アルケゴスとつまらぬ陰謀論、ファミリーオフィスの規制懸念について

●アルケゴス巨額損失事件、「金融規制強化」を引き寄せる転落劇の内幕(Yahooニュース~現代ビジネス 4/20(火) 6:02)
https://news.yahoo.co.jp/articles/472f21198ae3ba6b8b7afdb530c368d847470c5e

先月来、アメリカのプライベート運用会社のアルケゴス・キャピタル・マネジメントの話題でマーケットがかまびすしく、自分も興味を持っている。
興味の対象は、一つはこの記事にある「今後の金融規制強化」の問題だ。もう一つは、「なぜ金融機関はアルケゴスとの取引を拡げたのか」だ。

アルケゴス問題とは、非常にかいつまんで言うと、過度にリスクを取って取引を拡げた大口投資家(アルケゴス)が相場に失敗して、取引していた金融機関(クレディスイスや野村など)に莫大な損を与えたことで、関連して金融システム全般への波及の有無が注目されている、というものだ。

運用者のビル・ファン氏(ファン・ソングク。韓国生まれ)がどういった経緯でアルケゴス社を興し、どういう運用スタイルだったかはこの記事に詳しく書いてあるので割愛する。
アルケゴスの運用資産は設立時の2億ドルから破綻前では100倍になっていたという。
バイアコムCBSなど少数の銘柄にレバレッジをかけて投資し、金融機関との間でトータルリターンスワップ(=株価のリターンや配当などの原資産から生まれた全キャッシュフローと、固定金利や変動金利を交換する)を結ぶことで、自社で原資産を持たずに投資対象のリターンを得ていた。
金融機関は金利収入のほか、売買で発生する膨大な手数料が手に入っていた。レバレッジをかけた運用資産が500億ドル超とあるから、確かにすごい売買手数料になるだろう。

アルケゴス・ショックの影響による金融機関の損失はJPモルガン・チェースの試算で100億ドル(1.1兆円!)にも上るという。クレディスイスが47億ドル、野村が20億ドル、モルガン・スタンレーが9.1億ドル。野村以外でも三菱UFJが3億ドル、みずほが1億ドルほどの損失を被っているようだ。

日本のバブル崩壊の際に投入された公的資金で預金保険機構を通じてなされた額が13兆円だったと聞いている。アルケゴス1社でその約10分の1相当額の損失を生んだとはすごい。
もしアルケゴスの“ような”運用会社がほかに10社あるなら、あのバブル崩壊並みの潜在リスクが現在の市場にはあるということだ。もちろん、当時と今とでは世界の金融市場にあふれているキャッシュ総額は雲泥の差なので、金額だけで物を語るのはミスリードになるだろうが。

各金融機関が損害を被ったのは、記事にもあるように複数の金融機関とのスワップで個別銘柄のエクスポージャーが法的開示対象外だったこともあり、各金融機関で他所のポジションの状態が把握できていなかったからだという。

●アルケゴスの実態、パウエル議長が看破 豊島逸夫の金のつぶやき(日経電子版 2021年4月14日 11:18)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB00009_U1A410C2000000/

上記記事では、FRBのパウエル議長の言葉で、「問題視されている株スワップは、市場で普通に使われている売買手段」「そのリスクを銀行は理解しているはず。各銀行が承知していなかったのは、この1人の投資家(ファン氏という実名は出さず)がニューヨーク市場の5、6社と株スワップ取引をしていたことだ。各銀行は、その事実を、担保不足による強制売却処分の段階になって初めて知った」と説明がされている。

また、問題は「トータルリターンスワップ」だけでなく、アルケゴスが通常のヘッジファンドでなく「ファミリーオフィス」だったことで開示規制の対象外だったことがもう一つの“隠れ蓑”になった、と書かれている。

ちなみに、アルケゴス破綻に追いやったバイアコムCBSの売りを喚起したゴールドマンに対し、「個人投資家には買いを煽っておいて/護送船団の口約束を破って、売り抜けた」的な怨嗟の念が個人投資家や被害を被った金融機関から向けられているようだ。

●米アルケゴス、個人投資家も巻き込む 問われる業界モラル 豊島逸夫の金のつぶやき(日経電子版 2021年4月7日 11:52)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGD00008_X00C21A4000000/

上記記事のとおり、アルケゴスの問題には、
・各金融機関がアルケゴスを過度に信用しコントロールできなかった可能性(トータルリターンスワップの問題)
・アルケゴスが適切と思われる情報開示を免れてきた可能性(ファミリーオフィス規制の問題)
・バイアコムCBS増資に絡み、金融機関内(プライマリーブローカー部門・引受部門)のチャイニーズウォールにより投資家の不利益を招いた、あるいは利益相反があった可能性
などの複合的な問題が絡んでいる。

とはいえ、個人的に不思議なのが、どうしてクレディスイスをはじめとした金融機関はそこまでアルケゴスとの取引を拡大したのだろうか、という“そもそも”の点だ。

もちろん、膨大な手数料収入につられたのだろうし、各金融機関のトータルリターンスワップもパウエル議長の言う通り、別段、疑念を招く商いというものではない。
それでもなんとなく違和感を持ってしまうのは、自分がヘッジファンドや積極的な投資を行う運用会社と、その注文を受ける金融機関(のプライムブローカー部門)の実態について詳しくないからだけなのだろうか。
いくら手数料が稼げるからといって、また、競合金融機関の存在の想定も全くせず、1社にこれだけのエクスポージャーを取らせるものだろうか、といぶかってしまう。

【注:以下の文章には妄想の類が含まれるのでご容赦ください】
自分は「物語(フィクション)」好きなので、ビル・ファン氏あるいはアルケゴスが金融機関にそれだけの信用力を認められた背景に、ファン氏の運用実績と表面上の資産額“以外”に何か有ったのではなかろうか、と妙な想像をしてしまう。

アルケゴスはファミリーオフィスなので、資産の出し手はファン氏とその“ファミリー”しかあり得ない(?)のだが、もしかしたら表に現れていない真の投資家がいて、その人物の影響力で各金融機関内で“特別な案件”としてスルーされていたりしたのではないか、などだ。

ファン氏は牧師の息子で熱心なキリスト教徒で、「Grace & Mercy Foundation」という慈善団体を運営している。彼自身は質素な生活をしていて運用益の一部を財団に寄付し続けてきたと聞いている。
そういった背景や人的なつながりが、なにがしかの影響を与えていた可能性はないだろうか。

あるいはまったく別で、ファン氏が香港市場でインサイダー取引で有罪となった対象銘柄が中国銀行や中国建設銀行だったということもあり、当時の“インサイダー”たちの関与が今のアルケゴスにはあって、件の「米中対立」の文脈であぶりだされている、というような(これは完全な)妄想も湧き上がってしまう。

バイアコムCBSの暴落前の値段の釣り上がりや、逆に“嵌める”ような(?)投げ売りに、相場操縦のごとき違和感を感じてしまうのは、単に自分が陰謀論好きだからだろうか。
米中対立を背景になにがしかの資金を担う運用会社が狙い撃ちされ嵌められたような物語が描ければ、経済小説として面白いかもしれない。

あまり根も葉もない妄想を書き連ねると怒られかねないのでこの辺にしておこう。
あくまで戯言なのでご容赦いただきたい。
【以上、妄想終わり】

さて、最初に書いた、自分がもう一つ興味がある「今後の金融規制強化の問題」について。
当然、アメリカで今後、アルケゴスのような体制のファミリーオフィスへの規制が強化されていくだろう。
最初の参照記事にある通り、証券取引委員会(SEC)や米上院銀行委員会で調査やヒアリングが始まっているようだ。この後、公聴会が開かれるなどし、具体的な規制案ができてくるだろう、とのこと。

日本ではファミリーオフィスそのものの認知度が低いため、今回の件で、日本で「よく知らないけど、ファミリーオフィスって、問題だよね?」という風潮が出てこないか少し危惧している。

というのは、自分もお世話になっている富裕層ビジネスを長年経験されてきたプライベートバンカーの方が、今、「日本にファミリーオフィスとそのビジネスを普及させていきたい!」と頑張っておられるからだ。

ファミリーオフィスという存在は別にいかがわしいものではない。
超富裕層の個人やファミリーの資産を一括に管理する専用の資産運用サービスで、その主な目的はファミリーの富と遺産を管理して将来世代のために守ることだ。
一つのファミリーオフィスに、資産管理のプロ、税理士、会計士、弁護士、財団設立のプロなどがフルタイムやパートタイムで参加するケースが多い。
面白いところでは、アート専門家など、必ずしも伝統的な資産運用にとどまらない人材が参加するケースもあるらしい。実際、子弟の教育や慈善活動など、ファミリーオフィスの役割は幅広い。

16世紀頃のヨーロッパの王侯貴族の資産管理がファミリーオフィスのルーツだと言う人もいる。アメリカでロックフェラー、モルガン、カーネギーなどの華麗なる一族のファミリーオフィスが相次いで誕生して以降、急速に浸透していったそうだ。

ファミリーオフィスは世界に1万社以上あり、運用資産トータルで6兆ドルもある。
一つのファミリー専用のシングル・ファミリーオフィスだけでなく、複数のファミリーの財産を管理するマルチ・ファミリーオフィスも存在する。
富裕層の資産管理専用の金融機関と言えば「プライベートバンク」だが、これも元々ファミリーオフィスから始まって大きくなった金融機関が多い。

だから、今回のアルケゴスがファミリーオフィスだからといって、「ファミリーオフィスは規制の網がかかっていないから大問題だ」というのは、あまりに短絡的なのだ。

●(参考)UBS Global Family Office Report 2020
ubs-global-family-office-report-2020.pdf

例えば、上記『UBS Global Family Office Report』で見ると、総じて上場企業の株式や流動性の高い債券といった伝統的な資産で運用されているのがわかる。

むしろ、ファミリーオフィスであるにもかかわらずレバレッジを掛けて超積極的運用を行うアルケゴスのようなケースの方が言わば邪道な存在なのだ。

アルケゴスがファミリーオフィスの形態なのは、「トッド・フランク法(金融規制改革法)」による証券取引委員会(SEC)や商品先物取引委員会(CFTC)の規制を逃れるためにヘッジファンドがファミリーオフィスに“形態模写”したからだ。
「家族にのみ投資助言し、家族または家族が経営する事業体が100%所有」する運用会社(ファミリーオフィス)なら、SECへの登録や所有者・運用資産の開示を免れることができる。
これを逆手にとって、これまで少なくないヘッジファンドがファミリーオフィスへ形態変更をしてきたらしい。

そういう意味で、本来のファミリーオフィスの趣旨と違うハイリスク運用の「ファミリーオフィス形態模写型ヘッジファンド」はブラックボックスになっていると言え、今後のアメリカ金融市場の大きな潜在リスクであることは間違いない。

今回の件でファミリーオフィスに開示面での規制強化が図られるであろうことは間違いなかろう。
でも、それはごく一部の“特殊な”ファミリーオフィスに限られたもので、一般的なファミリーオフィスに波及するものではないはずだ、と思う。
(もし、すべてのファミリーオフィスへの資産開示義務の検討などがなされれば、超富裕層から大バッシングが起こるだろう)

一方で、日本ではファミリーオフィスそのものの知名度がまだ低い。
自分は、ファミリーオフィスは日本において今後の成長セクターととらえている。
先述のプライベートバンカーの知人の受け売りだが、これまで金融機関や不動産業者など個別の「売らんかな」が先行してきた“括り”のままでは、富裕層が安心して資産を預け、様々な相談をすることは難しいだろう。
中立で包括的かつ長期に渡るサポートができる体制が必要で、それは結局、ファミリーオフィスという形態に行きつくような気がする。

件の知人は、一足飛びにファミリーオフィスの運営というより、士業や金融マンなど富裕層ビジネスに携わる“個”のネットワークを広げ、コンサルとして携わるようなビジネスを始動している。
勝手な話だが、自分も上記ファミリーオフィスにおける「アート専門家」よろしく、あわよくば自分が目指してきたエンタメファイナンスの方向性と何か接着点があれば、と思っている。
(「趣味」や「人生の夢」の切り口などでも可能性はあるのではないか)

話があちこちに分散してしまったが・・・。
今後もアルケゴス関連のニュースには中止(4/28修正 ×中止→〇注視)していたいと思う。

<4/28追記>
アルケゴスでいろいろググったら、この会社にはアンディ(アンドリュー)・ミルズさんという、なんとなく大物っぽい方がエグゼクティブにおられるようですね。
直接の関係は分かりませんが、前述の「ビル・ファン氏あるいはアルケゴスが金融機関にそれだけの信用力を認められた背景に、ファン氏の運用実績と表面上の資産額“以外”に何か有ったのではなかろうか?」の問いに対し、この方の人脈などが背景に有ったのかもしれませんね。
まあ、当て推量はよくないので、あくまで備忘録的に追記する次第。
・・・しかし、野村も当初以上に損を拡げ、UBSも参戦(?)、と、この問題は簡単には収束しない感じですね。

