「金融サービス仲介業」のニュース

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54882830X20C20A1MM8000/

 

いい、悪い、ではなく、金融ビジネスの進化の過程を感じるニュース。

実は、自分の知人のとある金融ビジネスの経営者は、この記事に書いてあるようなワンストップ型の金融サービスの立ち上げを画策していた。フロントに大きな人員を要さず、ほぼインターネットで完結できるビジネスモデルで、そこには送金サービスも含まれていた。その後どうなったかは知らないが、この記事は彼にとっては朗報なのだろうな。

 

昔からの大きな組織、つまり銀行だの証券会社だの保険会社だの、そういった枠組みが急速に“古く”なりつつあるのを感じる。

一方で、今回の動きは、それまでに蠢いていた「組織」から「個(人間)」へ、という流れも超えて金融サービスにディスラプション((創造的)破壊)を起こすものだ。

例えば、リテール向け証券ビジネスでは、これまで〇〇証券という、多くは総合証券会社に所属する営業マンが顧客と対面して金融商品の説明販売を行っていた。現在、IFAという独立系の(フロント・サイドの)営業マンがそういった大きな組織から離脱し、独立して自らの能力とネットワークで商いする生態系ができつつある。

しかし、今回の流れは、「組織」→「個(人間)」を超えて、「組織」→「システム(AIなど)」の動きを促進していきそうだ。

 

金融商品の販売にフロントで「個(人間)」が絡む場合、金融商品仲介業(IFA)の登録が必要で、IFA事業者などが複数の事業(保険など)を兼業で営もうとする場合は、保険募集人など個々に登録が要求される。要登録事業以外の兼業でもお上への事前申請が前提になるし、投資家保護の観点から金融検査もしっかりされるため、アドミ関連のコストもかかり、せっかく「個(人間)」の力や彼らの緩やかなネットワーク力で稼ぎたい、と思ってもなかなか難しい状況もあった。金融当局が「組織」→「個(人間)」の流れ自体に懐疑的なせいなのかな、と思ったりもしていた。

 

今回の「金融サービス仲介業」という新業種には「個(人間)」を介さない利点が満載だ。「利用者の預金残高などをもとに個人の需要に合った商品を提案することもできるようになる」と書いてあるが、過去の取引データや登録属性データ、あるいは許諾を受けた外部提供データなどと組み合わせたAIによるレコメンド機能などが想像される。

事前に顧客のリスク指向を調査しライフプランを描かせ、資金需要を見込ませ、あくまでも自己判断としての金融商品投資を促す。家計簿ツールなど外部データとの連携などでより顧客に“合った”商品提案を行っていく。血縁関係や親世代の資産状況なども考慮に入れるとより精緻な資金・投資金融商品需要が見込めるのかもしれない。

そうなると、やっぱり、いずれ多くの「個(人間)」は不要になるかな。当然、古い「組織」の機能も一部は「システム(AI)」に代替されるだろう。そんな未来はもう少し先かと思っていたが、来年あたりから加速度的に始まっていくのかもしれない。

 

さて、自分がこの記事で注目した点は、実はそんな感傷的な部分だけではない。

資金決済法の改正で、資金決済にかかわる業者を (1)100万円超の高額送金 (2)現行(※)と同じ (3)数万円までの少額送金――の3つに区分する、という点だ。

※銀行以外でも資金移動業の登録をとれば100万円まで送金事業を手掛けることができる

 

自分はここにも書いた通り、これからの金融および決済ビジネスは、コミュニティや特定の経済圏をベースに複数形成されるだろう、という予測を漠然としている(それに基づき、自分が動いているプランもある)。

デジタル通貨(決済手段)が乱立し吸収合併を繰り返しながら、決済データの収集を中心に個人データを集めて提供サービスを競うことで、金融ビジネスはe-コマースの一環に位置付けられることになるかもしれない、と思ったりする。

そういった決済ビジネスの道順が示された、ということなのだろう。

 

今回の記事は、自分を含めた金融をバックボーンにする多くの者(特にロートル)にとってはピンチな内容かもしれない。しかし、ピンチをチャンスにする気概を持って、新しい世の中を想定し、自らビジネスをクリエイトしたいし、願わくば自分のような考えに賛同してくれる人が増えてくれれば、と思う。

Googleのクッキー提供廃止

●米グーグル、ネット利用者の閲覧データ提供取りやめ(日経 2020/1/16)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54437490V10C20A1MM8000/

ついに、というビッグニュース。GoogleがついにブラウザーChromeの(サードパーティ)クッキーを外部提供しないことを発表した。GDPRなど個人情報保護の機運が急速に進み、結果、現在のアドテクが根幹から変わることになる。もうリターゲティング広告は廃れることになるのだろうな。

そんなアドテクのエコシステムの参加者は死活問題になるところもあるだろう。アドテクの領域には、クッキーを集めオーディエンスデータをセグメント化して販売するデータエクスチェンジャーや、複数の広告枠をつなげて取引するアドネットワークやアドエクスチェンジ、DSPやSSPというRTB(リアルタイム・ビッティング)の取引システム提供者、あるいは企業のマーケティングデータと連携させるDMPといった広大な領域が広がっている。こういった様々な領域のどの分野、どの企業が生き残れて、どの分野が廃れるのかな。すでに、GDPRの施行や個人データ保護法(クッキー法)の観点でデータエクスチェンジャーやDMPの立ち位置が問われていたのだと思うが、正直、この業界の現状はほとんど把握できていなかった(もともとこの分野への知見が浅いのでね)。

少しネットでこの記事への意見などの情報をさらったが、もともとサードパーティ・クッキー由来のデータは信頼性が低いので、今回のグーグルの措置の影響は薄いのでは、という声もあった。むしろ、人知れず莫大な個人データを集め続けるグーグルへの「悪の帝国化(?)」懸念の声のほうが多いかもしれない。

上記記事には「クッキーを利用した顧客分析を導入している企業も多いが、今後は難しくなる。外部からのクッキー収集に頼らず、自社で直接、消費者のニーズを探る取り組みも必要になる。グーグルは、企業向けにクッキー利用に代わる個人分析の新技術の開発を進める方針も明らかにした。各企業は、新技術への対応も求められる。」とある。

