しいだろうな、と思う。それでも、今いる場所でも、どうか生前同様、朗らかな彼のままでいてほしい。

僭越だが、あえて、東芝子会社のシニア社員の方々に“仲間”として言いたい。

あなたの周りを見回してみてください。あなたは今、不幸せなんでしょうか? もし、どうしても「許せない」と感じるなら、組織にしがみつくことを諦める、という考え方もあるはずですよ。あなたが自主的に下した判断で、自主的にした行動なら、その結果を受け入れることもたやすいのではないでしょうか。
・・・願わくば、その先に明るい未来があらんことを。

「アホ」的つぶやき

長らく定期的に出席させていただいている「読書会」があり、いつも様々な“気づき”をいただいている。
今回の課題図書は『京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略』。
自分は科学的でアカデミックな素養は皆無だが、いろいろと面白い内容だった。

浅薄な自分が要旨を語るのはおこがましいが、この本の肝は、こういうことかなと思う。

・世の中(特に自然)は、何らかの因果律により成立する合理的な「樹形図構造」ではなく、例外などのわずかな条件のズレが結果を大きく変える『カオス』である
・『カオス』には「樹形図構造」とは異なる秩序がある
・無秩序から秩序を生む段階のある臨界点を超えた状況で「相転移」が起こり別の相に変わる。ある秩序が、ある臨界点で「逆相転移」し別の相に変わる
・自然界を含む自然発生的ネットワーク(=複雑ネットワーク)は、正規分布つまりランダムな確率に支配される(公平な)構造ではなく、べき分布、つまり不平等性があるスケールフリーなものである
・「モテる奴はわずかで、彼らはモテるからモテる」。ただし適応度が強いものはその世界の中で逆転ができる
・ランダムネットワークよりスケールフリーネットワークのほうがトラブルに強い(一方、恣意的な攻撃には弱い)
・合理的な「選択と集中」は×。教養や雑学や趣味、無駄やガラクタなどの“多様性”はスケールフリーな社会では非常に重要(思いがけない「裏道」につながる)
・だからこそ、「アホになる」つまり人と違うことを気にせず、とことん面白がって探求する必要がある

ご自身が現在の大学効率化という“合理的な”流れに抗しているため、著者のやや我田引水なところも感じられるが、むしろその部分が、現在の自分の状況をフォローしてくれるような印象があり、なんとなく勇気づけられた(自分も、大多数の人が抱く「今の世界がこのまま続く」という観念に抗してチャレンジを続けているため)。
例えば、こういったところだ。
・一種の「相転移」がイノベーションであるとすれば、イノベーションはガラクタと試行錯誤から生まれる。イノベーションを起こすにはその前の臨界状況の混沌が必要
・それは必ずしも「世のため人のため」を思って発生せず、個人的な興味から発生する

自分が自社に「人生はエンターテインメントだ」という意味の社名をつけていること。これまで自分の“面白い!”を起点に様々な試行錯誤を繰り返し、イノベーションを起こそうとしていること。そして現在にいたるまで泥沼とも思える混沌状況にあること。
「それはイノベーションを成立させる絶対条件です」「あなたはイノベーターなんですよ」
そう言ってもらっている気がした。

さて、上記のような“シンパシー”だけではなく、この本で興味がわいた点がある。それは、スケールフリー構造の「モテる人はモテるからモテる」という説明の箇所だ。

・バラバシ(※)は、簡単なルールでスケールフリーネットワークが作れることを発見しました。それは「新たに友達同士をつなぐ(リンクをつける)ときに、たくさん友達を持っている人(ノード)に高い確率でリンクを張る」というルールです。
・(中略)もしすでに持っている友達の数に関係なく、みんなが同じ確率でリンクを張ると、それはスケールフリーネットワークではなく、ランダムネットワークになるでしょう
・逆に、モテる人にリンクを張る度合いを上げるとスケールフリーネットワークが出現するのですが、その度合いをさらに上げると、一人のカリスマが世界を支配するような「独り勝ち」の状況が生まれます
・現実の世の中は、ランダムネットワークでもなければ「独り勝ち」でもありません。基本的には「モテる人がモテる」状況なのですが、そこにモテない人にリンクを張るような「気まぐれ」が適度に混ざっている状態です

※ ハンガリーの物理学者アルバート=ラズロ・バラバシ。彼らの研究グループがインターネットがルーターの故障に対してどれだけの体制を持つかを調べるコンピューター実験についての件