お悔やみと、ささやかな思い出話

●原正人氏が死去 映画プロデューサー(日本経済新聞 2021年3月29日 21:49)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG299IW0Z20C21A3000000/

『戦場のメリークリスマス』などのプロデュースで知られる原正人さんが先日お亡くなりになったことを、今知った。
謹んで、お悔やみを申し上げます。

原先生とは、本当にわずかなご縁ではあったが、何度かお目にかかったことがある。
いやむしろ、(直接の接点はほとんどないが)自分が『金融』業界から『映画』業界の片隅に居場所を得ることになる遠因を作ってくださった方、という側面もあるのかもしれない。

原先生は日本のインディペンデント系映画製作(プロデュース)の第一人者であるだけでなく、インディペンデント映画業界を下支えできるよう、フィルムファイナンスや人材育成に取り組んでこられた方だ。自分が所属していた東京国際映画祭がらみの団体にも強い影響を持ってきた。

自分が映画業界に入るきっかけとなったのは、映画専門大学院大学という専門職大学院で学んでいた際に脚本を書いたオリジナル企画『跳べ!サトルッツ』が角川のエンジェル大賞を受賞したからなのだが、原先生はこの大学院の特別講師で、かつ、エンジェル大賞の実質的な創設者だった。

専門職大学院の授業ではお目にかかる機会がなく、原先生と初めてお会いしたのはエンジェル大賞の「二次面接」の時だった。2007年の初夏のころだったと思う。

『跳べ!サトルッツ』は自分が初めて書いたオリジナル脚本(小学校の時のクラス劇や高校のクラスメイト達と作った映画の脚本を除いては)だった。これを専門職大学院の「映画企画」というK先生の授業でプレゼンしたものの、なんとABCの「C評価」を食らってしまった(それどころか、ABCしかないはずが「D」と書いてあった気がする)。
この授業ではクラス全員の企画をエンジェル大賞に応募することになっていたのだが、K先生の低評価ですっかり自信を無くしてしまった。
なので、オリジナル作品の応募は諦め、とある有名小説家のある短編小説にしようと(先方の許諾も得ていないのに)新たな企画書を提出した。
ただ、K先生がエンジェル大賞の応募期日前日の授業で「映画祭や企画コンペなどで映画や企画が受けるかどうかは、結局は審査員の好み次第。だから、悪い評価を得た企画でもダメもとで応募すればいい」とおっしゃるのを聞き、それで応募最終日ギリギリに提出した。
(すでに郵便では間に合わなかったので、自分の足で応募先のビルの郵便受けに投函した)

結果、そんな『跳べ!サトルッツ』ともう一人の企画だけが、なぜだか書類審査を通過して、一次面接に進むことになった。
一次面接では、映画プロデューサーで映画教育者のMさん、原先生のお身内で映画プロデューサーのYさんを始め、今では新進映画プロデューサーになったTさんなど、5、6名ほどの選考者の方々が集まっていた。
自分は彼らに、「どうしてまた、『跳べ!サトルッツ』を選んだんですか?」という素朴な疑問をぶつけてみた。もしかすると、話の内容とかではなく、潰れた山一證券のOBが脚本を書いて応募してきたのが面白がられたのではないか、と思ったからだ(もしそうだったとしても、有難いことだ)。

すると、皆さんが口をそろえて、「いや、あなたが書いた脚本が面白かったんです!」と言ってくださったのだ。本当に、すごく嬉しかった。
この面接では、選考者が面白いと思う企画に各々の選考者が自分の考えで入る、というスタイルだったようで、もう一人のクラスメイトの企画では2、3名程度しか同席しなかったらしいから、決して彼らの“おべんちゃら”ではなかったと思う。
実際、クラスメイトの中で次の二次面接に進んだ企画は自分の企画以外なかった。

そして、二次面接で初めて原先生と対面した。
開口一番、「面白い企画だと思った・・・でも、脚本は面白くないね」と言われた。
それを聞いて・・・実は、つい笑ってしまい、あわてて下を向いた。
(「いやいや、映画業界の皆さん、あんたがた俺を落としたり持ち上げたり、どないやねん」と可笑しくなってしまったのだ)

そして、何となくだが、原先生はそんな自分の反応に少し興味を持たれたのだと思う。
それまでは、選考者たちの顔を立ててくれたのであろうが、企画自体をそんなにたいして面白がっていなかったのではないだろうか。ご本人に聞いたわけではないので、これは完全に自分の想像なのだが。
ただ、自分は、原先生の二次面接を通ってエンジェル大賞を受賞できたのは、あそこで自分を客観視して「このシチュエーション、おもしれー」と状況を楽しんだからだ、と勝手に思っている。

次にお目にかかったのはエンジェル大賞の授賞式。その次が、確か、専門職大学院の特別授業みたいな時だったと思う。
そこで、原先生はとある古いご友人の脚本家を引き合いに出し、「クリエイターとはエゴイスティックなものだ」というご説明をされた(ようにうっすら記憶している)。
その友人の脚本家が自分が実現させたい企画、物語について、いくら先生が合理的に修正を求めようが、感情的になって頑なにそれを拒んだり、一方で反省して自己嫌悪したりしていた様子を話され、でも「とても人間臭い。それが素晴らしい」というポジティブな認識を持っていたという話だった。
クリエイションに携わる者には、そういう、どこかエゴイスティックで人間臭い部分がないといけない、ということだ。

自分は「プロデューサー(映画の大枠を作る+金集め+ビジネス)」を志向する者である一方、自身のオリジナル企画については「クリエイター(自分が“面白い”と思う物語の書き手)」でその実現を願う者、という、ある種の二面性を抱えている。ここにはある種の自己矛盾がある。
自分は、ビジネスにおいては、できるだけ論理的でありたいと思っている。(リアクションが感情的になることはあっても)思考はプラクティカルであるべきだと思っている。
しかし、原先生のこの授業もあって、自分は企画を立ち上げたら、まずはクリエイターとしてエゴを出すべきだ、という認識を持っているし、自身、まさにそういう性質を持ち合わせている。

もちろん、これは、頭から人の話に聞く耳を持たない、ということでは全くない。
そうではなく、例えばクリエイターとして伝えたい内容が相手に伝わっていないようなときにも、良かれと思っていろいろアドバイスをしてくれる人はいる。
でも、人の意見に右往左往する必要はなく、まずは自身のエゴのもと、じっくり自身のクリエイションの像、クリエイティビティの軸を探るべきだ、ということだ。

数日前、とある有名な脚本家の先生と大手メディアのプロデューサーに自身のまだ未成熟なドラマ企画(『天下の秤』)をお披露目し、ご意見を伺う機会があった。
このとき、自分は少し、エゴイスティックに振舞ってしまって、多少反省もしているのだが、そこにはクリエイターとして、企画を世に出したい気持ちの部分が表出してしまったのかもしれない。
(それを、原先生の言葉にかこつけてエクスキューズがしたいだけかもしれないが・・・)

さて、自分が最後に原先生とお目にかかったのは、(映画企画云々ではなく)富裕層向けの映画投資&コミュニティ形成のビジネスを実現させたい、ということで、ビジネスプランを持って、自分が所属する山一ウェルス・エンゲージメントの石田社長を連れてご挨拶に行ったときで、もう5年ほど前のことになる。

結局のところ、エンジェル大賞受賞企画も実現できていないし、その後自分が書いた何本かの映画企画も形になっていない。富裕層向けエンタメ金融ビジネスの方も、現時点では何ら芳しい成果を残せていない。

こういううっすらとしか接点しか持たない者なので、亡くなった原先生を偲ぶ文章をこんなふうにブログに書くのは、もしかしたら不遜なことかもしれない。

ただ、なんとなく自分の人生の中で、遠い位置ではあるけれど大きな指針として存在された方なので、ある種の寂しさを感じている。
(そういえば、専門職大学院に入って映画プロデューサーを目指した際、原先生の本を数冊買った。そんなところからも影響を受けているわけで)

まとまらない文章になってしまったが・・・改めて、謹んでお悔やみを申し上げます。

アニメ業界・Netflixの急速な変化と「民主的」コンテンツ製作(考察)

●まつもとあつしの「メディア維新を行く」 第68回 〈後編〉アニメの門DUO 数土直志氏×まつもとあつし対談『巷のアニメ業界話は5年遅い!?』(ASCII.jp 2021年02月12日 18時00分)
https://ascii.jp/elem/000/004/042/4042808/

アニメ業界のジャーナリスト・まつもとあつし氏と数土直志氏との対談。最新のアニメ産業の概況が見えて勉強になった。

(勝手なまとめ。自己解釈多し)
・『鬼滅の刃』の大ヒットは草原に燃料が注がれるように映画観賞に飢えた一般層の視聴意欲の爆発が起こった
・マニア層向けジャンルだった作品(『劇場版ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』)興行収入20億達成は、一般映画ファン層が普通にアニメを見る時代に本格的に突入していることを示す
・2020年はエポックメイキングな年。グローバルなヒットを前提とするハリウッドはこれからのビジネス環境の変化に戦々恐々。「ハリウッド映画がなくてもアジア市場が成立するかもしれない」
→世界最大ヒット作は中国国内だけで興行収入を上げた『八佰』
→『鬼滅の刃』ヒット
・一方、『羅小黒戦記』(中国アニメ)=ユニバーサル性でヒット。すでに日本アニメ・中国アニメ・ドリームワークスなど世界規模のアニメは同じ土俵で戦い始めている
・日本はすべてが劇場で見られる稀有な国
・「クールジャパン」=「日本の文化を輸出します」でなく、「グローバル化」=「いろんな文化が互いに入ってくる」
・海外の配信大手がアジア市場を目指す動きが加速。一方、日本のアニメ企業が海外進出を強めている
・Netflixの戦略が大きく方針転換してきた。「配信権だけしか買えませんよ」から「制作費全部出しますよ」=「企画から一緒に作りますよ」(アニメ制作会社のクリエイターたちと)
・これまでNetflixは「プラットフォームなのでライセンス事業はしません」。だが、今後はライセンス事業へ展開していくのではないか
・実際、アメリカのティーン向け事業でライセンシングビジネス(ガジェット=モノとアニメとを組み合わせた展開)
・結局、「IT企業」から「スタジオ」に。ディズニーもワーナーもコンシューマープロダクト部門やゲーム部門を持っているが、それと同じ
・Netflixのターゲットは伸びしろのあるアジア。萌えアニメ・アイドル系・日常系も。HBO Maxなどでも同じか
・一方で外資配信には大規模な撤退リスクも
・日本企業のグローバル化。ソニーグループ、バンダイナムコ、ブシロード。M&Aで「時間を買う」
・今、日本のアニメ業界の変化が激しいが、「製作委員会ワルモノ説」など、古い常識が蔓延しついていけていない人が多い

自分も、これを読んで情報アップデートさせていただいた。
特に興味深かったのがNetflixに関する部分。すでにグローバル配信権取得だけでなく製作・著作権取得=そのために優秀なクリエイター(制作会社)と組もうとする流れは理解していたが、すでにディズニーよろしく「スタジオ」化の動きもみられている、というのがよく分かった。
3年前に「「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?③」で「勿論、いつ彼らが大きな牙をむいて「著作権そのものをよこせ」と言ってくるかもしれないけれど。とはいえ、アメリカの映画・テレビビジネスの歴史を考えるとその可能性は低いだろう。」と書いたが、その予測は完全に外れたようだ。もちろん、制作会社や協業者の有無(製作委員会を絡めたプロジェクトなど)など、ケースバイケースではあるが。

だからといって別に「結局、Netflixによるコンテンツ独占がすすむのか~」「これじゃ、川上から川下までコンテンツを独占しようとする中国テンセントと変わらないじゃないか~」などと懸念したり、がっかりしたりすることでもない。
これは結局、「劇場→有料テレビ・有料配信→DVD(媒体)→地上波テレビ/+マーチャンダイジングなど」という“昔からのウィンドウモデル”が「Netflix/+マーチャンダイジングなど」あるいは「Netflix→劇場→有料テレビ・有料配信→DVD(媒体)→地上波テレビ/+マーチャンダイジングなど」に変わっただけの流れに過ぎないからだ。

だから、がっかりするのは劇場ほか“歴史のある”業界だけで、制作会社やプロデューサーなどクリエイティブ側は、自分が「「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?①」~⑨で書いたように、「スタジオ・テレビ局などプラットフォーマー」との「(理不尽な)ブン取り合い」の中で、どれだけ有利な条件を獲得していくか、という戦いが、以前同様行われるにすぎない。