いずれにせよ、時代は“次”に移っているわけだ。

さて、話は変わるが、これまで何度かいろいろな人に語ってきたのだが、自分は個人の関心(≒情報)と企業などのニーズと資金を“つなげる”ビジネスは今後、様々な形で広がっていく気がしている。そして、「金融」(特にリテール)と呼ばれていた領域はそういった方向性に一部シフトしていくとも思っていて、現在、自分が推進しているものも新しい「金融」ビジネスに発展するかもしれない、と漠然と思っているHPにあるとおり、「アド・コマース(広告付き販売)」という言い方で説明しているが、「広告」というと誤解を招くかもしれない(これは企業も個人も参加できるので)。

ウェブ広告の世界が“次”のフェーズに向かう中、この新たな概念が存在感を示すことができれば・・・できるだろうか。。。できますとも!(たぶん)

みずほとソフトバンクの情報銀行に思う(乱文)

少し前のニュースだが、みずほ銀行とソフトバンクが共同出資するJスコアが情報銀行の事業者認定を受ける、という話が出ていた。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO53746110U9A221C1EE9000/(日経 2019/12/25「みずほ、情報銀行に参入。ソフトバンクと共同で」)

記事にもあったが、これまで認可された、あるいは申請を行っている情報銀行(三菱UFJ信託、三井住友信託、フェリカポケットマーケティング、電通(系)など)は、どちらかというとまだ“試運転”の様子だが、Jスコアはすでに100万人の会員を持っている。

今回の記事では、現在のJスコア社の100万人の会員のみならず、将来的にはみずほ銀行やソフトバンクの顧客基盤を連携させる方向を示唆している。これについては先行していた三菱UFJ信託なども同じ考えだったと思うが、個人的にはソフトバンクと組んだみずほの優位性を感じる。

このブログでも時々注目してきた(ここここここ)が、情報銀行というのは、個人データ、つまりいわば個々人の行動や考えを反映した多くの情報を企業マーケティングに活用させる接着点のサービスで、その対価がデータ提供した個人に還元されるビジネスモデルだ。その運営のためには適正な個人データの管理力と、データ提供先の企業の精査力が要求される。

Jスコアの場合、AIで信用スコアを算出し、そのスコアに応じた特典やサービスが享受できるというもので、将来はみずほ銀行の決済データなどを適正管理の上、提携先企業のマーケティング等にも提供し、顧客はその対価をもらうことになるのだろう。
まさに中国が先行し普及しているアリババの「芝麻(ジーマ」信用」テンセントの「テンセントクレジット」を倣ったものといえるだろう。

中国は今や金融関連ビジネスのIT化が最も進んでいて、日本の金融業界は取り残されている感がある。同様に中国はQRコード決済がいきわたり、日本や欧米では銀行や金融機関が担っていた業務が多くIT系企業が運営する形になっている。
日本でも各銀行はQR決済サービスを行う企業と業務提携を行いだしているが、銀行の“中の人”は「あくまでも一つの勉強として」というやや消極的なスタンスのようにも見受けられる。
実際、先日立ち話したとある地銀の人は、「日本は高齢者が多いので、電子決済が主流になるにはまだ10年かかると思いますよ」と言っていた。

日本では現金至上主義の人がまだ多いが、世界を見るとむしろ少数派で、電子決済の比率が非常に高くなっている。例えば、現金流通が多い日本はATMや両替機のニーズがあるが、電子決済が主流になればそういった機械は不要になるし、銀行内の資金決済周りで働く人々は不要になっていく。企業としての銀行にはいい話だが、従業員は職を失うことになる(とはいえ、今でも銀行の店頭はほぼ皆が派遣社員で、コストカットは進んでいるのだが)。
中国でもまだATMのニーズはある、という声もあるが(参考:昨年の富士通子会社による記事 https://www.fujitsu.com/jp/group/fri/knowledge/ideatank/2018/2018-12-3.html)、そんなに安穏と構えていて大丈夫なのだろうか。あちらとこちらでは時間の進み方がまるで違う。
もちろん、日本の銀行や金融業務従事者の中にも危機感を持っている人は多いと思うが、時代の変化は我々が思うよりはるかに速く、日本は取り残されるリスクがある。
よく言われるが、中国は個人情報保護の概念が薄くその情報は最終的には国家、つまりは共産党に集約されるともいわれる(一方、その他へのデータ移転についてはしっかりガードしている)。AIの進化のカギは大量のビッグデータと言われ、その面では日本や欧米はじめ先進国に比べ格段に優位な位置にあるともいえる。

一方、欧州ではGDPRを施行し個人データを個人固有の権利としてその流通に制限をかける方向でシフトしている。アメリカでもGAFAはじめ巨大IT企業は、これまでのデータ独占から個人データをしっかり管理し、使用用途をしっかり開示し個人から許諾を受ける方向に流れが変わり始めている。
今年のG20でも個人データ流通の国際的なルール整備が議題に上がっており、議長国だった日本が推進を始めた情報銀行(情報信託機能)の行方がどうなるかは様々なところで興味を持たれているだろう。

「情報銀行」(あるいは「情報信託機能」)という名前からか銀行からのサービス参入が多いが、個人的には、その動きには疑問を持ってきた(参照、昨年のブログ)。むしろ、データベース管理のシステムを提供するIT企業や(―①)、様々な企業とのマッチングを生業とする企業(―②)がそこを担うべきであるようにも思う。
ブログで以前書いたが、(世界的に悪名高い?)金融当局による検査監査で縛りを入れられるように、信託という形態をとりたかったのではないか、といううがった見方もしている。
実際、情報銀行では個人情報提供の対価としてサービスなりポイントなりを提供し、そのポイントは現金化できる場合もある(実際、電通系のマイ・データ・インテリジェンス(MDI)は複数のキャッシュ交換可能な決済手段との互換性をうたっている)。大きなくくりで「金融」のルールで縛ろうと思えば強引にできなくもない、と思っ(危惧し?)たりもする。