自分は今、SNSなどを利用したインフルエンサーマーケティングに非常に興味がある。一方で、今の世界の現状は、以前に比べて(小さな世界の話ではあるが)「独り勝ち」な人たち(ノード)が増えている気がする、と考えている。それは、ある種の社会問題化が懸念される危機的な状況の手前な気がしている。

実は、自分がいま提案しているとある「イノベーション」は、その一つの解決策となりうることだと思っている。
もちろん、そのためには広範にデータを集め、具体的にテーマ化して検証を行うような、アカデミックな動きが必要で、今の段階ではそんなことは全く考えられないのだが・・・それでも、そういう「社会問題の解決」という観点でも、今、自分が進めている“取り組み”でいろんな人を巻き込むことができたらなあ、と考える次第。

・・・いち「アホ」として、つぶやいてみた。。

ゴジラの日

またまた数か月空いてしまった。
このブログをビジネスのプロモーションツールとしてとらえた場合、まったく機能していないことになってしまっている。いやいや、このブログは単に、現在の自分が考え感じたことを記録・記述するためのツールだ。誰かに読んでほしいとは思うが、だからといって大勢の赤の他人の衆目評価にさらされようとまでは思わない(そんな甘い考えでよいものだろうか、とも思いつつ)。
そういうわけで、言い訳がましく久々に投稿する。

先日、「オープンイノベーション」をテーマとするセミナー&交流会に参加してきた。あるビジネスプランの出資や協業の候補を見つけるためで(と、自ら勝手にテーマを課し)、セミナー登壇者を中心に、数名に対し積極的な名刺交換と多少のビジネス概要説明を行ってきた。

「オープンイノベーション」というテーマなので、参加者は主に、大企業でベンチャービジネスを立ち上げようとしている人たちや、自分のようにベンチャー側の人間だったが、その大半は前者だった。

セッションの一つに、大企業の中で新規事業を起こした方々の懇談があった。
「人生の岐路に立った時に、不思議となぜかイノベーティブな活動に携わるようになる」といった、過去の自分にも重なる話で面白かった。
しかし、登壇者からこんな(↓)意見が出て、さらに会場全体に同調する空気が広がっていたのが、なんとなく悔しかった。

「成果という点ではリスクのある仕事をしているので、(危険な現場で働く場合に支給される)『危険手当』を出してほしい」

『危険手当』っすか・・・この辺が大企業の“中の人”の限界だよなあ。やはり日本の大企業労働者は特権階級・・・などとは言いますまい。自分も元大企業従業員として、そのメンタリティもよくわかるので、否定する気まではないです。。。仕方ない、です。。ふうっ。

むしろ、こういうことに影響されて、自分の気分をネガティブにしてしまっては一番いけない、と思う。
数年前(ちょうどショーン・K氏の経歴詐称問題があったころだから、3年前か)、『大怪獣の日』という短編小説を書いてみて、某投稿サイトに開示している。
→ https://estar.jp/novels/24066669/viewer?page=2

「チャレンジがうまくいかずに人生ネガティブに過ごしている中年の些細な価値変容」を描いたものだ。この投稿サイトのカラーには合わないが、自分は作品としてそれなりに気に入っている。
本当はタイトルを『ゴジラの日』にしたかったのだが、このサイトのコンプライアンス担当(?)から「権利問題もあるから、“ゴジラ”はやめた方がいいよ」とすぐ連絡があり、改題した(けど、やっぱり『ゴジラの日』のほうがいいんだけどなあ)。文中でSuper Butter DogをSuper Butterfly Dogと書いてしまっている、など多少直したいとこもあるが、面倒なのでそのままにしている。

さて、くだんのセミナーの別セッションでは、自分も面識がある某ニュースメディアで長らくキャスターを務めておられた女性が、“成功しているイノベーター”の共通点として、(確か)以下を挙げておられた。
1. 視座が高いこと
2. あきらめずにやり続けること
3. パッションがあり、その結果、人を巻き込む力があること」

おこがましいが、自分は1も2もそれなりに備えていると思っている。3にしても、パッションはある積もりなのだが・・・それでも人を巻き込んで動かすことが、長い間、かなわない。よく言う「セカンドペンギン」がなかなか現れてくれない。。何が足りないんだろう・・・などと、またネガティブになってしまう。。

とはいえ、人間誰しもうまくいかないときはあるし、そんなときはネガティブな気分に陥るのも仕方がない、とも思う。
だから、自分は勝手に、上記3については、1と2の行動に伴う“幸運な結果”であり、むしろ、例えば3を理由に「あなたには3の要素が見当たらないから、このチャレンジは無理ね」などと決めつけるべきでない、と思っている。
(でも、「いいえ。見るからにパッションのない人に、イノベーションを起こすことは無理ですっ!」などと反論されるかもしれないな)