例えば、「スタジオによる権利独占」が進んだ昨今以前の、日本のバブル期あたりでは、アメリカ映画は「スタジオ製作」「インディペンデント製作」と大別された。
インディペンデント映画はグローバルな配給権を糧に銀行から借り入れして映画を製作する(銀行家フランズ・アフマンが生み出した)“フィルムファイナンス”で躍進したし、コンテンツファンドによる外部資金の流入もそれを後押しした(投資家にとってはレバレッジドリースの税制メリットの追い風はあったが)。

何が言いたいかというと、スタジオ・プラットフォーマー(流通側)とのパワーゲームの中で、“制作者・クリエイティブ側”は、ファイナンスや収益ウィンドウの面で、彼らに負けない武器を持つ必要がある、ということだ。
これには当然、制作会社も資本増強をしてパワーゲームに伍するようにしていく、ということもあり得るだろう(現実問題、なかなか難しいとは思うが)。

もう一つ、より“草の根”レベルでの「民主的」な製作・流通手段と、権利確保の手立てを作れないだろうか。
当然、そんなことは『鬼滅の刃』のようなメガ・コンテンツではありえず、UGC(User Generated Contents)に近いものがメジャーなものに育っていく、という“一攫千金”なビジネスモデルにならざるを得ないのだが。

前回、「SBI・三井住友FGのPTSと新たなエンタメ金融の考察」で、<イニシャルなLLPとシニアビジネスマンの活用>という考察をした。

・“メタ”な段階でのコンテンツにファンが集まり、そのファンが集まる熱量を期待して、企業マーケティングへの援用や映画などの高次な(川下)コンテンツ製作につなげていく、という流れ
・「有望な原作を見つける」「“パートナー投資家”をマッチングする」「ファンを集める(寄付なども)」「集ったファンの熱量を活用する(スポンサー)」「川下(大型)コンテンツ化への物理的・金銭的サポート」といった一連の流れをサポートする金融ネットワーク上の仕組み
・「(シニア)金融マン」が それを担う、という構造化
・原作者とパートナー投資家(プロデューサー=シニア金融マンなど)をマッチング
・LLP作成と運営のサポート
・企画支援ファンド

この構造をベースに、ファンコミュニティ・顧客基盤(より具体的に言えば、そこに集う潜在顧客含む個人データ)をメジャー案件化する前に構築し、付随ビジネスに活用、というビジネスを付着させる。
(これが、自分の思い描く「企業協賛イベント→STO」なのだが)

なお、「パートナー投資家」は本来、「シニア金融マン」「金融マン」にこだわる必要はないし、むしろ“(一定の)投資ができる”人に限られるので、それこそ幅広くターゲット化したほうがいいのかもしれない。
とはいえ、今や激動の坩堝に巻き込まれている金融マンたちは多く、このパートナー投資家の位置に適う人材が多いことだろう。

<2021/2/13追記>
なお、メタコンテンツ取得・運営の事業体の形にLLPがいいのかどうかも、検討が必要かもしれない。
出資しない(できない)原作者に還元を、という面ではガバナンスが自由なLLPはいいと思う。
一方で、例えば、企業M&A(第三者割当増資含む)で事業が継続しつつもオーナーが変わるような形態を想定すると、株式会社やそれへの転換が可能なLLCがいい、という考えもあるだろう。
いずれにせよ、ビークルの形態といった細部はともかく、M&A仲介ビジネスを含めた“金融ビジネス”への発展可能性もあることから、この構造化を担う「運営母体」は“金融ビジネス”の要素が強い“複業”になる。
<追記終わり>

この流れを統括する運営母体のイメージは、<2/13追記:金融ビジネスを軸にした>コンサル業でもあるし、(新しい)メディア企業であるかもしれない。
(このポジションは、うまく行けば「美味しい」ことになるはずだ!)

こんな民主的コンテンツ製作の流れが一定のシェアを得られれば、スタジオ・プラットフォーマーの理不尽なブン取りに抗して、「コンテンツ・イズ・キング」の世界が実現するかもしれない。

本件、このように声を出しながら、少しずつ動いてみようと思っている。

SBI・三井住友FGのPTSと新たなエンタメ金融の考察

●SBIと三井住友FG、株の私設取引所新設(日本経済新聞 2021年1月29日 2:00)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO68630900Z20C21A1MM8000

まとめ:(2021/2/21追記:上記日経記事ではなく、このブログ記事全体の「まとめ」。文章があまりに長くなったため、最初にこれを設けることにした)
・SBI‐三井住友のPTSには大阪国際金融都市構想含め期待する
・デジタル証券は2年後だが、STOはそれまでに(社債、不動産、美術品、映画版権等)
・美術品はオープンアーカイブ化含め、期待の市場
・機関投資家先行だが、期待は個人投資家
・「ファンマーケティングへの援用」が「新しい金融マン」を作り出す
・映画版権への投資は、根底に「ゼロイチクリエイター」へのリスペクトを
・金融側のメンバー主導、シニア活用で、民主的コンテンツ製作・ビジネス構築のエコシステムを

<SBI‐三井住友のPTSと大阪金融都市>
これまで、『金融都市構想と後期倭寇、その他』『STOとアイドルファンドと徳の経済』『SBIの大阪金融都市構想とぐるぐる』などでSBIにまつわる記事を取り上げてきた。自分はSBI北尾社長の回し者でも関係者でも全くないのだが、自分が気になる“新しい金融ビジネスの姿”を追うと、どうもこの会社が目に入ってしまう。
で、『デジタル証券のシンガポール集中とエンタメファンド』でも取り上げた、大阪に設立する私設取引所(PTS)のパートナーが、大阪地盤(住友)の三井住友FGになった、という記事。PTSの運営会社「大阪デジタルエクスチェンジ(ODX)」を、SBIHD:6割、三井住友FG:4割の出資で3月に設立するそうだ。
「大阪を国際金融ハブに」実現のためには、必要不可欠なパートナーシップだと思う。この連携がその呼び水になってくれれば、と期待する。

<PTSでのデジタル証券流通は2年後に>
このブログでずっと取り上げてきた「デジタル証券」については、このPTSで取り扱いがスタートするまで2年ほどかかるようだ。
「ODXはブロックチェーン(分散型台帳)技術を使い効率よく発行できる「デジタル証券」も23年をめどに扱う方針だ。20年に法律で認められた電子的に発行する資産で、既存の有価証券より小口で迅速に発行できる。SBIHDは社債や不動産、美術品、映画版権などがデジタル証券化され、市場が拡大するとみている。複数の事業会社や証券会社が一般投資家向けの発行を準備する。」(同記事より)

まあ、デジタル証券のイニシャルマーケットでの募集があって、初めてセカンダリーの展開が開かれるので、これから2年を待たずしてデジタル証券の募集、つまりSecurity Token Offering(STO)が続々、実施されてくることになるのだろう。

この記事でSBIが言うように、これまで上場企業など一部の発行体しかできなかった直接金融がすそ野を広げ、投資家に「社債」「不動産」「美術品」「映画版権」などの投資ニーズを喚起していくことになる。
これまでも主に私募で同様の投資対象を有価証券化する手段はあったが、「STO→PTSでの流通」という新しいマーケットを醸成し、結果、より幅広い投資資金を集めることが期待される。

昨年5月の金融商品取引法改正で認められたSTOだが、具体的投資案件はまだ出てきていない(と思う)。最初はおそらく、それなりにクレジットの高い案件が採択されるだろう。
ある程度実績のある未公開企業が発行する「社債」や、これまでの資産流動化型証券と同様の、明確なキャッシュフローを持つ「不動産」などが想定される。

自分は“エンタメとファイナンスを国内外につなげるクリエイティブ人材”を目標としている。そういう意味で、「社債」「不動産」以上に「美術品」「映画版権」等の“エンタメ金融”が気になる。

<美術品とPTSは親和性が高い?>
例えば美術品については、SBIグループにはSBIアートオークションという会社がある。ここはスタートバーンという会社と組んで、美術品に電子タグを貼り付けてブロックチェーンで管理する仕組みを導入している。(なお、ここで扱うのは現代美術品という限られた商品群のみ)
電子タグと紐づいた分散管理台帳で所有者情報などの履歴が追跡できることで、信頼に足る真贋管理さえ最初にできていれば(この会社での“真贋管理”の方法はよく知らないが)、オークションで取引される美術品の信頼度は担保される。

美術品市場とデジタル証券のPTSは親和性が高いかもしれない。
美術品は海外では富裕層向けオルタナティブ投資の一つで、日本でも数多くのコレクターがいる。
美術品と言ってもその種類は様々だし価値もピンキリなので、取り扱うのは一部のものに限られるとは思うが、例えば法人所有などで一定の評価を得ている作品をPTSで売買する、という流れができていくかもしれない。

そうなると、下部構造として美術品オークションが活発化するかもしれないし、美術倉庫での管理需要も増えてくる。倉で埃をかぶった隠れた名品を探し回る美術商や古物商も活躍しそうだ。
また、電子タグを使った美術品のブロックチェーン管理が一般化してくることで、副次的に美術品の「オープンアーカイブ」のようなものが出来上がっていくことになるだろう。

ただし、これはSBIグループが独占するような話ではない。世界中に複数の管理システムがあっても、現物とオープンデータベースのリンクさえ取れていれば、どこのオークションやPTS市場で取引されてもかまわない、と思う。

戦国時代、信長の「大名茶の湯(茶の湯御政道)」で茶道具の名品は1国に相当する価値を持った。さすがにそこまでは望めぬにせよ、デジタル証券としての美術品市場は裾野の広い有望市場だろう。

<機関投資家の参入>
上記の美術品は本来、個人取引が中心の場になるだろうが、デジタル証券の取引活性化のためには機関投資家の参入は欠かせない。

SBIグループには、先日、アメリカのSecuritizeとのパートナーシップを発表しているSBIデジタルアセットホールディングスがあり、機関投資家など大口のデジタル証券への投資・調達需要に対応する準備が進んでいる様子だ。
参考:SBI広報資料「SBIデジタルアセットホールディングスとSecuritize、Securitizeのデジタル証券発行・管理プラットフォームとSBIのデジタルウォレットソリューションを統合する計画を発表」

投資にあたって情報収集力が乏しい個人投資家にとって、適正なディスクロージャー(当初開示・継続開示)が欠かせない。デジタル証券もこのあたりのルール化が今後の肝なのだろうが・・・さりながら、日本の当局はとにかく規制、規制で屋上屋を重ねていく傾向が有るので、結果的にグローバル競争力を阻害させないか心配なところでもある。

いずれにせよ、当初はプロ投資家(機関投資家など特定投資家)を中心に市場形成されていくであろうことは想像に難くない。

とはいえ、デジタル証券がそのプレゼンスを発揮するのはむしろ、個人投資家マーケットだと思う。

<ファンマーケティングへの援用>
デジタル証券については、『デジタル証券のシンガポール集中とエンタメファンド』でも触れているとおり、「ファンマーケティング」への援用も期待されている。
例えば「上場株式」には発行企業と株主を繋ぐ「株主優待」の仕組みがあり、これは企業にとっては長期的にその企業のファン(ロイヤルカスタマー)を獲得するツールになっている。
とはいえ、株主優待は権利処理日時点で名義書換えされている顧客のみがターゲットになり、即応性もない。
一方、ブロックチェーン上で管理されるデジタル証券は、所有の移転がほぼリアルタイムで把握でき、かつ、特典の付与も自在に可能だ。
発行体企業が持つ個人データとリンクさせれば、株主優待よりきめ細やかなサービス提供ができる。

自分が思うに、これからの「金融」は「マーケティング」(なかんずく「デジタルマーケティング」)と不可分な世界になってくるはずだ。
そして、証券営業を筆頭とした(特に中堅企業オーナーなどの資産家を顧客とする)“富裕層ターゲット金融マン”は、「投資案件」としてだけでなく「ファイナンス+マーケティング案件」としてデジタル証券の活用を顧客に提言し、そのソリューションを提示することが求められる。

例えば、顧客である中堅企業オーナーに「『タレントA』のファンイベント」「『映画B』のファンイベント」などへの協賛とイベント売り上げのキャッシュフローを礎にしたデジタル証券を発行を提案し、タレントAや作品Bのファン層を投資家として企業のロイヤルカスタマーに取り込む(サロン化)、という戦略を提言・実施することが「新しい金融マン像」の一つになるのではないか。
そこにはマーケティング知識も必要だし、エンタメに対する造詣も必要だ。

もちろん、SBIが電●などメディア側の企業と組んでこういったソリューションを提供する方向性も考えられる。しかし、「金融」という規制業種では従事者の資質が問われる。
「証券外務員資格」だったり「適合性の原則」などの投資家保護ルールをきちんとわきまえ、ファン投資家への適切な提案やディスクロージャーを行える人材である必要がある。
自ずから、(“広告マン”や“マーケター”ではなく)“金融マン”が対応せざるを得ない。