よくわかっていないままで僭越だが、個人的には①と②の機能を分け、②のマッチング企業にシステム提供するIT企業を個人情報を管理するカストディーとして①とし、②には銀行だけでなく、e-コマース含む様々な事業者が名乗りを上げるような形態がわかりやすいと思う。
つまり、データ管理はシステム管理能力の高いIT系のみとし、マッチング・ビジネスは銀行はじめ流通系でtoCを行うすべての顧客関連ビジネスが対象で、SNSなどのビジネス形態もそこには含まれるかもしれない。
この場合、①とつながるすべての②のマッチング・ビジネスの主体は、KYC(顧客の本人確認)など一定のルール化の下に置かれなければならなくなる。銀行もQR決済手段やポイント提供するSNSなども、統一されたルールに縛られることになるのかもしれない。
電子マネー・少額なら現金と交換が可能な各種ポイントは、(すでに資金移動業や電子決済等代行業などの縛りはあるが)主に銀行が縛られている法定通貨の決済にかかるルール側に縛られていくことになるのかもしれない。その場合は仮想通貨(暗号資産)についても同じ方向性になっていくことが考えられる。
現在、手を挙げているすべての情報銀行が電子マネー的なものとの交換を考えていないかもしれないので、すべてが金融側のルールに縛られる、というわけではないかもしれないし、「決済手段」と「個人情報」はあくまでも別のテーマなので、それらを混同してはいけないけれど。
なお、こういった考えは、マネロン対策を考えると妥当にも思えるし、逆にすべての決済サービスに公的機関のチェックが入る状態というのは、健全ではないという気もする。

さて、このところ銀行や証券会社などの既存金融機関で働く従業員の閉そく感が語られて久しい。与信行為や金融商品ないし保険商品の販売といった現行のビジネスは、今後どんどん人間の手を離れ、AIの発達に伴い、上記の情報銀行などをベースに収集された個人のビッグデータを解析したうえで個々人に適正と思われる提案を自動的に行うようになってくるだろう。
つまり、これまで顧客回りの仕事や与信や販売の管理などにかかわってきた多くの金融事者は実質的に職を失うであろうことが見込まれる。必然的に金融機関自体がこれまでとは形を大きく変えて、e-コマース全般の中に集約されてしまうのかもしれない。
取り扱う商品やサービスが何かにかかわらず、データ管理ビジネスが中軸にあり、e-コマースそれに連なる形で複数存在する一方で、横ぐしをさすようにSNSのような横断的なコミュニティーサービスがますます存在感を増していくように思う。
そして、それぞれの新しい形の“共同体”や“経済圏”に関与する人たちの決済行為を共通化させる方向に行くようにも思う。
例えば現在、メルカリは「中古品CtoCマーケット(コミュニティ)」を作り、その基軸通貨たるメルペイを擁し世界市場を開拓しようとしている。そういった様々な“共同体”や“経済圏”が、国内のみならず世界をまたにかけた形で、これから様々にできていくのだろう。

さて、では今後、職にあぶれるであろう金融ビジネス従事者はどうすればいいのだろうか。当然、置かれた立場や能力は人それぞれに違うので一概には言えないが、一言でいえば、様々な経済圏が形成される過程で、「ハブ&スポーク」でいう「ハブ」になるよう努力して動かなければならないのではないか。
まだ人と人とのコミュニケーションには“ハイタッチ”(face to faceでのつながり)が求められる要素が大きい。
例えば今、証券会社では野村證券やSBI証券などが地銀と組むなどして、顧客紹介ビジネスのウエイトを上げようと模索している様子だ。だが、そうやって「組織」が顧客を囲い込むようなやり方でうまくいくだろうか?
自分は、結局「組織」ではなく「個」あるいは「個」の連携がそれをできるか否かが重要なのではないかと思う。
例えばプライベートバンカーなどがそうであるように、金融商品販売に限定されない様々な“魅力”を携え、ハブとして人と人をつなげて(engagement)、人にできない付加価値を提供することで厳しい生き残り競争を戦っていく必要があるのではなかろうか・・・とはいえ、それだってAIによるone to oneマッチングが当たり前になった時代には無用の長物となり果てるかもしれないのだが。

「情報銀行」のニュースを入り口に、いささか脱線した感のある、まとまりのない文章になってしまった。情報銀行については、まだ自分も十分把握できていないところもあるし、考えがまとまらないままで書き出し、その結果、よくわからない内容になってしまったかもしれない・・・反省。

最後に。
自分がいま進めている新ビジネスの目的は「“徳”の経済圏」という新しいマーケットとコミュニティを作ることで、それはある種の「未来の金融ビジネス」の一つの姿かもしれない、と思ったりもしている。
自分が金融機関出身者だから我田引水したいだけなのかもしれないが。

ロケーション・インセンティブと企画開発費への私見

さて、前回の記事に続き、矢継ぎ早に。
参加した映画の国際共同製作のシンポジウムで、今年度、日本政府が海外映画のロケ誘致でインセンティブを出す“試行”を行おうとしており、その作品選定にかかっている、という話を聞いた。自分は初耳だったが、すでに公表、報道されているようだ。

ロケーション・インセンティブは、実際にロケで使用されたスタッフの人件費など、多分に経済効果を鑑みて映画製作者に金銭が支払われるという政策的支援で、今、全世界で様々な非常に大きな金額のインセンティブが助成金や基金等の方式で供出されている。
前の記事で、自分は助成金には反対の立場だ、と書いたが、それはそれ。これまで金額の少なかった映画関連の日本における政策的支援が世界から注目され、新たな経済効果、あるいは文化的にも波及効果を生むのは、単純にいいことだと思う。ロケインセ(そんな略称はないが)の場合、選定の物差しは芸術性など恣意的なものでなく、あくまで経済的なものだと思われるし。

このインセンティブ支出の“試行”は、内閣府を中心とした動きだそうだ。そう聞いてインターネットを検索したら、内閣府のHPで今年3月の「我が国のロケ撮影の改善に向けた取組の現状について」という資料が見当たった。
なかなか面白い内容で、平成29年度からずっと議論されてきたものが具現化されているらしい。実は、30年度の海外作品誘致・支援の中間とりまとめ資料には、「仮に我が国に諸外国類似のインセンティブを導入する際には、国内映像産業の現状を踏まえつつ、我が国として期待する効果を明確にし、その効果を担保するための支援基準の設定を行う必要がある」とまとめられている。

手前みそだが、これは前述記事で書いた『コンテンツファンド革命』の中で自分が提案した政策的支援への考え方そのままであり、自身の考察力の確かさを強く再認識できた。ある意味、自信になる。
もちろん、自分はこの検討会のメンバーではないし、メンバーのお偉方には直接的な知り合いは(ほぼ)いないので、こういった“見解の一致”は全くの偶然だろう。
(彼らのうち、どなたかが『コンテンツファンド革命』や政策的支援研究会の資料をお読みいただいた可能性はゼロではないが)
この偶然の一致は、自信になる一方で、そこはかとない寂しさも感じてしまう・・・結局、自分は全くかかわれてないんだよな~。残念。