で、友人にこの話をしたら、いいこと(↓)を語ってくれた(これも、やや曖昧な記憶で、不確かなのだが)。

「期待通りに周りが動かないなんて、そんなの、自分含めみんな同じだよ。でも、『人を当てにするのでなく、自分を当てに』しなきゃね」

自分を当てにせよ、か・・・まっことその通りぜよ(竜馬風)。
とにかく、今はこういうことを言ってくれる友人が一人いるだけでもありがたい。

前へ、歩こうかぃ

●「氷河期世代」に能力開発を 経済財政諮問会議 (日経 2019/3/27 19:12)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42984060X20C19A3EE8000/

10年以上前に、『歩こう会』というシナリオ(参考:あるこう会(ロング))を書いた。ロスジェネ世代の、かたや正社員、かたや契約社員の幼馴染を描いた話で、自分としては「これから世の中、もっと悪くなっていくだろうけれど、人を思う心というものは変わらないでいてほしい」という願いも込めて書いた。
しかし、それ以降、世の中は自分の予想をはるかに超えるレベルで“悪くなった”気がする。
これは、社会の中軸にいる人たちが、「このまま世の中は変わらなくていい」「変わるためのチャレンジをしなくていい」と思い続けた結果だ。その犠牲者がロスジェネ世代、というわけだ。
コトをこんなに短絡化してしまっては本質を外してしまうかもしれない。とはいえ、不作為の罪、というものは確実にある気がする。これは自らの胸にも手を置いて考えたい。

この記事については、おそらくロスジェネ世代と思われる方々から「能力開発ったって、今更何をさせるつもりだよ」「結局、介護などの(人がいやがる)仕事の働き手を養成したいだけでしょ」「結局、業者が潤うんでしょ」といった揶揄や批判の声も出ているようだ。
そういうことなのかもしれない。
ロスジェネ世代は確かに層として大きく不幸を背負ってしまった気の毒な世代だといえる。その中で世を儚んでニヒル化してしまう人がいても仕方がないのかもしれない。

とはいえ一方で、自分は「世代論」というのが実は苦手だ。
年代が同じだけで、これまで会ったことも見たこともない人たちと、どうしてひとくくりで語られなければならないんだ、決めつけられなければならないんだ、という気概を持った人たちは、別にロスジェネ世代に限らず、バブル世代にもゆとり世代にも、どんな世代にもいるように思う。
自分は全く“そっち派”だ。

バブル世代は、いまや巷ではまるでゴブリンのごとく嫌われている。「ぬくぬくと」「くろうもせず」「えらそうに」「べんきょうもしないで」等々。
これも、そういう人たちが多いのは全くの事実だと思うし、自分はそういう方々に対して苦々しく思っている者の一人だ。うらやましく思ったりもするが。
だからと言って、みんながみんな同じように生きて同じように考え、行動しているわけではない。
人間、いつからでもチャレンジはできる。前に進むことはできる。そう思うし、そういう人たちこそ、世代などに関係なく活躍できる世の中になることを切に望む。。。

10年以上も前に書いた『歩こう会』も、(いろいろ古い内容はあるが)物語として本質的には価値を失っていない気がする。これもあきらめず、前へ。

風当たりの行方

先ほど、この記事を見てうなってしまった。う~む。

●フェイスブック、ターゲット広告見直し 差別批判受け (日記電子版 2019/3/20 7:20)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42691460Q9A320C1000000/?n_cid=BPRDS001

つまり、「郵便番号」や「男女の区分」で広告を見せたり見せなかったりできる機能を持つ広告媒体であるFacebookは「差別的で間違っている!」という講義が市民団体等から起こり、Facebookは「ごめんなさい。今後はこの仕組みをやめますね」と言っている、ということだろうか。
記事には「住宅売買や求人、信用貸しでの広告に関して」と記述されているから、この「やめますね」は仕組み(システム)そのものではなく、この3者だけは運用ルールとして「男女の区分」等で“抽出させない”、ということに過ぎないのだろうか。

おそらく後者なのだろうとは思うが・・・確かに、“こいつは金がないから広告なんか見せてもしょうがないだろう”などと企業に恣意的に選別されるのは、あまり気分がいいことではないし、それを差別的、ということにも一定の同意はする。だがもし、これでシステムそのものが問題視されるようなら、それこそFacebookに対する“いじめ”と言われても仕方ないのではないだろうか?