これについてはいろいろと異論もあるだろう。しかし、これまで金融と映画・エンタメという異なる分野の接合点を探し続け、かつ、富裕層ターゲットビジネスに可能性を求めてきた自分としては、この方向を期待していたい。

<映画版権とクリエイティブへの還元>
ちなみに、記事に「映画版権」とあるように、一般的にSTO→PTSで求められるエンタメ投資案件は、前述の“企業プロモーション用『映画B』投資ビークル”証券ではなく、著作物として確定した(固定された)作品だろう。
今後、STOが映画の製作委員会を代替する映画ファンドの位置づけになり、完成させた映画(版権)を小口化してPTSを通じて個人投資家などに売り出す、という流れも想定される。

もちろん、映画への投資は完成リスクそのものが大きく営業成果もピンキリなので、STO案件は精査されるだろう。場合によっては、先に製作委員会などが完成させた映画(版権)を買い取る事業体ができ、そこがデジタル証券の発行者になる、という形態になるかもしれない。

いずれにせよ、小泉政権下の2003年の「知財立国宣言」以降、ずっと期待されていたが全く発展してこなかった「エンタメファイナンス」が、STO→PTSという形でようやく広がってくるかもしれず、その可能性に賭けて10数年を過ごしてきた自分としては、今、とにかく期待しかない状況ではある。

ただ・・・少し、これまでの「STO」から話が外れるが、「『コンテンツ・イズ・キング』と『天下の秤』」で書いたように、これがクリエイティブ、なかんずく「ゼロをイチに」したクリエイターへの搾取になってしまっては身もふたもないと考えている。

記事の「映画版権」は音楽でいう「原盤権」と同じで、その著作物(1/29修正:×著作物→〇固定された著作物としての音源)の様々な局面での利用により発生する経済的利得を生み出す源泉だ。
音楽の原盤権はショービジネスが発達したアメリカでは投資・利殖の対象であり、そのクリエイティブを担った者とまったく無関係に取引されてきた“悪習”が、最近になって問題視もされている。

参考:米投資会社がテイラー・スウィフトの原盤権を約312億円で買収した理由(Rolling Stone Japan 2020/11/20 17:30) /テイラー・スウィフトを憤慨させた、米エンタメ界の敏腕スクーター・ブラウンの野望(ローリングストーン ジャパン 2019/07/14 12:30)

上記参考記事では、テイラー・スウィフトはシャムロック・キャピタル(以前の原盤権保有者から買い取った投資ファンド)の投資家たちと“win-win”関係が築けているようだが、おそらくこういったケースは例外的だろう。
実際問題、お金を出す者がその立場を顕示してクリエイティブ側を搾取する構造が圧倒的に多い。映画の製作委員会における原作者や制作会社の低い位置づけについても同様だ。

例えば、多くの「アニメ作品」が製作委員会方式で製作されている。アニメの場合、マーチャンダイズ化(キャラクターライセンスに基づく各種商品化)による収益期待が大きく、玩具メーカーなどが出資と引き換えに窓口権を持つようなケースが多い。キャラクターライセンス・サブライセンスの売上は窓口権控除後、出資比率に応じて製作委員会メンバーに還元されることになる。
これは普通にビジネスとして定着しているし、問題があるわけではない。

でも、自分はなんとなく違和感を持つことがある。
例えば、劇場での公開。これは、まぎれもなく「アニメ作品」の版権の使用、と言える。二次利用のネット配信での公開。これも「アニメ作品」の版権の使用だ。
でも、「アニメ作品」のキャラクタービジネスは、「アニメ作品」の手柄だろうか?
もっと“川上”の、作品の世界観・キャラクター造形を作った大元のクリエイター(原作者など)の手柄なのではないか?

(1/29追記)カラオケの収入が「CD音源」の原盤権を持つ人たちに還元されず作詞家、作曲家というクリエイターに渡るように(「カラオケ音源」の原盤権保有者に権利があるのは当然だが)、金銭面でもクリエイティブ面でも直接的に世に生み出す工程に携わっていない権利者には(権利が譲渡された場合を除き)対価を得る権利がないのが普通だと思う。だから、すでにキャラクター・世界観が出来上がった原作をアニメ化した「アニメ作品」の権利者が、以降のキャラクターライセンスを牛耳るような姿は、(ビジネス慣習としての理解はあれど)なんとなく違和感を感じてしまうのだ。(追記終わり)

もちろん、アニメ作品を作るにあたって金を出す製作委員会の存在がなければ、その世界観やキャラクターは広く周知されることはなかったかもしれない。窓口権を持つ玩具会社が原作者のキャラクター造形などのクリエイションに影響を及ぼすこともあるだろう。

それでも、版権をお金で得た人が、(お金のない)クリエイターのクリエイティビティの対価を“多めに”受け取っている感じがする。

これは結局、「版権」を形成するにあたってクリエイティブ側に出資する能力がないから、という要因に帰結する気がする。
(契約上、成功報酬などでの還元はあり得るが、その権利を得るためのハードルは高い)

今後、映画の世界では、例えば上に書いた「企業協賛によるファンマーケティング・ビジネス」のような新しいジャンルの収益源が生まれるかもしれない。
また、これまで日本国内だけがターゲットだったが、今、一気に世界にマーケットが広がりつつある(作品によるが)。
その成果を「版権をお金で得た人」にのみ還元する構造ができてしまっては、“ヤバイ”気がしている。

先日の『オリラジとポケモンとSTO(雑記)』で、原作など“メタ”(源流、川上)な段階での(株式会社ポケモンのような?)ビジネスユニットが最初にあることが望ましい、と書いた。
これはまだ具体的なイメージではないのかもしれないが、原作段階で原作者と“二人三脚”できる「パートナー的投資家」とのユニットが、“作品ごと”に作れるようになればいいのではないだろうか。

<イニシャルなLLPとシニアビジネスマンの活用>
これはまだ“ぐるぐる”思考の段階で、まとまったアイディアではないが・・・。
これから、民主的なコンテンツ製作というのが一つのトレンドとして現れると思う。“メタ”な段階でのコンテンツにファンが集まり、そのファンが集まる熱量を期待して、企業マーケティングへの援用や映画などの高次な(川下)コンテンツ製作につなげていく、という流れだ。
メジャーな雑誌メディアではなく、ネット上の投稿サイトなどの素人コンテンツから“花開く”ケースもあると思うし、むしろ、そういうルートからの「構造化」ができるかもしれない。
そこを担うのが“金融マン”だとしたら? その可能性はないだろうか?

それは、有望なベンチャー企業を育成し囲い混むエコシステム、つまり、エンジェル投資家やVC、会計士、インキュベーション企業、といった、(“エンタメ産業”よりは)“金融ビジネス”に近い生態系を構築する、という取り組みだ。

例えば、「有望な原作を見つける」「“パートナー投資家”をマッチングする」「ファンを集める(寄付なども)」「集ったファンの熱量を活用する(スポンサー)」「川下(大型)コンテンツ化への物理的・金銭的サポート」といった一連の流れをサポートする、金融側のネットワーク上の仕組み、というイメージなのだが・・・。

原作者のクリエイターにはビジネス面のあれやこれやは全く分からない。パートナー投資家が金を出し、手足を動かすことでビジネス化を図るわけだが、当然、こういう「プロデューサー」業務ができて、かつ、お金が出せる人は限られている。
しかし、パートナー投資家に対してプロデューサー的業務をサポートするプラットフォーム・事業体があれば、どうだろう。
これを金融側のネットワーク上に構築しよう、ということだ。

例えば、シニア金融マンやシニアビジネスマンをターゲットにしたらどうだろうか?
「あなたの第2の人生(あるいは、副業)を『プロデューサー』として生きてみませんか?」
「こんな面白い作品と原作者がいます(ウチのプラットフォーム上に展開します)」
「この作品にはこれだけのファンがいて、(ウチのプラットフォーム上で)『サポートしたい』という小口の寄付がたくさん集まっています」
「この原作を大きなビジネスに育てるため、あなたが出資者となり代表組合員とした『有限責任事業組合(LLP)』を作ります。原作者を組合員にして還元する仕組みにしてもらいます」
「アドミ面のサポートやビジネス上のアドバイスはしますが、作品と原作者を育てて大きくするのは、プロデューサーの仕事ですよ。頑張ってください」
「制作会社(制作プロデューサー)などとのマッチング機能も(ウチのプラットフォーム上に)あります」
「有望な作品は、企画開発ファンドから資金サポートします」
「製作委員会のかわりにSTO組成のアドバイスを行います」
「一連のアドバイスフィーはいただきますが、成功報酬はもらいません(成功はあなたと原作者のもの!)」
等々・・・。

STOの運営ビークルにこのLLPがなる、あるいは製作委員会メンバー(出資)で入ることで、「版権」の権利者として対価を得て、原作者に還元してもらえるという、エコシステムを作れないだろうか?

今、自分の周りにいる方々に声をかけてみようか。また「あなたはいつも、妄想が過ぎる」とたしなめられるだろうか?

<まとまらない「まとめ」>
また長文となり、まとまらないまま終わる・・・せめて少しでも読みやすいように、と、「まとめ」を設けることにした→→→冒頭に

進化論と資本主義と「徳の経済」(長文の雑記)

実は今、新たなウェブメディアを立ち上げようと目論んでいて、そのことは多少の周りの方々にお伝えしている。
簡単に言うと、金融ビジネスに従事する自分に年齢が近い方々への“お役だちサイト”的なものだ。
しかし、お恥ずかしい限りで、まったく作業がはかどっていない。構成はあらかた決まっているのだが、基本情報の文章(テキスト)がまったく進まない。いや、ほとんど書き出せてすらいない。
数年間、ライターとしても仕事をしてきたにもかかわらず・・・いやはや、どうも。

それで、基本情報ではなく、気分転換でとりあえずウェブメディア用ブログ記事を書くことにした。
(このウェブメディアでも、各種の補足情報などはこのようなブログ形式でアップデートしようと思っている。)

以下のブログ記事(青字)は、ネットで「人間の『心』も進化の過程で定まってきた」という仮説があることを知り、それにかこつけて、“お役だちサイト”の一つのトピック「まずは『自分がやりたいこと・好きなこと』を知りましょう」に結び付けよう、と書いたものだ(まだ仮稿)。
長文で申し訳ない、、、です。

この記事を書きながら、「この内容は、自分がずっと提唱してきた『徳の経済』につながってくるのではないか?」と漠然と感じている。
長文のあとに、続けて書いてみたい。

(仮題)「進化」の観点からこれからの生き方を考える

(人間の進化と「社会性」)

最新の進化心理学・脳科学では、現代の人間の「心」も進化の過程で定まってきたという仮説を提唱しているそうです。
キリンという種で首の長い個体が生き残ってきたように、人間はある能力を持っている者が生き残ってきた。逆に言うと、それを持たないものは排除され生き残ってこられなかった、ということです。
その能力が「社会性」です。

人類は太古の昔から群れ(共同体)を作って生きてきました。共同体から除外されることは、即、死を意味します。現代人は、共同体で生き残ってきた先祖を持つ子孫たちですから、そこから除外されないような特性に最適化して生き残ってきた、というわけです。

例えば、群れの中に「子供を愛し育てる」という特性の遺伝子を持つ個体と「子供を愛さず育てない」という特性の遺伝子を持った個体がいた場合、後者の遺伝子が残ることはありません。結果、人類は群れの中の存在を愛し育てることで生き残ってきました。社会性を持つ個体が生き残ってきた、と言い換えてもいいでしょう。
実際、我々は共同体に所属すると脳内の「ドーパミン」という快楽を感じる神経伝達物質の量が増え(=幸福感)、孤独を感じるとその量は大きく減少するそうです。

共同体に生きる者は“身内”を守り“異端者”を排除する傾向が有りますが、これも脳科学で説明できるそうです。
人間は、長い間誰かと同じ空間で過ごすと、「オキシトシン」(=愛情ホルモン)という脳内物質が分泌され“仲間意識”が発生します。この「仲間を守ろう」という気持ちは、同時に「邪魔者を排除しよう」という意識も発生させます。
集団の中で逸脱した存在があれば、それを排除することで集団を守ろう、という制裁行動をとる方向に向かうのです。そして、制裁行動をした場合、脳内にはドーパミンが放出され、幸福感を感じることがわかっています。

(いじめと社会発展)

最近、不倫した芸能人を、個人のつながりは何もないにもかかわらず、ネット上でムキになって叩く人が少なくありません。
その人の脳の中では、対象を集団内の異端者として認識し、それを制裁することで快感を得る、という、我々が進化の過程で育んできた脳内メカニズムが発動しています。異端者に罰を与え「正義」の制裁をすることで、達成欲求や承認欲求が満たされ、幸福感を感じているのです。
世の中で一向になくならない「いじめ」も、この脳内メカニズムによるものだと言われます。いじめをする者にとって、いじめは快楽を得る手段なのです。