昔、以前いた組織で、国際映画祭に絡め、まだ製作資金が集まっていない映画企画を集め、プロデューサーや配給会社など協業者候補とマッチングさせる国も絡んだ事業の担当者をさせていただいていたことがある。
昨年、ここでも書いたが、このマッチング事業の将来への提言として、「国際共同製作のハブ」「ロケ支援やプリセールへの金融資金供給を金融機関と行うプラットフォーム」なども盛り込んだ資料を上司に提出したりもした。
結局、この会社自体がなくなったし、その跡を継いだ公益財団からも自分は離れたので、こういった動きには全く影響を果たしていないが、一方で、自分が書いたようなビジネスが、他で着々と実現に向けて動いているようだ。これも寂しいっちゃ寂しいが、仕方がないと思うし、昨年の記事でも書いたように、実現すればいいことだと思う。
(ただし、前の記事にて紹介した「フランズ・アフマン・プロジェクト」のように、ただ資料を作っただけでなく、自分が主体となっていろんな人を巻き込んで動き回ったことが、全く外で事業化されたとすれば、それは多少ならず“へこむ”し、感情的にはどうも、、、という気がするが)

数か月前だったと思うが、とある学校の先生から、「とある省の若手が、各国の政策的支援について勉強し、今後の政策に生かしたいと思っている。サクライさんが昔まとめた資料って残ってる?」と聞かれたので、自分が公益財団の時分にまとめたものや、その後の政策的支援研究会で作成したもの、あるいはフランズ・アフマン・プロジェクトで作った一部資料も、その先生を通じて、「このままでは宝の持ち腐れなので、ぜひ、活用してほしい」とお願いしてお送りした。政策的支援については、どっちにしても役所の人しか実現させることができないので、自分が資料を持ち続けていたところで何の意味もない、と思ったからだ。
なので、この件については、自分が全く携われなくても、書いたことがなにがしかの政策に寄与していくことを期待している。送った先の役人の方が資料をご覧いただいたかもわからないので、これはあくまでも自分個人の思いとして書いた次第。

さて、話を上記内閣府資料に戻す。
29年の資料で、「官民ファンドの活用などにより、特に資金需要の高い企画開発や製作段階においてリスクマネーを供給する方策を検討」という一文が見受けられる。これはどういう話だろう。気になる。

“商品”としての映画を考えた場合、上映など流通市場での商業展開が見えない段階では、その映画(企画)は無価値に等しい。残念ながら。特に企画開発段階は「海のものとも、山のものともわからない」状況で、映画を作ろうとするプロデューサーたちは、みな、四苦八苦している。
自分も“なんちゃって映画プロデューサー”の立場であり、これまで自身の映画企画を売り込んできた立場から、企画開発段階に資金が集められないのは(数々の立派な映画プロデューサー同様)非常に大きな課題として実感している。
これは、独創的ではあるがアイディアと事業プラン以外に主たるリソースを持たないシード期のベンチャー企業にお金が集まらないのと似ている(現在の自分がまさにそれに近い立場だが)。
一方で、追加出資(調達)時にバリュエーションが変わってその分、最初にリスクをとったシード期の投資家が利得を得る可能性があるベンチャー企業に比べ、映画の場合はリスクテイクした企画段階の投資家がその後の投資家と比べて得をすることがない。

フランズ・アフマン・プロジェクトでは、企画開発期の投資家は映画への投資リスク構造を十分に理解している投資家に限定すべき、と提言していたし、一定時期にそれまでのコスト“とんとん”で新しい投資家にテイクオーバーするオプションを付けた(それ以降、継続保有も可)映画企画ファンドを提言していた。

現在、世界の映画祭などで開催される各種の映画企画マーケットには企画開発費を出すアワードが提供されているケースがある。そんなアワードなら別だが、基本的には「企画開発段階は、プロデューサーが頑張ってお金を集める」のが王道で、投資家層から集めるのは容易ではない。残念ながら。
だから上記の“官民ファンド活用”も、アワード提供ぐらいなら(人材育成などの名目で)全く問題ないが、官の資金を企画開発段階につぎ込むのは、なかなかハードルが高い、と個人的には想像する。

・・・角川のエンジェル大賞という「アワード」をいただいて自身の映画の企画開発をし、自身も人様の映画企画に協業者候補をマッチングさせる事業を担当し、金融業界を巻き込んだ映画製作の資金集めスキーム構築の努力を続けながら、方や自身の映画企画を実現させようと動いてきた自分がこういう”至極まっとうな意見”を書くと、「アンタにはどうしても映画を作りたい、っていうパッションがないよね。だから、いつまでたっても映画がが作れないんだよ」などと評されてしまうかもしれない。
そうかもしれないが、本当にパッションがない人間なら、これまでのようなチャレンジはずっと続けてないぜ、と言いたくもなる。
自分は、映画は作品であり商品だとずっと思っているので。例えば、インベスターに不義理になる資金集めなどはすべきでないと考えている。とにかく、ずっと一番欲しかったのは「企画開発費」なんですけどね。

国際共同製作とファイナンスの思い、そして新ビジネス

1か月以上ぶりの投稿になる。
さて、先日、仕事の関係で、東京国際映画祭の一環で文化庁が主催し自分が昔所属していた公益財団が共催するシンポジウムに参加した。仕事、といっても長らくチャレンジしてきた映画やコンテンツファイナンスのビジネスではなく、仕事仲間から回してもらったライター的な仕事だ。
おかげさまで、会場では(もちろん、自身の仕事を終えた後に)数名の古い知人に会い、近況報告等々をさせていただき、ありがたかった。

このシンポジウムのテーマが「国際共同製作」。つまり、日本の映画を海外の国と一緒に製作(合作)することと、それに伴う資金集めについての話だった。
実は、くだんの公益財団法人で働いていたころ担当していた仕事の一つがまさに「国際共同製作に伴う各国の政策的支援の仕組みの研究」で、自分が英文図書やインターネット情報などをもとに各国の事例を調査し、それを上司やオブザーバー参加の弁護士の先生方、有志でご参加いただいた業界の映画プロデューサーの方々にお伝えし、情報を共有し、そのメンバー内で様々な議論を交わした。

今回のシンポジウムは、その公益財団のトップが語る「国際共同製作に対する現在の国の取り組み」だったり、長年、中国で国際共同製作の窓口をしてきた方の「日中での国際共同製作」、フランスとの国際共同製作の指南者による助成金などを活用した「日仏共同製作」などが講演された。また、ご自身の国際共同製作作品ほかで世界的注目を集める映画監督で、インディペンデント映画人が集うNPO法人の中心的存在でもあり、積極的に映画の政策提言をしてこられた方や、これまで数多くの国際共同製作作品のプロデュースをしてこられた映画プロデューサーを交えたパネルディスカッションが開かれた。