どう考えても、それって広告媒体であるFacebookの問題ではないよね。むしろ、例えば「保険会社は個人の遺伝子情報を保険販売の際に利用してはいけない」というような、利用者(広告主)側のモラルの問題、ではないのか。
だから、市民団体は、「Facebookけしからん!」ではなく、「広告主たちよ、Facebook利用の際はしっかりモラルを守れ!」と問題提起をするべき話だ。Facebookに苦情を言うとすれば、せいぜい、「Facebookよ、しっかり広告主を教育し、モラルを守らせるようにせよ」くらいかな(そういう意味では、今後、確かにルール化は必要だろう)。

今の「One to Oneマーケティング」の世界ではIT大手に限らずほとんどの企業は個人データを収集し、マーケティング活用している。企業で一元管理された情報をDMP(データ・マネジメント・プラットフォーム)などを介して、外部企業のデータとマッチさせてより精度の高いアプローチができるエコシステムが出来上がっている。
もし、「Facebookのような顧客選別を提供できるプラットフォームがあることが問題だ」などと言い出すと、現在のデジタルマーケティングそのものが否定されることになりかねない。さすがに、そんなばかげた話はなかろうが。

前々回の記事にも書いたが、今アメリカでFacebookのみ問題視されている現状には、「反トランプ陣営のプロパガンダ説」という話が出たりしている。個人的に陰謀論は大好きで楽しんでいるが、今のFacebookへの風当たりやメディア報道を見ると、これはマジだろ? と思ってしまうし、もしそうであればアメリカという国の、国民のなんと情けないことか(当然、こんな話はアメリカに限らず世界中にあるのだが)。

もちろん、そんな陰謀論とは全く違う背景として、GAFAにデータが集中して公正な競争を阻んでいる、という“事実”もあるため、多くは広告モデルを持つ巨大IT企業そのものの問題、としてこの“差別”問題は継続していくのかもしれない。

とはいえ、もし、媒体側が選別する仕組みをつくったことが差別、というのもおかしな話だ。だったらむしろ、選別される側の個人に実害の少ない「広告」などではなく、中国のアリババやテンセントの『ジーマ信用』など「社会信用スコア」の方を問題にしてほしいのだが。こちらは広告どころでなく、個人に対する企業活動そのものを制約するもので、個人データによる“人民選別”そのものだから。そっちがOKでただの広告に問題がある、というのは全く理解できない。
中国はやや行き過ぎているが、みずほ銀行がソフトバンクと組んでやろうとしていることも同じような方向だろうし、こっちの方はグローバルに問題意識の共有が必要な気がする。

一方で、昨今のEUのGDPRの流れもあって、個人側にデータ供給の主導権を持たせるべく仕組みづくりが検討されている。その一つが「情報銀行」で、これは個人がデータをPDS(パーソナル・データ・ストア)で管理することを前提に、情報銀行に信託し、適切に“運用”、つまり、正しく本人の意思に従った情報提供を行ってもらう、という仕組みだ。
とはいえ、すでに個人データを集めに集めているGAFAや日系含むIT企業の存在もあり、多くの人は情報銀行にあまり価値を感じていないとも聞く。

この記事に関しては、今のところあまり情報がないので、憶測は避けたいと思う。いずれにせよ、今のFacebookを取り巻く環境が周りに波及し、来るIoT時代に向けた“超データマーケティング時代”の到来をさえぎってしまうことになるのかどうか(いや、まさかね)、動向を注視しておこう。

カオスから安心へ?

●仮想通貨の「暗号資産」への変更、20年6月までに 法案を閣議決定(2019/3/15 ロイター通信)
https://jp.reuters.com/article/jp-crypto-currency-idJPKCN1QW0WY

資金決済法、金融証券取引法の改正およびもろもろの政省令施行を2020年6月までに実施。ICO(Initial Coin Offering)のうちSTO(Security Token Offering)は金商法の適応を明示。そして、仮想通貨取引所のアセット積み義務化など、投資家保護を徹底することになる。
カオス通貨だった仮想通貨が暗号資産となって、さて、安心資産となりますか否か?