自分は平均より優れていると感じる「優越の錯覚」という言葉があります。多くの人は、知能や技能、望ましい性格などについて比べてもらうと、“自分は平均より上だ”と錯覚する傾向があるそうです。これもドーパミンと脳活動ネットワークの相互関係によるものです。
健常な人は、たいていこの錯覚を持つ傾向があります。逆に、気分が沈みがちな人はドーパミン量が少なく、より現実的に自分自身をとらえてしまう傾向が有ります。
世の中には、他人を見下し嘲るような人が少なくありません。いじめの原因がこの優越の錯覚によるものだ、と言い切ることはできませんが、「いじめは人間の本能であり、決してなくならない」という主張にも、残念ながら説得力を感じてしまいます。

一方で、この優越の錯覚のおかげで、人は「自分の可能性を信じて未来への希望や目標に向かう」ことができる、とも考えられています。優越の錯覚により自己肯定感が強い人は、社会の繁栄や人類の進化に中心的役割を果たしてきたといえます。
(ただし、過剰な自己肯定感は無謀な行動と紙一重で、自分を客観的に認識できない能力の低い人ほど、自らを過大評価してしまう傾向(「ダニング=クルーガー効果」という認知バイアスの一種)も指摘されています。)

ここまでをまとめると、
・人類は進化の過程で「社会性」を持つものが生き残ってきた
・人間には共同体の中で生存することを前提にした脳内メカニズムがある
・この脳内メカニズムは共同体を守り異端者を排除する傾向があり、“いじめ”も生むが自己肯定感による“社会発展”も生んできた
ということになります。

(人間の進化と「クリエイティビティ」)

ところで、私たち人間は、ただ共同体の中で(無難に)生きることを目的として生きているのでしょうか?
むしろ現在、高度に発展し進行した資本主義社会の限界が見え、かつAIの進化でシンギュラリティが目前に迫り、我々の居る共同体そのものが大きなパラダイムチェンジを余儀なくされていると言えるのではないでしょうか。
このサイトをご覧の方の中には、これまで培ってきた経験や能力が顧みられなくなり、自身の価値が土台から崩れ去るような漠たる不安感を抱えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

筆者は、そんな不安を克服するために、我々人類が「社会性」と同時に持つ、ある際立った能力を発揮するべく意識して生きることが重要だと思っています。
それが「クリエイティビティ(創造力)」です

われわれ人間は、1日の大半を脳の中で“シミュレーション”することで過ごしているそうです。これはサルなど社会性を持った集団で暮らす動物にも見られる性質です。
サルの群れは、「アルファ雄(オス)」(ボス猿)と言われる群れを統べる個体を頂点にしたピラミッド構造をしています。ボス猿が群れにいるすべてのメスを独占的に交尾できるわけですが、では、群れにいるほかのオスたちにはメスと交尾の機会がないかというと、そうではありません。
オスたちはボス猿の表情を観察し、自分がする様々な行動にボス猿がどう反応するかを見極めながら、群れのメスと交尾しようと試みます。もし、この見極める力が拙ければ、そのオスはボス猿に殺され、子孫を残すことができません。
ですから、「今、メスにちょっかいを出してもボス猿に怒られないだろうか?」といった“シミュレーション能力”(≒知性)に長けたオスだけが子孫を残すことができた、というわけです。

人間も、「好きな子を振り向かせるには?」「新商品の価格設定をどうするか?」「どうすればこの難局を乗り切れるか?」といったシミュレーションを繰り返して生きています。
人間のシミュレーションには、サルたちと大きく異なる点があります。
サルの社会では、自分とボス猿(対象物)、といった狭い世界にとどまるのに対し、人間のそれは客観的な視点(メタ認知)を持っており、この客観的なシミュレーションは、共同体そのものを変える力を持っています。
このシミュレーション能力を別の言葉でいえば、“未来を読む力”であり“想像力”です。
想像力に基づいた行動を「クリエイティビティ(創造力)」と定義すると、人類はクリエイティビティの発揮によって社会を変革し、発展させ続けてきた、と言えるでしょう。

そして、ここにも脳内メカニズムの効用があります。
クリエイティビティは“好きなこと”を突き詰めることで発揮されます。
人間は好きなことに向かうと、ドーパミンが放出され幸福感を得ることができます。好きなことをやっていると、そのタスクに対して高揚感や自己充足感を感じ、集中力やモチベーション、記憶力、学習効率が高まるのです。

つまり「クリエイティビティ」は「社会性」と同様、人類の進化の過程で生き残るために不可欠な要素であり、我々は自然にその機能(脳内メカニズム)を備えているのです。

(変革の時代こそ大事な「クリエイティビティ」)

さて、ここで、あえて大胆な決めつけを行わせてください。それは、
「現在は人類の進化過程における大きな転換点にあり、社会(共同体)そのものを変革すべきタイミングにある」
というものです。
変革のための要諦は個々の「クリエイティビティ」の発揮です。

我々は「社会性」を持つため、異端者を排除する性質を持っています。
卑近な例をとると、日本の企業社会では“新しいこと”を始めようとすると、寄ってたかって足を引っ張り、周りがその行動を阻止する方向に向かいがちです(前例踏襲主義)。
ですが、クリエイティビティは人間の特性でもあるので、本来、クリエイティビティを発揮する人は異端者と認識されるべき対象ではないはずです。
逆に言えば、こういったクリエイティビティを潰し続けるような組織や社会は、人類の進化に抗いこそすれ、発展には全く寄与できないのではないでしょうか。

現在の金融ビジネスは、特に日本においては、前例踏襲主義が顕著な業界です。
しかし、フィンテックや仮想通貨、デジタル決済、デジタル資産など、これまでの“金融”の概念では到底追いつかない技術革新が続出し、金融ビジネスは大きな変化を求められています。

そんな中で、これまで「金融ムラ」ともいえる共同体で過ごしてきた皆さんにとって、「セカンドキャリアを考えよう」と言われても、何をしたらいいか、どこから手を付ければいいものか、と戸惑ってしまうのも無理はありません。

このサイトでは、まず初めに「『自分の棚卸し』から始めましょう」と言っています。特に、
・自分がやりたいこと・好きなこと
を、しっかり考えてください、とお願いしています。

これは、皆さんのセカンドキャリアでは、好きなことを起点に行動して皆さんの脳にドーパミンを放出していただき、一人一人がクリエイティビティを発揮していただきたいからです。
その上で、それが社会貢献や社会変革につながる方向性を考えていただきたいです。

「クリエイティビティを土台に社会貢献・変革(=社会性の発揮)を行う」ことで、皆さん一人一人が人類を新しい次元へと進化させていくことになるのです!

(なお、上記内容は脳科学者の中野信子著『ヒトは「いじめ」をやめられない』や橘玲著『不愉快なことには理由がある』とそれを説明する「本要約チャンネル」(Youtube)のほか、多数のネット記事を参考にしました。
ただし、主張されている内容は筆者の考えによるものです。)

 

以上のように、「自分が好きなことをする」が進化の観点で人間としても社会としても自然な行動で、クリエイティビティが大事だ、という自分の主張もご理解いただけたのではないだろうか?

さらに、「徳の経済」について、記事に続ける形で書いてみようと思う(青字。これも、記事で参照した情報が考察の素になっている)。
更に長文となり、恐縮、、、です。

 

(社会の進化と「徳の経済」)

資本主義の礎となるのは「貨幣」です。我々現代人は、漠然と“金持ちになる”ことが幸せにつながる、と考えています。しかし、進化心理学が示しているように、人間は本来、共同体に属し、その一員と承認されることで幸福を感じるのです。

進化心理学の考えでは、貨幣の起源は「お互いに利益を与える」ことだそうです。
親切を受けた相手を覚えておいて「お返し」をする、という行動は人間だけでなく多くの動物にも確認される行動です。
このような“親切”と“お返し”のやり取りを可視化したものが、貨幣の起源である、ということです。

しかし、貨幣そのものの価値が高く認識された結果、貨幣を集めることで権力者になっていく、という図式になっているのが、今の資本主義社会です。
貨幣を持っている相手に対し、人は“親切”と“お返し”のやり取りを義務付けられているような状態です。貨幣を介し、持たない者は持つ者に従属するに等しい、とも言えます。
お金を持っている人も、共同体の一員としての承認を得ることでドーパミンを放出する、という、人間の進化に沿った幸福感を得ることはありません。
今の資本主義社会は、人類の進化の上でも、あまり正しくないのではないでしょうか。
(とはいえ、金儲けした場合、人はやはりドーパミンを放出し、大きな幸福感を感じます。ただ、あくまでその幸福感は一時的なものですし、金儲けの幸福感を味わいたいがために「ギャンブル依存症」に発展するリスクもあります。)

先ほど、“決めつけ”として、
「現在は人類の進化過程における大きな転換点にあり、社会(共同体)そのものを変革すべきタイミングにある」
と書きました。

これは(決めつけでなく)あくまで自分の意見ですが、社会は「徳の経済」によって変革されていく可能性が有るのではないか、と思います。

私どもが推進する「徳の経済」は、共同体の中で、誰かのためにお金を出した人(サポーター)が認知・承認され、かつ、その報酬として対価を得る、という考え方です。
「アドコマース」として社会への支援を可視化し、かつ、「TOKU」という支援者・サポーターへの報酬を(主に)企業広告が支える、という仕組みです。
この仕組みでは、サポーターは社会からの承認(社会の一員としての人類の進化にかなった幸福感)と経済的な対価を同時に得られます。
「TOKU」を支える広告主たる企業にとっても、サポーターに幸福感を与える支援をするため、その分、ロイヤルカスタマー化が期待できます。

現段階で、構想自体まだ精緻なものになっていませんが、「徳の経済」という方向性は、人類(の共同体)の進化につながっていく予感が有ります。

あまりまとまらない上に、大言壮語も甚だしいのだが(「ダニング=クルーガー効果」でないことを信じたい)、ドーパミンを放出し(?)、クリエイティビティ―を発揮して推進できれば、と思う。
また、まだ理念でしかないこの共同体の支持者を広げていき、その構成員にドーパミンとオキシトシンを放出していただきたい。

オリラジとポケモンとSTO(雑記)

●オリラジ・中田敦彦が明かした退所後の構想 2025年には武道館に(LivedoorNews 2020年12月29日)
https://news.livedoor.com/article/detail/19457165/

今さらの情報だが、お笑いコンビのオリエンタルラジオのお二人が昨年末に吉本興業を退所してフリーになった。
(テレビなどのレガシーメディアや大手芸能事務所など“メディア芸能ムラ”が外部環境の変化で右往左往する一方で)“「個」が個々の能力やつながりでビジネスをマネージする時代”への潮流を象徴するニュースの一つだった。
彼らがYoutubeで公開している記者会見(風?)動画を、遅ればせながら拝見した。そこには、これからの自分が目指すべき(あるいはもっと広く、社会そのものにとっての)いろんなヒントがあった気がする。

このYoutube動画のコメントに、「オリエンタルラジオ株式会社が有ったらその株を買う」とか「オリエンタルラジオ興業を作って!」のようなコメントが散見された。
自分はこの間、ブログ「「コンテンツ・イズ・キング」と『天下の秤』」の中で、これからのコンテンツビジネスはマルチなウィンドウでの流通、ファンとのインタラクティブ性を基調に、クリエイティビティを軸にした株式会社ポケモンのようなビジネスユニットが求められる、と書いた。
コロナ後の映画産業をぐるぐると考える」でも書いた通り、例えばジャニーズのアイドルなどタレントの動画などは一種の「映画」コンテンツだし、その源泉となるタレントは、ポケモンなど創作物の“原作”のようなメタな存在だ(≒川で例えると「川上」の位置にあたる)。
だから、「オリラジ(株)」(仮)は「(株)ポケモン」と同質のビジネスユニット、ということになる。

<追記:2021/1/13>※ 「メタ」・・・ある事象の源流となる抽象的概念を示す接頭語。「高次の」「川上の」という意味に近い。(福原秀己著『2030「文化GDP」世界1位の日本』(白秋社)より)<追記終わり>

これから、こういった個々のコンテンツごとに、クリエイティビティを中心に置く形態の「ビジネス体」が、コンテンツの価値を高め(可能な限り)永続性を保つ目的で設立・運営されていくのではないか。
一方、芸能事務所や出版社などレガシーメディア側は、例えばそこへの出資やマネジメント面での人的関係を保つ形で、共生を図っていくことになるのかもしれない。

そして、ここに新たに金融側のビジネスチャンスも出てくるのでは、という気がしている。
上記オリラジの記事で「2025年に武道館でライブを」とあるが、本人たちの会見動画の中では、「(ライブ開催のために)自分たちがリスクをとってお金を集めなければ・・・」という不安(?)なコメントもあった。
これまで、リスクのある先行投資やイベント開催の資金調達には芸能事務所やそれに連なるスポンサー企業獲得システム(広告代理店含む)が必要だった。
一匹狼になったタレントやコンテンツなど、ファンは持つが資金力のないビジネス体には、単独でお金を集める力は乏しい。
そこをサポートするのが、これからの「金融ビジネス」の一ジャンルになるのではないだろうか?