今、自分はコンテンツファイナンスや国際共同製作といった領域からは離れてしまい(機会があれば携わりたいが、残念ながらそんな話が舞い込まない)、一方で新たなビジネスの立ち上げを志しているのだが、シンポジウム登壇者の話を聞きながら、ムネアツというか、熱く感じるものがあった。
(盛んに語られるフランスの国際共同製作の助成金制度の説明を聞いて「そうそう、そんなシステムですよね。いや、懐かしいなあ」などと思ったり)

さて、登壇監督はじめ国際共同製作に関する日本インディペンデント製作陣の論調はおおむね以下にまとめられる。
【現状】日本の映画産業は大手が独占し、映画の多様性を阻害している
【問題】そのため制作現場は疲弊しているが、中堅、小規模映画製作陣の灯を消すべきではない
【解決策】これを解決するために、海外に倣って政策的支援が必要だ。特に、文化助成に立脚した「助成金」を充実させるべきだ

これは長年訴えられていることで、現状分析、問題意識について、自分もその内容や思いにシンパシーを大いに感じている。しかし、解決策である「助成金」については、常に「気持ちはわかるけど、それってどうなんだろう?」と常に感じてきた。

自分が電子書籍で2013年に出版した『コンテンツファンド革命』でも、自分なりにあるべき政策的支援について考えを述べている(第4章「政策面での課題」)。この本の内容自体、【現状】と【問題】については同じ主張を書いているので、監督と自分の考えの違いは【解決策】についてだけだと思う。
自分の考えはこうだ。

【解決策】これを解決するために、日本独自の政策的支援が必要だ。経済・文化的相乗効果を狙う「税制優遇映画ファンド」とインディー支援のための「寄付税制」(認定NPOなど有効活用)の重層活用が考えられるが、そのためには映画投資家層を広く育てる必要がある(そのためには金融ビジネスの活用が重要)。

自分は金融の出身で、映画の世界に携わってからもビジネス志向を堅持してきた。様々な文化的取り組みに「金儲け」が絡むことをポジティブにとらえている。ただし、それが限定した人たちの「金儲け」になるべきではない、と思っている。

本文の中に、以下のような文章を書いた。
 この章を読まれた方の中には、読んでいて違和感を持たれた方も多いかもしれません。この本では「文化多様性を保持するためにも、良質な商業映画を作れる市場環境を整えるべきだ」と説いてきましたし、そのためにコンテンツファンドを通じて外部からの資金を映画界に還流できる仕組みが必要だ、と主張してきました。これを裏返すと、現状は、文化多様性が脅かされるほどの危機的状況なわけであって、「政策的支援を語るなら、まずは“文化支援”の観点からスタートすべきではないか」とお感じになられる方も多いのではないかと思うのです。これまで書いてきた税制優遇映画ファンドやその認定監査プロセスの説明が、余りにも“ビジネス寄り”に過ぎる、とお感じの方もいらっしゃることでしょう。
 もし、そういうご指摘が有れば、そのお言葉は甘んじて受け入れたいと思います。ですが、敢えてへそ曲がりな意見を言わせていただければ、“文化支援”のためには“産業支援”が必要ではないか、と思うのです。
 もし、「大規模商業映画に駆逐されそうな小規模映画を“文化支援”のために助成しよう」ということになると、助成金にしても、仮に“映画税”のように固定のお客様から財源を徴収するような方法にしても、国民の負担が生じることは間違いありません。また、芸術性や文化的価値といった、評点の付けがたいものが審査対象ですから、この審査は審査員側の主観に依ることになります。特に“反商業性”といった変に歪んだバイアスがかかり恣意的な選別がなされた場合、そこで選ばれた映画は・・・言葉は悪いですが、“特権的保護映画”になってしまうのではないでしょうか?

“特権的保護映画”などと聞くと、「ふざけるな! 映画芸術を解せないサルめ」「銭の亡者のサクライ、許すまじ!」など各所からアレルギー反応が来そうで怖いが、それでも“銭の亡者”の姿勢を堅持するのは、自分なりに大局的に考えてのことだ。
国庫からお役人や限られたメンバーにいいように(?)使われるよりは、民間資金を流入させ、お上がサポートする形のほうが健全だし多額の資金獲得が期待でき、多様な先に回る“可能性”がある。

さりながら“可能性”はあくまで可能性であって、これを実現するためには「映画投資愛好者」の輪を広げ、映画等へのパトロネージュ文化を国民的に醸成する必要がある。これは、さりながら大変な難題だ。
「偉そうなことを言うけど、サクライは映画に金を集められるのか?」「本でいろいろ提言しているけど、彼は評論家や解説者のつもりなんでしょうね」などと言われてしまうかもしれない。
これまで実績を出せなかったことに、誠に深く恥じ入るばかりだ。でもね・・・「俺も、見えないところでずっと頑張ってきたんっすよ~!」(涙目)

この『コンテンツファンド革命』という本は、映画・コンテンツ投資専門の第二種金融商品取引業者の設立を目指した際に書いたもので、もともとはその会社を土台に広く各所を巻き込んでいければ、と思っていた。そこで「政策的支援研究会」という会を催し、弁護士先生など様々な先にアプローチもした。しかし、同社は二種金をとったものの自分はそこから離れる結果になったし、同社の取り組みも大きなものにはならなかった。
その後、地方の映画祭の仕事を経て、「フランズ・アフマン・プロジェクト(※1)(※2)」と称した、自分の周りにいる富裕層をターゲットにする金融ビジネス従事者を巻き込んで、映画投融資の事業を興して投資家コミュニティーを形成する、というビジネスプランを各所に持ち込み、巻き込みを図った。けれど、これもうまく結実できなかった。
その後、中国資本の会社で国際的な映画製作ビジネスを! というプロジェクトにかかわった際も、グローバルな総合コンテンツファイナス事業をめざして、やはり人を巻き込んでは見るものの、期待した方向には進まず、とん挫した。

※1 フランズ・アフマンは1970年代以降にプリセールスを活用した融資でスタジオ制作以外の欧米のインディペンデント映画の資金調達に貢献した銀行家(インディペンデント映画といっても、日本とは桁違いの金額で作られている)
※2 この「フランズ・アフマン・プロジェクト」では、ファンドや純投資だけでなく、海外助成金等々を根拠にした融資や、投資型(11/22修正→融資型)クラウドファンディングの活用、目の肥えた映画投資家に限定した企画段階でのリスクマネー供給のためのファンド、日本独自の完成保証制度案などのスキームを提案していた。また、政策的支援としての税務的な案(馬主制度などを参考に)も考察した