いわゆるユーティリティ・トークンについては、金商法の適応外、ということになるのだろう。それでも、先日、日経で読んだが、スイスではICO全般でKYC(顧客確認)の義務化を明示しているそうなので、そういった義務は募集者に科すことになるのだろう。
以前、ICOへの悪評があまりにもひどかったので、不適切な世論誘導をすべきではない、と記事を書いたが、STOが金商法規制の対象となることで、長期的には信頼回復していくことだろう。ブロックチェーンという記帳システムを利用するのに適した投資対象は無尽蔵にありそうだから、投資家が興味を示す様々な、新たな切り口の「金融商品」が今後、いろいろと登場してくることになるのだろう。有価証券ではなくデジタルデータであるトークンが管理対象になる証券会社など金融機関は、これまでのリソースをガラッと改めてよりコンパクトな体制に変換していくのかもしれない(とはいえ、現在の有価証券管理も、実態はデータ管理なのだが。。いろいろと余計な手間をかけている気はするが)。

STOが主流になると、一方でユーティリティ・トークンのICOなどというものが存在しうるのか? という疑問もわく。投資家には、「あなたが投資する対象は、資産の裏付けが何もないものですよ」と伝えるのが前提となるが、このハードルは投資家あるいは募集勧誘する者にとっては相当高い。
とはいえ、“トークンを広めることで、作り上げるプラットフォーム(など)に大きな価値ができる”という「大儀」を掲げることで、現在の事前購入型クラウドファンディングの投資家層、つまり、リターンのみを求めずその事業の実現に対する社会的意義を認める人にはアピールする場面があるかもしれない。あるいは、その“新たに生まれる価値”、例えばプラットフォーム上で新規ビジネスを行いたい、と思うシナジーを持つ人が、お金を出して一緒になってその実現を目指そう、という参加の仕方もあるだろう。むしろ、そういう事業パートナー的な人たちが集まって新たな価値創造を行うのが、ユーティリティ・トークン型ICO、という棲み分けになってくるかもしれない。

●mface投資、ウソの宣伝容疑 全国181億円集金か(2019/3/13 朝日新聞デジタル)
https://www.asahi.com/articles/ASM3D7309M3DUTIL04G.html

数日巷をにぎわしていたニュースらしいが、昨晩、知人に教えてもらってはじめて知った。
181億円・・・本当になんともはや。。被害にあわれた方々には心から同情するが、一方で、世の中にはなんでこんなに詐欺案件ばかり蔓延しているのだろう、と悲しくなった。
豊田商事以来(?)この手のノウハウがマニュアル化され、被害者リストが出回っていたり、積極的に悪事を働こうとする勢力にはナレッジの蓄積がなされているようだ。

Mface自体はMコインなるオープンマーケットで価格変動するクーポン(仮想通貨とは違うのだろうか?)への投資と、マレーシアのSNSの広告枠に投資することで、よくわからないが「富豪になれますよ」ということのようだ。

富豪になれるとは思わないが、個人的には、少し裏側に興味があるかな。
自分は広告を含むデジタルマーケティングについても、仮想通貨(暗号資産)についても、投資や投機対象としてよりは、むしろ仕組み側に興味がある。なので、今回の詐欺案件は詐欺案件なりに、どんなラッパを吹いていたのかが気になる。
この件については、後追いで調べてみようかな、と思う次第。

結局、結論はないのですが

久々の投稿になる。あれやこれやで投稿をおろそかにしていたが、ちょっと心機一転。とはいえ、これからも気が向いたときに気が向いたことを書いていくつもり。

●「『プライバシー最優先』 フェイスブックが転換模索」(2019/3/8 2:00日本経済新聞 電子版)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42175610X00C19A3EA2000/
●「ドコモが会員データ開放 7000万人分、協業先に有償で 」(2019/3/9 1:30日本経済新聞 電子版)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42214770Y9A300C1MM8000/