「コンテンツ・イズ・キング」と『天下の秤』」や「デジタル証券のシンガポール集中とエンタメファンド」などで書いた通り、自分はSTO(Security Token Offering)は重要なツールになると考えているし、その投資対象のファン吸引力を当て込んだ企業マーケティングへの援用も大きなビジネスチャンスであると思う(個人データ利用についてのルール作りは必要だが)。

例えば、まずは企業が1社提供のスポンサーになってコンテンツやタレントのイベントに資金提供し、その上で企業が発行者となる(?)STOを行い、ファンである投資家と一緒にイベントを盛り上げるような図式を形成しながら、イベントの成否によるリターンを期待させる、というようなエンタメファイナンスの形態は、成立し得るのではないだろうか。このファン投資家との関係構築はスポンサー企業にとっては将来のロイヤルカスタマー獲得につながる。つまり、投資でありながら「ファンマーケティング」の要素が加味されることになる。

昨年改正の金商法で規定されたSTOは、金融側のプレイヤーである第1種金融商品取引業者(≒証券会社)にしか認められない。今、証券マンは資産運用でしか顧客と繋がれていない。IPOやM&Aなど企業ファイナンスでかかわれるケースはあるが、稀な話だ。
しかし、こういったファンを持つコンテンツを絡めたマイクロファイナンス的STOで「エンタメとファイナンスのつなぎ手」になることで、新たな道が得られる。
自分は、これは総合証券会社が組織で行える仕事ではないと思っている。「STOとアイドルファンドと徳の経済」に書いた通り、中堅企業オーナーなど顧客としっかり関係構築ができているIFA の“個”の力(やその”個”のつながりの下)で実現していくのではないだろうかと思う。

さらに言うと・・・。
イベントに際し、スポンサー・投資家への資金還元が集中してしまい、肝心のタレントなどに還元が少ない、という事態が起こらぬよう「アドコマース」が併用される、という未来像もあり得る。
この「スラマット」(イメージのための暫定版)のようにイベントチケットに個々のスポンサーを募るという考え方だ。
(現時点で自分の中でスラマットの概要は再考中なので、本件に関しては、もう少し頭をひねらないといけない、とは思っている。)

いずれにせよ、自分がずっと「エンタメとファイナンスをグローバルにつなぐことができるクリエイティブ人材」として目標としてきたことへの一つの具体的な道筋が見えてきた気がする。

「コンテンツ・イズ・キング」と『天下の秤』

●アメコミ映画「何作出ても」ヒットが続く理由 著作権を出版社が持ちストーリーを「いじれる」(東洋経済ONLINE 2021/01/05 15:00)
https://toyokeizai.net/articles/-/397580

ハリウッド映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』をプロデュースし、内閣府クールジャパン官民連携プラットフォームアドバイザリーボードメンバーでもある福原秀己氏の記事。

福原さんは自分がメリルリンチ日本証券にいたときのエグゼクティブで、自分がコンテンツ業界を目指して以降、これまで何度かご相談に伺った(一度は、サンフランシスコまで押しかけて行ったこともある)。その都度、邪険にもせず真摯なアドバイスをしていただいた。とても感謝している。

記事内容は、
・『スパイダーマン』『アベンジャーズ』などアメコミ出版社マーベルは映画化、アニメ化、マーチャンダイズ化などで世界規模の経済を持つコンテンツ企業となった
・アメコミのコンテンツの強さは、①キャラクターが品行方正で不老不死②経済的価値が減価しない③ハリウッド映画にストレートになじむコンテンツ④出版社が著作権を持っている、という点だ
・この①~③は日本のマンガ・アニメも同等だが、④が違う。この“出版社が著作権を持つ”ことが「キャラクターが不老不死である」ことを可能にしている
・アメコミのシリーズではキャラクターは引き継がれ、活躍し続け、成長もしていくが、作家は随時入れ替わり、ストーリーとイメージ(絵)も頻繁に変わる
・一方、日本のマンガ・アニメは『鉄腕アトム』といえば手塚治虫氏、『ドラゴンボール』といえば鳥山明氏であり、ほかの作家が描いてキャラクターが進展していくことはない
というものだ。

この記事にあったが福原さんは『2030「文化GDP」世界1位の日本』(白秋社)という本を出されており、そこで「現代はコンテンツが世界経済を動かす時代」「2030年、日本は工業製品ではなくコンテンツの輸出大国になる」と述べておられるようだ。
(“ようだ”なのは未読なので。さっき購入したので、これからちゃんと読ませていただきます!)

日本のマンガ・アニメ人気や最近の80年代シティポップブームなど、日本発のコンテンツが世界のコアなファンを獲得してきたことは事実で、日本が今後コンテンツの輸出大国になる、という期待は大いにあると思う。
このブログで「コロナ後の映画産業をぐるぐると考える」などでも書いたように、これからは“映画”の定義が拡大し、コンテンツビジネス自体がよりマルチなウィンドウでの流通やインタラクティブ性(ファンとの交わり)を包含した横断的な傾向が強くなると思う。
場合によっては、「デジタル証券のシンガポール集中とエンタメファンド」などでも書いたように、“インタラクティブ性”の担い手の一部は「STO」を介した金融ビジネス領域になるかもしれない(というか、自分はそれに期待している)。

だからこそ、強力なコンテンツを軸にした統合的なビジネス主体(やビジネス推進者)が必要になってくる、と思われる。
例えば、中国のテンセント(子会社)はメディアの川上から川下を押え、かつ、まだ手あかがついていない原作を抱え込む「メディアコングロマリット」になっている(今や海外の音楽レーベルも買い漁り、コンテンツを軸にエンタメビジネスの領域で網羅的に稼げる体制をグローバルにも構築しつつある)。
日本はすでにコンテンツ・メディア業界が分化しているので、メディアコングロマリット的な方向性よりは、むしろ複合的に企業が集まってビジネス推進をする形が現実的に思う。ただ、それは今の映画の「製作委員会」のような“寄り合い”ビジネスではなく、「株式会社ポケモン」のようにクリエイティブの核を担う者とビジネス推進企業が統合されたビジネス形態が理想的なように思う。
上記福原さんの記事では、アメリカではそれが出版社「マーベル」だ、ということなのだろう。

ただ、この議論の中で、どうしても感情的にわだかまってしまうことがある。それは「ゼロをイチにする(した)人」への眼差しの欠如だ(「1を10にする」過程でのクリエイティビティに関する同様な思いもあるが)。

コンテンツの生育過程には3段階あるとしよう。
1つは「ゼロをイチにする」。起案者である、原作者や脚本家などクリエイターやストーリー・キャラクター概案を持つプロデューサー等だ。
2つ目は「1を10にする」。起案された企画を練りこみ、作品としてビジネスユニット(手前)までもっていく、主にプロデューサーやクリエイターだ。
3つ目は「10を100にする」。作品をきちんと“商品”として拡販していく、映画でいう製作委員会などだ。

この場合、どうしても第3段階のメンバーの力が強くなる。場合によっては「ゼロをイチにした」第1段階の、本来大きなクリエイティビティを発揮した者の意見が取り入れられず、あるいはまったく“ハブられて”しまう可能性もある。

すごく矮小化した事例で恐縮だが、もう10年以上前に自分は『跳べ!サトルッツ!』という脚本を書いて、それが角川の「エンジェル大賞」に選ばれたことがある。
この物語は、当時勤めていた会社を辞めてすぐに、昔の先輩が趣味のフィギュアスケートにハマっている話を聞き、それをヒントに、人生をポジティブにとらえて書いたのだが、そこにはなんとなく、今に通じる自分自身の想いやスタンス(「Life is entertainment!」)が投影されていたように思う。
この企画はとあるインディペンデント系映画プロデューサーご協力の下、何度も脚本を練り直したり、とある有名映画監督に打診したり、商業映画化に向けいろいろなチャレンジを行ったが、なかなか前に進まなかった。

そんな時、某大手広告代理店に勤める古い友人から「少し動いてやろうか? そのかわり、お前は原作とかからも外されると思うけど」という声をもらった・・・古い記憶なので詳細どころか、この打診が具体的にどんなことだったかすら定かでないが(確か、「実在するモデルがいるんだよな?」ということが重要だった記憶がある。実際には“昔の先輩”はモデルではなく、あくまでもインスピレーションの素にすぎなかったので、「yes」とも「no」とも言えなかったが)。
その時は「(自分はとにかくこの物語を世に出したいので)クレジットとか関係ないから、ぜひお願いしたい」と答えたが・・・すぐに後悔した。
自分が物語を作った“想い”のようなものを説明する機会もなく、企画を“取り上げられて”しまい、自分の手が及ばないとろで事が進んでしまうのではないか? そう不安に思ったのだ。
結局、この友人ルートは、彼がどう動いたか(あるいは、まったく動かなかった?)もわからないまま、なんとなく終わってしまったので、この心配は杞憂そのものだったのだが。
いずれにせよ、自身の力及ばずで、この企画を商業映画化することはできなかった。

このケースでは、自分は「ゼロをイチに」した脚本家(クリエイター)でもあり、「1を10に」しよう、とするプロデューサーの立ち位置でもあった。
作品を実際に商業映画にし、付随ビジネスを含めた経済活動に発展させていこう、と思えば、当然「10を100に」するビジネスユニットの参加が必須だ。
でも、このケースのように、ビジネス側からは「原作とかからも外される」可能性がすくなからず(大いに!)あるのだ、ということに気づかされ、恐怖に近い感情が起こったことを覚えている。

アメリカでは、原作を書いた脚本家やプロットライター(「ゼロをイチにする人」)が映画製作を約束されているビジネスユニットに物語を譲渡し、大きな金銭的対価を得る代わりに、「脚本家」クレジットどころか「原作」「原案」といった位置からも全く外れて“居なかった”ことにされ、代わりにビジネスユニット内の有名脚本家がクレジットされる、といったケースが少なくないと聞く。
日本と違って著作者人格権の要素が薄く財産権的要素が大きい著作権法を持つアメリカや中国のような国では有りがちなことなのかもしれない。
(あくまでもこれは自分の理解で、法律論として正しいかは専門家にゆだねたいが)
一方、著作者人格権が強めとされる日本では、ビジネスユニット側の“圧力”で「“ゼロイチ”クリエイター」が除外されて元の作品とは“別物”として進められ、かつ、金銭的対価も望めない、といった、むしろクリエイターにとってアゲインストな傾向すら有るのではないだろうか。

おそらく、福原さんなら「そんなことはよくわかっている。クリエイティビティ(や想い)が土台にあることは大前提だし、それはここで書いているビジネス面での話とは別の問題だ」とお返しになるだろう・・・というか、なんとなく実際に以前、そんな話をしたような気がする。
上記マーベルの例では、『ハルク』などマーベル作品の原作者スタン・リー氏とマーベル社は切っても切れない関係性だったし、おそらくマーベルにはスタン・リー“イズム”のようなものが行き届いているだろうから、ことマーベルに関しては自分の心配は当てはまらないかもしれない。

だが、特に日本のコンテンツビジネスでは「ビジネス側」は単なる搾取者になるきらいもある。
すごくストレートに書くと、たとえばマーベルが著作権を持つのと同じ感覚で日本の大手出版社に著作権を集める、といった政策がとられるようなら、それは大間違いだと思う。
また、個人的には中国のテンセントがこれから世界のコンテンツビジネスを牛耳っていく可能性にやや不安を感じていたりもする。
昔、このブログの「コンテンツ・イズ・キング」は幻か?」(①~⑨)で書いたように、これから構築されていくであろう新たなグローバルなコンテンツ製作・流通のエコシステムにおいて肝になるのは、あくまで「コンテンツ・イズ・キング」思想であり、「“ゼロイチ”クリエイションへのリスペクト」が大前提である、と思う。

福原さんがおっしゃる「2030年、日本は工業製品ではなくコンテンツの輸出大国になる」という主張が実現するためにも、形態が「株式会社ポケモン」であれ「マーベル」であれ、“ゼロイチ”クリエイターへのリスペクト(むしろ、中心的・積極的な「参加」)を前提にするビジネスユニットがビジネスを担う体制・業界内常識の構築が必須である、ということを改めて強調しておきたい。

<以下、2021/1/8追記>
遅ればせながら、福原秀己著『2030「文化GDP」世界1位の日本』を読了。幅広い考察と具体的データに富んだ良著だ。いろいろ参考になる箇所が多く、これからも何度か繰り返し目を通すことになるだろう。
特に「クロスオーバー」「ファンダム」「ニッチリッチ」といった観点で社会とコンテンツビジネスを読み解く考察は興味深かったし、自分が考え、動いてきたビジネスアイディアも、そういう傾向の中にある気がしている。