今でも、「サクライさんは映画とファイナンスを結び付けようとしてるの? ありがたい!映画の企画があるんだけど、投資家を紹介して」などとお声掛けいただく。
申し訳ないが、自分には今、確固たる資金調達能力はない。もちろん、企業PRやM&Aふくめ“よろず営業マン”として生きているので、営業活動はできるし、全く期待できないわけではないのだけれど。
「映画という“投資案件”はほとんど儲からないし、儲かる映画には投資できない」「社会的意義だけで投資する投資家はまずいない」という、昔からある大きな壁は、いまだに大きな壁なのだ。

さて、このままだと、昔語りをして、かつ、その取り組みをあきらめた、という悲しいだけの話になってしまう。

当社について

このホームページのトップページにあるように、現在、自分は「Selamat!(スラマット)」というプラットフォームを開設し、「アド・コマース(広告付き販売)」というマーケットを生み出し、拡大していきたいと考え、各所の巻き込みを続けている(そして、これまでの取り組み同様、なかなか前途多難な状態でもある)。
映画への投融資へのチャレンジから、いきなりネットビジネスやアドテクの話になり、「“銭の亡者”サクライは趣旨転向してベンチャービジネスに取り組もうとしてるんやなぁ」と思われるかもしれない。

しかし、実はこれは、これまでの取り組みと地続きでつながっている、と自分は思っている。
アド・コマース(広告付き販売)には、クリエイターやアーティストが提供する商品を介して、お金を出す人(企業・個人)は純粋に”応援”することで高質な認知効果を得、クリエイターやアーティストのファンに自分たちのファンになってもらい、ロイヤルカスタマー化する狙いがある。
ここで必要なのは、こういった“応援者の輪”を広げることだ。自分が『コンテンツファンド革命』で主張した「映画投資愛好者コミュニティー」よろしく、「応援者コミュニティー」を形成することだ。ただし、この応援者コミュニティーは金銭的な参加ハードルはぐんと低いし、応援対象は映画に限定されない幅広いものとなる。自分がアーティストなどを応援することで第三者のファンに喜んでもらう、という「”徳”の経済」に賛同し参加する企業と個人たちのすべてが、応援者コミュニティーの構成員となるのだ。そんな輪を広げていきたい。
こと映画に関して言えば、応援者の輪の一部がクリエイターたるインディペンデントの映画監督などへの支援に発展し、その映画への投資家に発展するようなことが期待される、かもしれない。

心ある、映画を映画として保ちたい方々からは、「サクライの考えは、あまりにビジネス志向的すぎないか」と言われてしまうかもしれない。でも、今、映画やテレビという“土台”そのものが大きく変わりつつある。
NETFLIXやYOUTUBEなどが映像ビジネスを根底から揺るがせつつあり、GAFAら大手IT企業が個人データの活用を軸に巨大化し進化しづけており、例えばGoogle陣営のアドテクを駆使した広告モデルが世の中に蔓延している現在、「映画」や「テレビ」といった産業は、まったく時代遅れになってしまった蒸気機関車みたいに映ったりもする。
だが、その“純粋な中身”の力(つまり物語や表現など。これを「コンテンツ」というと曲解されかねないので、あえてこう書く)は媒体がどう移り変わろうと、もちろん、何ら変わらないはずだ。
結局は、アーティストやクリエイターといった「個」が力を発揮し、人々に影響を与えることで、世界に新たな価値が生まれ、それが新たな社会を構築していくのだ。自分はそう信じたい。
(そうでなければ、結局はプラットフォーマーや国が世の中を恣意的に操作、構築していく、という観念から逃れられない)

だから、アド・コマース(広告付き販売)の力で、個の創造性と影響力が評価でき、それを応援する人たちも「“徳”があるなぁ」と尊敬される世の中をもたらすことができれば・・・。
書いていることが壮大すぎて失笑されるかもしれないが、その実現のごくいったんでも担えれば、と、僭越ながら思っている次第、、、であります。

続く

表に出す

このHPのトップページを改訂し、これまでずっと水面下で動いていたことの一端を掲載しています。(やや先走ってしまった感もあるのですが)
今の世の中は”欲”の経済がいきわたりすぎており、ここに新たに”徳”の経済を持ち込むことで、行き過ぎた社会を少しだけ軌道修正しよう。そんな取り組みです。
ずっとプラン先行で現実面が追い付いていないのですが、こういった「挑戦」も少し”表に出す”ことで違った「風」が吹いてくるかもしれない、とも思い。
そういうわけで、賛同者、求。

We should Work

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190921-30435790-bloom_st-bus_all
→「ボストン連銀総裁:シェアオフィス事業モデルが金融リスク生む可能性」(9/21(土) 10:47 Bloomberg)

ボストン連銀総裁のローゼングレン氏が「今度不況になったとき、シェアオフィスに貸している不動産オーナー、そこに貸している銀行は、不安かも」と言っているとかいないとか。
シェアオフィスを利用している身としては、正直、なんとなく迷惑な記事だ。

https://article.auone.jp/detail/1/3/6/3_6_r_20190921_1569056592479754
→「「共用オフィス」に警鐘=不動産市場のリスク-米連銀総裁」(9/21 16:00 時事通信社)

で、下の記事は、上の記事では「総裁が言及しなかった」と書いてある“ウィーワーク”の文字が前面に立ち、あたかも「総裁は“ウィーワークが危ない”と思っている」とでも言いたげ(?)な書きぶり。

「???」何でこんな発言が、この時期に突然行われたのだろうか? よくわからない。

不動産オーナーが優良な貸先を求めるのは洋の東西問わず当然で、一方で優良な貸先はなかなかないので優良物件にしか集まらない。一般論として空室が多いと人気が下がるので、オフィス物件の競争上、値段を下げて入居企業を確保しようとする不動産会社も多い。
そんな中、シェアオフィスは格好の貸先として特に都市部で急増している印象がある。