ほぼ一日を挟んで、日米の情報巨人(?)からの真逆の趣旨の声明。かたや「もう個人データを使ってバンバン商いすることはしません」、一方「これからジャンジャン、個人データで稼ぎまっせ」。
もちろん記事は、そんな短絡的な内容ではない。とはいえ、与える印象の違いには驚かされる。
これを「日本の企業は周回遅れ」「GDPRの施行もあって、これから、個人データを活用したビジネスはシュリンクしていくはず」などと評するのはどうだろう? 自分は、それは『読み違え』だと思う。
GDPRやe-プライバシー規則でいくら“個人情報取得”や“移転”のルールを厳格化するとしても、そうして得た経営資源(個人データ)を金に換えていこうとする動きはとどまらないのではないだろうか。むしろ、とどめる必要があるのだろうか。
ここで、したり顔で「(個人が特定されない、層としての)ビッグデータ利活用と個人データは別物だよね」などと言わないでいただきたい。その両者の元ネタは結局は個人データであり、層としての行動も、個人属性情報などで区分されるわけだから。結局は「属性」ともろもろの「履歴」を紐づけする個人を特定するなにがしかのキーが利用されているはずなのだから。
マーケティングの世界ではここ数年、「One to oneマーケティングの時代が来た」と言われている。企業は自社で集めた、見込みを含む顧客情報をデジタル経営ツール(CRM、SFA、BIやなんやかや(笑))を利用して集約し解析し戦略的に活用している。さらに外部企業の持つデータと連携させ、戦略性をより精度を上げようと(DMP、MAやなんやかや(笑))している。個人的には薄気味が悪いリターゲティング広告だって、より精緻に顧客ニーズに対応したい企業や、膨大な個人データを有効活用したい企業、ソリューションを提供する企業たちの美しい(?)商行為、経済行為であるわけで。
もちろん、「それを一社内で抱えていれば問題ないわけでしょ。問題は、勝手に他人(社)に持ってかれて利用されていることなんだから」と言われたら、それはそうかもしれないけれど、だからといって、大量の個人データを抱える企業にとっては、それを商売のネタにできなければ宝の持ち腐れじゃないですか。
GDPRあるいはe-プライバシー規則の問題は、たしかに情報がGAFAなどに集中し、公正な競争を阻害しかねない、という観点では、一方向に勢いよく流れすぎた時代のスピードを緩和させるものだろう。個人データを無意識に提供され続ける側の(哀れな子羊たる)個人個人としては、これまで全く気付かないうちに家中に白アリの巣が出来上がっていたのを知るような愕然とした気持ちになるのはよく理解できる。特に、これから「IoT」で個人(というか個人が利用する各デバイス)から取得されるもろもろの履歴情報の量を考えた場合、その薄気味悪さタルヤ・・・。
だからと言って、「個人データを利用した広範な商行為すべてを禁止しよう」というのはあまりにドン・キホーテ的すぎるし、そこまでは誰も言っていない、と思う。「何に利用されるかさえ分かっていれば、仕方がない」「何か対価をもらえるなら、我慢する」「便利な世の中になるのであれば、仕方がない」だいたいこんな感じなんではないだろうか。あるいは、「商行為までは許すけれど、『統治者』の管理に利用されるのは絶対いや」「行動履歴で人間の価値をランク付けされるのは悲しいな」とか。

●「グーグル系が開発先行 アップルも追撃」(2019/2/9付日本経済新聞 朝刊)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO41106660Y9A200C1TJ2000/

何年か前、確か弁護士先生たちの勉強会にお邪魔させてもらったとき、「グーグルは世界中のあらゆる情報を集めて、要は、世界一のAIを作ろうとしているんですよ」と誰かがおっしゃっていたような気がする(おぼろげな記憶なのであてにならないが)。
自動運転のウェイモ(グーグル)の自動運転の性能が群を抜いている、と聞いても驚かない。むしろ、「走るってことは、足腰ではなく頭脳のほうが大事なんだ」と気づかされたりする。
日本国民としてはトヨタ・ソフトバンクに頑張ってほしいが、足腰の強さは断トツな(?)トヨタでも、お勉強(AI開発、それに伴う提供データ量)のほうはライバルに先行されているかなあ。「受験は、いつ勉強を始めるかにかかってるんです!」学習塾の先生は、やはり正しかったのかなぁ。日産(ルノー)などは、もしウェイモ陣営に入るのなら「俺、もう体育推薦でいいや。パートナーが賢い奴だと、お得だよね」などと言うのだろうか。

さて、最初の記事に話を戻すと、フェイスブックが「プライバシーを最優先」などというのは、あくまでもポーズ(?)であり、GDPRや個人データ取得・利用のルールは順守するけれども、経営の軸はやはり膨大な個人データを源泉にしたビジネスモデルになるだろうし、広い意味で広告モデル、というか、自身をメディアの立ち位置に置いた、第三者からお金を得るモデルを中心とすることになるのだろうと思うのだが、どうだろうか。
「フェイスブック“だけ”がアメリカで過剰にたたかれているのは、結局は反トランプ陣営の印象操作なんでしょ」などという人がいる。その真偽のほどはわからないが、もしそうなら、ザッカーバーグには少し同情するかな。
そのトランプ(というか、共和党、あるいは米国の総意として)は中国のデジタル覇権狙いに強烈なパンチを打ち込んで強くけん制を続けている。
本当に、世の中はあっという間に変化するなあ、と思わされる。市井で生きる我々としては、この変化をどう見極めるか、ということと、さりながら、自分はどう考えるのか、という軸をもって生きなければならないのだろうな、と思う、、、今日この頃。