なお、通読してわかったのだが、この東洋経済ONLINEの記事は本の内容の一部分を切り取ったにすぎず、決して福原さんは「アメコミ、マーベルの強みは著作権を持っていること。だから(“不老不死”たるために)日本もそうすべき」とは書いてはいない。
むしろ、「日本のマンガの強みはストーリーとキャラクターの創作であり、キャラクターのみを創作するマーベルのアメコミとは異なる(意訳)」「独断でいえばマンガの究極の価値はストーリーの方である」と、作家の持つクリエイティビティをマンガの優位性として説明している。
なので、自分が書いたこのブログ内容は読み方によっては誤解を招いてしまうかもしれず、“追記”として言及することにした次第。
<追記終わり>

ところで、自分は当社の代表者略歴にもある通り、これまで複数のオリジナル映画企画を実現させようと動いてきたが、結局、うまく行っていない。
これまでは、(以前、尊敬する某プロデューサーから「クラシカル・オーサー(=原著作者)の立ち位置は大事にしなさい」と忠告されたこともあり)脚本など「著作物」となる物語を自分が書いて、その後、業界内でビジネスユニット組成の取り組みを行う、という活動を繰り返してきた。

これは結構大変なことで、まず、物語を脚本や小説に書き著すこと自体、ものすごいエネルギーと時間を要する。これを一人こつこつ孤独に行っていくこと自体、非常に労力のいる作業だ(その間の生活のための金も必要だ)。
その上、ようやくできた脚本を企画書に落とし、業界内のプロデューサーなどに話を持っていくと、残念ながら無名の執筆者が書いたオリジナルの物語など、まず誰からも見向きもされない。企画書は読んでも、脚本を実際にきちんと読んでくれた人など、過去にいたのかすら怪しい。
また、こんなことを言うと恐縮だが、脚本を(書いた自分の意図通り)ちゃんと読むことができる人も、あまりいなかった気がする・・・自分の脚本力のなさを棚に上げて、言い過ぎかもしれないが。

だから自分は、次第に「ゼロをイチにする」より「10を100にする」力を持つ必要がある、と考えるようになった。クリエイションを諦めたわけではなく、むしろビジネスそのものにクリエイティビティを発揮すべきだと考えたのだ。
自分は元々コンテンツファイナンスを志して金融ビジネスの領域からコンテンツ側に飛び込んだ人間なので、まずはそこで立ち位置を確立したいと考えた。
その後、コンテンツファイナンスのほか、いろいろなビジネスのチャレンジを自ら行い、ほかの方々のチャレンジに乗ったりもしてきたが、この「ビジネス領域で力を獲得する」という目標自体、まったく遂げられていないのが現状だ。
ただ、これまでの様々な方々を巻き込んできたチャレンジの変遷は、(例えば、『跳べ!サトルッツ!』を書く動機となった、退職をしなかった場合と比べ)大きな財産を自分に与えてくれたと思っている。

例えば、たまにではあるが、いろいろなところから“相談”をもらえるようになった。
昨年の夏ごろに、とある方から「新しいコンテンツ・プラットフォーム」の相談を受けた。その方は、これからの映画やドラマなどの製作・流通は(映画会社やテレビ局など“オーソリティ”側を離れ)より“民主化”していくはずだ、という前提のもと、新しいビジネスを立ち上げる計画を持っておられた。
確かに、今は作品投稿サイトやYoutubeなどでバズった、ある意味まだ未熟な(immature)コンテンツがネット上で支持者を集め、それがより大きなコンテンツと化していく、という事例が増えている。

思えば、これまでの自身の映画企画を顧みると、“民主化”とは真逆のプロセスだったな、と反省したりもする。
例えば、これまで一人孤独に行っていた脚本を(制作過程から?)投稿サイトなどで“みんな”と共有していたら、結果はどうだっただろう?
あるいは、閉ざされた業界内の映画プロデューサーや芸能関係者だけでなく、もっと幅広い先に投げかけ、サポーターを構築できていたら?
全部、タラ・レバなので、今さら言っても仕方がないのだが・・・とにかく、そういう反省も絡め、その方にはいろいろと意見を申し述べた。
一方で、現段階ではオーソリティ側の有力プロデューサーの関与などは必要では? などといった、若干後ろ向きなアドバイスも行った。
(ちなみに、この方のプランを自分の「徳の経済圏構想」に巻き込みたい、と、やや強引な提案を行ったりもしたが、思えば先方にとってはご迷惑だったかもしれない。)

自身、今も「ビジネス領域で力を獲得する」目標は変わらず掲げており、(富裕層ターゲット金融ビジネスとの関連で)前に進めていきたいと思っている。
一方、映画・ドラマというクリエイションを全く諦めているわけではない。
このブログでも何度も書いているが、今、日本の戦国時代と後期倭寇などについての関心がすごくあり、『天下の秤』という物語を打ち出そうとしている。これはまだ「ゼロイチ」どころか「1未満の小数点」という段階だ。

これまでの自分のクリエイション・プロセスからすると、このような初期段階でこんな風に開示したり、周りに話を持っていくことはなかった。しかし、この企画に関しては、すでに何名かの人(特に金融ビジネス関係者などの、直接、映画やドラマの製作に関係ない方々)を中心に、「こういう物語を作り、こういうビジネスを推進したい」という話をしてきた。
一つには、物語の規模がこれまでのものと比べて壮大すぎるため、単純に意見をもらいたかったというのがある。また、民主化(“みんな”への開示・共有)からは程遠いが、このimmatureな段階で多少は共有し、関心を得、できれば「味方」を得たい、という期待もあってのことだ。

最終的に『天下の秤』を軸にしたビジネスユニットができ、STOなど金融ビジネスも包含した大きなビジネスプロジェクトに発展できれば・・・まだ年始で正月気分なので、こんな大言壮語もお許し願いたい。

年初のつぶやき コロナ禍を超え「徳の経済」へ

●日本“格差”の真実…じつは「国」のせいでも「自己責任」のせいでもなかった!(Yahooニュース 2020/12/30(水) 6:31)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f44b3082ee7c483c581e06b57f76f3826b78c32c

現在はSBIグループの傘下にあるレオス・キャピタルワークス藤野英人社長による週刊ダイアモンドの記事。(菅首相のいう)「自助・共助・公助」の中で、これからは「共助」が大事、という内容。
彼は記事の中で、共助を推進する方法論として、『会社四季報』のNPO・NGO(への寄付)版のようなメディアの新設や、「積立寄付」というアイディアについて言及している。「積立寄付」については自ら手掛けたい、と言及している。

藤野社長は自分がメリルで投信の仕事をしていた時代から中小型株投資のファンドマネージャーとして有名人で(当時はジャーディンフレミングJF中小型株オープンなど運用)、その後、独立したレオス社で「ひふみ投信」を運用している。
当時では珍しい「藤野のつぶやき」という自身の言葉によるレポートを出し(「社長室が立派な中小会社は期待できない」など、成長する企業・しない企業の“あるある”が人気を博した)、顔が見えるファンドマネージャーとして現在でも中小型株の運用のみならず、PEやVC含めたベンチャー系の投資業界で大きな存在感を保っている。

その藤野氏の言葉を受けてではないが(虎の威を借る狐?)、自分がずっと主張してきた「徳の経済」「アドコマース」というのは新しい「共助」のカタチを求めていこうということであり、彼の語る方向性は、まさしく自分が見据える方向性と同じだ。

たとえば、この『くらふぁん』(まだダミーサイト状態)には「情熱の告知板」「徳の掲示板」ページを設け、クラウドファンディングなどで行われる寄付などの行為を掲示するメディアとし、TOKUという証明トークンの利用によってお金を出す人、お金をもらう人、(およびファン)のWIN-WIN(-WIN)を実現させたい、という狙いがあった。

正直、「徳の経済」構想はこのところ、なかなか前に進まなすぎで、心が揺れて(折れかけて?)いたのだが、再度、自らの考えに自信を持った。
とはいえ、自分の中で実現すべきプラットフォーム像が何度かブレてしまって、それもあってこの数か月、推進への勢いが滞っていたというのもある。
また、同時にこの数か月の間に、別の方々から複数の案件が入り、それに“乗りたい”と手を挙げたためでもあるし、日常の日銭稼ぎ(?)に追われたためでもあるかもしれない。

ごく最近、とあるチャレンジングなビジネスを「一緒にやらないか?」とお声掛けくださった方々がいる。最終的には苦渋の思いで「現段階では難しい」と答えてしまったのだが、彼らのこれまでの長期にわたる積極的な取組み、前向きな姿勢には敬意を表している。

彼らからは、自分は「机上で考えすぎ(行動が伴っていない?)」だ、と指摘された。そういう側面が有るのは否定できないが、これは常に頭を悩ます“信用”という問題に起因することでもある。
また、言い訳でなく、必ずしも全く行動できていないわけではない、という自負もある。去年は結果的にいろんな“種をまく”ことに終始し、結実に至るものはほとんどなかったが、それでも可能性を追いかけて様々な先に当たってきたし、ごくわずかでも、ささやかな共感を示してくれた方々もいた。

自分は「VISION」を掲げ、それに共感する仲間やネットワークに基づいてビジネスを実現させることが重要だと思っている。
笛吹けど踊らず。さりとて、笛を吹く(吹き続ける?)ことは大事なのだ。

上記記事で藤野社長がいうとおり、「『共助』の厚みを増し、社会の矛盾や格差解消につなげていける」方向性をこれからの時代が求めているとするなら、やはり「徳の経済」プラットフォーム、「アドコマース」の仕組みには、“ビジネスチャンス”が大いに有ると思う。
まずはプラットフォームのシステム概要について、練り直したい。

自分の目標である「国内外にエンタメ(コンテンツ)とファイナンスを繋げるクリエイティブ人材」の軸は「クリエイティビティ」だ。自身のクリエイティビティを信じ、発揮していければと思う。

デジタル証券のシンガポール集中とエンタメファンド

●デジタル証券取引所 開設続々 SBIがスイス証取と合弁 日本、税制など整備に遅れ(日経電子版 2020年12月8日 2:00)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO67091720X01C20A2EE9000

世界各国の証券取引所が、相次いで「デジタル証券」(主にブロックチェーン上で管理される資産のうち、証券とみなされる性質のもの)の取引に進出している、というニュース。
記事によれば、スイス証券取引所(SIXグループ)、タイ証取、ドイツ取引所グループ、ユーロネクスト、そしてシンガポール取引所(SGXグループ)が先行して動いている、ということだ。

SIXグループはSBIと組み、シンガポールで2022年めどにデジタル証券取引所を開設する予定。同じシンガポールではSGXグループがIPO前の株式など対象に「iSTOX」というデジタル証券取引所を運営している(ここに東海東京グループが出資している)。

以前、「香港からシンガポールへ?」に書いたが、シンガポールはデジタル証券・デジタル資産の取引に積極的だ。
シンガポールは今の米中対立構造の中で中立(?)な拠点であり、これから世界の金融システム構造が大転換するであろう中で、デジタル証券あるいは仮想通貨(暗号資産)なども含むデジタル資産取引のグローバルハブとして完全に定着していきそうだ。

記事によると世界の非上場資産は990兆円あるそうで、その内の幾ばくかをデジタル資産マーケットが取り込むだろうという公算なので、かなり潜在的価値の高いマーケットになる。

さて、性質は企業の株式や債券に限らないが、なにがしかの資産を裏付けにしたデジタル証券の募集売出しを、STO(Security Token Offering)という。既存の有価証券とは異なる資産対象や、マイクロファイナンスとよばれる少額での発行に期待が寄せられている。
今の流れを簡単に言えば、これまでのジャンルにとらわれない様々な資金調達が可能になり、さらに、そのセカンダリーマーケットを充実させることで、幅広い投資家から資金を集める好循環をもたらそう、というものだ。

STOについては記事にある通り日本でも今年認められているが、まだ実例は生まれていない。前に「STOとアイドルファンドと徳の経済」や「金融都市構想と後期倭寇、その他」などで書いたように、日本では(一般社団法人日本STO協会での主導的役割含め)SBIがイニシアチブをとって動いている。

そのSBIが、日本では大阪に私設取引所(PTS)を設立する方向で動いており、STOで発行されたデジタル証券のセカンダリーマーケットはPTSが担う形で始まりそうだ(と思われる)。

●SBI、大阪に「私設取引所」設立へ 地銀連合の協議先は「もう決まっている」(産経新聞 2020/12/01 19:53)
https://www.msn.com/ja-jp/money/other/ef-bd-93-ef-bd-82-ef-bd-89-e3-80-81-e5-a4-a7-e9-98-aa-e3-81-ab-e3-80-8c-e7-a7-81-e8-a8-ad-e5-8f-96-e5-bc-95-e6-89-80-e3-80-8d-e8-a8-ad-e7-ab-8b-e3-81-b8-e5-9c-b0-e9-8a-80-e9-80-a3-e5-90-88-e3-81-ae-e5-8d-94-e8-ad-b0-e5-85-88-e3-81-af-e3-80-8c-e3-82-82-e3-81/ar-BB1bwhPo