シェアオフィスというビジネスは、SOHOなどと言われたネットビジネス黎明期の頃からある古いビジネスモデルだ。オフィスを区分けし小さな部屋で仕切ったいわゆるレンタルオフィス型から、今はフリースデスクやフリースペースとして共同利用する領域が増えてきている印象がある。
最近では有望なベンチャー企業を発掘・育成し起業家コミュニティー化しようと、インキュベーションオフィスという名目でシェアオフィスを作る形態も増えており、ベンチャーキャピタルなどが積極的に投資している。
前述の空室率を減らしたい不動産業者側のニーズもあって、自由闊達な雰囲気を伴ったインキュベーションオフィスをそのオフィスビルの“顔”のような位置づけにする運営形態も増えてきている。
不動産業者側も、将来の借り手候補となる有望成長企業にコネクションを得たいという期待もあって、インキュベーションオフィスには好意的だ。

さらに今後、企業人の働き方が大きく変わっていく可能性がある(自分はそれを強く期待している)。昭和チックな昔ながらの大企業のように、毎日朝から晩までオフィスに縛られて非生産的な仕事を続けなくても、リモートワークやテレワークで個々に仕事をして、集約するときだけ集まる、というほうが機能的だ。副業も促進できるし、そういう機運が高まれば、今、大企業のような大きな組織で働いている人が、独立してベンチャー企業を興すことも増えてくるだろう。
そんな多様な働き方のニーズをシェアオフィスやインキュベーションオフィスが拾っていくことになる。だから、単純化はできないが、イノベーティブなベンチャーが増え、多様な働き方が認められ推進されることと、シェアオフィス需要が増えていくことは正の相関性があると考えられ、(記事はアメリカの話だが、日本において言えば)日本が“変わる”ためのインフラ整備の条件の一つである、ともいえるだろう。

一方で、確かにシェアオフィスが急速に増えすぎなきらいもないではない。中堅以下のシェアオフィス業者の中には条件の悪い物件にしか入居できないケースもあるだろうし、過当競争の中で不人気化し、賃料すら払えず事業が立ち行かなくなるようなところもあるだろう。

でも、それって、不動産業者と店子の関係で考えると、別にシェアオフィス業者に限った問題ではない。どんな企業でも、業績が悪くなり賃料さえ払えなくなることはあるだろう。

たとえ、金融機関がオフィス需要を見越したビル建設や不動産投資を強く推奨し、これまで貸し込んできたとしても、それは銀行の個別判断の問題だ。仮にそれらのローン債権が証券化され幅広く個人投資家層に販売されていたとしても、それも投資リスクの範疇だろう。

で、この記事に話を戻すと、ローゼングレン総裁は「(シェアオフィスというビジネスは)商業用不動産の分野で金融安定性に対して新たなタイプの潜在的リスクを生みつつある」と述べている・・・「金融安定性」って!

例えば、低金利・金余りが生んだ日本のバブル期の不動産投融資への偏重は、金融システムの安定性を大きく損なうものだった。実際、住専問題に始まり、信金信組の破綻、ひいては大手都市銀行への公的資金の投入を経て多くの銀行が統廃合された。バブルの後始末で日本は失われた10年やら20年やらの年月が費やされた。

そのバブル期の日本の不動産投融資への偏重と、たかだかシェアオフィスがらみの現在のアメリカの投融資額が、同様のインパクトを持っているとも思えない。「金融の不安定性」という言葉は、本来、(シェアオフィスという)一事業形態などに軽々しく使われるべきものではないはずだ・・・実際の投資金額の比較をデータとして持っていないので、これはあくまでも自分の感覚的なものだが(なので、もし自分が思っている以上に大変な状態だったとしたら、不明を恥じるしかない)。

だから、冒頭の自分の疑問「???」は、どうしてことさらシェアオフィスというビジネス業態を“金融リスク”という切り口で取り上げる必要があるのか、という素朴な疑問があったからだ。

さて、自分がこれらの記事を読んで、“何でこんな発言が、この時期に突然行われたのだろうか?”と感じたのは、やはり「ウィーワーク」がポイントだ。

ご存じの通り、ウィーワークの現在の大口株主はソフトバンク(具体的にはちゃんと知らないが、孫さんが持つ財布のどれか)だ。前の株主から“高値掴み”した、という風評もあるし、孫さんのことだから、何らかの方法で株主価値を高めていずれ利益を載せて売るよ、という人もいる。

そのウィーワークは先月、ニューヨーク証券取引所に上場申請し9月中の上場をもくろんでいたが、延期報道が流れたりもしている。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190917-00000038-reut-bus_all
→米ウィーワーク、IPO延期を検討=関係筋(9/17(火) 9:20 ロイター)

なので、ボストン連銀総裁の言葉を聞いてがっかりしたのは、シェアオフィスを利用しシェアオフィスの発展を期待している自分などよりも、はるかにソフトバンクの孫さんがそうだったはずだ。
「ちみちみぃ~、こんなときに、何を言ってくれてんのさぁ! 嫌がらせなの?」

まあ、嫌がらせってことはないでしょうが・・・。
でも、「陰謀論」好きの自分としては、結構その可能性もあるのでは? と考えてしまう。
孫さんという人は、事業家というより投資家、あるいはファンド運用者に近い存在だ(自分などが勝手に言っているわけではなく、ユニクロの柳井さんや日本電産の永守さん、あるいはホリエモンなんかも、別に悪い意味ではなくそう言っている)。
彼は卓越した先見性で将来のビジョンを描き、その未来像を達成する際に活躍するであろう企業をグローバルに買収してきた。その範疇はアメリカ、ヨーロッパ、中国、と幅広い。

ところで、昨年のファーウェイ問題発生から顕著化しているが、世界はすでに「アメリカ陣営」「中国陣営」にビジネスが分断される方向に進んできている。いや、その流れを食い止めようとする動きもあるが、以前のようにグローバルに一つの価値観で動く、という行動がとりづらくなってきている。

国の覇権をかけた軍事的対立であり、あらゆる“情報”が戦略的に利用される昨今、「両陣営をまたにかけた情報産業」という存在自体が成り立ちづらくなってきているように思われる。
そんな中、(アリババや滴滴など)中国の主要企業にも投資をしてきた孫さんは際立った存在だった。トランプ大統領だって「で、お前はどっちの陣営なんだよ?」などと言わずに付き合っているように思う・・・これまでは。

だからこそ、こんな下種なことを、つい想像してしまう。
今回の発言でウィーワークの上場が延期されたり、株価が下落したりして資金面の手当てが必要になったとして、その時に売るのはどの株なのか? で踏み絵を踏ませているのではないか???