いいと思います。あとは・・・ その3

続き

<3>文中にテスラの例を挙げられていますが、大いに示唆的に思います。
テスラはイーロン・マスクの強いベンチャー精神を背景に、ここ数年で急激に成長しています。その躍進は、彼自身が持つ「地球はこのままでは持たない。人類を火星に移住させる!」という常人離れしたビジョンと強迫観念にも似た問題意識が礎になっています。良し悪しは別にして、彼の“個の力”が求心力となり、テスラやソーラーシティーあるいはスペースXの存在が指し示す「未来」に人々が共感したことで資金や人材が集まって今のテスラがあり、そしてそれが近未来の社会構造を変えつつあるように思います。
それは、既存のエネルギー構造からの転換であり、多軸化するエネルギーを効率利用するスマートグリッドがあり、同じくネットにつながるIoTがあり、さらにビッグデータを活用し飛躍的に性能を向上させるAIがそれらを制御する、という今と全く連続性がない社会観です。

<4>そんな中で既存の自動車はネットにつながる家電の一つにすぎなくなります。大量な部品メーカーの労働集約型の現在の大きな自動車業界が、組み立て型パソコンのような単純な小さい業界へとシュリンクしてしまうリスクもありますし、自動運転技術の進化とシェアリング・エコノミーの浸透により、下手をすれば消費対象としての自動車の経済規模は現在より大きく減退してしまうかもしれません。
5年前の「311」の後で、上記のような“スマート社会(?)”への転換についての議論が経済界でなされていた記憶があります。当時、日本は電気自動車では三菱自動車や日産など世界の最先端に居たと思いますし、ソニーはじめ伝統的に蓄電池技術などはそれまで世界の最先端でした。この時期、「HEMS」など省電力システムに家電化された電気自動車をどう活用するか、といった社会構造の転換についても、大いに議論があったはずです。

<5>しかし、テスラがいつの間にか世界の電気自動車の流れの中心に座ってしまった間に、三菱自動車は不祥事で自壊し、ソニーもリチウム電池事業を売却し、HEMSなどの取り組みも“家庭”の枠を超越できず“社会構造の変革”まで届かないまま足踏みしています。
経済成長のプロセスとして、個の力をもとにした挑戦を周りが信任しサポートすることで拡張していくアメリカ型の経済成長モデルと、官庁や経団連等が利益調整しながら社会全体を底上げしていこうとする日本型の経済成長モデルがあり、現時点では日本型がアメリカ型に完敗しています。私は必ずしもアメリカ型を礼賛するつもりではありませんし、バブル期までは日本型の方が大いに躍進できたこともあったと思います。しかし、大きなパラダイムシフトの時代においては、前例踏襲を是としがちな利益調整型では、機動力のあるチャレンジ先行型の社会に負けてしまう確率が高いと思います。

<6>特に、グローバル化し、今や発展途上国すらライバルになっている現在、機動性のなさは将来において致命的な結果をもたらしかねません。
テスラと日本の自動車産業との比較では、調整型で自縄自縛になってしまった日本社会がイーロン・マスクという個人に敗れたようなそんな寂しさを感じています。
(一方、トヨタをはじめとする燃料電池・水素エネルギーの活用という方針は、世界のエネルギー構造が多軸化する中で場合によっては先見性のある取り組みかもしれず、それはそれで非常に期待するところではあります。)
先に、今の日本の問題を「老化現象」と呼ぶべきではない、と書きました。私はむしろ、日本社会に根付いた日和見主義や前例踏襲主義、そして調整型社会構造のもたらす害悪にこそ目を向けるべきだと思います。
日本人は一人ひとり非常に優秀だと思います。しかし、周りを気にして空気を読みすぎるきらいがあります。

<7>現在、その傾向は行き過ぎており、私たちの周りには“出る杭をたたく”“足を引っ張りあう”息苦しい社会が広がっています。その澱んだ社会の中で、人々は(老人や中年だけでなく、若者や子供たちも)変化を恐れ、変わらないことのみを是とすることが当たり前になっています。
この日本の病巣を何と名付けるべきか・・・周りを気にしすぎる「ヒラメ病」などはいかがでしょう? いや、名称はともかく・・・日経あるいは日経ビジネスなどのメディアには「ゆでガエル」などの特定の世代論ではなく、老若男女を貫通する「日本病」として広く問題意識を喚起してほしいと思います。
私個人のチャレンジは、なかなか思うような成果をもたらさない日々が続いています。そんな現状にネガティブな気持ちで覆われ塞いでしまうことが多々あります。ですが、自分はゆでガエル世代などではなく「まだまだ若いのだ」と、日々揺れ動きながらも思っています。
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取り留めない内容になったが、いまださまよい続けている自分の中に通底している思いを、今回は書いた気がする。