SBIの大阪金融都市構想とぐるぐる」でも書いたが、SBIは大阪の堂島取引所を子会社化し、また「金融都市構想と後期倭寇、その他」のとおり「大阪・神戸金融都市構想」を推進している。

今回の記事のSBIの思惑を勝手に推察すると、STOやデジタル証券の発展に期待するSBI(北尾社長)は日本での取引をスタートし拡充させ、大阪(神戸)を「国際金融都市」としてデジタル資産取引のグローバルハブに据えたいとは思うものの、金融ジャンル(に限らないが)の規制が厳しい日本ではすぐに実現するのは難しかろう、という判断もあってのことだろう。
「グローバルに取引が発展するであろうシンガポールにも拠点を置き」ながら「大阪のPTSを拠点に国内投資家を育成し、STOやデジタル証券の浸透を時間をかけて行おう」というハラなのではないだろうか。

とはいえ、ブロックチェーンという仕組み自体が「分散管理台帳」で(安定性や即応性はともかく)取引所システムと類似するものだ。
自分などは、特にマイクロファイナンスで発行されたデジタル証券などのセカンダリーマーケットは大規模な取引所でなくてもいい気がするので、まずはSTOの種類と実例を増やしていって、PTSで投資家への浸透を図ることで、何ら問題がない気はする。

自分は8年ほど前に書いた『コンテンツファンド革命』で「コンテンツファンドによる一元管理」「コンテンツ・知財のグローバルなセカンダリーマーケット創設」などの未来を想定した。
今の流れを考えるに、STO(≒コンテンツファンド)によるデジタル証券でのコンテンツ資金調達(一定段階に進んだ企画の製作資金の調達)、セカンダリーマーケットによる、コンテンツ系デジタル証券の(いずれは、国内外の?)流通、という姿が見えてきている気がする。

デジタル証券は発行者から見れば「ファンマーケティング」に通じる可能性がある。発行者が企業であれば、そこで得る投資家の(最低限の)情報は企業のファン(=ロイヤルカスタマー)獲得に活用できると期待される。
セカンダリーについては、(株式における権利処理日など)なにがしかのベネフィット提供時のみの獲得になるのか、常時把握を許すのかは定かでないが、いずれにせよ、一定の活用は可能だと思われる。

だから、自分が志向してきた映画などコンテンツファンド、あるいはアイドルイベントなどのエンタメファンドは、1社提供の企業がいったんスポンサーとして企画を催し、それをSTOで投資家を募り、コンテンツやアーティストの吸引力を、そのまま企業のファン獲得につなげる、といった目的で発行される時代が来るように思う。
(もちろん、大規模になり関与者が増えるほど、個人情報の取り扱いは厳重なルール化が強いられるが)

自分が長年「エンタメとファイナンスをグローバルにつなぐクリエイティブ人材」として追いかけてきた具体像が、STOの先行きによって見えてくる気がして、果てしなく期待している。
願わくば、この発行者・投資家周りの“営業”に独立系IFAなどの参画が認められる方向性を期待したい(もちろん、SBIのPTSでセカンダリー投資家を獲得するなら、SBIが所属金融商品取引業者になっているIFAしか認められないだろうが)。

少し話が“矮小化”してしまったので、話をシンガポールに戻す。
多種多様なデジタル証券の取引ができる取引所があれば、多種多様な投資家が世界中から集まってくるのは間違いない。
マイクロファイナンスSTOとPTSでちまちまアイドルファンを集めるような取引とはけた違いのロット、参加者数が見込まれる。

シンガポールに先行を許すのは、保守的な日本の国柄としても仕方がないが、やはりSBI北尾氏の唱える大阪・神戸(あるいは菅政権がいう福岡を含め)「国際金融都市化」を目指してほしいものだ。
今、ちまたでは「SBIの大阪金融都市構想とぐるぐる」で予測した(?)ような、「大阪金融都市構想はSBI北尾による中共誘導策であり日本を分断するものだ」という声(陰謀論?)もちらほら聞く。
うーん。。。自分は単純な人間なので「えっ!そうかも?まずいよね」と思う“粗忽さ”も持ってはいるが、「さすがに、それはないでしょう」という見解だ。
むしろ、シンガポールがグローバルハブ化して世界、なかんずく成長するアジアの資金が集中していく中、競争に取り残されれば日本の地盤沈下が一層進んでしまうのでは、と危惧する。

日本は「よくわからないけど、このまま変わらない方がいい!」という人が多数派を占める国だろう。でも、「よくわからない。でも、このままじゃだめだ。変わらなきゃ!」にならないと、本当に、生きていくのが大変になってしまう気がする。

「大阪をシンガポールに負けない国際金融都市に!」
そんなアドバルーンをぶち上げて、新しい未来を創ることに、いち関西人として自分は賛成票を投じたいと思う。

映画は「配信>劇場」の趨勢が定着

●米映画館とネット同時配信 ワーナー、来年の新作公開(Yahooニュース 12/4(金) 7:38)
https://news.yahoo.co.jp/articles/da91e7ecc18d16d222ea57c215017e6242daaf13

アメリカの映画会社大手のワーナー・ブラザースが、「ゴジラVSコング」「マトリックス4」など来年の17本の公開作品についてアメリカ国内の劇場公開とHBO Maxでのインターネット配信を同日に設定する、というニュース(一応、劇場側に配慮して配信期間は1か月に限定)。
この記事だけではワーナーの全作品が同様の措置を受けるかは定かでないが、アメリカではコロナの影響でもう完全に「配信>劇場」の世の中が定着したな、という感じがする。
8月に「コロナ後の映画産業をぐるぐると考える」を書いたころは、劇場側はまだ同時配信に抵抗していた感があるが、完全に配信に軍配が上がった感がある。
特にワーナーの場合は、NetflixやAmazon Prime、Disney+より後発の有料動画配信プラットフォームHBO Maxの会員獲得、競争力向上の意向もあるようだ。

昔書いた『コンテンツファンド革命』で配信の台頭や未来の映画視聴者が劇場視聴を選ばなくなる可能性(なので、「“場”を拡げる新しい取り組みが必要」と主張)について言及したが、コロナという特殊事情があるとはいえ、時代の流れとして劇場離れはあらがえないことのように思う。

とはいえ、世界の映画市場の中で、日本は“特殊”な国だとみられている。
ご存じの通り、日本では『鬼滅の刃』ブームで劇場がにぎわい、他国とは別の様相を呈している。

先日、「文化庁映画週間 シンポジウム『コロナ禍を経てこれからの映画製作』」というイベントをオンライン視聴した。国内メジャー系映画会社のプロデューサーやフィルムコミッション担当者らが登壇者として発言されていた。
イベント自体は、主にロケなどでの映画制作現場のコロナ対策などを論じるものだったが、「これから映画はどうなるか?」のような話も少し出ていて、いろいろ勉強になった。
自分も初めて知ったのだが、欧米の映画劇場公開がストップしている現状、本来は来年あたりに日本で公開されるはずだった外国作品が軒並み“仕入れられない”状況にあるらしい。
なので、2021年は日本国内での作品供給数のかなりの数が邦画になるという公算のようだ。日本は元々、邦画の供給数が多く、興行収入の国内映画比率の高い“特殊”な市場なのだが、それに輪をかけた状況になるらしい。
もちろん、感染者数の増加次第で、これから再び劇場の営業自粛もあり得るだろうから、日本の映画会社や劇場関係者は決して安穏とできるわけではない。

このシンポジウムで印象的だったのは、とある大手映画会社のプロデューサーの言葉だ。
「コロナが日本の映画興行市場の優位性を“溶かして”しまった。これからはグローバルスタンダードの流れの中で戦っていかなければならない」
このような趣旨の発言をされていた。
先述のとおり、日本は邦画製作本数も多く邦画シェアも高く、高額の入場料でも来館者数が多い、世界で類を見ない市場だった。一方、世界の映画興行ではハリウッドメジャー作品が占め、Netflixなどネット配信が劇場を凌駕する状況だ。
その特殊性、優位性も、今回のコロナで(『鬼滅の刃』ヒットという恩恵はあるにせよ)ネット配信に大きく浸食されることになった。

このプロデューサー曰く、
「これからは海外で1円でも多く売れるよう市場を広げる努力が必要。一方で、海外全作品が競争対象となるので映画の大バジェット化が必要。資金調達とそれに至るビジネス構築が重要に」
ということだった(やや意訳も入るが)。
まさしく『コンテンツファンド革命』などでも自分が主張してきたようなことで、今更感はあるが、わが意を得たりだ(とはいえ、「ようやくそんな感じですか?」という思いがないではないが、これは映画やエンタメビジネスのプロデューサーとして全く存在感を示せない“ひがみ根性”なので許してほしい)。

コロナ後の映画産業をぐるぐると考える」で書いたように、「映画」の定義そのものも広がってくるし、融合されてくる。ここに「複数のウィンドウ上での収益展開を担うプレイヤー(ビジネス統合型のプロデューサー?)」が望まれる、と書いたが、そのためには何と言っても強い「コンテンツ力」なのだろうな、と思う。
自分もせっかく「国内外にエンタメとファイナンスを繋ぐことができるクリエイティブな存在」を目指してコンテンツファイナンスを志向してきたのだから、何とか這いつくばって実現を目指したい。
ところで、

●「鬼滅の刃」でクールジャパン戦略 自民特別委(IZA産経デジタル 2020.12.3 18:27)
https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/201203/plt20120318270026-n1.html

自民党クールジャパン戦略推進特別委員会が『鬼滅の刃』関係者を招いてコンテンツの国際展開などについて議論を交わした、という記事。
「アニメ、漫画をはじめとする日本のコンテンツの国際展開やビジネスモデルの創出などの取り組み強化に向け、鬼滅の刃を一つの入り口に議論を深めたい」
ということだそうだ。

この手の話は、結局“掛け声倒れ”というか、あとで振り返ると「で、なんだったの?」ということが多い。
さりながら、『鬼滅の刃』というキラーコンテンツを軸に、新たなグローバルなビジネスモデルを検討するのは面白いと思う。
とはいえ、結局、すでにネット上のグローバルなコンテンツ配給網はNetlflixやAmazon Primeに抑えられてしまったし、今更、国産動画配信プラットフォームを海外に展開するなど土台無理な話なので、ここでは“グローバルなコンテンツ配給網”に乗っかった上での、「ファンコミュニティ形成」「マルチコンテンツで稼ぐ方法論の確立」といった、ある程度限られた話になってしまうだろう。もちろん、それであっても大きなビジネスであることは変わらないが。

中国などではテンセントがコンテンツの川上から川下まで抑える「メディアコングロマリット」化したビジネスを展開している。
すでにコンテンツ産業が分化している日本では、一つの企業グループに集約するのではなく、(「株式会社ポケモン」のような)コンテンツを軸にしたビジネスユニットが引っ張る形になるだろう。要は、その方法論の開拓がはじまってくるだろう。
一方で、“コンテンツ制作の民主化”“コミュニティ型コンテンツ視聴”というトレンドが始まるのではないか、というのが自分の予測だ(本当は、こういうムーブメントを起こす側に回りたいのだが・・・)。

とはいえ、日本発のグローバル・プラットフォーマーの魅力も捨てがたい。
今さら難しいのは重々承知だが、『ゼロベース思考:コロナとカラオケ』で書いたように、カラオケボックスも含む「新しい映画」視聴の“場”をグローバルプラットフォームとして広げていけば、という期待はある。
ハードウェア中心の日本の機器メーカーが積極的に動けば可能に思うのだが。保守的な日本企業には難しいな、としか思えないのが残念だ。

さて、先述のシンポジウムでは、映画プロデューサーたちの結論めいた話として、
「面白い映画を作り続けるしかないよね」
「映画プロデューサーはもっとビジネス志向を持つ」
「エンターテインメントの発信側が垣根を越えて新しいものをチャレンジする」
という発言で締められていた。

クリエイティブな方々のポジティブな見解が好ましかった。確かに、作り手としては「面白いものを作り続けよう」がなければ始まらないし、その意気やよし、と思う。
そして、なんだかんだ言って、自分が『コロナ後の映画産業をぐるぐると考える』で書いたような「新しい映画」のカタチも、漠然と想定している感じのコメントだと思う。

自分が長くいた金融業界も、その後に足を踏み入れた映画業界も、比較的保守的なメンタリティーを持つ人の構成比率が高い産業だ。それでも、時代は大きく変わりつつある。元々、変化の方向性に動いていた中で、コロナショックはあくまでもそれを加速させる一つの要因に過ぎない。
色々な人の「変わらなければ!」が試されている。