でも、ちょっと調べたらローゼングレンは今回の0.25%の利下げに反対していたなど、必ずしもトランプ寄りではない様子。う~む、さすがにトランプ→ローゼンのホットラインは無いだろうなぁ。

・・・と、下手な想像を巡らせても、時間ばっかり過ぎていきますな。そんな無駄な時間を過ごすより(とはいえ、こういったぐるぐる志向は大事!と思っているが)、自分はきちんと稼がねば。I should work…

日本でユーティリティ・トークンのIEOを検討

https://www.itmedia.co.jp/business/spv/1908/22/news107.html
→「コインチェックがIEOの検討開始 ICOによる資金調達を支援」(2019/8/22 ITMediaビジネス)

コインチェック(マネックス)が、ユーティリティ・トークンのICO(Initial Coin Offering)を取引所としてサポートするIEO(Initial Exchange Offering)をビジネスとして検討を始めたようだ。
そうっすか・・・ようやく、日本で本格的なICOが始まるのかもしれない。
自分がここここで書いていたことが、徐々に整理されつつあるのだろう。

まだ検討段階のようなので、規制面の動向含め、実現可能性はどの程度なのかわからないが、注目したいニュースだ。

これは・・・いいのか?

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6333080

→「JASRAC、溜まった分配保留金で新事業」(Yahooニュース 2019/8/12)

JASRACがたまった分配保留金で2020年までに新しい事業を立ち上げるそうだ。

いろいろと議論を呼びそう(そもそも・・・これって、いいの?)。

自分が今考えていることに変に影響がなければいいが。。

今後もこのニュースには注視しておこう。

 

世の中は変わる、とみんな言い出している。“自分に期待”しよう

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16795?layout=b
→2019/7/19 Wedge Infinity 「352億円で会社を売却した起業家が次に目指すもの」

NTTからマイクロソフト(そこでウィンドウズ95の完成に携わり)、そしてアメリカで「Xevo」という会社を立ち上げて352億円で売却した中島聡さんというエンジニアさんのインタビュー記事。

インタビューで語っている内容をかいつまむと、
・日本企業がだめになったのはデジタル化に乗り遅れたから
・書店→amazon、DVD→Netflix。今後は自動車でも銀行でも医療でも、あらゆるところにデジタル・ディスラプションが
・規制に守られた日本ではUber導入が遅れている。おそらく自動運転ができて自動運転+Uberの世界が来る。既存のタクシー会社は太刀打ちできない
・AIによるディスラプションの波を最初にかぶるのは金融。銀行は政府の延命措置で永らえているが、結局はどこかでフィンテック改革の大波にさらされる
・中国が個人情報を集めに集めて、AI大国になろうとしている。対抗するアメリカは、結局プライバシー重視に傾くだろう
・米中対立で世界経済は悪化し、日本は米国からの圧力(1987東芝COCOM違反事件のように)に常にさらされる
・日本でNECと富士通がいまだに生き残っているのは、政府の公共投資による延命にすぎず、実際はどんどん脆弱になっている
・本来、ベンチャーが活性化しないといけないが、終身雇用の親世代の影響で若い世代も保守的なため、終身雇用的な安定環境が好まれる。日本はまだまだ終身雇用制から脱却できない
・年金は401K(確定拠出年金)にシフトされる
・自動運転は、はやく特区化して“進化圧”をかけるべき
・自動運転より、金融AI化のほうが早く進む

「わが意を得たり!」な内容で、その通りだと思う。むしろ、経団連ですら「デジタル・ディスラプションによってすべての日本企業が壊滅的な打撃を受けかねない。変わらなければ」というレポートを出しているぐらいだから、ここに書いている内容は一定層における「常識」だと思う。

しかし、自分の周りを見渡せば、「そんなこと知ってるよ。だけど、自分に何の関係があるのさ?」というスタンスの人が多い。
自分はいわゆる“世代論”は嫌いなのだが(人の考え方や状況はそれぞれ違うはずだ、という至極まっとうな思いを持っている)、さりながら、やはり自分の属する世代には“危機感”が薄い、と言えてしまうのかもしれない。

自分がずっとチャレンジを続けてきた過程で、あるいは、現在チャレンジを行っていることに関して、ビジネス的なアプローチ対象とは別に、多くはないが複数の同世代の友人知人に相談をしてきた。
これについては、相談できるだけ“まし”で、ほとんどの人は話しすらまともに聞こうとしないため、空気を読んで別の話題に終始する中、それでも話を聞いてくれる彼らは“優しい”方々で、非常に感謝している、ということをまずきちんと述べておきたい。

そのうえで、ないものねだりとして語りたいのだが、話を聞いてもなお、上記の通り、「世の中が変わるというのはよくわかるよ。でもさ・・・」「君がチャレンジをしている姿勢は素晴らしいよ。でも・・・」「自分はそんなおおげさな立ち位置で働いているわけではなく、今の仕事をどう変えていくか、ぐらいの変化を求めているから・・・」「ウチの組織の中に、イノベーションに携わる要素があるのはわかるよ。でも、自分の役割とは違うから・・・」等々、「自分に何の関係があるのさ?」という返答をいただいて、ただただ言葉を失ってしまうのだ。

いやいや、別に、自分は“便宜を図ってほしい”などと言っているわけでもなければ、“お前ら間違っている、反省しろ”と居丈高に詰っているわけでもない。
せっかく話をする以上、興味ぐらい持ってほしいのだ。あなた方がお忙しくて、日常をこなすのに精いっぱいなのは重々わかるつもりだが。そのうえで、「よくわかった。一緒に勉強していきましょう」くらいな“仲間”感がほしいのだが・・・これはそもそも“ないものねだり”なのだろうか。

「今の世の中に対する“危機感”と“期待感”」を共有できないもどかしさ、そして、自分が行っているチャレンジが彼らにさして“期待感”を生ませない現状に対して、切なく感じてしまう。
自分が記事の中島さんなら、こうはならないのになあ、とも思う。同じようなことを言っていても、実績のある優秀な人と、実績のないただのおっさんの言葉とは、聞く人にとって雲泥の差があるのだろうなあ、という諦観が・・・。

あまりネガティブなことを書いても仕方がないのでこれくらいにしておく。
なお、それでもなお、ここに記すことを決めたのは、愚痴の吐露でもなんでもなく、この文章がいつか、彼らの心に届くことを信じてのことだ。
(一生読まれないかも、ですが)

そういうわけで、自分は自分で、“自分に期待して”先に進みます。。とはいえ、これからも話は聞いてちょ。せばっ!