いいと思います。あとは・・・ その2

先日、大先輩の金融マン(フィクサー?)からベンチャーが大企業にアプローチすることへのアドバイスをいただいた。
「彼らの“世界”に出入りするための条件がクリアされなければ、その世界に入れてすらもらえない」
「それは、一つは革新的なコンセプトやマーケットなどを持つか、ということだが、もう一つは、『顔』が認識されること(≒信用)だ」
「彼らの世界の中に“す~っと”入ることができる要素をベンチャー側がどれだけ備えているかが大事だ」
「大企業は嫉妬の世界。特にベンチャーに対しては一段も二段も下に見ているので、すぐ嫉妬の対象になる(あんな奴はたいしたことないよ、的な)」
「本来は全く新しいコンセプトを生み出した人(ベンチャー)が偉いが、立場が低い相手には、彼らは平然と『これは最初に自分たちが作った』と主張する」
要するに、ほとんどの場合、大企業に対するベンチャーのアプローチは傲岸で尊大な大企業側によって門前払いされ、その上で果実すら奪われてしまうことすらあるのだ、ということを、その方はおっしゃったのかな、と思う。現実は間違いなく、その通りなのだろう。

先述の経産省と大企業(そして経団連)のこの分野への“お墨付き”を与えるプロジェクトは、どうしたってそういう“上から目線”“選別者側の価値観”を包含している。
自分などは、その目線を“変える”ことが日本が“変わる”チャンスになると思うのだが・・・それは想像以上に難しいのだろうな、とも思う。

このブログで再三アピールしているわが企画『真央ちゃんになりたい!』では、大企業で組織に属し、権威主義的に働いている主人公の父親が社内の抗争に敗れ、古い友人が始めた新規ビジネスをベンチャーとして海外で始める、という設定にした。父親が「自分こそが変わらなければ」と思うきっかけは、大切な一人息子が精いっぱい生きようとしている真摯な姿を“我がこと”として捉える“価値変容”をしたからだ。
やはり、この企画はまだまだ古くない。。これからまだあきらめずに実現を目指したい。

話は変わるが、今から2年ちょっと前に、ネット上でSさんというあるIT企業の元経営者が「テスラの躍進(※)を見るに、日本企業のエネルギーの無さは組織自体が高齢化しているからではないか?」という記事を書いておられた。
※ 当時のテスラは今と違い、本当に飛ぶ鳥を落とす勢いだったので
その方のご意見に大いに賛同し、コメント欄から勝手に我が意見を送ったのが以下の文章だ(Sさんに届いたかどうかもわからない)。相変わらず粗忽な行動だったな、とは思っているが、文章自体は、今読み返しても、悪くない気がしている。

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<1>私は、最近日経ビジネスで「ゆでガエル」と評される50代に差し掛かろうとする「バブル世代」に位置づけられる者です。
さりながら、自分としてはここ10年間ほど「世界は大きく変化しつつある。このままではいけない。我々は変わらなければ」という危機感をベースに、あるチャレンジを継続しています。残念ながらそのチャレンジは一向に花咲き実を結ばないものの、葉は茂ってきていると信じ、前を向いて進んでいます。
S様がおっしゃる「人間だけでなく、経済成長の担い手である企業も高齢化して、無難に過去から蓄積した事業を守ることに執心し、リスクばかりが見える新しい事業に取り組むエネルギーが枯渇してしまっているのだろうか」という問題意識はまさにその通りだと思います。失われた20数年を経ていまだに“変われない”のは、日本社会全体が老化現象を起こしているのでしょう。

<2>しかし、この社会を変革するためには「世代が入れ替わって若い世代が台頭するのを待つしかない」ということではないと思います。確かに現在、若い世代にチャレンジングなベンチャースピリットを持ち世界を視野に動き出している人が増えてきています。彼らや五輪で活躍する若きチャレンジャーたちには快哉を叫ぶできです。
一方、同じ世代の大半は、これまでの大多数の日本人同様、あるいはそれ以上に「寄らば大樹」志向が強く・・・これは非正規雇用などで広がる格差を背景にしているため、一概に責められる話ではないのですが・・・むしろ、社会全体としてはより保守化している側面も見受けられます。
ですから私は、これは単純な世代論などではない、という認識を社会全体が共有しなければならないと思いますし、問題を「老化現象」という言葉で表現しては誤解を招きかねない、と危惧しています。

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